「ハチミツは喉にいい」
ペクタは目を見張った。
彼は死霊魔導師だ。
人間としての生を終えて尚、この世界に留まり、仮初めの肉体を使って魔術の探求を続ける求道者だ。
現在彼がいるのは、とあるハチミツ専門店。
「ハチミツだけを扱っているなんて珍しいな」と興味が引かれ、弟子とともに少し立ち寄っただけの場所。
そこで、彼は人生初――いや、死んでからも初めての経験をした。
彼の視線の先。
そこにいるのは、彼の弟子――の前にある会計用カウンターの奥にいる一人の女性店員。
年齢は二〇代後半から三〇代前半といったところだろうか。
身長は女性にしては高く、一六五サンチマートルしかないペクタよりも高い一七〇サンチ前後。
腰くらいまである真っ直ぐで長い茶色の髪。
町で最近流行っている下がった眉尻。
金色の瞳。
すっと通った鼻筋。
薄く口紅を引かれた唇は、無理をしているのか、ぎこちなく口角があがっている。
ペクタはそんな彼女の姿に目を奪われた。
何が彼の視線を奪ったのか、彼自身にも判らない。
ただ、目が離せなかった。
弟子が自分の方へ振り返り「お金が足りません」と言ってくるまで、彼は目が離せなかった。
一週間後
ペクタ宅 ダイニングルーム
「……」
「……どうした?」
夕食時。テーブルを挟んで、自分のことをジト目で見てくる弟子の姿に、ペクタは首を傾げた。
「いや、こちらが『どうした』なんですけどねぇ。判りませんか?」
弟子の少年は、ペクタに向かって敬語を使いながらも、どこかその口調には険がある。
自分が何かしただろうか。
魔術の組式を間違えたか。
魔導協会へ提出する書類を出し忘れたか。
触媒の管理を怠ったか。
腕を組んで考えてみるが、思い当たる節がない。
なので彼は素直に訊ねる。
「ごめん判らないわ。教えて」
師匠の質問に弟子は肩を落としながら息を吐き、
「何で、最近食事に毎回ハチミツが出るんですか?」
ハチミツがこんもり盛られた小鉢を師匠に向かって突きだした。
弟子からの質問に、死霊魔導師は諭すように微笑む。
「いいかザメリ。魔導師の基本は魔術の詠唱だ」
そう言って、彼は自らの小鉢に入ったハチミツをスプーンで掬い、口の中に流し込む。
「判るかザメリ。やがてある程度の魔術は詠唱なしで扱えるようになるかもしれないが、やはり基本的に魔術は詠唱なのだ」
「……まぁ、そうですね」
弟子が頷いたのを確認し、ペクタは言葉を続ける。
「そうだろザメリ。だから我々魔導師は喉を労らねばならない。というわけで喉にいいものはなんだ。そうだハチミツだ」
「それだけじゃないと思いますけれど」
「その通りだザメリ。喉にいいのはハチミツだけではない。だが、ハチミツは喉に?」
「……いい」
「そう。だから文句を垂れず、食べろ」
もうこれでこの話はおしまいとばかりに食事を再開するペクタ。
しかし、ザメリと呼ばれた弟子は納得できず、尚も食い下がる。
「……言いたいことは判らなくもありませんが、そういうことなら、あんなにはいりませんよね」
言って、彼はキッチンの奥を指さした。
そこには、六〇本をこえる未開封のハチミツの瓶が積み重なっていた。
弟子の指摘に、ペクタは慌てて首を振る。
「いや、今のご時世、何が起こるか判らないじゃない。だから買いだめしているんだよ」
「前々からハチミツを食べている人間ならその理屈も通りますが、我々の食卓に出てきたのって、つい一週間くらい前ですよね。別にハチミツ切れたところで問題ないと思いますけど」
「いや、それは」
「ていうか、買いだめするんだったらハチミツよりももっと栄養のある保存食とかを買った方がいいですよね」
「うっ……」
言葉に詰まるペクタにザメリは更に詰め寄る。
「それと、この一週間で師匠一体何度あのハチミツ屋に行きました? 両手の指じゃ数えられないくらい行ってますよね。しかも一人で!」
「え、あの」
矢継ぎ早に放たれる弟子の言葉に、師匠の目が泳ぐ。
ペクタのその反応に、ザメリは訝しげな視線を向け、ずっと思っていたことを口にした。
「初めて一緒にハチミツ屋に行ったときにもしやと思ったんですが……もしかして師匠――」
「ハチミツ屋にいたあの店員に――惚れました?」
弟子の言葉に師匠は――
「は!? ち、ちげぇし! そんなわけねぇじゃん! ぼく死霊魔導師だぜ! ま、魔道に心酔した狂人だぜ! そんなぼくが人に惚れる!? 意味判らなぁい! そんなことあるわけないじゃんか! 恋愛感情なんてものそもそもぼくにはないし! 知らないし! 誰かぼくに恋愛感情教えてほしいものだよ! ばっかな弟子だな! まだまだだな。ザメリまだまだだな!」
裏返った声で、必死に弟子の言葉を否定した。
判りやすく狼狽える師匠を冷めた目で眺めながら、ザメリは小さく溜め息を吐いた。