二十四話 良一、檻の中の少女と話をする。また、檻の中の少女の想い
『競技』の道具が収められていた倉庫を出る時、僕はあることを思い出した。
南の村で『競技』に挑んだ時、なにかお香のようなものを嗅がされて、それで記憶が曖昧になったことがあった。
あれは、今回もあるのだろうか。
ああいうことをされるとなると、事前に対策を考えるとしてもそれがどれだけ役に立つか怪しいが……。
木材がきしむ階段を降り終わった時、僕は二人の巫女に聞いた。
「ええと、南の村で『競技』に挑戦した時、開始前に記憶がぼんやりするお香みたいなものを嗅がされたんですが、それは今回もあるんでしょうか……」
二人の巫女は同時に僕の方を振り返って、
「『競技』の日は明日。」
向かって右の巫女がそう言った。
「明日の夜は新月。」
向かって左の巫女がそう言った。
「ええと、どういうことでしょうか?」
「新月の日には香は焚かない。」
今度は二人の巫女が同時に言った。
僕は安心した。理屈はわからないがそういうしきたりになってるのだろう。
「つまり、スッキリした頭で『競技』に挑めるってことですね?」
僕のその言い方はなにか二人の巫女の癇に障ったのかも知れない、二人の目つきが厳しくなったような気がした。しかし二人は、
「『競技』に挑戦するものとしては好都合と思うであろうな」
存外に落ち着いた声でそう言った。
「しかし、忘れることなかれ。」
二人の巫女は息を合わせて喋る。
「『競技』は神意を問う儀式。神々がそのように思し召されるなら、どうあれそなたは勝てない。」
(嫌なことを言うなあ。)
そう思った僕は思わず、
「神様たちがそう思し召すなら、どうあれ僕が勝つってことも言えるんですよね?」
そう口答えしていた。
以外にも、二人の巫女は少し表情を緩めて、
「たしかに。神意はあらかじめ決めてかかるものではないな。」
そう言った。
三人の巫女(3人目の少女は巫女とは名乗ってないけど同じ服だから多分そうだろう)を見送って、僕はニニナと二人、僕らに提供されている家に向かった。
「あの、ご主人さま……。」
横を歩くニニナが僕に口を開いた。
「どうしたの、改まって。」
僕は心配そうな表情のニニナに、何でもないような顔で聞いた。
「勝ってくださいね……。わたし、祈るほかに何もできないけど、一所懸命お祈りします。」
「ありがとう。」
僕は照れくさくなって、ニニナから顔をそらして前を向いて、そう言った。
「頑張って祈ってよ。どうもこの世界で、僕を応援してくれるのは君一人……。」
僕はいいかけて、そうでもないかなと思い至った。
「ご主人さま?」
「もう一人いるかな?」
僕はニニナと一緒に、あの赤髪の少女に会いに地下室に行った。
壁にかかっている松明を手にとって、あの少女が閉じ込められている小さな檻を探す。
(たしかこのあたりに……)
檻があった場所を照らすが、そこには檻はなかった。ただほこりのつもり方を見ると檻がそこにあったのは間違いなさそうだった。
戸惑っていると、
「あ、あたしに同情してくれた人……。」
あの少女の声が違う方向から聞こえてきた。
松明をそちらにかざすと、はたしてあの少女が閉じ込められている檻がそこにあった。
「大丈夫かい?」
僕はそう声をかけて少女に近づいた。
「えへへ。つらいよ。」
少女は少し弱った声でそう言った。
僕は少女の体の向きが変わっているのに気づいた。
前に見たときは四つんばいのような姿勢で閉じ込められていたが、今は上下が逆さまで、体の向きが仰向けになっている。
「姿勢変えたの。」
僕は少女の檻の近くにしゃがみ込んで聞いた。
「いや、はは、変えたっていうか。」
小さな檻に閉じ込められて拘束された少女は、それでも笑顔を作って会話する。
「檻ごと蹴っ飛ばされてひっくり返された。」
「えっ……。」
言われてみると、少女の体は小さな檻に詰められているような状態だから、自力で体の向きを変えることなどできそうになかった。
「誰がそんなことを。」
「村の人。まああたし、色々恨み買ってるから……。」
「怪我はしなかった?」
「大したことないよ。でもね、今は背中が痛い。」
「背中が?」
「なんか、檻の格子の出っ張ったところが背中にあたってる感じ。ひっくり返される前はそっちが地面じゃなかったから良かったんだけど。いてて……。」
「向きをもどしてあげるよ。」
「え?」
僕は少女の檻の片側を持ち上げようとした。重さは一人で持てなくはないけど、少女とは言え人一人が入っている檻だからそれなりに大きくて、持ちにくかった。
「ニニナ、ちょっと持つの手伝ってよ。」
そう言いながらニニナの方を振り返ると、ニニナはすこしだけ戸惑っているようだった。
「その子を助けるのですか。」
「うん。手伝ってほしいんだ。」
「かしこまりました。」
(ニニナはこの子を助けたくないのかな……そう言えば、この子を捕まえたときも火炙りにしてしまおうとか過激なことを言ってたな。)
とにかく僕とニニナは少女が入ってる檻を元の向きに戻した。
「ふーっ。楽になった。ありがとう!」
「それは何より。」
「ねえ、あたしと話をしにきてくれたの? あたしの気を紛らわせるために?」
「いや……ちょっと違うかな。」
「どういうこと?」
少女は赤い髪の下から、好奇心の目でこちらを見上げている。
「僕は、明日、『競技』に挑むんだ。」
「へえ?」
「僕が『競技』に勝てば、君は死ななくてすむんだ。」
「え?」
「もし、僕が負けちゃった場合は、君の力にはなれないけど……。」
「ちょっ、ちょっと待って!」
少女が驚愕の表情で大声を出した。
「『競技』って、え、まさか! その『競技』!? 負けたらすべてを失うんだよ! ああ、あんたは一回は『競技』に勝ったんだね、でももうやめておいたほうがいいよ! だって、挑戦者はめったに勝てないんだろう!? どうして?」
「どうしてって……どうも、それしか君を救えないみたいなんだ。」
少女は絶句した。
「君を助けようとすると、この村の『競技』で勝つしかないみたいなんだ。」
僕は言葉を変えてもう一度言った。
「そんな!」
少女は悲鳴に近い声を出した。
「あたしなんかを助けるために、あんたがすべてを失うかも知れない『競技』に!? どうして? 分からないよ!? どうしてそんなことをしなくちゃいけない?」
「俺が意地悪して義足を取り上げたせいで、君は捕まっちゃったんだろう?」
「そ、それはそう、かも知れないけど! あんたはあたしの事なんか忘れちまえばいいんだ! あたしなんか、別に大した価値なんてないし……。」
「そんな事言うなよ。価値がないとか……。」
僕はため息を漏らした。
「か、仮にあたしみたいなのに価値を感じたとしても、あんたお金持ってるだろ、あたしみたいな奴隷、買えばいいじゃないか、あたしよりきれいで可愛くて、体もちゃんとしてる子が買えるよ……。」
「まあとにかく、僕が『競技』に挑むのは決定事項なんだ。もうくつがえらない。」
「そ、そんな……」
檻の中の少女は泣きそうな表情になっていた。
「喜んでもらえると思ったんだけどなあ。」
僕は彼女と顔を合わせづらく感じて、視線をそらしながらそう言った。
「あ、あたし、幸せに感じたんだよ。」
「ん?」
「あたしを見て、『可哀想に』って言ってくれてさ、それから、今さっきも檻の向きを直して背中が痛くないようにしてくれてさ、親切な人がいるんだなあって思って。あたしはもうすぐ死ぬけど、最後に優しい人に会えたって思って、幸せに死ぬるって思ったんだ。」
(幸せに死ねる……。)
その言葉の意味は分かるような気がしたけど、それは、僕よりも年下の女の子が言うには痛ましい言葉のように思えた。
「逃げ出した奴隷のあたしがさ、村の食べ物盗んだり、時には村の人に怪我させたり、悪いことする時はいつも、『こりゃ、捕まったら殺されるな』って思ってたから、死ぬ覚悟はずっと前から出来てるんだ。処刑の時はさんざん痛くて苦しい目に合わされるだろうし、それは怖いけど、でも仕方のないことだから。あたしは受け入れてたんだ。だから、どんなに酷く殺されても、それはいいんだ、でも。」
視界の端で、少女が大粒の涙をこぼしたのが見えた。
「あたしに親切にしてくれた人が、あたしを助けようとして『競技』に負けたりして、奴隷に落とされるなんて事になったら、あたしは耐えられないよ!」
その言葉は僕の胸に響いた。
僕はこの子を助けることだけを考えていて、僕が一方的にこの少女のことを想っているのだと認識していたけど、そうじゃなかった。
この子も、僕のことを想ってた。
なんだか、胸の奥に温かいものがこみ上げてくる感じがした。
「絶対勝つよ。勝てると思うんだ。でもさ、誰かが僕の勝利を祈っててくれたら、もっと僕は自信を持てるんだ。」
僕は手でニニナの方を指して、
「この子も僕の勝利を祈ってくれる。でも、もう一人ぐらい僕の勝利を祈っててくれたら、僕はさらに心強く感じられるなって想ってさ。」
「そ、それは。」
檻の中の少女は少し涙声になっていた。
「あたしでも、いいのか、祈るの。」
「うん、君にも祈っててほしいんだ。お願いだよ。」
「あたし、祈るよ! ずっと、ずっと祈り続けるよ!」
「……ありがとう。」
僕はそう言った。自分でも意外なほど、優しい声が出た。




