二話:良一、ゲームショップで得体のしれないゲームの箱を手に取り異世界にたどり着く
駅前から裏通りに行き、ビルの二階のゲームショップに足を踏み入れた。
電子音のチャイムが鳴る。
わずかに漂う印刷物のインクの匂いはゲームショップ特有の匂いだ。たぶん。
店員の姿は見えない。レジのチャイムを押せば奥から店員が出てくるだろう。この店はいつもそうだ。
狭い店内を気ままに歩いて、訳あり品のコーナーで足を止めた。
パッケージが傷ついているとか未使用だけど展示用に開封済みだったりする商品のコーナー。
一つの中ぐらいのサイズの箱が目を引いた。
ゲームタイトルは読めない。なんかよく分からない字だ。英語だとしたらよほど気取った字体なので字が判別できないのだ。タイトルは気にせずパッケージイラストを見る。
(インドネシアっぽい)
そんな印象を抱かせるどこかの異国の村の風景。
日焼けした色の肌の女性が頭の上にかごを乗せて、緑色の果物らしき何かを運んでいる。
上半身裸の男が岩に向けてつるはしを振るっている。
ヤシの木のような植物が茂っている。
遠景に象のような動物も描かれているようだ。
別にさして写実的でもないが妙に引き込まれるイラストだった。
しげしげとイラストを眺める。
すると、奇妙なことが起きた。
パッケージイラストのヤシの木のような植物に目を止めたら、急にそのヤシの木が大きくなり始めて、目の前にそびえたっていた。
いやごめん、この文章を書いていて“何を言ってるんだ?”と戸惑う読者の顔も思い浮かぶんだけど、あの時の体験を出来るだけ忠実に書こうとするとそうなる。
ゲームショップで得体のしれないゲームの箱を眺めていたはずの僕は、いつのまにか真っ暗な空間で、一本のヤシの木の前に立っていた。
それで自分がびっくりしたかと言うと、そうでもなくて、ぼーっとしていた。
多分この時、僕はどういうわけか夢遊病か何かそういう状態になっていたんだと思う。
ぼんやりした頭で、何で木が一本しかないんだろうと、そんな見当はずれな事を思っていた。
そうしたら辺りにはたくさんのヤシの木が生えていた。
(そうだよな、一本だけのはずはないもんな)
驚くこともなくそんなピントの合わない感想を抱いていたことを覚えている。
微妙に疲れていた足を動かすと、ジャリッと土を踏む音がした。
甘酸っぱい果物の香りを風が運んできた。
日差しは強く、熱いぐらいだが風が渇いていて不快な感じは少ない。
(いい天気だ)
この異常事態にそんな感想しか抱けなかったこの時の僕の脳内こそいい天気であったと言えるだろう。
そのままぼーっとしていたあげく、のどが渇いた僕は、散漫な意識のままなにか飲み物がないかと思って歩き出した。
けもの道のような道があるので、歩けばどこかに着くだろう、ぐらいの事は考えていただろうか。
とにかくゲームショップでその箱を眺めた後、どこかの時点で、僕の体は日本を遠く離れた(日本を遠く離れているであろう)この異世界に到着していた、と考えるしかない。
ボードゲームの世界に転送されてしまった……そんな表現を思いつくが、それが正確な表現なのかどうか、これを書いている今も確信は持てていない。
ふと足首に何か違和感があった。
それを認識する暇もないぐらいの早さで僕の体は逆さに吊るされていた。
急速に意識が覚醒した。
「な、な、な、何が?」
足首が痛い。
足首に縄が巻き付いていて、それで僕の体は吊るされている。
縄はヤシのような木の高いところに括り付けられているようだ。
「何だこれ! 何だこれ!」
意味のない言葉を吐きながら、くるくる回転する体を制御しようとするがそんな事は出来ない。
何のトラップなんだ一体!
獣用の罠か? それとも?
とにかく何とかしないと。
体を折り曲げ、縄が巻き付いている足首に手を伸ばそうとする。
無理だった。
やってみるまでは出来るような気がしたが、そんな筋力は僕にはなかった。
「いだだだだだ! 足首痛い! だ、誰か助けてくれーっ!」
そう叫んだ時、がさっと茂みをかき分ける物音がした。
視界がぐるぐる回るので捕えにくかったが、どうにか僕の目は二人の人物を捕えた。
大人の女性と、上半身裸の子供。二人とも日に焼けた肌。布を体に巻きつけているような、民族衣装的な服装。
この二人を見た瞬間になって初めて、僕はさっきゲームショップで見たゲームの世界に入り込んでしまったのではないかと言う思いが浮かんだ。
「助けて!」
僕は叫んだ。
大人の女性は睨みつけるような眼でこちらを見ているようだ。
「敵じゃない! 僕はあなたの敵じゃないです! 怪しくないです! ただの旅行者です! ヘルプ! ヘルプミー!」
僕は必死だ。
大人の女性が筒のようなものをどこからか取り出した。
何だろうと思って見ていると彼女はそれの片方の端を口に当て、反対の端をこちらに向けた。
(吹き矢!?)
そう気づいた僕は一層パニックになった。
「プリーズ、ドント、イット、ドゥー、ノット、プリーズ! ストップ!」
崩壊した英語でわめいた。
次の瞬間首筋にひきつるような感覚があったと思うと、何だか急に意識が遠のき始めた。
(も、もう吹き矢撃ったの!? そして毒矢!?)
視界が霞み始める。
(い、いや、毒じゃないよね? 麻酔的な何かだよね?)
(ま、麻酔なら、死にはしない、それにちゃんとこの場所から降ろしてもらえる)
(悪かったことばかりじゃないと考えるんだ、自分一人だったら何とか縄をはずせたとしても地面に落下していただろう、丁寧に降ろしてもらえるだけマシだと思うんだ)
視界はすでに真っ白で、ほとんど何も見えないが、ブンブンブンと何かが回転しながら飛んできた音がした。それが手投げ斧だと知るのは後のこと。
吊るされている足の先でブツリと縄が切れる音がして。
僕の体は落下し地面に激突した。
肩のあたりでグキッと言う嫌な音がした。
(踏んだり蹴ったりじゃないか)
そう思いながら僕は意識を失った。