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大冒険時代  作者: ねくろ
学園入学前
19/42

お嬢様と悪漢9

「敵の数は如何ほどですか?」

 レアンの先導で裏路地を進む。先程までは、まがりなりにも街並みに生活感が在ったが、今進んでいる辺りにはそれが感じられない。うち捨てられた建物は時の流れによって痛み、崩れ、長い間人の手が入った様子もない。何らかの理由で破棄された区画なのだろう。

 その一方で感じる肌を差す無数の戦気はどんどん多くなる。到底十や二十で利く人数とは思えない。おそらく、かなりの規模の部隊が動いている。人数からして、この先の広い通りで布陣しているものと考えられる。

「会食をするには些か多い」

 要領を得ない言葉だが、数の多さは窺える。ヘーリアンティアが判断を下す立場なら、間違いなく撤退を選ぶ状況だ。だが、レアンは腹が立つ程に平然と危地へと足を向ける。

 かつてスクァーマが言っていた言葉を思い出す。考え過ぎる自分を、仲間が否応なく引っ張ってくれる、と。しかし、流石にこの状況は考えものではなかろうか?

 裏路地の出口が見える。見た限り、先は幅が広い道路だ。待ち伏せには絶好の地形。

「『黒狼』殿、少し待って下さい。補助方術を――」

 呼び止める。無視。レアンが大通りに出る。

「ええ、ちょっと!」

 血の気が引く。まさか何の準備もせずに突っ込むなんて……。

 一瞬の逡巡の後、走り寄る。策も何も有ったものではない。無茶苦茶だ。

 一気に視界が開ける。薄汚れた石造りの建物が立ち並ぶ大通り。数階建ての屋根が高い建造物が多い。狙撃には絶好に過ぎる状況。肌が泡立つ。

 見える。正面の屋根の上に弓を引き絞った男達がいる。おそらく左右にも。このままでは百八十度からの弓射を受ける。

 瞬間、凄まじい数の風切り音。言わん事ではない。杖を構える。間に合うか? 方陣を描く。

 レアンが、衣嚢からゆっくりと両腕を抜く。紫煙を吐き、無造作にヘーリアンティアを庇う位置に立つ。馬鹿な、素手で打ち払える数ではない。構わず術を発動しようとし、

「動くな」

 レアンの両腕が、ゆらり、と円を描く。直後、数十の矢が鈍い音を立てて突き刺さる。二人の身体を逸れて、周囲の石壁に。

「は?」

 レアンの両手の指の間には、いつの間にか無数の矢が有る。木の葉を摘む様に、指で矢を挟み取った。石に突き立つ勢いの弓射を。

「へ?」

 次の瞬間には横抱きに抱き上げられ、跳んだ。外套の裾が風にはためき、景色が高速で流れる。ヘキが悲鳴の様な鳴き声を上げて頭にしがみ付く。

 二人の立っていた場所に夥しい矢が降り注ぎ、火の、水の、風の、地の方術弾が炸裂する。

 地が遠い。高過ぎる。人一人を抱えて軽々と多層構造の建物の屋根まで飛び上がった。蛙族かと疑う跳躍力。

 そのまま、猫の様に音もなく屋根に着地する。細身の体からは想像も出来ない力強さ。鼻に付く煙草の匂い。老人と語らった幼い日に嗅いだ、枯れ草の様な香り。思わず赤面する。冷静に考えれば、家族以外の男性に初めて抱き上げられてしまった。

「き、緊急事態ではありますが、気安く淑女の体に触れるのは感心しません!」

 レアンが煙草を咥えたまま顔を覗き込んで来る。垂らした前髪の奥の、凪いだ黒い瞳。停滞と虚無を含んだ色合い。一切合財を捨て去り誇りだけが残った、戦士の目。まるで、あの日の老人の様な……って、あ、危ないから火を近づけるな!

「そそる顔も出来るじゃないか。今夜俺の寝室に来い」

「この状況で馬鹿ですか!」

 思わず上気した顔を隠し、口元を吊り上げるレアンに悪態を突いてしまう。

「『黒狼』だ……!」

「何てこった……」

「に、逃げろ!」

 屋根の上で陣取っていた弓兵達が次々飛び降りて行く。

 弓が、方術が降り注ぐ。見渡した大通りには、槍と盾を構えた数十人の男達が密集陣形を形作り、その背後に方術士が杖を掲げる。弓兵数十、白兵数十に加え、幾人かの術者。全体で百を超える。個人に向けた編成では断じてない。最早、大型獣を想定した戦闘集団だ。

 ヘーリアンティアを放したレアンが、蝿でも払う様に無造作に矢を逸らす。合間にちびた煙草を投げ捨て、新たな煙草に火を点ける。その前後左右に方術弾が次々と炸裂し、石の建材を砕き魔力波を噴き上げる。あらゆる属性の要素が、引っ切り無しにヘーリアンティアの魔力障壁にぶつかる。

 戦場かと見まごう弾幕。魔力に優れたヘーリアンティアには影響ないが、さほど魔力が高くないレアンには余波だけでもきつい筈だ。それなのにまるで打撃を受けた様子がない。あの外套、おそらく強力な対魔方陣が刻まれている。流石に良い物を纏っているものだが、いずれは直撃する。

 ヘーリアンティアが金の杖を構え、魔力を練り上げ構成を描く。空間に己の魔力で骨組みを作り、外部からの魔力を減衰させる膜を張る。レアンと自分を包む範囲で対魔力結界を張ったのだ。本当は属性特化させた方が遥かに強度が出るのだが、全属性が間断なく撃ち込まれる状況では仕方がない。

「『黒狼』殿、矢をお願いします。私が弓兵を片づけて行きます」

 結界に数発の方術が着弾するが、貫くには至らない。幸い、術者はそれ程の階位ではない。しかし、如何せん数が多過ぎる。その上に、暗殺者二人の動きにこそ、最大限の注意を払わなくてはならない。ここは基本に則り、牽制の弓兵から順に片づけるしかない。ないのだが、

「お嬢さんは弓兵と遊んでいろ。無理なら伏せているがよい」

「まさか……」

 案の定、レアンが雨霰と飛び来る矢と方術に向けて飛び出して行く。

 石造りの屋根を蹴って大跳躍。向かいの建屋の壁を更に蹴り加速、弾丸の様に敵集団に向かう。信じがたい身の軽さだ。黒い外套をなびかせ地に着くと、勢いを殺さずに疾走する。


 空中で掴み取った矢を投げ捨て、レアンが駆ける。盾を構え、長い槍を前方に隙間なく突きだした敵集団は最早眼前。そこに全方位から矢と方術が降り注ぐ。

『草掻き分け往く蛇の如く』

 レアンが異国の言葉を呟く。瞬間、動きの質が変わる。ゆらり、と体勢を低く構え、地を這う蛇を思わせる動きで流麗に駆ける。前方から弓と方術弾。構わずに突っ込む。蛇が身をくねらせるかの如き動作で大半を躱し、直撃するかに見えたものも外套を滑って後ろに流れ飛ぶ。体幹の微細な動きで全て受け流した。

「来やがった!」

「殺せ!」

 槍兵達が気勢を上げる。幾重にも渡って整列した槍兵が、槍を上方から前方に隙無く突き出した密集隊形。蛇の様に疾走するレアンが、古代ギリシャの戦争で猛威を振るった鉄壁の槍衾と単身、激突する。その寸前。

 獲物に食らい付く蛇の様に腕が伸びる。一本の槍の柄を無造作に掴む。「ぬおっ!」その槍を持つ槍兵が凄まじい勢いで宙を舞う。槍を介して重心を操作、投げ飛ばした。隊列が僅かに乱れる。生じた槍衾の隙間に、流れる様に潜り込む。その軽妙な動きは、小さな穴に侵入する蛇を思わせる。

「お、おい!」

「糞が!」

 瞬きする間もなく懐に入る。間合いを殺された槍は脆い。槍兵達が絶望の表情を浮かべながらも、盾を構える。お互いに身体を支え合った姿は、まるで鋼の壁だ。

 駆け抜けた推進力を用い、左の掌底。構わず盾の上に放つ。踏み込んだ石畳に放射状の亀裂が奔る。破砕音。

 皮の鞭の様に腕がしなり、屋根の上の弓兵にも聞こえる程の音で風を切る。力のうねりが大地を踏み締めた足から生じ、体幹を伝わり、鍛え抜かれた異形の手に至る。むしろ柔らかに、掌が盾に張り付く。炸裂。方術で強化された金属盾が飴細工の様にひしゃげる。

 あたかも大砲の砲撃を受けたかの様に、数十人の槍兵が一撃で吹き飛ぶ。密集して防御を固めた構えが仇となり、衝撃が一人の男から隊列全体に浸透した。直撃を免れた者も、弾丸の様に弾かれた人間の体にぶつかり、血を吐いて転がる。

「化け物……!」

「く、来るなぁ!」

 吹き飛んで来た槍兵にぶつかり、方術士が恐慌する。僅かに生き残った槍兵が方術士を守る位置につく。生き残りに構わず、弓兵達の斉射が降り注ぐ。更に、全身鎧に身を固めた騎兵が数騎、長い騎乗槍を構え、矢を避けながら回り込んで来る。

 騎獣にも鎧を着せた彼らは、本来追撃を目論んでいたのだろう。密集隊形で敵を受け止め、回り込んだ騎兵が挟撃する金床戦術。それがたった一人の男の体術の前に崩れ去った。

 レアンが矢を払いながら、煙草を摘み紫煙を吐く。再び咥え、騎兵に視線を向ける。掻き消える。

「馬鹿な、見失っ……」

 騎兵が驚愕した瞬間、超低空で旋風の様に回転したレアンの後ろ回し蹴りが、騎獣の前足を薙ぎ払う。戦闘用に品種改良を為された軍用馬の、熊をも蹴り殺す太い足が小枝の様に叩き折れる。騎獣が苦痛のいななきを上げ、突進する勢いのままに地を転がり、騎兵が投げ出される。其処に後続の騎獣が続き、次々と転倒して行く。最初に投げだされた騎兵は、騎獣に踏みしだかれて原型を留めていない。まだ息の有る騎兵も、

「がは」

「……糞が……ぐぉ」

 無造作にレアンに踏み殺される。

「はぁ!」

 最後に残った騎兵が拍車をかけ、騎獣が其れらの障害物を飛び越える。突進の勢いに騎兵と騎獣の重さを加えた、人獣一体の必殺の一撃。その衝撃力には、生半な魔獣など一溜まりもない。

 宙から躍りかかる騎兵に、レアンが凪いだ黒い眼を向ける。両手を下ろしたあまりに無防備な姿。騎乗槍が届かんとする瞬間、騎兵が獰猛な声を上げる。

「殺ったぁ!」

 いつの間にか動いたレアンの腕が、突き出される騎乗槍に触れる。軽く手首を返す。渾身の突きが大きく弾かれる。騎獣と接触する。圧倒的な体格差。両手で兜を纏った騎獣の頭を掴む。禽獣の様な指が兜にめり込む。捻る。左足を一歩引き、半身になる。空中の騎獣が自ら動いたかの様に反転し、騎兵と共に逆さに落ちる。意識と重心を操り投げる、牛馬返しと呼ばれる体術だ。

「ごぁ」

 衝撃に痙攣する騎兵の頭を兜ごと踏み砕き、煙草を摘み紫煙を吐く。思い出した様に煙草を見る。まだ半分も灰になっていない。

「他愛ない」


 産まれて此の方、今日ほど己の正気を疑った日はない。

「ヘキちゃん、私は疲れているのかな?

 あの好色偏屈狼殿が、隊列を組んだ百人の戦闘集団に馬鹿の様に正面から突っ込んだ挙句、さらりと圧倒している姿が見えるのだけど……」

 あまりの現実感の無さに頭を振る。素手の一撃で密集陣形を吹き飛ばしたぞ。陳腐な叙事詩ではないのだ、人間にそんな事が可能なのか?

 ヘキがしっかりしろと言う様にぺたぺたと頭を叩いてくる。分っている、戦闘中だ。先程から引っ切り無しに飛んで来る矢を、『矢除け』の風術結界で受け流しながら素早く思考を巡らせる。

 つまり、あの男は単身で敵対勢力を壊滅させるつもりであり、また、それが可能なのだ。『金色』の皆の言葉に、漸く合点がいった。確かにあれだけ強く身が軽ければ、一人で攻め手に回り、残りの人間で拠点を守るという戦術が成り立つ。遊撃に回ったレアンを倒す事など、ゲルマニカの騎士団でも不可能に思われる。

 だが、レアンの強さを知る敵が、あえて戦闘に誘導した事が気に掛かる。並みの戦力を掻き集めたとして、あの男に通用しない事など自明だ。

 見る限り、レアンは対人戦を知り尽くしている。その戦闘巧者を打倒し得る隠し玉が有るのか? あるいは、暗殺者達に伝説の暗殺教団級の力量が? やはりこの局面は暗殺者の動きが鍵になる。まずは術者を片づけながら、そちらへの対応を担当するのが後衛の仕事だ。

 レアンの動きで敵方術士からの攻撃が止んだ瞬間、『矢除け』と並列展開していた対魔力結界を解く。反撃開始だ。

『二層水術 水槍』

 騎乗槍程に長い水槍が三本形を成し、方術士達に向かって飛ぶ。牽制だ、外れてもよい。

 一本が外れ石畳を穿ち、一本が魔力障壁に減衰し方術士を吹き飛ばすに止まるが、最後の一本が杖を構えた方術士の胸に突き刺さる。槍を受けた方術士が血を吐き倒れる。

 やはり大した階梯の術者ではない。対魔力結界を張らずに攻勢を掛けた判断も間違いではなかったが、今や流れが変わった。術者を生かしておいては、何をされるか知れたものではない。生きて明日を迎える為、彼らには、死んでもらう。

『三層水術 水弾』

 水と水の要素を凝縮した弾を創り出す。一抱えもある其れを、方術士達が密集した地点に放つ。此方の動きに気付いた方術士が結界を張ろうと動くが、遅い。

 方術弾が一人の方術士に命中し一瞬で障壁を貫通、その身体を打ち砕く。「弾けろ」ヘーリアンティアの操作を受けた方術弾が破裂し、水の礫と荒れ狂う水の魔力を放出する。礫が周囲の方術士に突き刺さり、渦巻く水の魔力が敵の体内の魔力を掻き回し、破壊する。

 魔力を過剰に乱された者は、存在の根幹を保てなくなり死に至る。未熟者の魔力弾ではなく本物の方術士の其れは、一撃で優に十を超える人間を殺傷し得る。方術士達は全滅だ。槍兵はレアンに任せればよい。

「なんて魔力弾だ……」

「やばいぞ、方術士を狙え!」

 弓兵達が動く。射掛けられる矢が倍増する。『矢除け』の結界で弾き切れず、ヘーリアンティアを掠める物もある。中々の強弓を使う者がいる。金の杖に更に魔力を込め結界を強化し、弓兵を一掃すべく動く。

「ヘキちゃん、霧を放つよ。毒を」

 ヘキが待ちかねたと言う様に鳴き声を上げ、頬を大きく膨らませる。ヘーリアンティアが三層の青い方陣を描く。

『三層水術 霧操作』

 方陣の前に集まった水が霧となり、意思を持つかの様に広がって行く。霧を操作するだけの一見地味な方術だが、運用次第では凶悪な効果を発揮する。むしろ、階位が低い為に使い易く、水術士にとっては対人戦においての切り札と成り得る術式だ。

 ヘキが茶色い液体を吐き出し、其れが霧に混ざり込む。急速に広がった白霧は、弓兵達が構える屋根を包み込む。弓射の角度から弓兵の位置は全て押さえている。晴れた空の下、屋根の上だけが霧に包まれる奇妙な光景が現れる。霧は濃く、中の様子を視通す事も出来ない。

「お、おい、何だこの霧は?」

「やばいぞ、逃げ……」

 霧の中から困惑の声が漏れる。もう、遅い。目端の利く弓兵数名が逃れた様だが、残りの者は手遅れだ。

「か、身体が……」

「何だ、これ……」

 弱弱しく、呂律の回らない声。方術を解く。視界の晴れた向かいの屋根の上の弓兵が、痙攣する身体で嘔吐し、倒れる。特殊な対毒訓練でも受けていない限り、一息でも吸い込んだら死に至る毒だ。まして、毒を研究する学者でも存在を知らない様な、未知なる毒に対応出来る筈がない。

 迷宮内の環境は驚く程に多様だ。様々な魔獣が徘徊するだけでなく、明らかに独自の生態系の下に一つの完結した世界を形作っている場所も在る。そんな場所には貴重な資源と共に、非常に危険な動物も棲む。これは、そんな迷宮で師のラーマが発見した蛙の毒だ。

 非常に美しい色合いの黄色い蛙らしいが、人差し指位の身体で十人近い人間を殺せる毒を持つという。その毒をヘキに作らせたのだ。

 ヘキの幻獣としての能力に毒の生成が有る。食べた物の成分を体内に蓄え、毒として凝縮出来るのだ。それらは触媒として使え、ヘキが操作する事も出来る。今回はヘーリアンティアが創り出した霧にヘキが毒を混ぜ、敵に送り込んだ。思念を用いた意思の疎通が可能な使い魔だからこそ出来る連携である。

 出来れば逃げた弓兵も始末したい。残せば戦場の不安定な天秤を揺らす要素となり得る。だが、今は時間が惜しい。敵は全滅寸前。暗殺者が仕掛けるとしたら今を置いてない。視線をレアンに向ける。


「がぁ!」

 槍兵が決死の気迫で長槍を突き出す。死兵は恐い。追い詰められた羊は、時に狼を蹴り殺す。

 唸りを上げる槍に、レアンの腕が蛇の動きで絡み付く。突きが逸れる。槍を伝い、レアンが間合いを詰める。異形の手が鎖帷子に覆われた首に伸びる。禽獣の様に鋭い指を伸ばした貫手が、鎖帷子を紙の様に穿ち、喉に叩き込まれる。槍兵の頸椎がへし折れ、貫手の衝撃で頭が前屈し胸にぶつかる。

「きいぁ!」

 最早断末魔の声を上げ、長槍を捨て剣を抜いた男が横手から斬りかかる。逆の貫手。剣と貫手が接触した瞬間、貫手に捻る動きが加わり、剣だけが大きく弾かれる。そのまま兜の覆いを破壊し、眼孔の奥まで突き刺さる。獣の様な悲鳴。背後から槌の一撃。すり抜ける様に躱し、裏拳。兜が半壊し頭蓋が割れる。横の男の腹に足刀。踝が埋まるまで板金鎧を陥没させ、内臓を破裂させる。

「化け物……」

 取り残された槍兵が絶望の呻きを漏らす。涙が流れる。

 レアンがちびた煙草を投げ捨て、懐から新たに取り出す。煙草一本を灰にする時間で、数十名の戦士達を全滅させた。傷はおろか、息一つ乱した様子もない。

「……何で、こんな事に……」

 レアンが心折れた槍兵を見る。石像の様な無表情が動く。失望と嘲笑。反吐を見る様な目。

「戦って死ねもしないか」

 無造作に歩み、槍兵の前に立つ。

「お前には殺す価値もない。知っている事をぶちまけて失せろ」

「しゃ、喋る、喋るから殺さないでくれ!」

 涙に濡れた顔を歪ませ、捲し立てる。

「俺は片目の男に雇われただけだ。何度か依頼を受けて動いた。今回は一人を殺す簡単な仕事だと聞いた。

 糞、あんたみたいな化け物が相手と、知っていれば、こんな、依頼は、受、け、な、なななな」

 槍兵が痙攣する。槍兵の影が蠢く。爆発的に増殖し槍の形を成した影が、無数にレアンに伸びる。レアンが飛び退く。

 まさにその瞬間、上空より巨大な姿が飛来する。襤褸を纏った巨体。異様に筋肉の発達した足が覗く。飛び蹴り。

 完全に死角から放たれた其れを、レアンが振り向きもせずに躱す。

 蹴りが地を穿つ。周囲の石畳が叩き割れ、巨体を中心に割れた石畳が波打つ。

 巨体が動く。石畳の破片を巻き上げて回し蹴り。太い足が鋼鉄の鞭の様にしなり、レアンの胴に奔る。

 レアンが浮き上がる割れた石畳の破片を軽く蹴る。羽根の様に体重を感じさせない動作で後方へ回転、蹴りを躱して間合いを取る。

 巨体が襤褸を脱ぎ捨てる。粗末な腰巻だけを身に着けた、天を突く巨躯。褐色の体毛に隆起した筋肉。神話で謳われるミノタウロスの如き牛頭の巨漢が、愉悦に顔を歪ませ咆哮する。

「がぁぁぁ!」

 聞く者の魂を凍らせる獣の如き雄叫び。

 レアンが煙草を摘み、紫煙を吐く。

「ご機嫌だな」

 レアンが駆ける。

 巨漢が構える。両腕を上げ、片足の踵を軽く浮かせる。

 間合いが詰まる。

 巨漢の前の大地が隆起する。砕けた石畳が集まり、無数の石の錐となって伸びる。

 レアンが跳ぶ。小鳥の様に錐の上に着地、そのまま駆ける。そこに影の魔力弾が飛び来る。再び跳躍。

 見れば息絶え転がる槍兵の傍らに、人の形をした蠢く影が立つ。槍兵の体内魔力、魂を触媒に召喚された影の幻獣だ。

 レアンの飛び蹴り。巨漢が、女の胴ほどもありそうな腕を交差し受ける。鋼鉄同士を叩き合わせた様な轟音が響く。板金鎧を叩き潰す蹴りを受け止め、巨漢が動く。長身のレアンを遥かに見下ろす圧倒的な体格に、重さで三倍以上違いそうな筋肉の太さ。剛腕による拳打。引き裂かれた空気が悲鳴の様な音を発する。

 人を粉砕し得る鉄拳をレアンが左手で捌き、右の貫手を打つ。狙いは喉。蛇の様にうねる貫手が巨漢の腕に遮られる。固い。レアンの禽獣の指を持ってしても、指先が食い込むに留まる。頑丈な体毛と分厚い筋肉に遮られた。

 巨漢の膝蹴り。掌で受け流す。巨漢の足が更に真下に振り降ろされる。足の甲を狙った踏み下ろし。レアンが足を引く。石畳が砕ける。

 巨漢が更に踏む込む。拳打。顔面に打ち込まれる寸前、レアンの蹴り足が巨漢の足首に巻き付く。意識の虚に潜り込んだ足払い。巨漢が体勢を崩し、膝を着く。好機に、レアンの貫手が奔る。瞬間、レアンが自ら身体を横合いに投げ出す。遅れて石の槍が大地から突き出し、影の魔力弾が飛来する。

「ごぉあぁぁ!」

 体勢を整えた巨漢が吠える。隆々とした筋肉が更に隆起する。腕に穿たれた傷から血が流れ落ち、眼球が赤く染まる。最早、人の放つ圧力ではない。


 見つけた。

 ヘーリアンティアが展開していた方陣を発動させる。

『五層太陽術 天の弩』

 凝縮した影の人形の上空一帯が歪み、その歪みによって太陽の光と要素が一点に収束する。一瞬で超高温に達した太陽光の光線が地上に降り注ぐ。収束光線は易々と影の人形を貫き、月の要素によって構成された身体に打撃を与える。更に太陽の要素が黄金の炎を噴き上げ、幻獣の身体を魔力的に燃焼させる。

 この幻獣は拙い。影の要素が凝縮した体には単純な打撃の効果が薄い。最優先で片づける必要がある。

 焼かれた人形が崩れ、消え去る。一定の損傷を受け、召喚契約により送還されたのだ。後に残されたのは赤く熱せられ煙を上げる石畳と、槍兵だったものの名残のみ。その結果を見届ける寸暇さえ惜しんで新たな方術を準備する。

『三層風術 飛翔』

 金の杖の先端に方陣が描かれ、杖に風の魔力が満ちる。この方術は杖を焦点に発動した方がよい。操作を誤った時、最悪でも杖を捨てられるからだ。横乗りに杖を跨いで風を操作。杖がヘーリアンティアを乗せて浮き上がり、風を纏って空を駆ける。

 向かい風に煽られ視界を塞ぐ外套の覆いを外す。黄金色の長い髪が風を受けて流れる。何処だ? 大まかな方向は魔力の動きから掴んだが、暗殺者に気配を消されては、ヘーリアンティアでは捉えきれない可能性が有る。姿を目にしても、隠行によって暗殺者だと認識出来ないのだ。

 主人の逡巡を察し、頭の上のヘキが動く。幻獣は視覚以外にも様々な感覚で周囲を探る。ヘキの魔力に対する感度は、ヘーリアンティアを大きく上回る。指し示す様にヘキが魔力を練り集め、魔力弾を放つ。其処か!

『四層太陽術 光輝』

 『飛翔』と並列展開で打てる最高位の方術を放つ。太陽の要素が光の波となってヘキの指した一帯に炸裂する。魔力の揺らぎを感じる。老婆が何らかの手段で方術を防いだのだ。風を操り其処へ向かう。

「やれやれ、忙しい時に見つかったか」

 ヘーリアンティアが地に降り立ち、襤褸を纏った老婆が杖で肩を叩く。石の様な、枯れ木の様な、白く捻じれた不思議な素材の杖だ。樹木の化石だろうか? かなり強力な魔力を感じる。

「やり損なったね。

 確実に殺せる機を狙い過ぎて、見す見す手駒を失ってしまった。

 君らが屋根の上に居る局面で大方術を打ち込むのだったよ。いや、黒尽くめに躱されたか、君に防がれたかな?

 しかし、暗殺者に単身挑む判断は如何なものだい?

 あのまま黒尽くめを支援していれば、殺しはしなかったものを」

「連携では及びそうにありませんからね。分断させてもらいますよ」

 レアンと牛族の巨人が戦い始めて直ぐに分った。自分ではレアンの動きを捉えて効果的な支援が出来ない。超人的な速さを誇るレアンに、連携の練習なしで合わせられる筈がない。

 そこで、放たれる方術と召喚された影の幻獣との魔力的な繋がりから位置を特定に掛かった。老婆が絶妙の呼吸で支援攻撃を打っていた事からしても、判断に間違いはなかった筈だ。

「悪くはない判断か。

 お姫様の様な顔をして、中々に戦い慣れている。流石は貴族だな。

 活きが良い若い者に免じて、最後の警告をしてやろう。

 見逃してやるから消えなさい。

 効果的な方術の運用といい、数十人を一撃で殺してなお破綻が見られない人格といい、殺すには惜しい才能だ。

 あと数年で私など軽く超える術者に成るだろう。今は辛抱しな。

 何せ、あの黒尽くめは私と相棒の二人で掛かっても殺し切れるか分らん。

 手加減をする余裕がないのだよ」

 この修羅場に似つかわしくない、老婆の言葉。確かに、レアンは幻獣と老婆の牽制を受けてなお、牛族の巨人と均衡を保っていた。最後、巨人が秘薬を用いたと思しき症状を見せていたが、あれで状況がどう動くか?

「貴女は『金色』の構成員を血祭りに上げ、手駒の一人を生贄にして幻獣を呼び出しました。

 そこまでする貴女が、どうして私を気に掛けて下さるのですか?」

「暗殺者は必要ならば、仕事の為には何だってする。

 しかし、君を殺す必要は感じない。私は、無意味な殺しをする者を最も憎む」

「……やはり、貴女は誇り高い人ですね。

 ですが、二つ程言う事が有ります。

 一つ。私は現在、貴族である前に一介の駆け出し冒険者に過ぎません。

 そして、もう一つ。

 随分と余裕がお有りですね。――この私を向こうに回して」

 ヘーリアンティアが、目立つ事を嫌い羽織っていた外套を脱ぎ棄てる。

「その色は……!」

 老婆が目を見開く。

 絡み合う二匹の蛇の意匠が縁取られた青い法衣、その上に纏った高位聖職者である事を示す黒地に金糸の刺繍がされた外套。何物にも染まらぬ公正を示す色にして、人類の守護者たる方術司教を象徴する漆黒の法衣。

「方術司教第十二位、『光差す泉』のヘーリアンティア=ユリウス=ゲルマニカがお相手しましょう。

 永き時を生きた異国の方術士よ、術比べをする覚悟をお持ちですか?」

 手にした金の司教杖を真っ直ぐに突きつける。

「馬鹿な、方術司教が動くだと?

 あんな悪たれの小僧にそんな価値が有るのか?」

「友人を手助けするのに、地位も身分も関係はありません。

 貴女は私に逃げる機会を与えてくれました。退くのならば、追いませんが?」

「……舐めるなよ、正しき教えも知らぬ蒙昧なる小娘が!」

 老婆が歯を剥き出し猛々しく言い放つ。

「山の翁に仕えし錬金術士、『乾いた毒砂』のクファールだ。

 賢しらぶる小娘に、我が血染めの長き研鑽を見せてやろう。

 お前が踏みしめる影と大地に牙を剥かれる恐ろしさ、その身で知れ」

 力量から危惧していたが、やはり暗殺教団か。マルコ=ポーロの『東方見聞録』にも記述された砂漠の民の暗殺教団は、恐るべき業と秘薬の力で数百年に渡って歴史の裏で暗躍する死の象徴だ。史書によれば、『砂漠の軍神』サラディヌスや『獅子心王』も教団との戦闘を避けたと云う。まさか、こんな場所で出くわす事になるとは思いもしなかった。いや、地中海は砂漠の民が行き交う領域だ。伝手さえ有れば、仕事を依頼する事も可能なのだろう。

 眼前に立つ神秘と恐怖に彩られた伝説の夜の住人に、ヘーリアンティアは平然と言葉を放つ。

「良いのですか?

 ここは海が近い。周囲には太陽と水の力が満ちています。

 私にとっても十分な地形ですよ」

「生意気な餓鬼を捻るには丁度良い逆風だ!

 蠍の尾を踏んだ己の不明を呪え!」

 クファールが、ヘーリアンティアが同時に杖を構える。触媒を取り出す。方陣を展開、発動、世界の法則を改竄する。方術士の戦いが始まる。


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