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大冒険時代  作者: ねくろ
学園入学前
14/42

お嬢様と悪漢4

 その男の第一印象は、お世辞にも良いとは言えなかった。

「初めまして!

 ヘーリアンティア=ユリウス=ゲルマニカと申します。

 若輩者ながら、僧侶の端くれで御座います」

 ヘーリアンティアはイニャツィオが紹介してくれた黒髪の男に元気良く挨拶する。何と言っても、富も権力も併せ持った裏家業の元締めが太鼓判を押して紹介してくれた冒険の仲間候補だ。打算を抜きにしても、初めての仲間になるかも知れない者への声は自然に弾んだものとなった。

 一方、『黒狼』と呼ばれた男は、無言のまま凪いだ黒い瞳をヘーリアンティアの顔に向ける。多彩な地域の出身者が暮らすこの街でも珍しい顔立ちだ。きれいに真っ黒な色の眼は神秘的な印象すら抱かせる。落ち着き払った雰囲気に見誤りそうになったが、よく見れば相当に若い。精々自分と同じ位ではないだろうか。……少し格好良いかも知れない。

 浮かれ気味のヘーリアンティアと対称的に、そのまま注視する男からは一切の感情が読み取れない。何の反応も返さない男に、何か無作法でもしただろうかとヘーリアンティアが不安になる頃、男の視線が下がって行く。

 聖印を掛けた首筋を通り抜けた男の視線が胸で止まる。まじまじと胸元を見る男の視線にヘーリアンティアが身動ぎした瞬間、男は吐き捨てる様に呟いた。

「色気が無い」


「……」

 笑顔のまま表情を凍らせるヘーリアンティアに、イニャツィオが申し訳なさそうに言う。

「お嬢さん、許してやってくれ。

 こいつは極め付きの無骨者で、女の扱いなんてまるで心得てないんだ。

 レアン、お前にも前から言っているだろう。

 褒めろ。ひたすら褒めるんだ。息をする様に褒めれば後は勢いで何とかなる」

 そのまま口説き方を語りだしそうなイニャツィオを尻目に、レアンは無造作に椅子に腰を下ろすと、長い足を机の上に放り出して足を組む。懐から銀製の美しい装飾が為された煙草入れを取り出し一本咥え、同じく銀製の魔導器を取り出し火を付ける。カチリ、と小気味良く響く金属音を余韻として紫煙を中空に吐く。ヘーリアンティアの事など気にした様子も見せない。

 何処から指摘すべきか途方に暮れる程に無作法な男だ。貴族息女として、社交の場での感情操作や話題の作り方を学んだヘーリアンティアですらも言葉を失う。イニャツィオが取り繕うように声を出す。

「こいつは育ちが悪くてな。

 凡そ誰に対してもこういった感じだから、気を悪くしないでくれ。

 レアンにもこれだけは言っておく。

 虫の居所が悪くてもこのお嬢さんだけは殺すなよ。

 彼女は、俺と俺の恩人の大切な人だ。この事だけは飲み込んでくれ」

 ヘーリアンティアは思わず体を硬直させてしまう。

 本当にごく気安い調子で恐ろしい会話が為されている。やはり彼らは無法者だ。その行動理念や意識は、法を守護する立場にあるヘーリアンティアの理解の外にある。

 しかし、今理解出来ないからと言って、これからも理解出来ないとは限らない。中空を見つめて紙巻煙草を咥えるレアンを一旦意識から外して、イニャツィオの方を向く。

「私は不勉強な事に、裏家業を生業にしている方々が普段何をされているのかあまり知らないのです。

 宜しければ、この機会にご教授願えないでしょうか?」

 其の言葉にイニャツィオが驚いた顔をする。やがてその顔に喜色が浮かぶ。

「それは俺の事を理解し、受け入れたいという気持ちの表れだな!

 なに、ゆっくり学んで行けばよい。文句を抜かす屑は俺が全て片付けてやるさ」

 どうにも人の話を聞かない二人に、ヘーリアンティアは眉間を揉んだ。


「つまりは、縄張り内の治安を守り、揉め事が起こった際にはこれを解決する事を対価に上納金を頂戴するのが基本という訳ですね。

 貴族や自治組織が税を徴収する代わりに安全を保障するのと同じようなものですね。

 しかし、それは表の自治組織もやっている事でしょう? 

 市井の方は表の税に加えて上納金まで納めてくれるものなのですか?」

 腰を据えて話を聞く態勢をとったヘーリアンティアは、真面目な表情を作りながらも実は心を弾ませていた。裏家業の人間など知り合いを見渡しても一人もいなかった。修道院に寝泊りしていた冒険者の中には後ろ暗い過去を匂わせる者もいたが、好んで裏の事を話してくれる筈もない。そんな中、裏の元締めが自ら家業について話してくれるというのだ。こんな機会はなかなか有るものではない。実に好奇心をくすぐられる。

「そりゃあ、治安の良い場所じゃあ難儀だろうがな、ここは迷宮都市だ。

 街の路地裏では各地から集まった訳の分からん素性の人間やご禁制の物品が行き交い、挙句には迷宮から溢れた魔獣も相当数潜んでいやがる。

 この街ではまず生き残る事が最優先さ。

 少々の銀貨で安全が買えるなら、大抵の人間は投資を惜しまない。

 生きてさえいれば大儲けの機会が道端の転がっているのがこの街だからな」

 イニャツィオは機嫌良く答えてくれる。時々熱視線を送ってくるのが困りものではあるが。一方、レアンは机の上で足を組んだまま、侍従に持って来させた葡萄酒を無表情に啜っている。二人の会話になど興味がない様子だ。

「しかし、自治組織からお叱りを受けたりしないのですか?」

「そこは金を握らしたり、弱みを握ったりと色んな手管が有る。

 黙認してもらう代わりに奴らの邪魔者を片づけたりもする。

 力で黙らせるのが一番早いがな。

 大体、奴らだけじゃあ此処が『腐敗と悪徳の街』になるのは眼に見えている。

 無法者は無法者で必要とされる部分があるのさ。でなけりゃ飯の食い上げだ」

 太陽を絶対神として信仰する民族宗教の聖典にある一説を引用するイニャツィオ。侮れない教養の持ち主だ。

 聖典に曰く、『腐敗と悪徳の街』ソドムは神の怒りに触れ、降り注ぐ硫黄と火で焼き尽くされたと云う。勿論、そんな都合の良い神など存在するとは考えられない為、魔王級が出現したのだと推測されているが実際のところは分かっていない。街の在った場所は死海南部だろうとされているが、危険な魔獣が多くて探索が進んでいない地域だ。

 そもそも何を以って腐敗と悪徳としたかというと、古代の東方で多く事例が知られる神殿売春を太陽神教の者が嫌悪を持って描写した姿だとも云われる。百年の時を生きたラーマは流石にこういった事にも詳しく、彼一流の皮肉を利かせてよく話してくれたものだった。

「確かに自治体を押さえれば生業としては成立しそうですね。

 後は、競合する勢力との調停が問題でしょうか?」

「……そこだ」

 イニャツィオが怒りと苦渋を噛み殺したような唸り声を発する。

「今、俺達もまさに揉めているのさ。

 いや、無法者の集団なんぞは、出来た瞬間から血みどろの勢力争いを宿命付けられている様なものだがな」

 イニャツィオの強い反応に思わず息を呑む。何やら話がきな臭くなって来た。

「お話を伺っていると、この『金色』という組織はかなりの勢力を誇る集団ですよね。

 その『金色』とやり合うからには相手も相当の武装集団という事ですか?」

 イニャツィオとレアンを見る。東方へ到達した冒険者だったイニャツィオは勿論、レアンという若者も相当の戦闘力を持っているのだろう。

 狼族というのは強力な身体能力を持ちながら、仲間意識が強く集団を形成して力を合わせる事を厭わない性質で知られる。仲間との連帯を苦にしない点は最後の民と似ている。群れる事を嫌い、歴史を見渡しても団結したという記録がない蛙族や蜥蜴族とは対称的だ。

 この『金色』という組織もイニャツィオが武力と統率力を上手く使って纏め上げたのだろう。屋敷の造りや調度品の質を見る限り、資金力も相当なものだ。イニャツィオは話を聞いている限り、頭も切れそうだと感じる。決して武力だけの人間ではない。この集団とやりあうからには生半可な相手ではないのだろう。

「現状、俺達に歯向かう蛆虫どもは二ついる。

 一つは『氷海の虎』。遥か北方を起源とする糞っ垂れの海賊だ。

 もう一つは、まあ有象無象の鼠の群れと言ったところだ」


「俺は冒険者組合に伝手と影響力があるのでな、その方の要人と利権は押さえている。

 一方、『氷海の虎』は港湾部を仕切ってやがる関係で商人の同業組合を押さえている」

「なるほど、この街の二つの柱を一つずつ抑えているのですね」

 このポンペイは自治都市であり、街の有力者の中から選ばれた議員による評議会によって運営されている。迷宮都市というからには当然冒険者組合の人間が幅を利かせるが、一方でいつの時代も商人というものは資金力を背景に大きな力を持っている。其処に海賊団の武力が合わされば、この『金色』に対抗するのも可能だという事か。

「そういう事だ。

 その状況でやる事など一つしかない。

 俺達は安息日も祝祭も無くぶつかり、腐るほど殺し合ったのだがな。

 お互い夢中になっている間に問題が起きた。第三勢力が動き始めたのさ。

 いや、勢力というと言うよりは、各地から入り込んだ有象無象どもが一斉に騒ぎ始めたと言った方がよいか。

 俺達は揉め事を抱え過ぎて訳が分からなくなった。

『金色』は特に対応が後手に回ってな。泥沼だ。当然治安も悪化する。

 そこで冒険者組合と商人の同業組合の両方からお叱りを頂いた。

 街が騒がし過ぎるのは奴らにとっても好ましくない。奴らは俺達に和解する事を求めてきた。

 もし一方が拒否すれば、もう片方に肩入れして潰す心算らしい。

 俺達は反吐にも劣る海の乞食どもと友人になる事を求められている」

 イニャツィオが口を歪める。口内に並んだ鋭い歯が見える。和解するのなら死んだ方がましだと言わんばかりだ。

「しかし、この状況は……。

 要求を跳ね除けるのは些か拙そうではないですか?」

「相当に拙い。現状でも一進一退だからな。おそらく、潰される」

 これはレオンを仲間に勧誘する云々をさて置いても看過出来る話ではない。ヘーリアンティアも暫くはこの街に留まる予定なのだ。ただでさえ危険な街で、更に治安が悪化されては堪らない。

「和解を受け入れるおつもりですか?」

「どう思う?」

 不愉快そうに顔を顰めながらも、試す様に聞いてくる。ヘーリアンティアは顎に手を当てて考えを整理する。

「部外者が横手から判断するなら和解を受け入れて機会を待つべきでしょうが、そう単純な話ではないでしょうね。

 今まで争っていたのですから、遺恨も有れば意地も有る。

 組織内の思惑も交錯して意見が分かれるのではないですか?

 しかし、イニャツィオ殿は和解を受け入れるつもりなのだと想像します」

「何故そう思う」

「単純な話ですよ。

 泥沼の長期戦を予想されているならば、『黒狼』殿を手放して仲間に勧めて頂ける筈がないと考えました。

 それに、『黒狼』殿が冒険者として活動するなら冒険者組合に所属するのは必須ですからね。

『金色』が組合と争う中、『黒狼』殿が組合に所属するという状況は有り得ないのではないですか?」

「言っていなかったが、レアンは俺と対等の客分だ。

 気に食わなければいつでも抜けて構わない約束をしている。

 この男が『金色』と共に潰される理由はない」

「でも、『黒狼』殿は『金色』を見捨てたりしませんよね」

 ヘーリアンティアは、相変わらず我関せずと紫煙を吐くレアンを見つめながら言う。イニャツィオが苦笑いをする。

「おいおい、どうしてそんな事が断言出来るのだ。

 あんたは人の心が読めるのか?」

「『黒狼』殿の強さを語るイニャツィオ殿は、まるで己の事の様に誇らしげですから。

 随分と信頼されているのでしょう?

 別段心を読むまでもなく、間違ってはいないと感じますね」 

イニャツィオがレアンに向ける眼差しには信頼と親愛が有る。親子ほども歳が違っても、この二人は友人と言ってよい関係なのだろう。少しでも脅威を感じるのならば、友人とは言え、人の力を無条件に称賛できるものではない。

 表情に乏しいレアンの人柄はよく分からないが、時勢が悪いからと友人を見捨てる様な腰の軽い男には見えない。言葉に出来る機微ではないが、直感的に間違ってはいないと感じる。

「そうか?

 組織の頂上にいれば裏切りなど、それこそ日常だぜ?」

「だからこそ、裏切らない『黒狼』殿が大切で仕方ないのでしょう?」

 イニャツィオが破顔する。図星を突かれて喜んでいる風でもある。

「手紙には賢いお嬢さんだと書いてあったが、随分あやふやな事を言うものだな。

 ……だがまあ、あんたの考えは正しいよ。

 レアンがその気なら俺の首は飛んでいる。

 俺が生きているのが愛想を尽かされてない証拠だな」


 イニャツィオが椅子に深く座り直す。

「俺達は和解を受け入れる。

 吐き気を感じるほどの屈辱だが、仲間を犬死させる事には変えられん。

 実はあんたが来る前に、幹部どもには決定を伝えてあるのさ」

 イニャツィオが葉巻に火を点け、気を落ち着けるように紫煙を吐く。

「そこで糞っ垂れの組合は一つの条件を付けてきた。

 レアンを組合所属の冒険者にしろだとさ。

 奴らにとってもこの男の強さは千金の価値が有るという事だ」

 ヘーリアンティアは驚いてレアンをまじまじと見る。長身だが、イニャツィオや蜥蜴族のスクァーマ程に体格が良いという訳ではない。最後の民である以上、身体能力ではむしろ劣っているのではないだろうか。体付きも筋骨逞しいというよりは痩せてしなやかな印象だ。このような巨額の利権が入り乱れる交渉で条件にされるとは、この歳若い男は一体何者なのだろうか?

 レアンは不躾な視線を咎める様にヘーリアンティアの顔に紫煙を吹きかける。此方も少々はしたない行動だったが、あちらも無作法の極みだ。煙に顔を受け仰け反るヘーリアンティアを見て、イニャツィオが厳しい表情を和らげ笑う。

「この男は強いぞ。このまま街のごろつきで終わる様な器じゃない。

 今まで散々力を借りておいて恩知らずな事だが、俺も冒険者協会に所属するのは賛成だ。優れた戦士には相応しい戦場がある。

 いつまでも俺とつるんでいる事はない。もう俺の戦いは終わったのさ」

「『黒狼』殿はそれでよいのですか?」

 ヘーリアンティアはまた煙を吹きかけられないよう、控え目にレアンを見る。石像の様に無表情な顔からは考えが窺えない。

「こいつは気に食わん事はしないさ。

 取りあえず冒険者ごっこには乗ってくれるのだろう。

 いつまでやってくれるかは、協会とあんた次第だ。俺は其処までの面倒は見れぬよ」

「私次第、ですか?」

「お嬢さんがこれからすべき事は、その男を口説き落として仲間に加える事だ。

 丁度街も騒がしい。海賊どもと手打ちが為されるまでは外には出ない方がよいな。

 レアンの屋敷で腰を据えて取り組めばよい。

 むしろ、レアンに張り付いてその男が外に出ないようにしてくれ。

 街にはこの男を殺して手打ちにあやを付けたい連中が溢れ返っている」


 かくして、イニャツィオの屋敷を後にし、レアンの屋敷に向かう事になった。

 去り際、「くれぐれも自分以外の悪い狼に食べられないように」などとイニャツィオが言っていたのはさて置いても、急な展開に今一つ頭が着いて行かない。だが、ここは踏ん張り所だろう。レアンに自分の考えを説き、協力を仰がなければならない。その為には差し当たりまともな話が出来るようにならなければ。ヘーリアンティアは気合を入れる様にきゅっと手を握り締めた。

 大勢の黒服や侍従に頭を下げられながら屋敷を出ると、武装した黒服達が道なりに並んで頭を下げ、その奥に馬車が数台用意されていた。

 レアンは無造作にズボンの衣嚢に手を突っ込み、足早に馬車に向かう。歩幅が違うヘーリアンティアは小走りに着いて行く形になった。客人かつ女である自分を先導しようという気はないらしい。歓迎されていないのか、単なる性分なのか判断に苦しむところだ。そもそも、まだ一言も言葉を交わしていない。

 馬車は派手な装飾が為されているわけではないが、造りの良い大きな物だった。辻馬車の様に骨組みに幌を被せた簡素な物ではなく、頑丈そうな壁板を張った貴人用の箱馬車だ。よく見ると矢が刺さった後と思しき傷跡が其処彼処に有る。生々しい抗争の跡だ。高価な箱馬車を用いるのも防御的な効果を考えての上でだろう。

 レアンを先頭にヘーリアンティアが一際立派な馬車に乗り込むと、遅れて武装した黒服も二名乗り込んでくる。二人とも機敏な動作と凶悪な面構えが特徴的な、いかにも無頼漢といった男達だ。腕の立つ護衛役なのだろう。

「兄貴、馬車を出させます」

 一際背が高い蜥蜴族の男が、跪く程に腰を折ってレアンに言う。顔中に凄い傷跡が有る偉丈夫で、素人目にはレアンより余程強そうにも見える。だが、その態度は敬意と畏怖に満ちた恭しいものだ。ゲルマニカ公である父に対する騎士達を思い出す。

 レアンは無言だが、其れを了解と取ったのか蜥蜴族の大男が外に向かって声を張り上げる。

「馬車を出せ。

 兄貴と客人が乗っているのだ。無様な操馬を見せたら命で詫びろ」

「おうッ」

 何とも威勢がよい事だ。本当に命で詫びかねない真剣な様子に、ヘーリアンティアは引きつった笑いを浮かべながらも声を掛ける。

「道中、宜しくお願いしますね」

 大男は驚いた様な顔をすると、鋭い歯を剥き出して恐ろしい笑顔を作る。

「命に代えましても」


 勧められるままにレアンの隣の席に腰を下ろすと、程なく馬車は走り出した。

 席に着いているのはレアンとヘーリアンティアだけで、二人の男達は覗き窓に張り付いて気を張っている。そうかと思うと、レアンが紙巻煙草を取り出した次の瞬間には腰を折りながら着火の魔導器を差し出している。当然の様に火を点けさせているレアンの様子を見るに、どうやらこの黒髪の若者は、客分ながら組織内でも相当に高い位置に在る様だ。

 レアンが吐いた紫煙は自然に上に向かい、天井の一転に吸い込まれて行く。おそらく魔導器で風を操り換気しているのだろう。黙っていても仕方がないので、傲然と足を組んで座席にもたれ掛かるレアンに懲りずに話し掛けてみる。

「随分厳重な警備ですが、やはり刺客の方々を警戒されているのですか?」

 相変わらず無言だ。レアンはちらりと此方を見ただけで興味を失った様に視線を中空に戻す。代わりに蜥蜴族の大男が答えてくれる。

「客人よ、刺客など兄貴にかかれば物の数ではありませんぜ。

 兄貴の横はこの街で一番安全だ。例え魔獣の群れを向こうに回しても、客人には傷一つ付きません。

 これは俺達の見栄みたいなものだ。

 音に聞こえた『金色』の港湾地区の長が、供も付けずに出歩くのも垢抜けないのでね」

 レアンという男はやはり一地区を束ねる立場に在るらしい。そして、配下の男達はその戦闘能力に絶対の信頼を置いている様子だ。その言葉を疑うわけではないが、どうもよく分からない。レアンには確かに強者特有の物腰を感じるが、纏う空気はあまりに静かで捉えどころがない。この蜥蜴族の大男の方がよほど、隠しても隠し切れない戦気を纏っている風にも見える。

 しかし、イニャツィオの話を思い返せば港湾部は『氷海の虎』が牛耳っている場所の筈だ。そんな場所を任されているのだから、このヘーリアンティアと幾つも歳の違わない男に寄せられた信頼は絶大なものがあるのだろう。昔から、『実力の輪郭も把握出来ない者は警戒しろ』と云う。自分の位階を遥かに超越している可能性が有るからだ。アスクレピオス派の杖術を学んだとは言え、ヘーリアンティアの白兵技能などそう高いものではない。ここは失礼ながら注意深く観察すべきだろう。

 近い位置に腰かけたレアンを横目で見る。彫りが浅く、やや切れ目な顔の造形は古の文献で描かれる絹の国の住人に近い。遥か昔に彼の地から渡って来た民族の末裔なのかもしれない。ここいらの国々の人間が抱きがちな、神秘に満ちた東方の民への憧れを差し引いても、それなりの男前である事を認めるのもやぶさかではない。性格があれなので素直に褒めるのも癪な話だが。それよりも先程から気になっていたのだが、紙巻き煙草を摘んだ指が凄い。指先が猛禽の爪の様に鋭く、指は節くれ立って太い。掌も分厚く、近くで見ると夥しい傷痕が見て取れる。明らかに歴戦の体術士の手だ。

 アスクレピオス派の武僧にも体術士はいた。彼らは岩や樹木に拳足を打ちつけ、長い年月を掛けて己の肉体を武器へと造り変える。練達の体術士の躯は、鞭の様に柔らかく動きながら鋼の様に硬い。岩を砕き、敵の首を断つ恐るべき破壊力を備えるのだ。そんな武僧達と比べても、レアンの手は一際凄まじい。噂の片鱗が窺える魔獣の如きものだ。

「客人も一服なさるか?」

 蜥蜴族の大男が紙巻き煙草を差し出して来る。どうやらレアンの手を凝視するのを察して気を利かせてくれたのだろう。

「あ、これはありがとうございます」

 思わず受け取ってしまう。だが、困った事にヘーリアンティアに喫煙の経験はない。アスクレピオス派が喫煙を禁じているのだ。

 俗に煙草は薬とされるが、アスクレピオス派の研究では、喫煙をする者の寿命は明らかに短い。内臓への悪影響も確認されているので会派全体で禁じているのだ。

 だがまあ、折角だから厚意に甘えるとしよう。ラーマの悪しき薫陶を受けたヘーリアンティアはそういった瑣末事をあまり気にしない。それに、どんなものなのか興味も有る。老人もいつも旨そうに吸っていたし。

 恐る恐る咥えて火を点けてもらう。確か息を吸わないと火が付かなかった筈だ。首尾よく火が点ったのを見て大きく息を吸う。盛大にむせた。

「煙草は初めてで?」

 蜥蜴族の大男が不思議そうに首を捻る。ヘーリアンティアが涙目で何とか声を出す。

「……どんな物なのか興味がありまして。どうも、私には合わない様です……」

 口の中の違和感が凄い。喉が煙い。何だこれは、全然よくないぞ。むしろ気持悪い。

「慣れるとこんなに旨いものはないですぜ」

「一仕事終えた後の一服が堪えられないんだ」

 顔を顰めるヘーリアンティアを見て護衛達が笑いながら言う。

「煙草を吸う為に生きている様なものだ」

 レアンが中空に目をやりながらも珍しく口を開く。護衛達も大きく頷く。

「ええっ、本当ですか?」

 疑わしそうなヘーリアンティアを見て護衛達が再び笑う。醜態を晒してしまったものだが、何となく空気が解れて雰囲気が柔らかくなる。そのまま先程より打ち解けて話をする事が出来た。レアンは相変わらず稀にしか口を開かないが。


「という訳で、仲間を集めて世界を見て回りたいのですよ」

「ほぉ、勇壮な事だな」

「確かに街の外には見た事もない様なものがたんまりと在るんだろうな。

 見てみたい気持ちは有るわな」

 皆にこの街に来た経緯を話して聞かせる。護衛達も外を警戒しながらも、相槌を打って聞いてくれる。

「そうでしょう?

 この世界には未だ見ぬ素晴らしいものが山程あるのですよ!

 となれば自分で見に行くしかありませんよね!」

「客人はお淑やかそうで、案外に元気ですな。

 若いからかねえ」

「俺ももう少し若けりゃ付いて行ったかもなあ」

「ぬかせ、お前じゃ足手纏いにしかならぬ」

「違いない。兄貴程に強けりゃ別だがな」

 良い流れだ。ここで一つ斬り込んでみよう。

「そこで、『黒狼』殿に宜しければご一緒して頂ければ、と思います」

 レアンの方を向き、思い切って声を掛ける。レアンはやはり、ちらりと此方に凪いだ目を向け、視線を中空に戻す。聞いてくれてはいる様だが無反応。無反応が一番困る。何らかの反応を返してくれないと、話の取っ掛かりさえ掴めない。

「確かに兄貴がついたら百人力だろうがなあ」

「しかし、兄貴も冒険者協会に所属するって話だ。

 客人と一緒に活動しても構わないのでは?」

 護衛達も取り成す様に言ってくれる。しかし、レアンは変わらず紫煙を吐くのみ。実に手強い。

「『黒狼』殿は冒険者になって何を目指されるのですか?」

 話題を変えて話し掛ける。イニャツィオの許しは得ている。ここは愚直に押しの一手だ。それに、これは重要な事だ。例え冒険者に成ったとしても、ヘーリアンティアの目指す目的に賛同してくれなければ仲間には出来ない。

 レアンは石像の様に動かずに、ただ中空を見つめたまま紫煙を吐いている。また無視されるかと思ったが、思いもかけず言葉が返って来る。

「考えた事もない」

 平坦な声で投げられた言葉。己の行く末に困惑している様にも、どうでもよいと言っている様にも捉えられる。深い意味に取り過ぎかもしれないが、思わず押し黙ってしまう。

 それ以上言葉を掛ける事も見つからないまま、目的地に向かって走る馬車に揺られた。


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