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クリスマス以来に来た桐生の家は、相変わらず男の一人暮らしにしては片付いていた。
だけど、どことなく、リビングが散らかっているように見えるのは、誰かがいたからだろうか。
みなみさんは家に着くなり、リビングではなく自室の方に向かってしまった。
リビングに入ると、どうしてか暖かかった。
「…なんで俺より先にいるんだよ」
「そりゃあ俺がここの鍵を持ってて、全員分の飯を作ってるからだろ」
さも当然とばかりに言ってのけたのは、少し前に見知った飛鳥さんだった。
ダイニングには一条さんまでいて、雑誌をペラペラとめくっていた。
「しかも一条さんまでいるし」
「飛鳥に誘われたんだ。どうせなら人数が多い方がいいって。な?」
「みなみと電話してる時に愁も横にいたからな。それより澪、お前もう少しキッチン綺麗に使えよ。キッチンが泣く」
かちゃかちゃと食器を拭きながら言った飛鳥さんはスーツから私服に着替えていて、エプロン姿だった。
やば、普通にかっこいいんだけど。
警察官でイケメンで、おまけに料理までできちゃうとか、どんだけハイスペックなの。
「しゃーねぇだろ、昨日伊織が来ててずっと騒いでたんだよ」
「なら朝片付けろよ」
「初詣行った後でもいいかなって思ったんだよ」
桐生は飛鳥さんと喋りながら人数分のコーヒーを淹れてくれた。
ひとり暮らしなのによくもまぁ人数分のコップがあるな。
「姉貴たちがたまにくるから、食器は無駄に多いんだよ」
「あ、そうなんだ。どうりでこの前もお皿の心配しないと思った」
ていうか、桐生、料理しないのに食器だけやたらといろんな大きさのものが揃ってるんだもん。
食器棚見たときは正直焦った。
「澪、塩とこしょうってどこ?」
「えー‥知らない。その辺にない?」
「知らないって…お前キッチン立ったことあるか?」
「ほぼない。神崎場所知ってる?」
「塩とこしょう?この前使った時は冷蔵庫の横の棚に調味料類まとめてあったよ」
「だってさ。そこにあるんじゃない?」
「「……………」」
桐生が飛鳥さんにそう返したけれど、飛鳥さんは何も言わずにじっと桐生と私を見た。
それは飛鳥さんだけじゃないみたいで、一条さんにもじっと見られた。
…え、なに。
なんでこんなに見られてんの。
桐生を見て、目でこの状況について説明を請うも、桐生もわかってないらしく首を傾げられた。
「マジで付き合ってたのか、」
「みなみが勝手に勘違いしてるんだと思ってた」
「いや付き合ってないし。あれは姉貴の早とちりっていうか、完全に俺の話聞いてないだけ」
桐生はこちらをポカンとした顔で見る2人に説明をする。
「いやでも‥なぁ?どう思う、愁」
「俺はくろかな」
「俺も同感だな」
説明を聞いた2人は会話の内容がつかめないような言葉を言って、2人で頷いている。
「なぁ、お前らほんとに付き合ってないの?」
一条さんは念押しで聞いてくるけれど、その質問に私と桐生は首を横に振ってこたえた。
さっきからそう言ってるんだけど。
「じゃあなんで陽向ちゃん調味料の場所知ってんの?」
「え?あー…それはー…」
この前、それもクリスマスにキッチンを借りて手料理を振る舞ったからです、とは口が裂けても言えない。
こんなこと言っちゃいけない気がする。
「神崎に飯作ってもらったから」
「「は?」」
「ちょ、桐生?」
「飯作ってもらったって…なにをどうしたらそんな流れになるんだよ。付き合ってるって言ってもらった方がしっくりくるんだけど」
飛鳥さんはそう言うと、棚から塩とこしょうを取り出した。
何を作っているのかはわからないけれど、ミートっぽいにおいがするからトマトベースのなにかを作っているんだろう。
「残念でした。姉貴の早とちりだよ」
「ふぅん‥まぁ今はそういうことにしとくかな」
なんかすっごい『今』って単語を強調されたような気がするんだけど。
「にしても、陽向ちゃんは料理できるんだな。誰かの嫁とはえらい違いだ」
「あいつはあれでいいんだよ。欠点がある方が可愛いだろうが」
「‥いや、補いきれないくらいの欠点だと思うぞ、俺は」
「飛鳥さん、姉貴に料理教えてくださいよ」
「は?無理」
桐生のお願いを即答で否定した飛鳥さんは、一条さんが頬杖をついている机に置いてある袋からさつまいもを取り出した。
「‥おせち料理作ってるんですか?」
「お、よくわかったな。栗きんとん作るんだ。食える?」
「大好きです」
「そりゃなにより。で、さっきの話に戻ると、あいつに料理をさせるのは無理。キッチンに入れるのもダメ。キッチンがなくなる」
きっぱりとそう言った飛鳥さんは、栗きんとんの材料と思われるものを持ってキッチンに戻ってしまった。
「キッチン出禁にされてる嫁ってどんだけ」
「いますよ、そういう人も。他のところをしてくれれば済みますから」
「いいこといったな、陽向ちゃん。やっぱ澪にはもったいないわ」
いや、もったいないとかそういうのじゃないんですけど。
「まったくだな。よし、俺も読み終ったし手伝うかな」
「いらん。お前がくるとキッチンが遊び場になる」
「ひっでー!俺は真面目にやってるっての!」
「なにが真面目だ、ボケ。誰だよ、家庭科の調理実習で理科の実験始めたのは」
…調理実習で、理科の、実験?
え、実験?
なに作ったんですか。
「違うし!卵ってレンジでチンしたらほんとに爆発すんのかなとか、耐熱皿は何度まで耐えられるのかなとか、炭ってどうやってできんのかなっていう好奇心じゃん!」
うわ、マジで調理実習じゃなくて理科の実験してる。
炭のでき方とかもはや理科の授業でするじゃん。
「お前は食いもんをおもちゃにするからだめ。立ち入り禁止。飯できるまで大人しくそこにいろ」
飛鳥さんはそう言うと、一条さんから桐生へと視線を移した。
「お前ももちろん立ち入り禁止な。澪はみなみと同じ素質を感じる」
「俺あそこまでひどくねぇよ。姉貴と一緒にされるとか心外」
「料理できないことに変わりないからな」
はぁ、とため息をついた飛鳥さんは最後に私を見る。
うーんと、声には出さないけれどなにかを迷っているのか、そんな声が聞こえた気がした。
「客に手伝わせるのはやっぱダメだな」
「え、手伝いますよ。おせちなんて時間かかるじゃないですか」
と言っても、私そんなできるわけじゃないけど。
「そうか?じゃあ頼むかな。この家、料理音痴が多くて困るんだ」
ハハっと笑って言った飛鳥さんはかっこよかったけれど、じゃあなんでみなみさんと結婚したんだろうって思ったりして。




