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「あーだる」
首をコキコキと鳴らしながら、警察署の入り口を出た桐生は舌打ちをついた。
その様子を隣で見ながら苦笑すると、桐生にぺしっと頭を叩かれた。
「元はといえば神崎が余計なこと言うから」
「えー‥桐生の普段の素行が悪いんだよー」
「黙れ」
「あいた」
桐生はまた私の頭を叩いた。
叩かれた個所を撫でながら、桐生に続けて警察署を後にしようとした私達に見覚えのある女の人が立ちはだかった。
桐生のお姉さんだ。
大きめの白色のマフラーを巻いたお姉さんは、やはり儚げな人に見える。
「姉貴」
「やっと出てきた。どんだけ待ちくたびれたと思ってんのよ」
「その言い方やめて。なんか俺が本気で悪いことしたみたいに見える」
「喧嘩してりゃ十分でしょうが!で?そっちの女の子には謝ったの?」
「え、私?」
急に話を振られて思わず声が上ずってしまった。
桐生に頭なんか下げさせたら、学校で何て言われるかわかったものじゃない。
それもこんな人通りの多いところなんかで。
誰が見てるかもわかんないし、この前みたいに噂がまわるのはもうごめんだ。
「‥悪かったよ」
「え?」
「だから、悪かったって。兄貴と初詣に行く途中だったんだろ?」
「へ?あー‥でも参拝はしたあとだから」
それにこんな時間まで長引いたのは私の余計なひと言が原因だし。
あんまり強く言えないっていうか、逆に罪悪感が生まれるっていうか。
「…なにその珍しいものを見るような目」
「いや…あんたが素直に謝るのって珍しいから。どういう関係?」
お姉さんは私と桐生を見比べながら言って「うーん」と唸った。
「姉貴、言っとくけど」
「わかった!」
「は?」
結論が出たのか、お姉さんは桐生の言葉を遮って大きな声を出した。
キラキラと子どもみたいに目を輝かせて私と桐生を見るお姉さん。
なんだか悪い予感しかしないのは私だけだろうか。
「彼女でしょ!」
キターーーーーーーーー!
そう来ると思ってましたぁ!
「いやちが、」
「澪がこんな素直になるわけないし、気にかけてるからおかしいと思ってたのよー。そっかぁ、澪にはもったいないくらい美人さんね!」
いや美人なあなたに言われたくない。
言われたくないし、そもそも私は桐生の彼女じゃない。
「だから、神崎はそんなんじゃ、」
「澪も言ってよね、彼女できたならできたって。飛鳥に報告しなきゃ!」
ちょ、人の話聞いて!
弟の話聞いてあげて!
お姉さんは桐生の言葉に聞く耳持たずという感じで、ポケットから携帯を取り出すとどこかへと連絡し始めた。
「あ、もしもし、飛鳥?ねぇ今日澪の家でお祝いしましょうよ!え、なんのお祝いかって?決まってるじゃない、澪に彼女ができたお祝いよ」
「ちょ、姉貴!?」
「澪は黙ってて。へ?どんな子かって?澪にはもったいないくらい美人で可愛らしい子よ!そうそう、さっき一緒に一条が連れて来た」
桐生のお姉さんは桐生を言葉でねじ伏せると、飛鳥さんへと連絡をする。
「…‥‥どうすんのよ」
「そうするって…どうにもなんねぇよ」
「いやどうにかしてよ。お姉さん、すっごい勘違いしてるじゃない」
「困ったな。もう俺じゃ手つけられない」
「手つけられないって…あんたそれでも弟?」
「姉貴止められるのって飛鳥さんくらいじゃねぇの」
そう言った桐生はどこか諦めのような目をしてお姉さんを見ていた。
そんな目するくらいなら、切実に今の状況の打開策考えてほしいんだけど。
これじゃああのときの二の舞じゃない。
「飛鳥が澪の家でご飯作ってくれるって!」
「いやだからな、さっきから言ってるけど」
「あ、名前聞いてなかったわね。私は澪の姉の西遠みなみ。みなみって呼んで」
そう言ったみなみさんは、花が綻ぶような笑顔を私に向けた。
…あ、だめだ、この人話聞かない人だ、と、その笑顔を見ながら悟ってしまった。
しかもさっき同級生だってちゃんと説明したはずの飛鳥さんまで、みなみさんサイドについちゃった感じだ。
「えっと‥神崎陽向です」
「陽向ちゃんね!私弟しかいなかったからこんな可愛い妹ほしかったのよ」
いや、妹になる予定とかないんですけど。
サラッと爆弾投下するのやめてもらいたいんですが。
「さ、みんなで澪んち向かいましょうか」
「えっと、あの、私家族のご飯作らないとだめなんで、」
我ながらナイスアイデア!
だって家でわがままな愚兄がお腹を空かせて待ってるのは事実だし。
と、思っていたところでポケットに入っていた携帯が鳴った。
着信を入れたのは、お腹を空かせているであろう愚兄。
…なんだろう、猛烈に嫌な予感がする。
脳が全力で出たくないって言ってる。
「出ないの?」
「あーっと、そうですねー‥」
出たくないけど、出るしかない。
出なかった場合の方がいろいろと面倒そうだ。
「なに?」
『遅い。もっと早く出れるだろ』
「いや、あんた私のなに。なんでそんなに偉そうなの」
『お前の兄貴だからな』
「数分早く生まれたくらいで兄貴面すんな。で?何の用?今日の晩ご飯のリクエスト?」
だったらラインでいいじゃん。
『そんな内容ならわざわざ電話しねぇよ、ばか』
「じゃあなに」
『俺晩飯いらねぇ』
「は?いらないってどういうこと?どっか行くの?」
やばい、非常事態発生。
予想外のことすぎて頭まわらないんだけど。
『高校の奴らと新年会することになった。多分泊まってく』
「泊まってくって…今日、日和もいないんだけど」
あの家にひとりでいろってか。
いや別に年も年だし寂しいとかないけどさ。
緊急事態なんだけど。
『泊めてもらえば?』
「はい?」
……ぱーどぅん?
『だーかーら泊めてもらえば?俺からのお年玉』
「いるか!」
クリスマスといい、今回といい、なんつーことしてくれるんだ、この愚兄は!
『まぁそういうわけだから、明日の夕方には帰ると思うから晩飯だけよろしくー』
「あ、ちょっと、旭!」
旭は私の反論も聞かぬまま、電話を切ってしまった。
耳元に当てている携帯からは『ツー、ツー』という機械音だけが流れている。
まずい。
まずいことになった。
「神崎?」
名前しか呼んでないけど、桐生の顔には「なにかあったか」と心配の色が見て取れた。
「いやー‥その…兄が晩ご飯いらなくなったって、」
私の言葉を聞いた桐生は漫画でいうならぴしりっという音を立てて固まったと思う。
「じゃあ問題ないじゃない!」
桐生のお姉さん、みなみさんは諸手をあげて喜んでいる。
「どうすんだよ、」
「どうって…なるようにしかならないんじゃない、もう」
そんなみなみさんを見る私と桐生は、すごーく遠くを見ていたと思う。




