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「そうそう、このベクトルに平行な直線の式を求めればいいから、」
「あ、なるほど!」
放課後の図書室。
勉強している人がまばらにいるため、隣り合う2人の声は自然と小さくなる。
小さな声を拾うために、隣り合う2人の距離は自然と近くなる。
そりゃあもう周りが勘違いしたくなるくらい。
こっちの勉強が捗らないくらい。
「で、こっちの問題は2点間の距離だから、」
「これですか?」
「そうそう」
ふわりと綺麗な王子様スマイルを見せるものだから、近くでそれを見る千里は顔を赤く染めている。
絶対わざとじゃん?あれ。
なんかもうムカつく。
シャーペンを持っている手に力が入る。
こっちの化学が全然進まないじゃない。
「先輩‥?」
「へ?あー‥なに?」
「桐生先輩が呼んでますよ」
「…なに?」
「さっきから進んでないみたいだから、どうしたのかなって」
にこって笑いながら言ってくれるけど、進んでないのはあんたのせいだよ。
とは口が裂けても言えないから、私はため息を小さくついて桐生を見た。
「別に‥」
「神崎って化学苦手なの?」
「好きじゃないの」
「それ苦手って言うんだよ」
「うるさいな。旭に聞くからいいの」
「じゃあ今聞けばよくない?化学なら教えられるよ?」
「いいよ、ほんと。手間でしょ」
ていうか放っといてほしい。
そう突き放すように言って、私は下を向いて桐生から視線を外す。
しばらく全く進まない化学を解いてから、ちらっと前を見れば2人はさっきと同じ距離感で勉強していた。
そこにまたイラッとしたり。
なんでこんなにイライラしてるの、私。
これじゃまるで…
これじゃまるで、好きみたいじゃない。
「お、正解。やればできるじゃん」
「先輩の教え方が、その、上手だから、」
桐生は王子様スマイルで千里の頭を撫でた。
千里はもう顔を真っ赤にして俯いている。
ちらりとも見なければよかった。
音楽でも聞いてればよかった。
見ていられない、なんて思ってしまった。
なんて、思った時にはすべて見えてしまっていて。
自分の中でなにかが切れた気がした。
なにかが、限界だと言っていた。
気付いたときには、私は大きな音を立てて参考書を閉じていた。
「神崎?」
「私、先帰るね」
「は?」
机の上に置いておいた荷物を片付けて、呆ける2人を置いて図書室から出ていく。
数メートル廊下を歩いてから、立ち止まって振り返る。
当たり前だけど、私を追っては来ない。
振り返った先に見えたのは、私が乱暴に閉めた図書室の扉だけ。
「…当たり前だよね」
当たり前だって思ってるのに、どうしてかすごく寂しくて辛くて。
「先輩?」
「‥五十嵐君?」
「なんかあったんすか?」
私の方に歩いてきた五十嵐君は、制服を着ていた。
その手には参考書とノートがあるところを見ると、彼も今日から部活がないのだろうか。
五十嵐君は焦った顔をして私を見ている。
「なんもないよ」
「じゃあなんで、」
五十嵐君から去ろうとした私の手をぐいっと掴んで真剣な目で私を見てくる。
「…なんで先輩、泣いてんすか」
「え、」
辛そうな顔をした五十嵐君はそっと、私の頬に触れた。
温かな手の温もりに、肩が思わずはねた。
「いがらし、くん?」
「なんで泣いてんすか」
「泣いてないよ」
泣いてるわけないじゃない、と五十嵐君に笑って見せる。
その拍子に、ほろりと、頬には冷たいなにかが伝った。
自分の手でほほを触れば、その冷たい何かに触れて、泣いているんだと認識した。
「…っ、」
「…泣いてるじゃないすか」
ぽろぽろとこぼれ出した涙は止まりそうにない。
五十嵐君は切なそうに私を見つめてくるけれど、それにこたえられるわけもなく、私はただ五十嵐君の前で泣く。
「あいつですか?」
聞こえてきた声は低く鋭い。
「桐生ですか?」
「っ、」
五十嵐君の言葉に、私は息を呑む。
「‥やっぱり」
「五十嵐君?」
「先輩、俺にしましょうよ」
「え?」
「俺なら、絶対泣かせません」
私より頭一つ分高い位置にある顔を見上げる。
ベビーフェイスだと言われている彼は、いつになく真剣な表情で私を見ている。
力強いその瞳に、思わず吸い込まれそうになる。
「俺は‥先輩が好きです。絶対泣かせません。だから、」
五十嵐君は一度言葉を切る。
私の心臓はさっきから大きな音を立てっぱなしだ。
五十嵐君の手はそっと私の肩を抱き寄せる。
桐生とは違ったシトラスのにおいが鼻を掠めた。
「俺と付き合って下さい、先輩」
どうして。
どうして、もっと早くに、こうなっていなかったのだろう。
もっと早くに言われていたら。
私はこんなにも、苦しくなんかなかったのに。
こんなにも辛くなんかなかったのに。
知らなきゃよかった。
私は桐生が、好きなんだ。




