09:
事件は、私と王子様が放課後に話をした3日後に起こった。
それはもう唐突に。
嵐の前の静けさも感じられないくらい唐突に。
生徒で賑わう昼休みに、それは突然やってきた。
「神崎陽向っている?」
4限目が終わってすぐだった。
お腹空いたーって言いながら、机の上にお昼ご飯のお弁当をひろげようとしている時だ。
廊下からそんな声が聞こえてきた。
ざわっと、廊下に近い子たちのざわめきがあった。
「陽向呼ばれてない?」
「呼ばれたような気がするけど、別人じゃない?」
「現実逃避もそこまでいくといっそ清々しいわね」
「私ご飯食べるので忙しいの」
廊下で名前が呼ばれたかもしれないくらいで、ご飯を中断するなんてありえない。
しかも今日の弁当は、朝早めに起きれたから少しばかりこってみたのだ。
邪魔されるなんてもってのほかだ。
「神崎ー、お呼び出しだ」
私と聖がご飯を食べようとしているところに声をかけたのは、クラスのお調子者の宝条克己、通称かっちだ。
「不在って言っといて」
「いや、さすがにそれは無理あるだろ」
「私ご飯食べなきゃ」
「へー‥それ呼び出しの相手知っても言ってられんのかねー?」
「は?」
かっちはにやにやとしながら、ちらちらと呼び出した本人がいる廊下の方を見た。
廊下に面した窓に隠れているせいで、顔は見えないし、シルエットしかわからないため、誰がいるのか判断できない。
「あれ誰よ」
「誰だと思う?」
「もったいつけてないで言いなさいよ」
「別にお前が行けば問題ないだろ」
いやそうなんだけど。
でもさ、行きたくないのよ、どうしても。
ご飯、食べたいから。
「待たせてないで行けよ。王子様がお待ちかねだ」
「……は?」
時間をたっぷり使って、かっちの言葉を反芻する。
誰が誰を待ってるって?
「間抜け面してないでとっとと行けって。王子様待たせるなんてもっての外だって」
「相手が王子様なら尚更行きたくないんだけど」
ていうか梃子でも動くもんか。
「でもそこで待ってるぜ?」
「だからいないって言ってよ」
私は王子様には会いたくないんだってば。
二度と!
ていうか金輪際!
あわよくば死ぬまで!
「居留守はよくないんじゃない?神崎さん」
「人違い、人違いですから」
私は神崎陽向じゃないですー。
ということで回れ右。
頼むから他を当たってくださーい。
でもってお願いだから、そのキラッキラの笑顔をしまってくださーい。
クラスの女子が卒倒しそうでーす。
「あんた面識あったの?」
「ないない。私人見知りだもの」
「神崎が人見知りぃ!?ありえねー」
「ちょ、かっちうるさい。あんた黙ってなよ」
でもって神崎言うな。
王子様の目が光ってるから。
「俺のお誘いは無視かな?」
「呼び出しがお誘いになっちゃったけど、どういう脳内変換してんのかなー?」
呼び出しとお誘いじゃあ意味合い的に天と地くらいの差はあるよー?
「だから私は神崎じゃないんですよねー」
「3日前も一緒にいたよ」
「人違いじゃないですかー?」
私の記憶が正しかったら、3日前に一緒にいたのは真っ黒な悪魔みたいな笑顔を浮かべる、そうだなー、今目の前にいる王子様とちょうど真逆のような人間だなー。
「僕と秘密を共有したの、忘れちゃったの?」
「誤解を招くような言い方しないでもらえますー?」
だいたい、私の秘密はないし、共有なんてものじゃないでしょうに。
つーかあれは秘密の共有じゃなくて、ただの脅しだ。
生徒手帳を人質にして、あ、物だからちょっと違うか…私を脅しただけじゃない。
「神崎、お前王子となんかあったの?」
「何にもあるわけないじゃない」
「忘れるなんてひどいなぁ」
「いかにも自分が可哀想なんて顔するんじゃない!かっちはいい加減黙れ」
王子が眉を下げるだけで、女子からの視線が痛いんだよ。
「生徒手帳を拾って届けたんだよ」
「…生徒手帳?」
聖が王子様の言葉に何か引っかかりを覚えたみたいだけど、正直それどころじゃない。
そうだ、生徒手帳だ。
「あんた、よくも自分の生徒手帳渡してくれたわね!おかげで先生にすっごい訝しげな目で見られたじゃない!」
「神崎、王子の生徒手帳持ってたの?え、なんで?」
……しまった。
はっと、口元を手で覆ってみたものの、時すでに遅し。
周りの子たちは私の言葉をしっかりと聞いていたらしい。
極め付けとばかりに、かっちが馬鹿でかい声でそんなことを聞くから、興味のない子たちまでこっちをちらっと見てきた。
はっはー、終わったー。
「神崎さん、僕ね、話があるんだよね」
「…行ってやろうじゃないの」
ぐっと、箸を持っていた手に力が入ってしまう。
折れはしないものの、プルプルと震えてしまったのは不可抗力だと思う。
「そうこなくっちゃ」
そう言ってほほ笑んだ王子様の顔は、あの時と同じ悪魔のような笑顔だった。




