第3話「嫌悪を抱きしめて」
――誰かが言った。
「この世は所詮神の手のひらの上に成り立っている。
故に我らは神より賜った運命にただ身を委ねていればいいのだ」
正直、愚かではないかと嘲笑った。操り人形じゃあるまいしと。
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目覚めが最悪だった。ぐらつく頭に思い出したくもない言葉を思い出してしまった。更に追い打ちをかけるようにグラスを寄り添うように眠るマリアがいた。苛々とした気持ちが澱のように心の底に積もっていく。
「そもそもここは何処なんだ?」
召喚されたのはまぁ自分の責任も少しはあるのでしょうがない。なんであの時マリアの声に応えてしまったのかなんて詮無き事だ。ただ、自分のこの世界での立ち位置というものを分かっておきたかった。
グラスの世界のように召喚された者は召喚した者の「相棒」として扱われるのか。それともただの「道具」として扱われるのかでは天と地の差がある。それに召喚技術の発展具合からグラスが元の世界に帰れるかどうかも決まるのだ。
グラスはいつまでもこの世界にいる訳にはいかなかった。何故なら彼は国の頂点に君臨する皇帝であり、国中の人々から尊敬される英雄でもあったからだ。長い時を治めてきた皇帝だから人々からの信頼も厚い。それだからこそグラスは国民の信頼を裏切るわけにはいかなかった。
「覚悟を決めて腹を括るしかないか。はぁ……」
グラスに残された選択は少ない。召喚、というものには実は元の世界に帰れる裏技というのもあるのだ。
①召喚した者を殺してしまう。
②体に刻まれた契約印を壊す。
③召喚した者に「送還術」で元の世界に戻してもらう。
この限られた三択にグラスはため息を吐くしかない。①は無理だろう。無意味な殺生、という前に人として倫理的な問題で無理だ。あんな全幅の信頼を寄せる小さな子を殺せる程グラスは冷酷無慈悲ではなかった。そして②の方法は体に刻まれた契約印を刃物か何かで深く突き刺せばいい。が、契約印が鎖骨の真ん中の下辺りという刃物を突き立てたら血飛沫でスプラッタ間違いなしな場所だ。最悪出血多量で死ぬかもしれない。却下だ。
残る選択肢は③な訳だが、これも難しい。原則、召喚獣は元の世界に帰れないのだ。太陽が東から昇り西に沈むように、変えようがない世界の理とも言える。その世界の理の隙間をかいくぐる術なのだから難易度も高い。凄腕の召喚術師でも手こずる荒業だ。無論、召喚術を上手く使えていないであろうマリアでは到底無理な話だった。
マリアの召喚技術は如何ほどか。
「うっわ。下手過ぎやしないか、これ」
試しに法衣を引っ張って胸元にある契約印を覗き見てグラスは呻いた。淡い黄緑色のそれは円形が少し歪み、円形の中や周りに書いてある文字や線も所々位置がずれてしまっている。床に敷いてあった1㎡の紙から縮小されて誤魔化されている感はあるが、それでも本職の召喚術師から見たら滑稽の一言に尽きるに違いない。
と、そこでグラスは自分の召喚された術が「下級精霊召還術」だと気づく。
眉間に寄る皺をそのままにグラスはぐっと奥歯を噛み締めた。屈辱だ。何故気づかなかったのだろう。
握る手も自然と力が入りギリッと音をたて爪が掌に食い込む。こういう時に自分の運の無さが嫌になる。
はあ。とグラスは特大級のため息を零し、山のように高いプライドをぐいぐいと心の片隅に追いやる。
ちらりと隣に無防備に眠る存在を眺める。横たわるその身体は幼く、グラスの法衣を掴む手も小さい。どこにでもありふれている茶色の髪は短いながらも柔らかそうで、どこも跳ねていない。きっと触れたらサラサラとしていて気持ちいいのだろうなとグラスはぼんやりと思う。閉じられた瞳だって琥珀色の綺麗な瞳だった。穢れも知らない無垢な目だった。
あの瞳を見た時の感情をなんと表現したらいいのか。
「……くだらない。全く以て無意味だ。本当に、くだらないにも程があるな」
グラスは吐き捨てるように呟いた。彼の視線の先の壁にはこの国の思われる地図が飾られていた。そこには大きな国が中心に描かれていて、周囲に小さな国がちらほらとあった。
グラスにとってその地図は嫌というほど見覚えがあった。
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その昔、ゼガン王国という大きな国が世界征服を企んだという。ゼガン王国は小さな国から侵略をし始め、着々と力をつけていった。
世界で一番大きな国。その称号が相応しくなった時、王は言った。
「余に足りぬものは何か。それは絶対的な力ではないのか?」
「そう。例えば神のような、力が」
と。
この傲慢な一言で戦争が始まるのである。
短いその戦争は後に“2週間戦争”と呼ばれることになる。
世界に覇権を握る大きな国の相手は神の信仰が生きる小さな国だった。その国が誇るのは長い長い歴史と神の力を宿す伝説の大剣だった。
小さな国の名前はウェルネス帝国。ウェルネス帝国の皇帝は代々銀の髪と金緑の瞳をしている。
ゼガン王国はマリアの部屋に飾られていた地図の中央に描かれていた大国であった。
つまりここは世界一の大きさを誇る国家、ゼガン王国の何処かという事になる。
グラスは内心舌打ちした。横で眠るマリアの安らかな顔にどうしようもない嫌悪を抱いた。胸の中に確かにある黒いシミが、マリアの寝顔にかかるのをグラスは感じた。
「少し……頭を冷やしてくるか」
何を馬鹿なことを。グラスは少女に抱いた感情を振り払うように頭を軽く振って立ち上がる。
「――ッ!?」
ぐらり、と目の前の世界が反転する。遠のく意識、ブレる視界と共にグラスの意識は暗闇へと落ちた。
フラリとおぼつかない足取りで窓に近づき、窓を開ける。窓の外の月明かりで白皙の顔が照らされる。彼の口元は不自然な程つり上がっていた。
歪んだ笑みを浮かべたグラスは隣の少女に視線を向けた。そしてクツクツと低く嗤う。
「いやはや、愉快以外の何物でもないな」
歪んだ笑みをそのままにグラスは側の窓を開けた。そして身を乗り出す。
カーテンが風に揺れた。
もうそこには皇帝と呼ばれた銀髪の青年の姿はなかった。
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※すこしグロ注意です。
黒の森と呼ばれるゼガン王国の西を守るかのように広がる森林地帯がある。本来新緑を誇るはずの森林は黒い木々で鬱蒼とした雰囲気を放っている。
黒の森には一つの噂話がある。世界の歪みが黒の森の中に点在しており、その歪みを通ると異世界に行けると。だから人々は滅多な事では黒の森には踏み入らない。
黒の森に入って徒歩三十分歩いた所にバース邸がある。召喚術の名門、ゼガン王国の四大名門の一つで黒の森に張られた結界を守護する家である。
皇帝と崇められた白銀の髪の青年は、黒の森を悠々と歩いていた。月明かりが明るいからと言っても黒の森は光を遮り半減させていた。
目の前に広がる漆黒の闇にグラスは薄っすらと笑みを浮かべた。
「ああ、愉快だ。こんな運命の巡り合わせも珍しい。つくづくコレは飽きさせないものよ。人の世は面白いよなぁ」
グラスの口から溢れる声は彼の声ではなかった。老若男女の区別もつきにくく、どこまでも中性的な声であった。愉快そうに楽しそうに細められた目は、人には似合わない達観さを窺わせる。
グルルルルルッ
獣の唸り声がグラスの前方から聞こえてくる。
「おや?」
グラスはゆっくりと首を傾げる。どこまでも余裕だ。生命の危機など感じさせない。
闇からのっそりと顔を出したのは全長4メートルは超える巨大な熊だった。その眼光は獣の王のように鋭く恐ろしい。睨まれたら無条件で竦み上がりそうな迫力があった。
グラスは巨大熊の威嚇を見て、クツクツと笑い肩を震わせた。
「寄りによって我が前に立ち塞がるとは、運が無いな。お前」
グラスの笑いは嘲笑を含むものだった。視線も侮蔑と見下しが含まれている。物事がまるで分かっていない愚者を見るかのような。
その視線と声は獣のプライドを刺激した。巨大熊はここらへんの主で舐められたら終わりなのだ。
巨大熊はグォオオオオオオッという咆哮と共にグラスに鋭い爪での一撃を加えようと振りかぶる。
フッとグラスは口の端を吊り上げた。右手を振り上げ、掌底の形をとる。そしてそのまま巨大熊の心臓目掛けて一撃を放った。普通なら威力が高いと言っても熊をよろめかせるくらいだろう。
ビシャアアと血の雨が降った。巨大熊の左胸、背中から大量に飛び出る鮮血。断末魔の如き絶叫。一瞬で地獄絵図になった。
その光景を至極愉快そうに見つめ、
「ははッ。久々の身体だ。さぁ、楽しませてくれるかな」
グラスはもがき苦しむに獣に一歩ずつ近づいていく。
それは明らかにグラディスという人間ではなかった。別人格、と言ってもいいかもしれない。ソレは“神”とウェルネス帝国で崇められている存在だ。ウェルネス神という全知全能の神である。
ゆっくりと歯車が回る。
ゆっくりとギシギシと音をたてて。
ご無沙汰しています。更新をほったらかしてすみませんでした(汗
私生活が忙しく、心の余裕がなく、スランプになっていました。最近スランプが脱しそうなので復活させて頂きます。よかったらまたお付き合いください。
あとがき
グラスさんが抱く嫌悪は結構複雑そうです。長く生きるとは、段々心が複雑になっていくものだと思うんです。良くも悪くも。