第1話「皇帝陛下が召喚される」
――ここで語るは“召喚”が日常に溶けた世界の話である。
第1話「皇帝陛下が少女に召喚される」
生まれてからたった七年しか生きていない少女の世界はとても狭かった。
少女の知る世界と言うのは通っている学校と家の二つだけだ。その内の一つである学校は少女にとってとても居心地が悪い場所だった。
そもそも召喚術というものが使えなければ存在が軽視される。酷い時は侮蔑の視線を投げかけられ、嘲笑と嘲りの言葉を聞く羽目になるのだ。それが少女にとってとても嫌だった。
少女は何処にでもいるような茶色い髪に褐色の瞳をしていた。柔らかいふわっとした髪はボブカットで後ろから見ると丸い形をしている。それと大きな瞳でどこか小動物を思わせる可愛さがあった。
「こいつ、召喚術が何一つ使えないんだぜ?」
「マジかよ。それじゃ何の為にここに通っているか分からないな」
またか。少女の感想はそれだった。いつもと変わらない下校時の校門前で少女の目の前でわざとらしく話す同級生達が少女の行く手を邪魔する。にやにやと少女の方を見て哂い時折くすくすと声を漏らし実に楽しそうだった。
みなさん、ひまですねぇとやや現実逃避気味にのん気な感想を少女はとても小さく呟く。まぁ彼らの言い分は分かる。ここは大きな国の王都にある召喚学校なのだ。当然、レベルは高い。というかこの国一の実績を誇る所謂エリート校なのだ。卒業するだけでも箔がつくと言われる。それがなんで召喚術を使えもしない奴が紛れ込んでいるんだ、と言うのだろう。
これはいじめなのでしょうか、と少女は誰に聞くでもなく呟く。王国一の召喚学校なのだから敷地は広いし、当然校門前までの道も広い。だから少女の前でくすくすと悪口やら罵りなどを囁いているこの同級生の男子達は明らかに故意で少女の邪魔をしている。その証拠に周りの子達はまばらに歩いているのみだ。ちなみに今日でこのいじめ?も通算七日目だ。ちょっと堪忍袋の緒が悲鳴を上げている。きりきりと。
「はは、こいつこれでもあの召喚士長の姪かよ!」
前にいる男子達の誰かがそう言って笑い、周囲にいる取り巻き達もつられて爆笑する。
ブチッと少女は頭の片隅で確かに音を聞いた。どうやら堪忍袋の緒は悲鳴だけに止まらなかったらしい。
カッと少女の頭の中が白く染まった。
「おばさんの悪口は絶対にゆるしません!!今にみてろッですよ!絶対すごいのをしょうかんしてみせますから!」
唖然とする周囲の事などお構いなしに少女は握りこぶしを掲げ高らかに宣言する。
それが全ての始まりだとは知らずに。
□□□
召喚術。ありとあらゆるものを、世界にあらざる異分子を世界に招く技術だ。例えるならば釣りに似てる。見えない水面は世界と世界の境界線、世界の決まり事が釣り糸となり、契約者の魔力が餌となり釣り上げる。釣ってみないと獲物がわからないというのも同じだ。種族はわかっても、誰が召喚されるかは分からない。
あるのは、優しくてどこまでも平等で残酷な世界の約束事、理だけだ。
この物語の舞台はそんな技術、召喚術が普及し人々の生活に根づいた世界。そこでは召喚術が常識として人々の考えに染み込んでいた。
けれども理論上で証明されている、この世界の人々が召喚される可能性について誰もが真剣に考えた事はなかった。行方不明者がいてもそれは他の理由で片付けられる事だったし、未だ誰も召喚される(異世界に引きづりこまれる)場面を見ていないのが最たる理由だ。見たくはないものは出来るだけ見ないのが人間というものである。
眼下に広がる美しい景色をぼんやりと見やりながら、この国の皇帝は思う。
目の前に広がるのは白い建物達。四角だったり、ドーム状をしていたりと形、高さは様々だが皆白に統一されており、その表面に赤で複雑な紋様が走らせてある。一つ一つは無意味なものだが、高い所から見下ろせばその意味がわかる。この宮廷を中心に広がる家々は、この宮廷を中心に広がる巨大な魔法陣を作っている。それはこの国全体を覆う巨大な結界を形成していた。しかもこれは何千年とこの国を守っているというのだから驚きだ。建物が建て直す時は空に建物に描かれている紋様と同じ紋様が描かれた巨大な布を浮かべ、結界を保つ。整然と並ぶ白と赤のコントラスト、その間を縫うように人々の生活が垣間見えるようなもの達が溢れ返る。路地にも市場にも広場にも神殿にもそれは感じられる。例えそれがあろうともいやだからこそだろうか、この景色は圧倒的に美しい。
この帝都は「白の箱庭」と呼ばれている。
文字通りの意味だ。神様の箱庭。この眼下に広がる光景はきっと千年前とてさほど変わりないに決まっている。同じ様に白と赤のコントラストが美しかったに違いない。ただ垣間見える色の違いがあるぐらいだろうか。
自分がこの地を治めて約百年。ああ、そうか。もう、百年か。そんな独白など似合わない程に若い青年は目を細める。輝く銀の髪は彼の年若さに似合い艶があり、日に焼けていない白い肌はどれ程不摂生をしても張りが失われない。白の法衣を纏うそのすっと伸びた背はとても皇帝という重責を背負って久しいようには見えない。けれど彼は若造、と嘲られることは決してないだろう。
「相変わらずここからの景色は美しいな。……何の曇りもないように見える」
ポツリと思わず零したその声は淡々としていて何処までも冷たい。しかし眼下に広がる人々の暮らしを眺めるその眼差しは声とは裏腹に優しく慈愛に満ちている。若い容姿に似合わなぬ博愛さえ感じさせる。
人は彼を崇めた。稀代の名君だとも言った。綺麗な容姿、カリスマ性、知性、武勲等々どれをとっても欠陥が見つけられない程完璧な皇帝だった。彼の尽力のおかげで国民の暮らしが豊かになり文化も随分と発展したものだ。一つ欠点を挙げるとするならば人に対する異様な警戒心の高さだろうか。
「でも、ここにいるのは何も私でなくとも良いのだろう」
静かにしかし圧倒的な重みを含ませて皇帝は言った。彼の本音の分、重くなったと言ってもいいだろう。
――――今ここに
誰もいないはずの部屋に少女の鈴を転がすような声がした。
精霊の御名において
我らが門を開き
決して交わる事なき道を交差させ
決して逢えぬ我らが盟友を招きいれたまえ
朗々と淀みなく詠みあげていく少女の声に、皇帝の表情が自然と強張っていく。
その声は何処までも澄んでいて何処までも無垢であった。いっそ透明と言ってもいいその声に知らず聞き入ってしまっていて皇帝は戸惑わずにはいられなかった。
だからつい、
――わたしの声が聞こえたのならばわたしの前に来たれ!
「ああ」
だからつい応えてはならない声に応えてしまった。半ば呆然とした小さな声だったが世界には聞こえたらしく皇帝はぽっかりと足元に出現した穴におちた。
ひゅっと思わず息を呑む。悲鳴を辛うじて飲み込む。
重力に従って傾く身体、ぐらつきぶれる視界。抵抗する間もなく落ちゆく身体に彼は悟った。
自分はこの世界から落ちたのだ、と。器から零れ落ちる水滴のように。
穴は何処までも暗くただひたすらに黒かった。先の見えない、何も聞こえない空間。長くいると自分と空間の境界さえ曖昧になってしまいそうだった。五感全てが塗りつぶされたようなこの空間においてさえ、不思議と恐怖は感じなかった。
あったのは何か予感めいた胸のざわめきだけだった。
□□□
ふんふんふふんと鼻歌を歌いながら少女は正円を床に広げた1㎡の紙に描く作業に没頭する。ゆがまないようにまぁるくふんふんとリズムよく歌いながら分厚い専門書の文字を辿り描いた円形に模様と文字を書き込んでいく。円形が少し歪んでしまったのはご愛嬌だ。
「よし!これでおっけーですっ」
少女は満足気に描いた円形の魔法陣を眺める。多少……いやかなり歪んでしまっているが気持ちを込めれば大丈夫!と少女は誰もいない部屋でそう自分を励ました。
辺りはすっかり暗くなり、光と言えば優しい月明かりと星がもたらす輝きだけだ。少女の住んでいる場所は森の中にポツンと建っているそこそこ大きな屋敷だった。歴史もそこそこ古く手入れもそこそこで、一見見ただけでは幽霊屋敷と思われそうな外観だ。少女はその屋敷の一階にある今は使われていない客室の一室で召喚術をしようとしていた。
「だいじょうぶ、かんたんな召喚術だもの。きっと上手くいきます」
部屋を照らすのはカーテンから漏れた月明かりと少女が描いた魔法陣の周りを囲む蝋燭達だけだ。少女が行おうとしている召喚術は召喚術の初歩で一番簡単な召喚、「下級精霊召還術」だ。ただし、使っている専門書が大昔の、それこそ二百年前だとかの前時代の専門書で実はかなり難しい物だったというのはお約束で。少女の家が召喚術師の名家だったからこそ起こるミスだったと言えるだろう。
「でも助かりましたー。よもやおばさんの書斎にこんなかんたんな召喚術の専門書があったなんて……」
少女は自分が犯したミスに微塵も気づかずほけほけと笑う。実は少女が召喚術を使えないのもここら辺のドジさと鈍感さが要因の一つだ。良く言えば純真さとも言うのだろう。
「さて、やりますか」
ほんわかとしたのん気な雰囲気を打ち消して少女は気を引き締める。大好きなおばが言っていた事がある。召喚術で大切な事を。
「今ここに」
一つ、邪念は捨て去る事。召喚術は言わば、“世界の門”に語りかける術なのだと言う。つまり世界を相手にするのだから邪念は持つべきではないのだそうだ。
「精霊の御名において」
二つ、声は透明であれ。心を込めすぎず、いっそ無色透明な空虚さを持つべし。これは、一つ目での理由と世界に出来るだけ近い心で行った方が成功率が高いから。
「我らが門を開き」
三つ、祈りを捧げる厳かさを持て。神に捧げる祈りでもいい、とにかく一心に祈ること。そうすれば世界にも声が届くらしい。
「決して交わる事なき道を交差させ」
四つ、決して心に乱れを起こしてはいけない。心に乱れがあると失敗し、術が暴発する恐れがあり、下手をすると術者が死ぬ事があるらしいからだ。
「決して逢えぬ我らが盟友を招きいれたまえ」
最後、未だ見えぬ盟友に語りかけよ。語りかけないと応えるにも応えられないから、らしい。
「わたしの声が聞こえたのならばわたしの前に来たれ!」
以上五つの事が守れていれば大抵上手く行くはずだ、とおばは笑っていた。少女は歌い上げるように締めくくる。
沈黙。魔法陣から何の反応もない。またしっぱいでしたかーと少女が肩を落とす。
「うぅ……。今度こそは、とおもったのにー……」
はぁと重いため息を少女が漏らしたその瞬間。
カッと魔法陣が輝き出し、少女の視界を白く染めた。驚きのあまり目を閉じるのさえ忘れてしまったままだった。
眩い白い輝きに青い光がキラリと光る。青い光が膨らみ人影を作った。青い光の中からゆっくりと人が出て来た。いや出てきたというよりは落ちてきた、という方が正しいかもしれない。
淡い光を纏ったその人は白い人だった。白い肌に白銀の髪、その人が着ている服も白でイメージとして近かったのは神父様の服か、天の御使いの服かだった。何よりもその人の纏っている雰囲気が神聖で厳格な神のそれに近かったせいもある。
だから天使様だ、と思ってしまった。綺麗で欠点が見つけられなくて、神様が創ったと言われても驚かない。
ドサリ。
え、と少女が乾いた声を漏らした時には床に白銀の髪が散らばっていた。
「え?えぇええええ!?ちょっ!?だだいじょうぶですか?!」
少女は慌てて白い青年に駆け寄り、その肩を揺さぶる。
おきてくださいーという少女のむなしい呼びかけに応える声はなく。ただ、僅かな蝋燭の灯火を揺らすだけに終わった。
こうして、皇帝陛下が少女に召喚された。かみ合わない筈の歯車がかみ合い、ゆっくり動き出すのを今は誰も知らなかった。
どうも。はじめまして!ここでの投稿の仕方などよくわからない事が結構あるので広い心で見ていただけるとありがたいです^^
なお、感想はもちろん、ココ間違ってんじゃね?みないなご指摘もしていただけるとありがたいです。