線香花火
台風一過、満天の星空……。
バケツに入れられたたくさんの花火、地面に転がったたくさんの花火。はしゃぎ回る近所の子供達を見ながら、俺はアパートの玄関前に座ってピースに火をつけた。
別に何かがあったというわけじゃない。賑やかな声と懐かしい火薬の匂いに惹かれただけだ。ひとしきり騒いだ後、子供達がまた小さな輪になって線香花火に火をつける。
シュワワワワ……シュワワワワー、ジ、ジリジリ、ジジジジジ……。
さっきまで大騒ぎしていた子供達が、ろうそくを中心に真剣なまなざしで揺らさぬよう、落とさぬように、小さく、小さく背中を丸めて花火を見つめている。
ジジジジ……ポトリ、ジュッ。
「あーっ!」と大きな声を上げる男の子、「ふう」と小さなため息をつく女の子。小さな火球が地面に落ちて消えるたび、短い短いドラマが終わる。
ごうっ。
昨日の台風の名残か、突然の夜風がロウソクの火を消してあたりが闇に包まれた。
「恭平ちゃん、ライター貸して」
女の子が俺の名前を呼んで手を伸ばす。白地に朝顔を染め抜いた浴衣の袖が目の前で揺れる。いつもはお転婆な大家の娘の陽に焼けた顔を見上げて、俺は一瞬だれだったかなと考えた。
「んー加奈子かあ。ほらよ、浴衣なんか着てるから誰だかわからなかったぞ」
ジーンズのポケットから古びたロンソンを引き抜いて差し出すと、加奈子は俺の手を捕まえてそのまま子供達の輪の中に引っ張り込んだ。
「恭平ちゃんも一緒にやろ」
ロンソンでロウソクにもう一度火をつけて、俺は線香花火を一本もらうと、子供達と一緒に背中を丸めた。
シュワワワワ……ジ、ジジジジ。
真剣な目の子供達、花火の光に照らされて、いつもより女っぽく見える加奈子の横顔を眺める。
ああ、そうか、そうだな。
俺はふと思った。こうして線香花火を真剣に見つめ無くなった時から人間ってのは大人になるのかもしれない。 ちらりと俺の顔を見て、ニコリと笑うと、加奈子はまた線香花火を真剣に見つめる。袖から伸びた細い指、小さな小さな火花を散らす火球。
ジ……ジジジジジ……ポトリ。
ごうっ、と風がなり一瞬の闇が訪れる。子供達のため息が響く。
こんななんて事は無い夜に、少しずつ人は大人になるのだろう。
見上げた空には綺麗な月。夏の終わりを告げる虫の音を聞きながら俺も一つため息をついた。
いつからだろう、線香花火を見つめなくなったのは。