二代目源田清治郎を募集します
お金に困ってたからだった。
『二代目源田清治郎を求む! 年齢国籍性別不問!』
偶然目にした地方新聞の広告。二代目を募集してるくらいだから歌舞伎役者とかそういう方面の有名な人物かなと思ったが、調べてもなんの情報も出てこない。
単なるお金をかけた、いたずらだなと片付けて、ページをめくろうとする。しかし、広告の下に書かれた『報酬は源田清治郎所有の土地財産一式』という言葉に目が止まる。
その言葉に俺の心が思わず揺れる。妻に先立たれ、男で一つで娘育てるようになってからというもの、ずっとお金には苦労してきた。勤めている会社は業績悪化で経営が苦しくなり、最近ではリストラの話も出てきている。
俺はもう一度その広告を読み返す。ダメで元々。自分にそう言い聞かせるようにポツリと呟き、俺はそこに書かれていた電話番号に電話をかける。
電話に出たのは、しわがれた声の老人。しわがれた声をなんとか聞き取りながら、二代目源田清治郎募集の広告を見たことを告げる。老人は低い声でそうかと呟き、二代目を襲名させるかどうかは一度会ってから決めたいと言ってきた。
そして俺は指定された日時に、指定された病院の一室を訪れる。そこでは老人が横になっていた。病室にかけられた名前から察するに彼が二代目を募集している源田清治郎だろう。病室に入ってきた俺を、じろりと上から下まで観察した。それから満足げに頷いた後、合格だとだけ呟く。
「私だってただ歳を重ねてきたわけではない。君がどんな人間かくらいはわかるさ」
それから源田は机の上に置かれたファイルを指差し、ゆっくりと目を閉じる。よくわからないまま合格となった俺はとりあえず指さされたファイルを手に取り中を見てみる。その中には遺言状と思しき封筒と司法書士事務所の連絡先が書いてあった。
あとはここに連絡しろってことですか? と尋ねると源田は目をつぶったまま頷く。襲名するかどうか俺の意思を確認することもなく話が進められていることに戸惑いはあったが、余命が残り少ないであろう源田を見ると情が湧いて断るにも断れない。
病室に沈黙が流れる。このままここにいる意味もないので俺はとりあえず今日は失礼しますね、と言って席を立つ。源田は目を瞑ったまま頷き、俺は病室を後にする。
「あとは頼んだ」
病室の扉を閉める俺の背中に、小さな源田の声がかけられたような気がした。そして源田清治郎が亡くなったという連絡が来たのはそれからわずか三日後のことだった。
「まさか本当に二代目が見つかるなんて……」
司法書士は開口一番そう言ってきた。彼は淡々と、源田の遺言と生前に相談を受けていた内容を説明する。あの広告の通り、源田の土地と財産は二代目源田清治郎を襲名した俺に遺贈されることを説明し、その他細々とした事務手続きを教えてくれた。
残された財産は正直期待していたほどのものではなかったが、騙されたと思うほどのものではなかった。一つお伝えしておくべきこととしてですね。司法書士が源田の財産についての説明する途中でそう切り出した。
「源田さんなんですが10年ほど前に、自分の家の近くにとんでもなく広い土地を買ってます。ただ、田舎なので資産的な価値なほぼほぼないんですよね。一体なんのために買ったのか、意図は不明です。まあ正直源田さんは何を考えているかわからない人だったので考えるだけ無駄かもしれないですけどね」
全ての手続きを終えた後、俺は二代目源田清治郎として、初代源田清治郎が住んでいた家へと引っ越しを行なった。もちろん単純にお金の面という側面もあったが、なんとなく名前を継いでしまった以上そうしないといけないような気がしたからだった。
狭いアパート暮らしから広い平屋に引っ越したことで小さな娘は大喜びだったが、俺は正直これからどうしようとずっと考えていた。もちろんこの世には初代源田清治郎はおらず、そもそも名前を継いで欲しい以外の遺言を残さずに亡くなったのだから、何をするのも自由なはずだった。
それでも俺が病室を出る際に源田がつぶやいた、あとは頼んだという言葉が重しのように俺の頭にのしかかっていた。
あれ、なんて読むの? 家の中を探検していた娘が床の間に飾ってあった掛け軸を指差す。そこには初代の名前が隅に書かれ、達筆な文字でこう書かれていた。
『世界平和のために』
俺はその文字を見て苦笑してしまう。この家に引っ越すにあたって、近所の人への挨拶を済ませていた。しかし、彼らは皆、初代源田とは付き合い自体はあったものの、随分な変わり者で何を考えているのか全くわからなかったと口をそろえて言っていた。
近所の人の言う通りだな、と俺も思う。そもそも変わり者じゃなければ自分の二代目なんてものは募集しないし、こうして俺がここにいることにもならなかったのだから、不思議なものだ。
荷解きを始めよう。そう思った矢先、家のチャイムが鳴る。俺が玄関を開けるとそこには小学校低学年くらいの少年が立っていた。
何の用事かなと尋ねると、少年は家の中を覗き込みながら、源田のおじいちゃんは?と聞いてくる。俺は少しだけ困りながら、少年に初代源田が老衰で亡くなったこと、そして、自分が新しくここに住み始めたことを伝える。
「ってことは、おじさんが二代目源田清治郎ってこと?」
襲名のことはあえて伏せていたにもかかわらず、少年がそのことをずばり聞いてくる。困惑しながら頷くと少年はどこか嬉しそうな表情を浮かべる。じゃあ、穴掘りも続けられるんだね。少年が発した言葉に俺は何のこと?と聞き返す。
「二代目なのに知らないの? こっちこっち」
俺は少年に手を引っ張られる形で玄関の裏手、家の裏にある林へと連れて行かれる。そして、しばらく歩いた先、広く開けた平地に穴はあった。
何かを埋めるようだとか、落とし穴とか、そういうものではない。ただただ大きくて、深い穴。穴の周りには土を掘り起こすためのショベルが二本と、掘り出した土を運び出すための一輪車が置かれている。穴を覗き込むと穴の深さは五メートル以上はあり、穴の下に下りていけるようなハシゴすらかかっていた。
なんでこんな穴があるんだ? 俺が少年の方へ顔を向けると、少年はどこか誇らしげな表情で答えてくれる。
「日本とブラジルを繋げるための穴を掘ってるって源田のじいちゃんは言ってた」
何のために? 俺の問いに少年が続ける。
「何のためってそりゃ……世界平和のため?」
俺は目の前の穴へと再び目を向ける。そしてそこで改めて司法書士が言っていた、生前に源田が広い土地を買っていたという話を思い出す。
穴は深く大きかった。少なくとも数日とか数ヶ月でできるレベルのものではない。少年に聞いてみると五年くらい前から掘ってて、僕もたまに穴を掘るのを手伝ってたんだと教えてくれる。
初代源田清治郎は世界平和のために自宅の裏の土地を買って、ブラジルまでの穴を掘っていた。一度口に出して言ってみても、源田が何を考えていたのかは全くわからなかった。
それでも俺は病室で聞いた源田の最後の言葉を思い出してしまう。あとは頼んだ。俺は穴の底をじっと見る。気まぐれで掘れるような穴ではない。少なくとも数年単位で穴を掘り続けないとできないほどの深さと広さ。俺は源田が時々少年に手伝ってもらいながらも一人黙々と穴を掘り続ける姿を想像する。
世界平和。少なくとも強い信念がなければ決して続けられるようなものではない。
俺は腕を組み穴を見つめ続ける。
「正直初代源田の考えとか気持ちは全くわからないけど……」
俺はまるで自分に言い聞かせるように言うのだった。
「二代目源田清治郎として……とりあえず穴は掘るか」
*
面白そうだったからだった。
いや、だってそうじゃん? 大の大人がさ、ブラジルと日本をつなげる穴を作るんだって言って本気で穴を掘ってんだよ? しかもさ、数日掘ってましたとかと数メートル掘ってましたとかだったら、よくある気まぐれで片付くけどさ、初代から数えたら二十年以上掘り続けていて、穴の深さが50mだったんだぜ? それに二代目なんかは穴をきちんと掘っていくためにショベルカーの免許取ったり大学で土木の学位を取り直した。なんでそんなことするんすかって聞いたら、なんて言ったと思う? 俺もよくわからん、だってさ! 俺はもう笑い転げちゃったし、ロックンロールすぎて一発で惚れちゃったよ。
二代目源田清治郎と会ったのは本当に運命だったとしかいいようがないね。たまたま訪れた田舎で、たまたまバスを乗り過ごしちゃって、たまたま熱中症で倒れて、たまたまそこを通りかかった二代目の娘さんに助けてもらったんだから。
穴を掘ってるっていうのも別に二代目から教えてもらったわけじゃないし、たまたま便所を借りた時、遠くにあった建機を見つけてあれはなんですか?って聞いたからだし、何なら俺が初めに聞いた時なんて、まあまあまあって誤魔化そうとしてた。
それでも俺が何か面白そうな匂いがして突っついたらようやく教えてもらった。俺はもう興味津々でさ、気がつけば穴掘りを手伝ってたし、すぐに帰れって思われてただろうけど、いつのまにか居候みたいな感じになっちゃってた。
「源田さんが二代目ってことは、いずれ三代目に継がせるってことですか?」
「そんなわけないだろ。こんな馬鹿げたこと、俺の代で終わりだよ」
「そんなこと言わないでくださいよ。だって二代目だって初代と同じように穴掘りしてるわけじゃないですか。初代の遺産があったとしても、時間と金も超かかってるんでしょ? 何で続けてるんすか」
俺の言葉に二代目は腕を組んで、眉をひそめて考え出す。そしてポツリと一言だけ呟く。
「託されたからかな……?」
俺が三代目になりますよって言った時も二代目はなーのバカなこと言ってんだって顔してた。それでも俺が継がせてくださいとお願いしたら二代目も折れて、いつでも辞めていいからなと何度も念押しをしてから承諾してくれた。
正直、俺は筋肉もないし、勉強もできないし、手先も不器用だから、二代目みたいに穴を掘り進めることはできなかった。でも、継いだからには何か役に立ちたい。足りない脳みそを絞って考え、俺はこの穴掘りの様子をSNSで発信しようって思いついた。
俺と同じように関心を持ってくれる人はいますよ。二代目は正直半信半疑だったけど、実際に二代目が真面目な顔でブラジルまでの穴を掘っている映像は、俺の予想を超えて最高にバズった。
応援するコメントもバカだって笑うコメントもいっぱい来た。遠くからわざわざ見に来て写真を撮って帰るファンもいた。ネットニュースで取り上げられたり、取材を受けたりも出てきた。まあ、二代目はそういうの全然ダメだったんでほぼほぼ全部俺が対応してたんだけど。
いつに何かファンは百人を超え、千人を超え、一万人を超えた。正直穴の深さについてはそこまで進捗があったわけではないけど、何だか少しずつ前に進んでるように思えた。
世界平和にために日本とブラジルをつなぐ穴を掘る。みんな俺たちのことを馬鹿だなとか、そんなふうに思ってたと思う。ただ、俺は本気だった。だけど俺以外はみんな単なる見せ物としてしか見てなかったのかもしれない。
だからこそ。穴掘り広告用のSNSにこんなメッセージが来た時も、正直嘘か詐欺だとしか思えなかった。
『いつも穴掘りの動画を拝見させて頂いております。私、東京大学にて重力トンネルというまさに日本とブラジルをつなげるための技術について研究を行っております。もし可能であれば協業可能性の有無などを一度お話しできないかと考えており……』
*
名前を継ぐ気なんて全くなかった。
「やっぱりこういう襲名って自分の息子にさせるのが一番あるあるっしょ? というわけでみなさん、ここにいるうちの息子が四代目源田清治郎なんで、よろしく!」
日本とブラジルを繋ぐトンネルを作る、重力トンネルプロジェクトのとある懇親会の場。中学生だった僕は突然自分の部屋から一階の客間に呼び出され、酒の回った父親が同じく酒の回った関係者にそう宣言した。
源田清治郎という名前は好きじゃなかった。父親のことも正直好きじゃなかった。適当でチャラくて、仕事だと言って飲み屋とか懇親会を飲み歩いては酔っ払って家に帰ってくる人間。やってる仕事を否定するつもりはないけど、日本とブラジルを繋ぐトンネルを作れるなんてずっと信じていなかった
「あの人は昔からああいう人なの。それがあの人のいいところなのよ」
僕が父親の悪口を言うと、母親はそう言って父親の肩を持つ。それから母親は行き倒れてる父親を助けて家に連れて帰ってきた時のこととか、父親からプロポーズを受けた時の話とかの惚気話を勝手に始める。また始まったよと呆れ顔で聞いている僕に、母親は最後にいつだってこう言って締める。
「でもね、あの人はあなたのおじいちゃんの想いをきちんと受け継いでいるの。今だって、実際に穴を掘ることは無くなったとしても現場には毎日顔を出してるしね。そういう真面目なところに惹かれたの」
父親は僕に四代目として穴を掘る技術を大学で学んで欲しかったらしい。今の重力トンネルプロジェクトの発起人でもある若狭教授には子供の頃からよく勉強を見てもらってたし、正直そっちの道に進むことも一時期は考えていたこともある。
だけど、その道に進むことはつまり、四代目源田清治郎として生きていく運命に自分から飛び込んでいくみたいなもの。それに気がついてから僕は意識的にその道を避け、理系ではなく文系の道へ、そして今のこの重力トンネルが掘られている実家から飛び出すように、海外で働く外交官という道に進むことを決めた。
「君が私の研究室に入ってくれることも昔は考えていたけれど、君が選んだ道なら応援するよ。私も、もちろん君の父親である三代目もね」
外務省への就職が決まった後、若狭教授にお祝いをかねて食事に誘っていただいた。せっかく尊敬する教授との楽しい食事の席なのに、父親の話題が出てきて僕は少しだけ顔を歪める。
「まあ、父は四代目として地元に残ってほしかったみたいですけど」
「彼は彼で君のことをずっと気にかけてるんだ。君が前から言っているように調子のいいところはあるけれど、それも含めて彼のいいところなんだから」
「そうは言いますけど、教授。今の重力トンネルプロジェクトだって、結局は教授の研究がなければここまで進まなかったじゃないですか。父がまるで自分が進めてきたんだとあちこちで言い回っているのが昔から恥ずかしかったんですよ」
「ははは、あれは彼なりの宣伝だよ。そういうふうに言った方が世間から注目されるということをよくわかってるんだ。それに、初代から今の三代目まで、源田清治郎さんが今のプロジェクトの中心になっていることは事実だよ」
本当ですか? 僕は疑いの眼差しを向ける。今のプロジェクトが進んでいるのも教授は生み出した技術のおかげじゃないですか。そう言葉を続けると、教授は優しく頷く。それから、僕が小さかった頃からずっと変わらない、優しく教えを解くような話し方で語ってくれる。
「車というものが発明されて、人間は昔よりもずっと行動範囲が広がって、好きな時に好きな場所に自由に移動することができるようになった。でもね、どこにいくのかを決めるのは車ではなく、いつだって車に乗る人間自身なんだ」
若狭教授が一呼吸おき、お酒に口をつける。そして遠い場所を見つめながら言葉を続けるのだった。
「世界を変えるのは技術ではないよ。世界を変えるのはいつだって、誰かの強い思いなんだ。技術はただ、誰かの強い思いに応えるために、生み出されるものなんだよ」
父親のことは、世界を変えようとしていること自体は尊敬している。でも、やっぱり僕は僕なりの人生を生きていきたいし、父親への反抗に過ぎないのかもしれないけど、父親の仕事を継ぐなんてことはまっぴらごめんだった。
僕は家を出ていき、地元を離れ、そして外交官として日本からも離れていく。そして、子供の頃からずっと隣にあった、日本とブラジルを繋ぐあの大穴ともおさらばだった。
僕は一時的に帰省したタイミングで、一人でふらっと大穴の工事現場へと散歩に行った。大穴の周りにはたくさんの建物や建築機器が並んでおり、まるで一つの街を取り囲んでいるかのようだった。物心がついた時には重力トンネル計画は立ち上がったばかりで、人も機械も少なく、祖父にあたる二代目源田清治郎が作った足場やプレハブ小屋があるだけだった。
お前が生まれる前はな、初代源田清治郎と、お前のおじいちゃん、あとたまに手伝いに来てくれていた近所の飯田さんだけでこの穴を掘ってたんだぞ。日本とブラジルを繋ぐために。信じられるか?
幼い頃、僕はよくこの工事現場に遊びに来て、父親や教授が穴を掘り続ける様子をずっと見ていた。その度に父親は僕を穴の周りまで特別に連れてきてくれては、昔の話をしてくれた。
教授の言葉では、大きな技術的な課題は解消される見込みであり、あとは粛々と穴を掘り続けるだけ。ただ、途方もない距離の穴を掘り続けることになるので、技術的なブレークスルーがない限り、今のペースだと百年以上はかかるかもしれないと言っていた。
僕は百年後を想像してみたが、いまいち想像ができなかった。もちろん父親も教授も、もちろん僕もこの世からいなくなっているだろう。でも、ひょっとしたら源田清治郎だけは四代目、五代目と引き継がれていて、穴を掘り続けているかもしれない。初代からずっと、そして百年後も。
僕はもう一度大穴の工事現場をじっと見つめ、自宅に戻る。きっと誰かが四代目を継いでくれるし、僕じゃなくてもきっと大丈夫だと、まるで自分に言い聞かせるように呟きながら。
「君の海外赴任先が決まった」
人事異動が決まったのは、それから一週間後のことだった。突然の異動に驚きながら、僕は執務室に入って行った。そこには直属の上司が座っていて、机の上にはたくさんの資料が並べられていた。
「本来なら、君の在外赴任はまだ先で、少なくとも半年は本省にいる予定だったんだ。だが、三日前に向こうの三等書記官が家庭の事情で退職を申し出て、もとから人員に余裕のある公館じゃないということもあって、急いで補充が必要になったというわけだ。そして、赴任条件に合致するのは、現時点で君しかいない。引き受けてくれるか?」
もちろんです。僕は即答する。
「それで、赴任先の国はどちらですか?」
その質問に上司は少しだけ眉を動かし、向かいの席に座るように促す。その反応を少しだけ不思議に思いながら僕は座り、そして目の前に置かれていた資料に眼を通す。
「こんなことを言っても信じてくれないかもしれないが、急に欠員が出たことも、君しか赴任できる人員がいないということも嘘ではなく、本当だ」
上司の言葉は僕の耳に届いていなかった。僕の思考が固まっていた。なぜなら、目の前に置かれていた赴任先の資料、そこに書かれていたのが『ブラジル』という国名だったから。上司が立ち上がり、呆然としている僕の肩を叩き、声をかける。
「というわけで、あっちでも頑張ってくれよ。四代目源田清治郎くん」
*
身に余る光栄だった。
五代目源田清治郎の名前を継いで欲しい。敬愛する四代目源田清治郎さんからそう言われたのは、ブラジルから日本へ向かう飛行機の中だった。
「五代目と言ったって……このまま計画が順調にいけばあと十年で重力トンネルは開通するじゃないですか。まだ四代目も五十代ですし、五代目を継がせる必要はないですよ」
「君の言うとおり、この途方もなく長かった計画も終わりが見えてきた。きっと次の代で日本とブラジルを繋ぐトンネルは完成するだろう。そして、完成を迎えた時、その場にいる五代目源田清治郎は一体どういう人間であるべきなのか、そのことについてずっと考えていた。考えに考えた結果、君に名前を継いでほしいと思ったんだ」
嬉しさよりも戸惑いが強かった。源田清治郎という名前は、今では日本とブラジルだけではなく、全世界で知られている有名な名前だった。誰も最初は相手にしなかった、地球の内部にトンネルを作るという壮大な計画。それを何代にも渡って取り組み続け、そして、とうとうそれを実現しようとしている偉人の名前。
目の前にいる四代目だって、日本とブラジルの間に立ち、重力トンネル計画を日本単独のプロジェクトから、日本とブラジルの二国間でのプロジェクトに変え、さらには全世界を巻き込んだ国際的なプロジェクトにまで発展させた。全世界の研究者、技術者が結集し、三十年前まではあと百年かかると言われていた今の計画を、あと十年程度で実現できるまでに至らせた人物だった。
確かに私は四代目と一緒に日本とブラジルの間の橋渡し役としてこのプロジェクトに関わってきた。だけど、関わってきたと言っても私自身まだまだひよっこで、他にこの名前にふさわしい優秀な人なんていくらでもいる。どうして、そんな人たちを差し置いて私が? それが私には全く理解ができなかった。
「私はまだこのプロジェクトに参画してから十年も経ってない新人ですよ?」
「わかってる」
「それに……私はブラジルで生まれたブラジル国籍の人間ですし」
「それもわかってる」
「あと何より……源田清治郎という名前を、私のような女性が継ぐのはおかしいのでは……?」
四代目が私の方に顔を向ける。
「初代源田清治郎が二代目を募集した時の募集文を知ってるかい?」
私は首を振ると、四代目はゆっくりと、でも力強い言葉でこう言った。
「年齢国籍性別不問、だ」
それから私は源田清治郎の名に恥じぬように必死になって働いた。日本、ブラジル、世界中を飛び回り、各国と調整を行い、計画が無事に進んでいくように働きかけた。もちろん、私がこうして働けるのは、初代から四代目が築いてきたレールがあったからこそだった。それでも、私は私なりのやり方で、私にしかできないことを考え、世界中を飛び回り続けた。
そして、わずかな時間を見つけては、私は重力トンネルの日本側の入り口を訪れ、現在進行形で進められている工事現場を視察した。穴の周りには立派な建物が築き上げられ、そこを中心に一つの街が出来上がっていた。ずっと昔はここには何もなかった。そう四代目から聞いた時も、正直そんな風景を全く想像ができなかった。建機の重低音と振動を身体で感じながら、今まさに初代から願い続けてきたプロジェクトが終わりに近づいていることを噛み締める。
時間が許す限り、私は邪魔にならない位置から、工事現場をずっと眺め続けた。私が生まれるずっと前から、この場所に穴を掘り続けてきた人の姿を思い浮かべながら。
果てしなく長く、だけど、あっという間だった。
開通の日。重力トンネルの出発駅である駅舎の前で、各国から賓客を招いたセレモニーが開かれた。私はその主催者側として、それと同時に、五代目源田清治郎としてその場に立っていた。
各国から集まった報道陣がカメラを回し、ホールには各国の高官、中には大統領や首相といった国のトップも集まっていた。セレモニーは熱気に包まれ、壇上ではこの重力トンネル計画の壮大な歴史が語られていた。私はホールの裏側からその様子をじっと眺めていた。それからホールの席に座る四代目源田清治郎さんの姿を見つけ、元気な姿にほっと胸を撫で下ろす。
「ここで、歴史の生き字引とも言える方への貴重なインタビュー動画を投影します。現在は東京都内の老人ホームにお住まいの飯田健太さま、106歳。この方は、今は亡き初代源田清治郎、二代目源田清治郎とともに、この重力トンネルの前身である穴を掘っていた方になります」
スクリーンに老人の姿が映し出される。腰は曲がり、耳は遠そうだったが、口調ははきはきとしており、とても百歳を超えているとは思えなかった。
「ええ、百年以上前に私は初代と一緒に穴を掘っていました。あの頃の私はただ楽しそうだからという理由で掘っていただけなので、まさかあの時初代が言っていた壮大な計画が、こうして実現するだなんて思ってもみませんでしたよ」
飯田健太氏はそれからにかっと笑い、言葉を続ける。
「ひ孫にいつも自慢しているんです。あの重力トンネルの最初の五メートルくらいは私が一緒に掘ったんだよってね」
セレモニーが粛々と進むにつれて、私は落ち着かなくなって、部屋の中を歩き始める。このセレモニーが終わった後、実際に列車に乗り込み、重力トンネルを通ってブラジルまで向かう。それこそがこのセレモニー最大の目玉だった。そして、その列車には、五代目である私自身も乗り込むことが決まっていた。
セレモニーが終わる。そして、事前に決められてた一部の報道陣、各国首脳や高官が誘導され、重力トンネル駅舎の中へと入っていく。その後ろをついて私も駅舎の中へと入って行った。駅舎の中にはすでに重力トンネルを進む列車が止まっており、続々とみな招待客が入っていっていた。
私はそれを見守った後で、列車の最後尾のドアへと歩き出す。すると、その場にいたこの重力トンネルの最高技術責任者からそこじゃないですよと呼び止められる。事前の打ち合わせと違うことに戸惑いつつも、誘導されるがままに歩き出すと、私は列車の一番前の座席に案内される。
わけがわからないまま列車に入れられると、そこには四代目が座っていた。私は後ろの座席に座る日本国首相とブラジル大統領にビクビクしていたが、四代目に座りなさいと言われ、おとなしく一番前の座席のシート、その中の一番左の席に座った。
「あれ、一番前のシートですが、五人席ですよね? 私と四代目の隣に三席空いていますが、ここに首相や大統領を座らせるべきでは……?」
私がそういうと、扉の外に立っていた最高技術責任者が笑いながら答えてくれる。
「その三席は初代から三代目の源田清治郎さんの席ですよ。あなたがたを差し置いて、一番前の座席に座っていい方なんて、この地球にはいませんよ」
それと同時に発車を告げるベルが鳴った。良い旅を。最高技術責任者が扉を閉め、駆動音と共に列車が動きだす。
それまでホームを埋め尽くしていた歓声が、厚い窓ガラスの向こうへ遠ざかっていく。各国の要人。報道陣。技術者たち。無数のカメラ。そのすべてに見送られながら、列車はゆっくりと速度を上げ、巨大なトンネルの入口へ吸い込まれていく。
窓の外を流れていた照明が途切れた。一瞬だけ、車内が暗くなる。そして次の瞬間、壁面に埋め込まれた誘導灯が、一定の間隔で後方へ流れ始めた。
『ただいま、東京発サンパウロ行き第一便は、重力トンネル本線へ進入しました』
車内放送が流れる。
『サンパウロ中央駅までの所要時間は、四十二分を予定しております』
東京からブラジルまで、四十二分。とてつもなく短い時間で地球の裏側まで行くことのできる画期的な技術。この世界初の事業が成功すれば、世界はもっと近く、狭くなる。この数字は各国の注目を浴びるだけの数字だった。
列車は重力に引かれるまま落下し、地球の中心を通過して、反対側へと駆け上がっていく。私は目を閉じる。すると、この何年間かの出来事が、次々と浮かんできた。自分には荷が重すぎる、逃げ出したいと枕を濡らしたこともある。
それでも、ここまで来た。私だけの力ではない。初代から四代目までが築き上げてきた歴史、そしてそれを支えてくれた全ての人。彼らのおかげで、今、私はこの列車に乗っている。そしてそれと同時に、喜びというより、長い仕事を終えたあとの寂しさに似た感情が湧き上がってくることに気がつく。
「……終わったんだ」
隣にいる四代目にも聞こえない声で呟いた。しかし、その瞬間だった。
――ガンッ。
私たちが乗っている車体が大きく揺れる。身体がシートから浮き、続けて、床の下からそれまでとは明らかに違う音低い金属音が響いた。揺れと異音車内の空気が変わった。今の、何? 大丈夫なのか? 事故じゃないだろうな。乗客たちがざわめきは少しずつ大きくなり、不安が車内に伝播し始める。
心臓が速くなる。頭の中に、嫌というほど見てきた事故シミュレーションが蘇った。もちろんあらゆる事故は想定されているし、それへの対策も実施済みだ。それでも、何か不測の事態が起きれば、ここは地上から何千キロも離れた地球の内部であり、逃げ場などない。
もう一度、車体が小さく揺れた。私は思わず座席の肘掛けを握った。そのとき、私はふと隣に目を向ける。そこでは、四代目が動じることなく、じっと進行方向を見つめていた。そして、前を向いたまま、私に小さくつぶやく。
「大丈夫だ」
そして、少し間を置いて言葉を続ける。
「みんながついてる」
私は四代目と、そして、その隣の空いた三つの席へと目を向けた。私は何も言えなかった。その言葉と、その席の存在が、不思議なくらい私を落ち着かせる。
みんな。歴代の源田清治郎だけではない。この重力トンネルの可能性に賭け、このプロジェクトを進めてきた人たち全て。国籍も、言葉も、立場も違う。互いに顔さえ知らない者もいる。その全員が、この一本のトンネルを支えている。
私は肘掛けから手を離した。大丈夫。私もその言葉をつぶやく。自分を落ち着かせるためではない。それは本心から出てきた言葉だった。
やがて異音は消えた。振動も、いつの間にか元に戻っていた。列車は何事もなかったように走り続ける。そして、チャイムが鳴った。
『まもなく、新サンパウロ中央駅に到着いたします』
一瞬、車内が静まり返った。安堵の声に続き、あちこちから歓声が上がった。車内で拍手が起こる。私は前を向いた。開通式でもなかったにも関わらず、視界は涙で滲んでいた。
列車の速度が落ちていく。暗闇の向こうに、小さな光が見えた。やがて列車は、地球を貫く長い闇を抜ける。自動遮光されていた窓がゆっくりと透明になっていき、眩しいほどの照明の光が車内へ差し込んだ。
列車を待ち受ける駅は人で埋め尽くされていた。旗を振る人。飛び跳ねる人。手を振る人。そして、世界中の国旗が、ホームのいたるところで揺れていた。
列車はゆっくりと駅舎へ入っていく。私は前面の大きな窓を見た。ホームの奥には、駅舎の吹き抜けいっぱいに、巨大な横断幕が吊るされていた。そこには、日本語、ポルトガル語、世界中の言語で、こんな言葉が書かれていた。
『世界平和のために』




