第6話「皇帝」
こんにちは、豆腐です。
今回も尋問です。
尋問室。
柔らかい、優しい空気は、まだそこにあった。
誰も動かない。
誰も急かさない。
ただ、時間だけがゆっくりと流れている。
スローンが息を吐いた。
「……じゃあさ、次。」
軽い調子。
だが、まっすぐリュコスを見つめている。
「君に命令出してた人。」
ほんの少しだけ間を置く。
「…そいつ、どんなやつ?」
リュコスの瞳が、わずかに揺れた。
一瞬。
一瞬だけ。
リュコスの胸からは手が離れていた。
無意識に。
「……わからない。」
短い答えだった。
だが今度は、それで終わらなかった。
スローンは首を傾げる。
「またそれ?」
責めるでもなく、ただただ促す。
「もうちょっと……」
「なんかない?」
長い沈黙。
リュコスは視線を落とした。
何かを探すように。
だが、それは記憶を辿る動きではなかった。
言葉を、組み立てようとしているような。
「……姿は、見たことがない。」
ゆっくりと、言葉が落ちる。
「直接会ったこともない。」
そこで、一瞬止まる。
「声は、聞いたことがある。」
「だが……」
わずかに、眉が動く。
「記憶に残らない。」
兵士の一人が、わずかに顔を上げた。
スローンは黙って聞いている。
しかし、その顔は先程までの微笑みではなかった。
リュコスは続ける。
「命令は来る。」
「正確なタイミングで、」
「正確な命令が。」
「誤差はない。」
「遅れることも、早まることもない。」
「……それだけ?」
スローンが静かに聞く。
リュコスは、すぐには答えなかった。
視線は落ちたまま。
「……違う。」
小さく、そう言った。
「記録はある。」
スローンの目がわずかに細くなる。
「戦闘記録。」
「作戦記録。」
「生存者の報告。」
「だが──」
ほんの一瞬、言葉が止まる。
「……どれも、同じなんだ。」
長い沈黙。
「…どういうこと?」
スローンが短く返す。
その声に、もう余裕はなかった。
リュコスは頷いた。
「内容ではない。」
「結論が同じだ。」
部屋の空気が、わずかに重くなる。
リュコスは、ゆっくりと顔を上げた。
「──理解できない。」
兵士の一人が、息を呑んだ。
「何が起きたのか。」
「どうやってそうなったのか。」
「誰も、説明できない。」
淡々とした声。
だが、その奥にわずかな揺らぎがある。
「映像はある。」
「記録も残っている。」
「だが……」
一瞬の間。
「見ても、意味がない。」
スローンは黙っている。
リュコスは続ける。
「動きは記録されている。」
「数値も、軌道も、すべて残っている。」
「だが、それを見ても──」
ほんのわずかに、眉が寄る。
「…再現できない。」
長い沈黙。
「……できない?」
スローンが聞いた。
「不可能ではない。」
リュコスは、そう答えた。
「理論上は可能のはずだ。」
「──だが、」
わずかに、声が低くなる。
「誰も成功していない。」
部屋の空気が、はっきりと変わる。
兵士の一人が、無意識に拳を握っていた。
その状況を、理解してしまったからだ。
「生存者はいる。」
リュコスの声は、重かった。
「だが、全員同じことを言う。」
スローンは、静かに待つ。
リュコスは、一瞬だけ目を閉じた。
「──“気づいたら、何もかも終わっていた ”。」
「そう言っていた。」
その言葉が、落ちる。
誰も、すぐには動かなかった。
スローンも、何も言わない。
ただ、その言葉の意味を測っている。
やがて、スローンが口を開く。
「…ふーん。」
軽い声。
場違いなほど軽い声。
兵士がわずかに眉を動かす。
スローンは続ける。
「……じゃあ、」
いつも通りのように見える。
だが、ほんの少しだけ違う。
「そいつ、人間なんでしょ?」
リュコスの視線が止まる。
「…定義上は。」
スローンは頷いた。
まるで何かを確信したかのように。
スローンは椅子に背を預ける。
「…なら、倒せる。」
沈黙。
兵士の一人が、思わず顔を上げた。
もう一人は、わずかに目を細める。
リュコスは、動かなかった。
「……何故だ。」
その声には、わずかな戸惑いが混じっていた。
スローンは、肩をすくめる。
「だってさ。」
軽く、指を立てる。
「絶対の存在だったら、とっくに全部終わってるでしょ。」
一拍。
「でも、終わってない。」
静かに、言い切った。
「だから、どっかに“穴”がある。」
その言葉は、妙に現実的だった。
リュコスの思考が、わずかに動く。
「……穴……」
スローンは頷く。
「うん。」
「完璧っぽく見えてもさ、そういうのって大体どっか抜けてるんだよ。」
軽い口調。
だが、目は笑っていない。
「見えないなら、見えるようにすればいいし。」
「理解できないなら、理解しなくてもいい。」
ほんの少し、前に身を乗り出す。
「勝てばいいんだから。」
一言。
その声は、自信に満ち溢れていた。
部屋の空気が、また少し変わる。
恐怖でもない。
緊張でもない。
何かが、切り替わったような感覚。
リュコスは、スローンを見ていた。
まっすぐに。
「…お前は………」
言葉を探す。
だが、やはり見つからない。
やがて、リュコスは言う。
「……理解できない。」
スローンは一瞬止まって、
「…よく言われる。」
小さく笑った。
「でもさ。」
スローンは立ち上がる。
椅子がわずかに音を立てる。
「分かんなくてもいいんだよ。」
スローンはリュコスを見下ろす。
「動けるなら、それで十分。」
一瞬の沈黙。
リュコスの胸の奥で、何かがわずかに動いた。
「……動く……」
その言葉を、確かめるように繰り返す。
スローンは、にっと笑った。
「そう。」
「考えるのは、その後。」
あまりにも無茶な理屈。
だが──
リュコスは否定しなかった。
できなかった。
「……了解。」
やがて、小さくそう言った。
その言葉は、命令に対するものではなかった。
自分で選んだ、初めての肯定だった。
兵士の一人が、わずかに目を見開く。
もう一人は、静かに息を吐いた。
スローンはそれを気にも留めず、軽く伸びをする。
「…よし、尋問終わりっ!」
あまりにもあっさりとした宣言。
「……いいのか?」
兵士の一人が思わず口を開く。
スローンは振り返りもせず、手をひらひら振った。
「いいのいいの。」
「もう聞きたいことは聞いたし。」
少しだけ間を置く。
「それに──」
ほんの少しだけ、振り返る。
「この子、もう敵じゃないから。」
静かな声。
誰も、すぐには否定できなかった。
リュコスは、何も言わなかった。
ただ、自分の胸に、もう一度そっと手を当てた。
そこにあるものを、確かめるように。
尋問室の空気は、完全に変わっていた。
もうそこにあるのは、
尋問でも、拘束でもない。
──選択の始まりだった。
静寂は、まだ続いていた。
だが──
その静けさは、もう先ほどまでのものとは違っていた。
スローンは背を向けたまま、扉へ歩き出す。
足音が、やけに軽い。
「じゃ、行こっか。」
あまりにも自然な一言。
リュコスは、動かなかった。
兵士の一人が、眉をひそめる。
「……連れて行くつもりか?」
スローンは振り返らない。
「うん。」
それだけ言って。
「だが、こいつは──」
言いかけて、言葉が止まる。
スローンが、ようやく振り返った。
「“こいつ”じゃないでしょ。」
やわらかい声。
だが、否定の余地はなかった。
「“リュコス”だよ。」
一瞬の沈黙。
兵士は何も言えなくなる。
スローンは、軽く顎で示す。
「ほら、行くよ。」
リュコスは、まだ座ったままだった。
視線は、机の上。
自分の手。
そして──胸元へ。
「……」
わずかな呼吸。
そして、立ち上がる。
その動作に、迷いはなかった。
兵士の一人が、反射的に一歩前に出る。
「待て。」
リュコスの足が、止まる。
だが。
「…何の権限で?」
スローンの声。
静かで、軽い。
しかし、その場の空気を完全に支配していた。
兵士は、言葉を失う。
スローンは肩をすくめる。
「この子、もう敵じゃないって言ったでしょ。」
軽い口調。
だが、それは事実として置かれていた。
誰も、否定できない。
リュコスは、ゆっくりと歩き出した。
スローンの隣へ。
ほんの一瞬、足を止める。
「……いいのか?」
小さな声。
スローンは、ちらっと横を見る。
「なにが?」
「私は……」
言葉が続かない。
だが、スローンは待たない。
「いいよ。」
即答だった。
「理由とか、いらないから。」
軽く言って、扉に手をかける。
「来たいなら来ればいいし。」
「来たくないなら、来なくてもいい。」
一瞬だけ、振り返る。
「それだけでしょ。」
扉が開く。
外の光が差し込む。
リュコスはその光を見た。
そして、ほんのわずかに目を細める。
一歩、踏み出す。
その一歩は、命令ではなかった。
選択だった。
兵士たちは、何も言わなかった。
言えなかった。
ただ、その光景を見ていることしかできなかった。
スローンは、もう歩き出している。
リュコスは、その隣に並ぶ。
歩幅は、自然と揃っていた。
「……スローン。」
リュコスが口を開いた。
「私は……」
「どうすればいい?」
スローンは少しだけ考えて、
「とりあえず…」
にっと笑う。
「生きてみようよ。」
「人間として。」
あまりにも軽い答え。
だが、
リュコスは、ほんのわずかに頷いた。
「……了解。」
今度のそれは、
さっきよりもほんの少しだけ柔らかかった。
二人は、そのまま廊下を進んでいく。
背後で、尋問室の扉が静かに閉まる。
その音は、
ひとつの区切りのようだった。
──リュコスは、もう“命令で動く存在”ではない。
そして、
まだ誰も知らない。
それが、この戦争の流れを大きく変える一歩になることを。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
豆腐です。
スランプに陥りそうなので投稿頻度は下げます。
あとしばらく番外編だけになるかもしれません。
申し訳ありません。




