第4話
――翌朝。
目を覚ましたあたしは、見慣れない天井の模様に眉を寄せた。
「…………?」
……ここ、どこ? あたしの部屋じゃない。というか、家ですらない。
頭の奥がずきんと痛み、あたしは思わずこめかみを押さえる。
寝起きで回転の悪い頭で、昨夜のことを必死に思い出す。
……そうだ。昨夜は夜会で、イリスとアルベールといっしょに飲んでいたのだった。
……あれ? そのあとあたし、どうしたんだっけ?
まるで、頭のなかが靄で覆われてしまったかのように記憶がぼんやりと霞んでいる。
とりあえずベッドから降りようと身動ぎをしたとき、肌に風が当たる感覚にハッとした。
じぶんのからだを見て愕然とする。あたしは、肌着一枚になっていた。ベッドのそばには、昨夜着ていたドレスが落ちている。
……うそ。
頭のなかが真っ白になったそのとき――すぐとなりから、かすかな寝息がした。
「!」
ぞくり、と背筋が凍りつく。布団のなかに、ぬくもりがある。ゆっくりと首だけを横に向けた。視界に映り込むのは、ほんの少し乱れた銀色の髪と、まるで彫刻のように整った横顔――。
……まさか。そんなはずはない。
心臓が暴れるみたいに打ち、冷たい汗が首筋を伝う。おそるおそる、布団を少しだけめくった。
すると、そこにいたのは――。
「ア、アルベール、さま……?」
息が止まった。
目を疑う。見間違いであってほしい。だって、アルベールはイリスの運命の相手で――あたしのとなりにいるはずのないひとだ。というか、いたらいけないひとなのだ。
軽くパニックに陥っていると、となりで安らかな寝息を立てていたアルベールが、ころりと寝返りを打った。布団越しに触れた体温に、ぞわっと鳥肌が立つ。
その直後、アルベールのまつ毛がわずかに震えた。そして、ゆっくりとそのまぶたが開き、蒼色の瞳が現れる。
「……あぁ、起きたのか。ミレイユ」
「っ……!?」
あまりに生々しい寝起き声で名前を呼ばれ、胸の奥が大きく跳ねた。一方で、寝起きといえど落ち着き払ったアルベールの声に、あたしは言葉を失う。
「……そんなに驚いた顔をして、どうした?」
この男……。
アルベールは、目覚めてすぐあたしを見ても、驚いた顔ひとつしなかった。ということはつまり、あたしと一晩過ごしたことを覚えている、ということになる。
あたしはアルベールに、おそるおそる訊ねた。
「あの、アルベールさま。これは、どういうことなんでしょうか……」
「どういうこと、とは?」
「ですから、これはその……まさか、違いますわよね?」
「……なにが聞きたいのか、分からないな。はっきり言ってくれないか」
アルベールがにやりと口角を上げる。余裕しゃくしゃくの表情がなんとも憎らしい。
「わたくしたちは昨晩、なにもありませんでしたよね?」
もう一度はっきりと問うと、アルベールはなぜか笑った。
「起きてそうそう、ずいぶんひどいことを言うんだな。昨夜はあんなに愛し合った仲なのに」
「――っ!」
サーッと顔から血の気が引いていく。記憶が霞んでいるせいで、否定もできない。
アルベールは肩肘をつき、余裕の笑みでこちらを覗き込んでいる。
「そ、そんなの有り得ませんわ」
あたしは、ふんと前に落ちた髪を払う。記憶はないが、あたしの心に断罪追放の記憶がある以上、こんな展開は有り得ない。断言できる。
「まぁ、そう強気に否定する姿も悪くないが……」
アルベールはわざとらしく視線をすべらせ、ベッドのそばに落ちたドレスや乱れたシーツに目をやった。
「ここに証拠は残っている。君がどれほど否定しても、この状況は覆せないと思うが」
「……なにが言いたいんですの?」
「なにが言いたいと思う?」
質問に質問で返され、ムッとなる。もちろん、顔には出さないけれど。
黙っていると、アルベールがため息混じりに爆弾発言をした。
「君も令嬢なら分かるだろう。王族と夜を共にした以上、婚約は避けられないと」
「こ、婚約……!?」
「あぁ、そうだ」
頭のなかが真っ白になる。
「そ、そんなこと突然言われても困ります……!」
これは本来、イリスが手にするはずの未来。
あたしがアルベールと婚約などすれば、小説と同じルートを辿ることになってしまう。
そんなのぜったいにいや……!
「わたくしにアルベール殿下の妻など、務まるわけがありません。どうか、お考え直しください」
必死に訴えるが、アルベールは落ち着き払ったようすで、あたしの手に絡めた指先に力をこめた。逃がさないという意志が、その握力からはっきりと伝わってくる。
あたしは必死に頭を動かす。
どうしよう。
この状況、結果的にはあたしとアルベールの仲が上手くいってしまっていることになる。
もしそうなら、このあとなんらかの原因でイリスとアルベールが急接近して、あたしは結局断罪追放エンド……?
あたしは拳をぎゅっと握る。
じょうだんじゃないわ。今日までどれだけあたしが頑張ってきたと思ってるのよ。
とりあえず今は、あたしがアルベールに興味がないということをはっきり伝えるしかない。
「……分かりました。では、正直にお話します」
事情を話せば、納得してくれるかもしれない。
「じつは、イリスはアルベールさまのことをお慕いしているのです」
「ヴァレンティナ嬢が俺を?」
「はい。昨夜は、アルベール殿下にお会いするために、イリスは参加いたしました。でも、ひとりでは緊張してしまうからと、わたくしも参加することになったのです」
「……なるほど。昨日、君が妙に俺のことを気にかけているようだったのは、そういうことだったのか」
「はい」
どうやら理解してくれたようだ。
よかった。これで、アルベールはあたしから手を引いてくれるだろう。
「ですので、わたくしが親友であるイリスを差し置いて、アルベールさまと婚約することはできません」
「……まぁ、一理分かる気もするが」
アルベールの反応に、ホッとする。
最初からアルベールに事実を話していれば、こんなに拗れなかったのかもしれないと思いつつ、それでもなんとかなったのだからまあいいか、と思い直す。
アルベールは小さく息をつき、淡々と告げた。
「だが、その話は俺には関係ないことだ。俺はヴァレンティナ嬢には興味がないからな」
は、と言いかけたそのとき、アルベールが不意にあたしの手をぐいっと引き寄せた。
「俺が好きなのはミレイユ……君だけだよ」
「お、お待ちください! ですからわたくしは……」
慌てて離れようとするがアルベールがあたしを抱き寄せた腕に力を込める。そして、アルベールはわざとらしく、あたしの耳元でささやいた。
「俺は、君のことがずっと好きだった。昨夜出会えたことは運命だ。俺はもう二度と君を放す気はない。だから諦めてくれ」
低く甘い声が、あたしの耳朶を刺激する。
「ず、ずっとって……そんな大げさな。わたくしとアルベール殿下は、昨夜出会ったばかりではないですか」
あたしは、小説を思い出したおかげでアルベールのことを一方的には知っていたけれど。アルベールは、昨日の夜会がミレイユとのファーストコンタクトのはずだ。
「……細かいことはいいだろう」
思わずツッコむと、アルベールがむっとした顔をした。子どもっぽい仕草にどきりとしつつも、あたしは流されまいと気を強く持つ。
「細かくありません! それに、そう……そうですわ。殿下はきっと、まだ酔いが覚めておられないのです!」
「そんなことはない。俺はシラフだ。元気だ」
「いいえ、酔っています!」
「なら、キスでもして確かめてみるか?」
アルベールがあたしの頬を包み、顔を寄せてくる。
「っ……お、お止めください!」
思わず目の前の胸板を押すと、アルベールは思いの外あっさりと離れた。
しかし、
「言っておくが、俺との婚約に拒否権はない」
お返しとでも言わんばかりに、アルベールがはっきりとした声で言う。
「君は、王族の俺と肌を重ねておきながら、責任を取る気はないというのか?」
「せ……責任?」
「そうだ。俺たちは肌を重ねたんだ。もしかしたら、子どもができているかもしれない」
「っ……子、子どもって」
息が止まった。
愕然とするあたしを見て、アルベールが不敵に笑う。
「そういうわけだから、責任はとってもらうぞ。ミレイユ・ルミエール」
頭がくらくらする。どうやらあたしは、完全に逃げ道を塞がれてしまったようだった。




