第3話
金色の燭台に灯った炎が、テーブルに落ちたグラスの影を淡く揺らしている。
「わぁ……素敵なお部屋!」
客室に入るなり、イリスが目を輝かせた。
あたしはイリスに「本当ね」と返しながら、ひっそりと部屋のなかを観察する。
入ってすぐ、目の前に応接用のソファとテーブル。そして、その奥には天蓋付きの大きなベッドが鎮座している。
イリスの言うとおり、本当に素敵な部屋。男女を閉じ込めるには、これ以上ないくらい。
あたしはゆっくりと口角を上げる。
よかった。この部屋なら、作戦はうまくいきそうだ。あたしは最終確認を済ませてから、安心してワインボトルを開けた。
「では――」
グラスにワインをそそぎ、イリスとアルベールに差し出す。そろったところで、アルベールがグラスを軽く掲げた。
「今宵の縁に、乾杯」
カチン、と三つのグラスが音を立てて触れ合う。
「……いただきます」
イリスが少し緊張気味に口をつける。
アルベールのとなりで緊張しているのか、イリスにしては珍しくペースが早い。
イリスは、グラスの半分ほどがなくなったところで、ほっと息を漏らした。頬がうっすら赤くなっている。
よし、その調子。
イリスはまるで警戒するようすなくワインを飲んでくれているが、このワインは飲みやすい割にアルコール度数が高いのだ。このペースなら、きっとすぐ潰れてくれる。
なんていい子なのかしら。
どんどん酔いが回り、ふにゃふにゃとし始めるイリスに、あたしは笑みが抑えられない。
あたしは、イリスからアルベールへ視線を流した。
イリスはもう心配ない。あとはアルベールを潰すのみだが、アルベールも特別警戒するようすはなく、グラスを傾けている。
正直なところ、作戦を実行するまでは不安だった。
事前に下調べをしたとき、アルベールがどれだけお酒に耐性があるかが分からなかったからだ。
順調すぎてむしろ怖い、などと思いながら、あたしはイリスを見た。
「あら、イリス。少し酔いが回ってきたのかしら。顔が赤いですわよ」
「このワインとっても美味しくて……もう少し飲んでもよろしいかしら?」
「気に入ってもらえたようでうれしいわ。でも大丈夫?」
あたしは心配するふりをして声をかけるが、イリスは「大丈夫ですわ!」と笑顔で返す。
アルベールがイリスのグラスにワインを注ぐすがたをなんとなく眺めていると、ふと、アルベールがあたしを見た。
「……なにかしら」と訊ねると、アルベールは「いや」と返しながら、グラスの縁を指でなぞり、真紅の液体を優雅に揺らした。
あたしは笑みを返し、グラスをあおる。
「それにしても、このワインは香りがいい。花の蜜のような……まるで、じぶんが蜂になってしまった気になるよ」
「それはそうですわ。これは、今年の新樽ですから」
高級で味が良く、且つアルコール度数の高いワインをあちこち探しまくったおかげで、私の脳は不必要な情報まで覚えている。
さらりと返すと、アルベールの視線がまたこちらに戻る。興味深そうなまなざしに、あたしは首をかしげる。
「どうかなさいまして?」
「ずいぶんと詳しいようだから」
「…………まぁ、たまたまですわ」
いけない。不必要な会話は控えなきゃ。アルベールに不信感を抱かれかねない。
あたしはアルベールからイリスへ視線を動かした。イリスはすっかり酔いが回ったようで、既に船を漕いでいる。
「君は、ヴァレンティナ嬢とはずいぶん仲がいいんだな」
アルベールが、あたしの視線につられるようにイリスを見て言った。
「え、えぇ……もちろんですわ」
答えた瞬間、ほんの少しだけ胸がちくりとしたが、あたしはそれに知らんぷりをする。
「ふたりはどうして仲良くなったんだ?」
「どうしてって……」
言葉に詰まる。
断罪がいやで、猫かぶってイリスの親友を演じているなんて言えないし……。
「決まってますわ。イリスはいい子ですもの。近くにこんな子がいたら、だれだって仲良くなりたいと思いますでしょ?」
「……そうかな。俺には、君が彼女にとても気を遣っているように見えるんだが」
柔らかい声音で包みつつも、確信をつくようなアルベールのひとことに、一瞬どきりとする。思わず目を向けると、アルベールは、まるでなにかを探るようにあたしを見つめている。
「……まさか。そんなことはありませんわ」
あたしは笑ってごまかし、ワインをじぶんのグラスに注ぐ。
そのとき、不意にイリスがぱちりと目を開け、ふにゃりとした笑顔でこちらを見た。
「ミレイユさまぁ……」
「イリス? もう寝たんじゃないの?」
「ねむいですけど、どうしても言いたくて……」
イリスはグラスを抱きしめるように持ち、ぽつりぽつりとこぼす。
「わたくし、ほんとうに……ミレイユさまのことが大好きなんですのよ」
「……ちょっと、いきなりなにを言い出すのよ」
「だって、どうしてもわたくし、アルベールさまに聞いてほしいんです!」
ミレイユさまは、ほんっとうにお優しいかたなんですよ、と、イリスが舌っ足らずな声で言う。
「ミレイユさまは、初めてお会いしたときからずっと優しくて……いじめられていたわたくしにも、当たり前のように話しかけてくださって……あのときわたくし、本当に救われましたのよ」
そう言って、イリスはふふっとうれしそうに笑った。
「だからね……わたくしはミレイユさまがいれば……ほかにはなにもいらないんです」
胸の奥が、きゅうっと締め付けられる。
「もう、イリスったら。――ごめんなさい、アルベールさま。イリスったら、ちょっと酔っ払ってしまったようですわ」
「ミレイユさまがいるなら、わたくしはもうなにも望みません」
「あーはいはい。もう、分かったから」
「ははっ……ふたりは本当に仲がいいんだな」
アルベールは笑いながらも、どこか探るようにあたしを見やった。
「……ええ、もちろんですわ。だってわたくしたち、親友ですもの」
あたしは取り繕うように答えるが、胸の奥はざわついて仕方がない。
「親友、か……」
アルベールは小さくつぶやき、意味ありげにグラスを揺らした。
「……なにかしら」
「いや」
「……そんなことより、わたくしもアルコールをもらってもいいかしら?」
今はこっち。あと少しなのだ。
とりあえずアルベールが寝落ちするまで、不信に思われないように、あたしも飲まなければ。
そのとき、指先にあたたかいものが触れた。
「なに……」
顔を上げると、アルベールがあたしのグラスをそっと奪い、代わりにじぶんのグラスを押しつけてきた。
「さすがに飲みすぎだ。君はこちらに」
「え……」
戸惑いのまなざしを向けると、アルベールの指先がそっとあたしの頬を掠める。
「!」
「少し火照っているようだし、無理はしないほうがいい」
息が詰まる。
「……あ、ありがとうございます……。でも大丈夫ですわ。わたくしは、そんな弱い人間じゃないですから」
「そうか? 俺にはとても無理をしているようにしか見えないけどな」
「そんなこと……」
あるわけない。あたしは動揺をごまかすように、アルベールから目を逸らす。
「さて。飲みすぎは良くない。俺もこれで終わりにしよう」
アルベールがグラスをあおる。赤い液体が、アルベールの唇から喉をつたい流れていく。
あたしはそのようすを呆然と見たあと、じぶんの手のなかにあるグラスをぼんやりと見つめた。




