第1話
ホールには、宮廷楽団の奏でる旋律が響いている。令嬢たちのドレスがはらりと舞うたび、薔薇の香りとカラフルな笑い声が、シャンデリアの光が反射した大理石の床を転がっていった。
今宵は夜会。
さすが、宮廷主催とあって華やかな景色である。
あたし――ミレイユ・ルミエールは、顔見知りのお貴族さまたちに挨拶をしながら、ホール内を歩いていた。
それにしても広い会場……。これでは、あの子を見つけられるかどうか……と、一抹の不安を抱えつつ挨拶まわりをしながら、あたしはこの夜会に招待してくれた公爵令嬢・イリスのすがたを探していた。
イリスはあたしの親友であり、のちにアルベールの婚約者となる物語のヒロインである。
「おや。これは、ミレイユ嬢」
イリスを探していると、ふと声をかけられた。
振り向けば、ド・モンテリオ卿が優雅にグラスを掲げている。
宮廷に仕える伯爵家の当主にして、社交界では博識と洒脱な物腰で名を馳せる人物である。
「あら、これはモンテリオ卿。ごきげんよう」
「これはまた、相変わらずお美しい薔薇のようなおすがた、今宵も会場を照らしておられますな」
「まぁ……恐れ入りますわ」
はいはい、またそれ。
相変わらず、このおかたは薄っぺらいお世辞を繰り返すしか能がないみたい。
内心うんざりしながらも、あたしは扇子で口元を隠し、完璧な笑顔で応じる。
「本日、ミレイユ嬢はどなたとご一緒に?」
「えぇ。わたくしはイリスさまとまいりましたの。モンテリオ卿は、相変わらず社交界の華でいらして」
軽く返せば、モンテリオ卿は喉の奥で愉快そうに笑う。
「お褒めにあずかり光栄ですが、実際のところはただ噂好きなご令嬢がたに追われているだけでして」
謙遜しながらも、モンテリオ卿は満更でもない表情を浮かべている。
あたしはモンテリオ卿を取り巻く、たわわな果実をドレスに秘めた令嬢たちを見た。
モンテリオ卿はといえば、彼女たちにむぎゅっと豪快に押し付けられたふたつの果実を見下ろしながら、鼻の下を伸ばしている。
……キモ。
さすが、下品の極み伯爵。
あたしは蜜に群がる蛆虫に、なに食わぬ顔で笑顔を向ける。
「ふふ、きっとそれもご人徳でございますわよ」
「それにしてもミレイユ嬢。先日の慈善茶会では見事な立ち居振る舞いでしたな」
「とんでもありませんわ。あの場では皆さまに助けていただくばかりで」
「またそうやってご謙遜なさる。令嬢としての振る舞い、だれもが称賛しておりましたよ」
「ふふ……皆さまのお支えがあってこそ、わたくしも安心して務められたのですよ」
お世辞にお世辞を返したあと、あたしはイリスを探すからと会話を切り上げ、その場を離れた。
モンテリオ卿との会話は相変わらず退屈が過ぎる。まったく、さすがのあたしでも、あくびが出てしまうわ。
***
さて、今宵は楽しいたのしい社交界。
もっともそれは、表面だけを見ればの話。
実際のところは、貴族たちが虚飾を身にまとい、互いの懐を探り合い、噂話と策略を飛ばし合う戦場にほかならない。
もちろん、そんな本音はだれも口にはしないけれど。
あたしは完璧な令嬢の仮面を貼り付けたまま、グラス片手にひとの流れを観察する。
向こうで伯爵家の娘が高らかに笑えば、そのとなりでは侯爵家のご令息がわずかに眉をひそめる。
その仕草ひとつで、彼が彼女の後ろ盾を軽んじているのが分かる。
あのふたりを同じ卓に並べたら、面白いものが見られそう。なんて、胸の内で小さく嗤いながら、あたしはそれらの光景に背を向けた。
さて。暇つぶしはそろそろおしまい。
なにしろ今宵の夜会は、あたしにとって超重要イベントなのだ。
今から数分後には、アルベールがホールに登場しーーそれと同時に、小説の物語が始まる。
いよいよ、このときがきたのである。
今日、この夜会でアルベールはイリスに、そしてミレイユはアルベールに恋に落ちる。
もちろん、物語の全貌を知っているあたしは、アルベールに恋をしたりなんてしない。
だが、周囲はそうは思っていない。
あたしは今日、イリスとアルベールの恋のキューピットとなるために夜会へ参加しているのだ。
ふたりが最速かつ円満にくっつけば、あたしが断罪追放される未来はなくなる。そうすれば、あたしに平和な日々が訪れる。
だれも傷つかないハッピーエンドが確約されたシナリオだ。
イリスを探しながらホールを歩く。
イリスはたしか、あの給仕のそばにいたはずだけど……って、あら?
ふと、令嬢たちの乾いた笑い声が耳に入ってきた。
「まあ、ご覧なさって。彼女の裾、泥が跳ねてますわ」
「こんな惨めな姿で舞踏に来るなんて……知りませんでしたわ。今宵の夜会は召使いも招待されていたんですのね」
「そういえば――先ほどの舞踏も、足をもつれさせてお相手の靴を踏んでいましたわね? あまりにぎこちなくて、見ているこちらが恥ずかしくなりましたわ」
視線の先には、四人の令嬢。そのうちひとりを取り囲むように、三人の令嬢が扇子を顔の前で揺らしながら笑っている。
取り囲んでいるのは、モルナン公爵家、エリオット子爵家、ランベール伯爵家の令嬢だ。
あたしは、令嬢に取り囲まれている残りのひとりの女性を見た。
あれは……新興貴族ベルモンテ男爵家のご令嬢、カトリーヌだったかしら。
淡いブルーのドレスに身を包んだ華奢なその姿は、三人の豪奢なドレスと比べると明らかに見劣りしている。
なるほど、分かりやすいいじめの構図だ。
「そんなにうつむいてばかりでは、せっかくの首飾りも安物に見えますわよ? いえ、もともと安物なんでしたっけ?」
皮肉を吐きながら、モルナン公爵令嬢がカトリーヌのドレスの裾を強く踏みつける。布地が引きつれ、カトリーヌは小さく悲鳴を上げてその場に座り込んだ。
「まあ! ごめんなさい。せっかくのドレスがよれてしまいましたわ。でも……粗末な生地だから仕方ないわよね」
エリオット子爵令嬢は嘲るように微笑み、座り込んだカトリーヌの顎を、扇子の先でぐいと持ち上げた。
「顔を隠しても無駄よ。せっかくですから、その惨めなお顔を皆さまにお見せして差し上げなさいな」
カトリーヌの瞳にはうっすら涙が浮かんでいる。三人の令嬢たちは、それを見てますます楽しげに笑った。
……うわぁ。また、ベタな。
どうやらあたしは、いじめの現場に居合わせたらしい。
どんな世界でも、女は集うとすぐに弱いものいじめをする。
「……くだらない」
暇つぶしにしても、もっと生産性のあることをすればいいのに。
あたしは方向転換をして、さりげなく令嬢たちへ近寄った。
「ごきげんよう、みなさま」
笑顔で割って入ると、令嬢たちは驚いたように目を瞬かせてから、すぐに背筋を伸ばした。
「ま、まぁ、ミレイユさま……ごきげんよう!」
周囲の令嬢や令息たちが、なにごとかとこちらへ視線を向ける。
「あら?」
「ミレイユさまが止めに入られたわ」
ちらほらと囁き声が漏れ聞こえ始めた。
「ミレイユさま、どうなさいましたの?」
「ごめんなさい。今のお話、聞こえてしまって……」
あたしは、中央で座り込んだまま俯くカトリーヌに声をかける。
「カトリーヌ、ごきげんよう」
「……ミレイユさま」
するとカトリーヌは、うつろな目であたしを見上げた。あたしは微笑む。
「分かるわ。舞踏は得手不得手がございますものね? でも、あなたも練習を積めばきっとすぐに社交界を彩る花となれますわ。ほら、立って」
カトリーヌの手を引いて立たせると、あたしは彼女の手を取る。
「踊りますわよ。わたくしに合わせて」
「えっ……」
「大丈夫。わたくしにまかせなさい」
やわらかい調子で言いながら、ステップを踏む。すると、それまで所在なさげに俯いていたカトリーヌは、たちまち頬を赤く染めた。
「ミ、ミレイユさま……あの」
あたしは踊りながら、こっそりとカトリーヌに耳打ちする。
「顔を上げなさい。泣いていたって、王子さまは助けになんて来てくれない。未来はじぶんで切り拓くものよ」
「っ!」
カトリーヌがハッとしたように顔を上げ、あたしを見る。
「大丈夫。あなたは美しいわ。もっと自信を持って」
「……っは、はい!」
それからカトリーヌと軽く一曲を踊り終えると、あたしはその場を離れた。
直後、「わたくし、あなたたちとはもう縁を切りますわ!」という大きな声があたしを追いかけてきた。
あたしはひっそりと口角を上げる。
そうよ。それでいいの。
泣きながら王子さまを待っていたって無駄。
この世界は弱肉強食。弱いままでは強者に食い物にされるだけ。
もっと賢く、もっと強かに立ち回らなきゃ。
「……あたしもね」
あたしは、ひっそりとつぶやきながら、ひとごみに紛れた。




