第二話 ②
お母さん殿は明るい笑顔を俺に向けた。
「遥との入れ替わりが元に戻って、あなたの宇宙船が修理できるまで、この家にいてくれて構わないわよ? 他に行くアテもないでしょうし、下手にうろついて騒ぎになっちゃうのはイヤでしょ?」
よし、お母さん殿の許しが得られたぞ! これでひとまず、活動拠点は確保できたと言える。
「感謝する。あなたの言う通り、騒ぎになるのは困るからな」
「その、ナーデルっていうエイリアン? どこにいるかわかりそうなの?」
お母さん殿の問いに、俺はナーデルが言っていたことを思い出す。
「奴の目的は、入れ替わった俺たちを観察すること。故に、どこか近くに潜んでいるはず。遅くとも数日以内に、俺が見つけ出すつもりだ」
俺がそう説明すると、お母さん殿は小さく頷いて、
「私たちも、手伝えることがあれば協力するから、遠慮せず言ってね? 遥の人生に関わることだし、絶対に解決しないといけないから」
真剣な眼差しを俺に向けた。
さすがはハルカの母親だ。ハルカと同様に、その目からは揺るぎない芯の強さを感じる。親子とは似るものらしい。
「再度、礼を言う。必要とあらば、頼らせてもらおう」
俺が頷くと、お母さん殿は元のほんわかとした雰囲気に戻った。
「――そのしゃべり方、なんだか、遥が堅実なキャラになったみたいで笑っちゃうわね」
「笑わないでよ。仕方ないでしょ? クロウはわたしの格好で学校へ行くなら、しゃべり方もなるべくわたしに似せて!」
ハルカが唸る。
確かに、しゃべり方が違えば、傍から見れば奇妙に感じてしまうだろう。
「善処する」
これもタクとの約束を果たし、柔道を教わるためだ。
「ふと思い出したけど、遥は明日、学校で数学の小テストがあるのよね? クロウちゃんが代わりに行ってくれるの?」
「そのつもりだ。レプティリアンの知識を用いれば、テストも問題なく倒すことができると考えている」
「まぁ、頼もしい」
概ね、明日の活動内容も定まったな。
「クロウ、宇宙のこととか、いろいろ教えて?」
タクが待ち兼ねたように俺を見つめた。目が輝いている。
「だーめ。今日はもう寝るの」
お母さん殿が言うと、タクの目の輝きは失われた。
「俺は、この家の見張りに立とう」
「見張り?」
お母さん殿がきょとんと首を傾げた。
しばらくこの家に住まわせてもらうのだ。これくらいの協力はして然るべきだろう。
「レプティリアンは狩りをする際、獲物を追って三日三晩、眠らず走り続けることもあるから、朝まで見張りに立つことくらい容易い(たやすい)」
山にいたときにフェイスマスクの機能で調査していたのだが、地球の一日は二十四時間。朝まではあと十時間もないだろう。その程度の時間なら、ほとんど疲れもしない。
「クロウちゃんはタフなのね。でも、今のあなたの身体はハルカよ? 人間の身体はだいぶ勝手が違うと思うわ」
「そうよ! わたしは徹夜とか無理なタイプだし、肌も荒れちゃうんだからちゃんと寝て!」
「お、おう……」
そうか。人間はレプティリアンよりも身体が弱い。つい、俺の元の身体の水準で考えてしまった。
「見張りに立たなくても、この街は治安良いから大丈夫だよ……」
と、目の光を失ったタクは元気も無い。
「では、俺はどこで休めばいい?」
「今日は居間で寝てちょうだい? クロウちゃんは悪い子には見えないけど、まだ初対面だし、一応私の目の届くところにいてもらいたいの」
お母さん殿の決定で、俺は今いる部屋で、ハルカとタクは二階にあるという自室で眠ることになった。
お母さん殿は俺と同じ居間で眠るという。俺は窓側、お母さん殿は廊下側という配置だ。
俺はお母さん殿が用意してくれた、来客用の【布団】なる大きな布に横たわる。
「…………」
窓から射しこむ月明かりが、部屋を薄く照らす。
俺はみんなが寝静まっても眠れずにいた。
船の警報が鳴ってからほんの数時間で、まさか人間の布団にくるまっていようとは思いもしなかった。
今頃、兄者が率いる同胞たちは試練の惑星に到着し、成人の儀を受けていることだろう。
レプティリアンの隠語で【強い肉】と呼ばれる、凶悪で凶暴な宇宙の怪物と戦い勝利する。それが成人の儀で、若き戦士に課される試練。
俺だけがそれに参加できず、地球にいる。
自分一人だけが置いて行かれてしまったという不名誉な思いが、この静かな薄闇で俺を包み込もうとする。
だが俺は、拳を握りしめる。
俺には俺の、新たな目標ができたのだ。
人間から柔道を学び、強さを磨く。
たとえ成人の儀を受けられずとも、個の強さの追求ができるなら、俺はそれを止めたりはしない。
明日は、目標を実現するための第一歩。【テスト】という試練が待っている。
今回は肉体ではなく、知力の勝負だ。形はどうであれ、挑めることに、戦えることに、俺は嬉しさを感じた。
ここで瞼が重くなってきた。人間の身体である故だろう、レプティリアンが感じる眠気よりも心地良い。
このまま起きていてはハルカの身体に悪い。俺は抗うことなく、目を閉じた。
――目覚めたとき、薄黄色に輝く恒星が、東の空に姿を現していた。
この一帯の宇宙領域は、エイリアンたちの間で辺境と言われはするが、あの恒星の名前だけならそれなりに知られている。太陽系という惑星の集合体――その中心たる【太陽】だ。
今の俺の目――すなわちハルカの目には、太陽は眩しいながらも美しく見え、その光は暖かく感じられる。
「うーん」
お母さん殿が布団から起き上がり、両手を伸ばした。
「おはよう、遥――じゃなくてクロウちゃん。眠れた?」
同じように身を起こした俺に、お母さん殿は微笑んだ。
「おかげで、かなり休むことができた」
俺はお母さん殿にお礼を言いつつ、ハルカの身を案じる。
レプティリアンの休眠サイクルは、地球時間で換算すると最短でも丸二日は経たないとやってこない。故に、もしかするとハルカのほうは、ほとんど眠くならなかった可能性がある。
もしそうなら、ハルカとしては慣れるまでやりづらいだろう。
その点に配慮するなら、やはり、できるだけ早くナーデルを見つけ、入れ替わりを解くのが最善策。
柔道を学ぶことがずっと念頭にあるが、優先順位を違えてはならない。
今日の試練――【テスト】を乗り切ったら、次はナーデルだ。
「お父さんも、おはよう」
と、お母さん殿は、居間の角に置かれた四角い木製の箱――その中に立て掛けられた人間の顔の前に座り、細い棒に火をつけた。昨日はあまり気にしていなかったが、改めて見ると気になる。
「その木箱――人間の顔が見えるが、それは何だ?」
「お仏壇って言ってね、亡くなった人の写真を立てて、お祈りをするものなの。この写真は、遥と拓のお父さん」
写真とは恐らく、特定の情景を画像として保管する技術のことだ。エイリアンの中にはそうした画像に価値を見出す種族もいる。
「オトウサンとは、父親のことか?」
「そうよ? タクが生まれてすぐ、事故に遭ってね――今は天国にいるわ」
「テンゴク……」
テンゴクというのはよくわからんが、お母さん殿の様子から察するに、もうここには居ないということなのだろう。
「死んだのか?」
「ううん。私たちの心の中にいるわ」
俺の問いに、お母さん殿は小さな微笑みを返した。
心の中にいる。つまり、記憶として残っているという意味か。
「不思議な言い回しだな」
「人間は感性に富んだ種族なのよ。その分傷つきやすいの。けど、今は平気」
ふむ。この、空条という一族は、家族の一人を失った悲しみを越えて生きているのだな。
「――さてと、ご飯の支度しなくちゃ」
お母さん殿は居間を出て朝食の用意を始め、ハルカとタクが起きてきたところで布団を脇に重ね、食事をすることになった。
レプティリアンは己の身体の頑丈さについて、銀河で最強を自負する存在。基本的に、外部から侵入してきた細菌からも毒素からもほとんど影響を受けないため、なにを食べても腹を下すことはない。
故に、人間が食しても問題ないものは、レプティリアンも食べることができると見た。
「クロウちゃんは、どうやってごはん食べてるの?」
フェイスマスクに覆われたハルカの顔を見たお母さん殿が、俺を振り向いた。
「マスクの端にあるスイッチを押すと、マスクの下半分が開いて、口部が露出する。その状態で獲物を咀嚼するのが一般的だ」
俺はハルカの白い指で、顔の左側――耳のあたりを指差す。
それを見たハルカが、俺の指で左耳のあたりに触れる。
すると、『ブシュ』という、密閉ガスが小さく抜ける音がして、フェイスマスクの鼻から下側が変形。パカリと両サイドに開くと、そのままアームで斜め上まで引き上げられた。
そうして、マスクがより鋭利さを増したデザインに変形したところで、レプティリアンの口が露わになった。
口の大きさは人間と同じくらいだが、唇から突き出す形で上下に二本ずつ、計四本の牙が生えているのが特徴だ。
この太く長い牙で獲物を突き刺して固定し、口に生え並ぶ歯で少しずつ咀嚼するのだ。
特に、生きたままの暴れる獲物を喰らう場合に重宝している。
「オットセイみたいな形の牙だね。小振りだけど」
タクが感想を述べた。
恐らく、動物の名前だろう。そのオットセイよりも小振りなのか。負けた気分だ。
「顔は人間と違うって言ってたけど、牙以外は、けっこう人間寄りだね!」
タクはさらに、俺の顔を食い入るように見つめる。
「肌の色も違うぞ。人間は文字通りの肌色、レプティリアンは深い緑色だ」
「それはそうだけど、なんというか、顔の形が人間と似てるんだよね。大きな顎のラインとか、割と人間の顔でもよく見るし」
タクは言いながら、テーブルに並ぶ料理に二本の細い棒を近づける。
さっき聞いたのだが、箸といって、人間が食時の際に使う道具の一種とのことだ。
「こら。いただきます言ってから箸つけなさい」
と、お母さん殿が注意し、タクは箸を引っ込めた。
「それじゃ、今朝はクロウちゃんも一緒に、いただきます」
「「いただきます」」
「……いただき、ます」
三人が同時に呪文のようなものを言ったので、俺も同じように言ってみる。
「いただきますっていうのは、その時手に入った食材に対する感謝を示す言葉なの」
不思議に感じていた俺に、お母さん殿が教えてくれる。
「ふむ。自ら獲得した獲物に、感謝をしているのか」
レプティリアンには無い考え方だ。
「もう、やっぱり持ちづらい!」
ハルカは硬く伸びた爪に邪魔されて、箸を思うように扱えないでいる。
逆に俺はというと、ハルカの細い指で問題なく箸を持てている。爪も短く綺麗に切り揃えられているので扱いやすい。
「クロウちゃんは器用ね」
初見で箸の使い方をマスターする俺を見て、お母さん殿は感心したように言う。
「運動センスは、並みの生物よりも優れているからな」
少し得意な気分になった俺は、箸で掴んだ白い粒の塊を口へ放り込んでみた。
ほかほかとした熱を舌に感じ、それから瑞々しい香りと食感が口いっぱいに広がる。
「炊き立てのお米、食べたの初めて?」
というお母さん殿の質問から、この白い粒はオコメと呼ぶことがわかった。
「うむ。……これは、噛めば噛むほどうまいな。気に入った」
俺はさらにお米をパクつき、タクが赤い色をした器に注がれた液体を啜っているのを見て、同じようにやってみる。
お米とは違う香りと塩みを感じる味わい。この液体はミソシルと言うらしい。
「……」
ハルカは力加減に慣れていないのか、箸で摘まんだ黄色い塊を空中で潰し、崩壊させている。