第二話 脳筋エイリアン、学校へ行く ①
山を降りた俺たちは、タクに着いていくかたちで、人間の家々が立ち並ぶエリアに入る。
山の上からさっき見渡した街には多くの明かりが灯っていたが、今いるエリアは、比較して明かりが少ない。今の俺の顔にはフェイスマスクが無いから位置の特定はできないが、たぶん、山の上から見えたエリアとは別の場所だろう。
暗い時間帯なこともあってか、他に人間は見当たらず、どの家も明かりが消えていて静かだ。
「今、人間はみんな寝てる時間帯だから、大きな声は出さないで」
「見張りの戦士もいないのか?」
「今の日本は平和だから、基本的にはいない。争いは無いに越したことないし」
ハルカが答えた。
ふむ。人間は戦いを好まないと見える。
「ぼくたちの家はここね?」
タクがハルカの巨体を見上げるが、
「あ、ごめん。こっちだった」
と、俺の華奢な身体に視線を移した。
ハルカたちの家は、【空条】というネームプレート付きの、高さ二メートルほどの石の壁に囲まれていて、なんらかの金属でできた柵の先に、なにやら半透明の、半弧を描く形をした屋根があり、その屋根下の空間を抜けた先に、これまた金属製と思われるドアが見えた。
「このネームプレートは、お前たちの一族の名前か?」
「当たり。苗字って言って、名前の先につく。空条って読むの」
ハルカが頷いた。
クウジョウ・ハルカに、クウジョウ・タクか。
タクが柵を開けてドアの前まで進み、俺を振り返る。
「クロウ、ジャージのポッケから鍵を出してくれる? たぶん、姉ちゃんが戸締りして出てきたから」
「鍵?」
俺は首を傾げつつ、ハルカが纏う衣服を見下ろす。
黒をベースに、手足の両サイドに白いラインが入った上下の衣服。〝ジャージ〟と言うのか。
「これがポッケ。ポケットとも言う。鍵はこの中に入れてある」
俺の姿をしたハルカが、長い爪の手で、俺の履いている衣服のポケットを指差した。
「ポケットくらいはわかる」
俺はそう言って、ポケットから銀色をした鍵を取り出し、タクに渡す。
人間は重要なものを布の中にしまうらしい。
レプティリアンは手の爪といい、持ち前の腕力といい、ヤワなものはすぐ壊してしまう。故に、入れ物も基本的に金属製だ。
『ガチャリ』と音がして、タクがドアを開けた。
「このドア、薄すぎないか?」
「え? ドアはどこの家もこんなもんだよ?」
「俺が軽く殴っただけで穴が開きそうだぞ。俺の故郷は、居住区のドアは分厚い金属製で、敵襲に備えて迎撃用のレーザー兵器が常備されている」
俺の指摘に、タクは目を丸くする。
「クロウたちは家の戦闘力も高いんだね!」
「感心するとこじゃないでしょ。変な気を起こさないでよ? クロウ。 薄いドアでも、人間に対してはしっかりと防犯性あるんだから」
と、ハルカ。
「無論、壊そうなどとは思っていない」
「どうぞ」
タクが靴を脱いで家に上がり、俺を手招いた。
人間は、靴を脱いで入室するのか。
俺は見まねで、履いている靴を脱いだ。ハルカの、白く小振りな素足が覗いた。
「クロウのこれ、ブーツ? どうやって脱ぐの?」
大柄な体を縮こまらせて家に入り、ドアをそっと閉めたハルカが、今度はそう聞いた。
「留め金がブーツのサイドについているから、それを横にスライドさせて解除しろ」
「こうか」
ハルカは金属製のブーツを脱ぎ、ドシリと通路に踏み出す。
レプティリアンの指は手が五本、足は三本なのに対し、人間は手足ともに五本指だ。
「とりあえず、クロウはわたしと一緒に居て。お母さんが帰ってきたときに二人並んでたほうが、説明しやすいだろうから」
「了解した」
「ぼくもいる!」
「あんたも明日学校なんだから、今日はもう寝なさい。クロウへの質問は明日の夕方」
「なんでだよ! 姉ちゃんだけずるい!」
なんというか、さきほどからずっと思っていたことではあるが、ハルカの口調は本来の俺とかけ離れているため、まるで俺がまったく違う性格になったような感じがする。
「まぁ、寝ろって言っても、こんな状況じゃさすがに寝られないか……」
ハルカは肩を竦めて、通路を少し進み、左側にぽっかりと開いた長方形の穴へと入る。
通路の向かって右側には、上の階へと続く階段がある。
正面奥には窓付きの、木製と思しきドア。
家の中でも、目的に応じて複数の区画が存在する点は、レプティリアンの住居と同じだ。
俺はタクと共にハルカを追って、左側の穴へ。
と、その先に長方形の空間があった。高さは二・五メートル、横幅が四メートル、奥行きが五メートルほどある、ドアで仕切られていないタイプの部屋だ。
「ここが居間って言って、家族みんなでくつろぐ部屋。今夜はここで休んで、お母さんの帰りを待つの」
ハルカが説明し、分厚い布で作られた横長の椅子に腰を下ろす。
次の瞬間、バキィ! という、何かが折れるかのような音がして、ハルカが座った長椅子が陥没した。
「はぁ⁉」
ハルカが頓狂な声と出して飛び上がる。俺の声帯、そんな裏返った声出せたのか。
「なにしてんだよ姉ちゃん! お母さん怒るよ?」
「わざとじゃないわよ! この身体が重すぎるの!」
両手をワナワナと震わせて、ハルカが狼狽えている。
「俺の体重は一五〇キロほどあるから、気をつけてくれ」
俺は忠告し、長椅子の傍にあった、四本足の木の板にどっかりと座る。
「それ先に言ってよ! あとそこはテーブル! 座るとこじゃない。床か長椅子に座って!」
翻訳結果・テーブル=道具を置き、作業や食事をするのに用いる家具。
「すまない」
俺はおもむろに立ち上がり、床にあぐらをかいた。
「それ行儀悪いから、座るときはこうやって。正座っていう座り方ね?」
ハルカが両の膝を揃えて足を折り曲げ、その上に尻を乗せて座る。
初めて見る座り方に戸惑いつつも、俺は倣う。
ハルカの細い身体は体重も軽くしなやかで、スムーズに正座することができた。
「――あイタ! なにこれ」
俺が正座すると、ハルカが獣の如き唸り声で正座の姿勢を崩し、片手で足を擦る。
俺の身体は重いし、正座など生まれてこのかたやったことがない。恐らく血行が詰まり、痺れと痛みが襲ったのだろう。
「慣れないことはやらないほうがいいと聞くが」
人間の姿をした俺が、レプティリアンの姿をしたハルカに言うものだから、中身の精神に反して妙なおかしさがある。
「なんでわたしが注意されてるみたいな構図になるのよ……」
今度は、悔し気に唸るハルカがその場にあぐらをかく。
「あぐらは行儀悪いんじゃないのか?」
「あなたの身体の場合はいいの! 女の子はあんまりやらない方がいいって話!」
「ふむ……」
人間のメスは繊細な考え方をする。今回のように学んだことを活かし、一挙手一投足に気を配らなければなるまい。
「あれ、この音――?」
と、ここでタクが声を上げた。
家の外が明るくなり、何らかの機械音と共に、大きなものが接近してきた気配がある。
「うそでしょ⁉ なんで今、――ぎゃ!」
ハルカも耳にしたか、立ち上がろうとして尻もちをついた。まだレプティリアンの身体の操作に慣れていないのか。
「どうした?」
すっと立ち上がって、俺は二人を交互に見る。
「車の音! お母さんが帰って来たんだ!」
「出張というやつを早く切り上げて、帰ってきたということか?」
「たぶんそう!」
タクは頷いて、出入口の方へ向かう。
「クロウ。お母さんにはわたしが説明するから、適当に話を合わせて。間違っても戦おうなんて思っちゃダメだからね? うちのお母さん、わたしより強いから」
ブルブルと両足を震わせながら立ち上がるハルカ。正座の痺れがまだ残っているようだ。
レプティリアンは肉体こそ頑丈だが、痺れには弱い。
「ハルカよりも強いだと⁉ それはつまり、柔道の達人ということか?」
「ううん、お母さんは柔道やってない。でもなんかわかんないけど、とにかく強いの」
「マジか……」
とても気になる!
自分よりも強い存在に、この短時間で続けて会えるとは! 気分も高まってきた!
たちまち、身体の奥底から並々ならぬ闘争心が沸き起こるが、俺は深呼吸で抑える。
そこで、家のドアが開く音がした。
「お母さんお帰り! 早かったね」
「あら? 拓、まだ起きてたの?」
「お母さんに話さなくちゃいけないことがあってさ!」
ハルカより年配の、メスと思しき声がして、タクが応じる。
「なに? またお姉ちゃんとケンカしたの?」
「ちがう。エイリアンが来たんだよ!」
「そういう夢を見たのね。もう遅いんだから寝なさい」
興奮気味に話すタクを、母親は微塵も驚くことなくいなしている。
「夢じゃないよ。学校の裏山でさっき会ったの。宇宙船が故障して帰れないから、いったん家に匿ってあげたんだよ」
スタスタと、二つの足音がリビングに近付く。
俺はハルカと顔を見合わせ、頷いた。
ハルカは頷き返し、リビングの出入口に向かって立つ。
タクに続くかたちで、母親が姿を現した。
顔立ちはハルカと似ており、背丈も同じくらい。身体つきはハルカよりも少しふくよかで、胸も大きい。
「ッ⁉」
俺は不覚にも、このメスが放つオーラに気圧されてしまう。
ハルカよりも強いという母親からは、何かとてつもなく大きな気配を感じるのだ。ハルカにもタクにも無い、超越的な存在感。
俺の研ぎ澄まされた本能が告げる。雰囲気こそ穏やかだが、この人間は武術に精通している!
ただそこにいるだけで俺を圧倒してくるとは、相当な戦士だ!
もう、『メス』や『母親』などと、広義的で無礼な呼び方はするまい。
お母さん殿と呼ばせてもらおう。
「お、お母さん。落ち着いて聞いてほしいんだけど」
およそ人間のものではない、重く低い声が部屋に響き、ハルカのフェイスマスクと母親の顔が対面した。
口元に手をやって、お母さん殿は僅かに目を見開いた。
「ど、どちらさま?」
最悪、悲鳴が出てパニックになることも考えていた俺だが、思いのほか平然としている。
「わたし! ハルカよ。信じられないだろうけど信じて!」
「遥? え……」
お母さん殿は困惑したように、俺とハルカを交互に見る。
「お母さん殿。お初にお目にかかる。俺の名はクロウ。遠くの銀河から宇宙を旅してやってきたレプティリアンだ」
ハルカの身体で片膝を床につき、胸に手を当て、俺は名乗る。
これはレプティリアンの平服のサイン。自分よりも目上の存在や、自分が強さを認めた相手に対してのみ見せる、敬意の構えだ。
「そっちにいるのは確かにわたしだけど、中身が、――精神が違うの。今、わたしはエイリアンと精神が入れ替わってる」
ハルカが続けた。
「たしかに、普段の遥とはなんだか雰囲気が違うけど、本当なの? クロウだか誰だか知らないけど、娘と一緒になって私をからかってるなら怒りますよ?」
お母さん殿は言いながら、俺の方をじっと見てきた。
見た目こそハルカだが、中身はレプティリアンの戦士だ。それを見透かされているようで、緊張が全身を迸る。
「出張帰りの休息の頃合いにお邪魔して申し訳ない。これには複雑で怪奇な理由があるのだ」
ハルカの声で俺が言うと、お母さん殿は、ハルカの精神が宿る巨体に顔を向ける。
「遥。あなたが本当に遥なら、自分の好きな食べ物、言えるわよね?」
「さばの塩焼き」
お母さん殿の問いに、ハルカは俺のイカツイ声で即答した。
その巨体も声も人間とは思えない。そんな存在の口から、人間の食べ物の名前が出たのだ。
それが自分の娘の好物であるなら、多少の説得力はあるだろう。
「あらぁ……」
再び口に手をやって、お母さん殿はつぶやいた。
「どういうことなの? どうしたらそんな、エイリアンさんと入れ替わるの?」
「話、聞いてくれる?」
「詳しく話してちょうだい。とりあえずみんな――」
お母さん殿は、俺たち全員に座るよう促した。
ハルカは巨体の腰を床に下ろし、タクは長椅子に座る。俺はタクの隣に正座した。
お母さん殿は俺たちと向かい合う形で、さきほどハルカが陥没させた長椅子に座って、
「あら! ちょっと、ソファ壊れてるじゃないの。誰がやったの?」
と、たった今気づいた様子で声を上げた。
「……」
沈黙が流れる中、床であぐらをかいたハルカがそろりと手を上げた。
「遥!」
「はい」
ハルカは誰に言われるでもなく、自分から足を正座に組み換え、ものの十秒ほどでプルプル震え出した。
俺は、そんな|ハルカ(俺)の身体を第三者の視点で眺めるわけだが、自分が怒られているような気がしてくる。
「今は入れ替わってる状況だから仕方ないけど、加減に気をつけなさい」
「はい」
ハルカはこくりと頷いた。
お母さん殿は、ハルカから今に至るまでの経緯を聞いた。
「まさかそんな、漫画みたいなことが起こってたなんて、お母さんびっくりだわ。それにしても――」
驚愕したお母さん殿だが、すぐに気を取り直し、タクに顔を向けた。
「拓はこんな遅い時間に、勝手に家を飛び出さないの。お姉ちゃん困っちゃうでしょ?」
「ごめんなさい」
小さな身体をもっと小さくして、タクが上目をお母さん殿に向ける。
「まぁ、今回はそれが功を奏して、クロウちゃんを助けてあげられたから良しとするわ」
クロウちゃん?