第一話 ⑥
「それにしても、なんて長い爪なのよ。肌も爬虫類みたいにゴツゴツしてるし……」
武器を拾ったハルカは、|自分(俺)の手――鋭い爪を見て言った。
「爪が長いのは、素手での戦いになったとき、必要に応じて敵を切り裂くためだ」
「これじゃあ、ペンとかうまく握れないじゃないの。テスト用紙だって裂いちゃいそう」
人間よりも高い戦闘力を備えた俺の手を、なぜそんなに不服そうに言うのだ?
「それからドレッドヘアーの髪も、ぜんぜんサラサラじゃないし……」
ハルカは、今度は頭部の側面から後頭部にかけて生える、黒色で先細りの髪の毛を摘まむ。数十本ずつ束にして結わえたものだが、人間の間ではドレッドヘアーなる呼び名があるようだ。
「とにかく、俺が言う通りに武器を装備してくれ」
テストとやらが何を意味するのか翻訳できなかったが、今はそれどころではない。
俺はハルカに指示を出し、ハルカは言われた通り、俺の武装をその巨体に身に着けていく。
しかし、さきほどからハルカには驚かされっぱなしだ。
その格闘能力といい、俺と同様に初めての体験であろう、『入れ替わり』に対する適応力といい、動じつつも絶望はせず、折れない精神の強さを感じる。
「とりあえず、家に戻ろう?」
「それしかないか……」
「案内してくれ、タク」
タクの提案に俺は頷き、三人で山を降り始めた。
「姉ちゃん。明日のテスト、その姿で行く気だったりする?」
先頭を歩くタクが、ハルカの巨体に顔を向ける。
「さすがに無理があるから、今方法を考えてるところよ」
「テストとは何だ? 強いのか?」
ハルカの声で、俺は問う。
「テストっていうのは、人間の学力を試す行事だよ。これで良い点数を出せば、良い成績がもらえて、進学とか、就職の役に立つんだ」
タク曰く、テストとは、己の知力の高さを示すための試練らしい。
なるほど。人間は戦闘能力の高さだけでなく、知性の高さにも価値を感じているのか。
「そのテストとやら、ハルカの姿をした俺が挑むのが良作ではないか?」
俺の巨体の身長は二・二メートルほどあり、人間の平均を大きく上回る。そのうえ分厚い筋肉と武装の数々だ。どう考えても、この姿で人間の活動地域を出歩けば目立つ。
仮に街に繰り出したとして、いくらハルカが知人に、精神は自分自身であると説明しても、見た目も声も別の生命体なのだ。すんなり理解を得られるとは思えん。
「いやいや、地球外から来たクロウには無理でしょ。いくらわたしの姿をしてるからって……」
ハルカが片手をふりふりと横に振る動作を見せた。否定のサインか。
「でも、クロウはぼくたちよりもずっと進んだ文明の出身だよ? なにかできるかもしれないじゃん」
タクは俺がハルカの姿でテストに挑むことに肯定的だ。
ハルカたちが手にする小さな照明器具といい、さっき垣間見た街の光景といい、俺の故郷に比べて文明の科学水準はかなり低いと見える。
恐らく、知力の水準も同様と言えるだろう。
宇宙規模で見れば、知力では低く見られることの多いレプティリアンの俺でも、この低水準の地球であれば、やりようによっては、知力でも戦える可能性は充分ありそうだ。
「クロウ、学校で変なことしそうでイヤ」
ハルカが首を横に振る。これも否定のサインと思われる。人間は表現手法が複数あるようだ。
「学校というのは、テストを受ける闘技場のことか?」
「ちがう。でも、テストを受ける場所って解釈は合ってる」
と、ハルカ。
それもそうか。要求されるのは戦闘力ではなく知力だ。であれば、動き回れるような広い場所で行う必要もないのだろう。
「こうしないか? ハルカ」
「え?」
「俺はお前たちの家に行き、タクの質問に答える。さらに、ハルカの姿を借りて学校へ行き、テストとやらを倒す。その代わりに、ハルカは俺に柔道を教える」
と、俺は交渉を持ちかける。
この提案は俺だけでなく、ハルカにもタクにもちゃんとメリットがある。ハルカに関してさらに言えば、テストというのはハルカにとって価値のあるものらしい。故に、形はどうであれ、テストには参加することを望むはず。悪い話ではないはずだ。
『エイリアンってみんな、そんなに自分勝手なの?』
さきほどハルカが言い放った一言を、俺は覚えている。
人間は、他者から都合を押し付けられることに抵抗を感じる種族だと見た。宇宙の他の種族でもありがちなこと。
レプティリアンも例外ではない。こちらから一方的に押し付けることは気にしないが、相手にそれをやられると無性に腹が立つ。
俺は人間の反応から学び、自分の要求を一方的に言うのではなく、相手の望みを汲み取り、ためになることを提示したというわけだ。
「提案はありがたいけど、ちょっと考えさせて。問題は他にもあって、直面するタイミング的には、そっちの問題の方が先なのよ」
ドシリドシリと歩きながら、ハルカは言う。
テストという問題よりも、先に直面する問題があるだと?
「他の問題とはなんだ?」
「お母さんが、明日の朝帰ってくるの。あなたのことをどう説明したらいいのか、今はそっちを先に考えたい」
そうか、親が……。
「お前たちの親は、俺のようなレプティリアン、――いや、もっと広義的に、エイリアンのことをなにか知っているか?」
この問いにはタクが肩を竦める。
「ぜんぜん。テレビとかでたまに特集組まれて、それを見てたりはするけど、半信半疑で、あんまり興味ないっぽい」
「それを逆手に取ってさ」
ハルカが口を挟む。
「うちのお母さん、あんまり深く考えないタイプだから、うまく誤魔化せるとは思うんだけど、問題はその先にあるというか……」
ハルカは、街の人間たちに俺の姿が目撃され、それがきっかけで騒ぎになることも懸念しているだろう。恐らく、親がその第一号になることを考えて、判断に迷っているに違いない。
「俺の事を誤魔化すのではなく、ありのままに説明するのではダメなのか?」
「それもアリっちゃアリなんだけどね。お母さん天然だから、ポロっと周りに言いかねないの」
「お母さんにはぜんぶ話して、どうにかそれを外に漏らさないようにしてもらうしかなさそうだね。逆に、お母さんさえ説得できれば、クロウを家に匿えるよ!」
と、タクがまとめた。
いいぞ。これはしばらくの間、ハルカたちの家で生活を共にする流れ!
困難もありそうだが、これもハルカから柔道を学び、己の強さを追求するためだ。
「クロウの顔って言うか、視界? これ、どうなってるの?」
ハルカは俺の姿になり、身体的特徴もすべて俺のそれを引き継いだ状態。つまり今のハルカには、レプティリアンとしての視界があるということ。
人間としての視界を得た俺が驚いたのと同じく、ハルカも異質な体験をしているに違いない。
「レプティリアンの母星は基本的に、光が弱い惑星で、終始暗い世界だ。故にレプティリアンは、視覚があまり発達していない。それを補うために、視覚補助カメラ付きのフェイスマスクを装着している。お前が顔に装着しているのがそれだ」
「だから、さっきから顔に何か貼り付いてる感じがするわけか。要はお面ってことね」
小さく頷いて、ハルカは続ける。
「これ、地球ではずっと付けてないとダメなの?」
「いや。地球の大気はレプティリアンにも適しているから、マスク無しでも生存可能だ。だが、視力が衰え、言語の翻訳ができなくなる上、顔の形が人間と違うがために、エイリアンだとすぐにバレる」
「生存できるなら安心だけど、視力が衰えちゃうのは考えものね。今、あなたの身体には、わたしの精神が入ってるわけだし、ちゃんと適応できるかどうか……」
ハルカは俺の逞しい腕で、自らを抱くような仕草を見せた。
安心したという感情表現の一種なのだろうか? あるいは、俺の身体のことを気遣ってのことか? ここまで豊かな表現技法を持つ種族は見たことがない。
「……やばい。わたしがクロウの立場だったら、今頃正気じゃなくなってるよ」
「それって、入れ替わったから?」
しばし考えていたハルカが肩を縮こまらせ、タクがそれを見上げた。
「それもあるけど、あんたも考えてみなよ。自分が暮らしたことない星に、たった一人でいるんだよ?」
「うーん、……ワクワクするのとは違うんだよね?」
「SFゲームやりすぎ。お母さんもわたしもいないのよ? 恐い怪物に、リアルで襲われるかもしれない」
「でも、今の姉ちゃんみたいに逞しかったら、やっつけられるじゃん!」
「……もういい」
俺は二人のやりとりを見て、奇妙な感覚を抱いた。
今の俺は、精神がハルカの身体に乗り移っている。
そんな俺の表情が緩み、どういうわけか、少し暖かい感覚に包まれたのだ。
人間は表情筋が活発で器用に動く。この肉体的な反応を、俺は知識としては理解している。
【笑顔】だ。
俺を始め、レプティリアンは普段、ほとんど笑わず、表情筋もただ丈夫で固いだけ。比べてハルカのそれは繊細で柔らかい。
レプティリアンが抱くことといえば、強いか弱いか。それに伴う怒りや憎しみ、優越や悔しさといった感情が一般的だ。
故に俺は、自分がなぜ微笑んだのかわからなかった。
しかし、気付けば俺は、ハルカにこう言っていた。
「安心しろ。入れ替わりをもとに戻す方法は必ずあるし、俺がナーデルをどうにかして、それを実現させよう」
「クロウの姿でいることに、これからどんなリスクが待ち構えているのか、それが不安なのよ。わたしはいいけど、入れ替わりがもとに戻ったあとで苦労するのは、あなた自身なのよ?」
と、ハルカは俺を見つめて続ける。
「あなたに身体を返したとき、問題は少ないほうがいいでしょ? タクとの約束を果たしてもらうためにも」
ハルカという人間は、自分だけではなく、自分と関わる人物に派生して物事を考えている。
「ハルカは、気遣いができるのだな」
俺はそう述べた。
気遣いという概念は、ひたすら己の強さのみを追求し、他者を倒すことに重きを置くレプティリアンの文化には、馴染みの薄いものだ。
「人間はお互いに気遣いをし合って、仲良く暮らす生き物なのよ?」
「そうか。そういうものか……」
感慨深い話を聞いたぞ。
人間は、他者を気遣う精神を持ち合わせながら、柔道のような武術に長けた種族。
レプティリアンのように、己の強さのみを磨いて満足せず、他者との調和も追及している。
なんと向上心に満ちた種族だろうか。
個の強さを追求した先に至る場所があるなら、個が互いに助け合った先にも、至る場所があるのかもしれない。
俺は、それを見てみたくなってきた。
「ハルカ、タク。俺たち三人で、お前たちの親にすべて打ち明けよう。俺はこの状況を打破して先へ進むためなら、協力を惜しまないぞ。もし、俺の顔のマスクを外す必要があれば、これも認可する」
俺はこの時、自らの強さの追求だけではなく、人間の考え方にも興味を持ち始めていた。