第一話 ③
弟のタクは姉の気配に気圧されたか、一歩、また一歩と離れていく。
「お前、武器はないのか?」
ハルカが両腕を正面に構えるのを見て疑問に思い、俺はそう尋ねた。
「見ればわかるでしょ? そんなの無いよ」
確かに、ハルカの身体のどこにも武装らしきものはない。
「そうか。それは失礼した。正々堂々と言っておきながら、それを守っていないのは俺のほうだったな」
俺は謝罪の意を述べ、展開したリストブレードを格納。手首から取り外す。
同様に、肩のプラズマキャノン、背負っていたスピア、腰元のダガーやブーメランといった武装をすべて解除し、脇へ放った。
「なんのつもり?」
「そっちが素手なら、俺も素手だ」
俺は答え、両の足を肩幅よりも大きく開き、重心を落とす。
ハルカも低い態勢を取った。
戦いを目前にして、俺の心拍はより一層強く脈打つ。
ハルカのこめかみから、汗と思しき水滴が一筋流れる。
「行くぞ!」
俺は地を蹴り、一瞬で彼我の距離を詰めた。
そしてハルカの腹目掛け、腰溜めに構えた右の拳を打ち出す。
ハルカは俺の拳を身軽な動作で真横へいなす。鋭い反射神経だ。
第二撃、三撃と、連続して突き出す俺の拳を、ハルカはスレスレですべて回避してみせた。
「ッ!」
勢いを殺さず、蹴りに転じた俺の動きに、ハルカは再度反応。
俺が繰り出した足を跳躍で躱し、距離を取る。
「人間は、レプティリアンと同じように動けるのだな!」
俺が称賛の言葉を言うが、ハルカは険しい表情のまま。
今ので大体わかった。
スピードは互角だが、パワーとスタミナは俺が圧倒している。
正直、俺としてはまだ身体が温まってもいないのだが、ハルカの方はすでに消耗が進んでいる様子だ。
「クロウ、姉ちゃんに痛いことしないで!」
と、弟の声が飛ぶ。
「戦いに敗北すれば痛みを伴うのは、宇宙の摂理だ」
俺が言うと、ハルカは精神を統一し直すかのように、細く長い呼吸を行う。
ハルカの周囲を漂うオーラが研ぎ澄まされていくような気配がした。
「あなた、戦士なんでしょ? なら、約束は守るよね?」
と、ハルカは俺を真っ直ぐに見つめる。
「ああ。戦士は約束を守る」
「なら、私が勝ったら、タクに宇宙のことを教えてあげて」
「どういうことだ?」
レプティリアンが持つ情報を提供しろということか?
「拓は勉強熱心で、将来は宇宙機関で働く夢があるの。でも拓は身体が弱くて、あまり遠くへは行けない」
「病か何か、なのか?」
俺が聞くと、ハルカは頷く。
「今の地球の医療ではどうしようもなくて、……その、夢が叶うかわからないの」
「姉ちゃん、こんな時にぼくの話はいいよ! 自分で頑張って治すから!」
俺はタクを見て、その小さな身体を再度スキャンする。
フェイスマスクの診断モードをオンにした状態で。
赤色がベースの俺の視界が青色に切り替わり、タクの身体が黄色く映る。
黄色は体温を表す。その黄色の中に、黒い色の塊が見えた。ちょうど、タクの左胸、恐らくは心臓の部分だ。地球の医療では治せないものとは、この黒いもののことだろう。
タクは、その丸く小振りな顔に大粒の汗を浮かべ、俺とハルカを交互に見ている。
ハルカばかりを集中して見ていたが、タクは戦っていないにもかかわらず、肩で息をしていた。それが、身体が弱く、体力も少ないことを示している。
「あなたが本当にエイリアンなら、拓に宇宙のこと、いろいろ教えてあげてほしい」
ハルカの申し出に、俺は唸る。
「弱い者が、労せず報酬を得る道理などない。そこに如何なる理由があってもな」
弱い者はただ滅びるのみ。
強い者だけが、先へ進むことを許される。
強い者だけが、報酬を受け取る権利を得るのだ。
俺はそのように続けて言おうとしたが、
「あなたの基準だとそうかもしれないけど、何にだって限界はあるんだよ? 大変な思いをしても諦めず頑張ってる人を、ただ弱いと決めつけるのは違う!」
と、ハルカが拳を握りしめ、俺を睨んだために、思いとどまる。
弟のタクが一体どんな病で苦しんでいるのかは不明だが、ハルカは姉として、弟の立場に立って物を言っている。
ここはハルカの要求を呑み、戦いを続けるべきだろう。
拒めば、ハルカは戦いを放棄しかねないからな。
「……いいだろう」
俺は承諾し、身構える。
「ありがとう。話が通じるエイリアンだね」
ハルカが言った。
「レプティリアンだ」
「レプティリアンっていう種族なんだね!」
俺が訂正すると、タクが目を輝かせた。
タクという人間は、強さにではなく、知識に興味があるらしい。
だがこの勝負、俺が勝つのは時間の問題。この姉弟の望みは叶わない。
「ハルカ。お前の弟のためにも、強さを示して見せろ!」
俺は脚力を活かして高く跳躍。
上空からハルカ目掛けて拳を振り下ろす。
ハルカは身を翻して回避。
ハルカが直前まで立っていた地面に、俺の拳が激突。衝撃波と共に土を吹き飛ばした。
俺が繰り出した一撃のあまりの威力に、ハルカの顔に焦りの色が浮かぶ。
「俺のパワーを見たか!」
俺は抉れた地面から拳大の石を拾い上げ、ぐっと力を込める。
石にピシりと音を立てて亀裂が生じ、次の瞬間、弾け飛ぶ。
「人間の細腕では真似できまい?」
「力の強さだけじゃ、勝負は決まらないよ」
得意げに言う俺に、ハルカは冷静に返した。
「避けてばかりでは説得力がないぞ!」
俺はハルカに突進。まばたきのヒマさえ与えず、掴み掛かる。
だが、ここで予想外のことが起きた。
「ふん!」
ハルカの気迫が爆ぜ、俺の身体が宙を舞ったのだ!
俺の腕がハルカを捕らえ、ハルカが俺の腕を掴み返した次の瞬間、視界がひっくり返り、俺は背中から地面に叩きつけられた。
「なにィ⁉」
突然の出来事に、俺は思わずそう漏らす。
パワーでも体格でも勝る俺が、なぜ地面に倒れている⁉
「拓! おいで!」
ハルカは俺が倒れたのを見て、タクを連れて逃げようとする。
「まだだ! 俺は戦える!」
すぐさま身を起こし、ハルカの前に立ちはだかる。
何が起きたのかわからないが、次は確実に捕らえて、力でねじ伏せてやる!
「勝負は、どちらかが再起不能になるまで続けるのだ!」
「まだやるの⁉」
ハルカが大きく息を吐き出す。落胆の意思表示か?
「無論だ! ここへ来て、勝負を投げ出すと言うのか!」
「……わかった」
ハルカが眉宇を引き締めて再度構えたのを合図に、俺は雄叫びを上げて挑む。
だが。
「ウォオオ⁉」
俺の腕がハルカの肩に触れた途端、ハルカが身を捻り、俺の身体がふわりとして、地面の感覚がなくなる。
ハルカの腕が再度、俺の腕に絡みついた直後、またしても俺は、背中から落下していた。
「グォアアア!」
くそ、何が起きている⁉
背中で地面を陥没させた俺は溜まらず叫び声を上げた。
「柔道を知らないみたいだね?」
ハルカが言った。
聴覚センサーが、ハルカの肉声を認識すると同時に意味を検索する。
『柔道』とは、日本で培われた武道のことらしい。
だが、フェイスマスクに表示された情報はそれだけだ。
技の名前や特徴などは出てこない。
データベースに情報が少ないということは、我が祖先たちも、柔道を扱う人間には出会ったことがなく、噂程度に聞いたことしかないのだろう。
「投げられたらちゃんと受け身を取らないと、怪我しちゃうよ!」
数メートル離れたところで、タクがなにか言っている。俺に向けられた言葉だろうが、柔道に関するデータが少ないせいで、翻訳できない。
「も、もう一度勝負だ!」
「えー、三本勝負ってこと?」
フェイスマスクの下で歯を食い縛る俺とは対照的に、ハルカは困ったように眉毛を曲げる。
「そ、そうだ。次こそが最後! これで決着をつけてやる!」
さすがに二度も地面に倒されては、レプティリアンの誇りに傷がつく。もうこれ以上、倒れるわけにはいかない。
名誉を回復するには、ハルカを倒すしかない。
立ち上がった俺は重心を落とし、いつでも戦える体勢を整えながらも、ハルカの周りを回るようにして、じりじりと横移動。
対するハルカも同様に移動し、二人で円を描く。
「なんだが、映画の決闘シーンを見てるみたいだ……」
タクはまたしても、『エイガ』という、俺が翻訳できない言葉を話す。
レプティリアンの動体視力は、人間よりも優れているはず。
二度目に倒れたとき、俺は目を開けたまま、自分の状況を見ていた。
ハルカは俺の腕を左右の手で掴むと、身を捻り、背中や腰などの部位を活かした力で俺を持ち上げ、そのまま勢いに委ねるようにして投げ飛ばした。
恐らく、俺の突進の勢いを利用した技だ。攻撃を回避しつつも相手を制する合理性がある。
俺の身体の表面は、黒い網目状の保温素材で作成された肌着で覆われている。
ハルカはその肌着の部分を、恐らくは本能的に掴むことができるものと判断し、両手で器用に掴んでいた。
俺の素早い突きを躱したうえ、両手で掴み取るという早業を繰り出したのだ。
「どうしたハルカ。守ってばかりか?」
悔しいが、俺は唸らざるを得ない。
初めこそヤワな生き物だと侮っていたが、この人間――それもメスは、俺の想像を超える強さを持っている。
故に俺は、逆に相手を煽り、守りから攻めに転じさせようと試みる。
無論、恐いからではない。
俺の闘争本能が、ハルカが攻撃に転じた際にどんな技を出すのかを見たがっているからだ。
「そっちこそ、今までの威勢はどうしたの? 私が恐くて攻められなくなった?」
「この俺が、恐がっているだと⁉」
俺は全身が熱くなるのを感じた。頭に血が上り、火照るのがわかる。
「俺を誰だと思っている⁉ 銀河でも有数の優れた部族――レプティリアンの戦士だぞ⁉」
「だったら、もっと強いところを見せてよ」
と、ハルカは片手を差し出し、揃えた指を自分の方へ折り曲げる。
俺は直感で察する。あれは『かかって来い』という手振りだ!
「いいだろう! 俺の底力を見せてやる!」
俺は両足に渾身の力を込め、飛び上がった。
真上から殴りかかれば、そう容易く投げられはしまい!
ハルカは横に身を投げ出し、俺が振り下ろした拳を躱す。
粉塵が舞う。
「くそ!」
俺の全体重を乗せた一撃は、巨大な岩でさえ容易く砕ける。
だがそれも、当たらなければ意味がない。
「そんな大振りばかりじゃ、当たらないよ?」
などと、ハルカは余裕そうなことを言う。
俺は、全身がますます熱を持つのを感じた。
ぐっと噛み締めた牙がギリギリと軋る。
「俺を舐めるな!」
俺はゴロゴロゴロと喉を鳴らし、威嚇しながら攻め続ける。
ハルカはそれを見事なまでに回避し、俺が繰り出した腕を絡め取った。
来たぞ! さきほどと同じ技だ!
「ぬん!」
俺はここでぐっと堪え、勢いがそれ以上、ハルカの方へ向かないようにした。
今度は重心を後ろへ引き、ハルカが俺を投げ飛ばせないようにする。
「ッ⁉」
ハルカが驚愕に目を見開く。
さすがに、三度も同じ技を喰らう俺ではない!
こうしてがっしりと踏ん張れば、ハルカのか細い力ではとうてい、俺の身体は持ち上げられまい。
「はぁ!」
しかし、俺が油断した途端、ハルカは俺の身体を押し始めた。
ちょうど、俺の重心が後方へ寄ったタイミングだ。
俺が自ら後方へ重心を移動させた瞬間、ハルカに押されたことで、不必要な力が加わり、後ろへ倒れそうになる。
俺は両足を強く踏ん張り、今度は前へと重心を移す。
そうすれば、俺を押そうとするハルカの力と、前に出ようとする俺の力がぶつかり、俺が圧倒する形となる!
「押し倒してやる!」
もらった! と、俺が勝ち誇った、次の瞬間。