第四話 ⑥
「死なん。俺はハルカたちに、勝つと約束した。それまでは絶対に、死なん!」
「お、お前をそこまで突き動かすのは、いったい何だ! 何だというのだ⁉」
「俺にもわからん。だがな、兄者。これだけははっきりとわかる」
俺はさらに進む。
兄者はまた一歩、後退する。
「人間は、兄者が思っているよりも、ずっと強い!」
「人間が、強いだと⁉ 叩けば死ぬ、哀れなほどか細い、下等生物だぞ!」
「下等生物などと、二度と呼ぶな。そこのハルカは、卑怯な手で自分の努力を奪った相手を許した。弟のタクは、不治の病を抱えながらも笑顔を絶やさず、これまで生きてきた。二人とも、俺達にはない、精神の強さを持っている!」
兄者は取り乱したように、右へ、左へ、首を振る。
「そんなもの、戦いの役には立たぬ!」
「いいや、役に立っている! 今俺がこうして立っているのもそうだ!」
そうだ。今の俺には不思議なほど、恐れもなければ痛みもない。こんな状態に俺を導いたのは、紛れもなく精神的な因果。
「だから兄者。俺は人間と共に進みたいのだ。これからもな」
「貴様らァ! 我が弟になにをしたッ⁉」
堪らずといった風に、兄者はハルカたちに顔を向ける。
「一緒に学校行って、ごはん食べて、お話しただけだよ!」
「あと、パーティーもした!」
人間の姉弟が答えると、兄者は震える声を漏らす。
「な、なにを言って――」
「兄者。そうした他愛もないと感じる出来事にも、俺を大きく変え得る価値があったのだ」
俺は全身の無駄な力を抜き、自然体で立つ。
「お前、その構えは、なんだ⁉ 隙だらけではないか!」
「さぁな。こうした方がいい気がするだけだ」
「その立場で、俺を愚弄するか!」
兄者は唸り、身構えた。
「まさか。愚弄などせん。俺はいつでも真剣だ」
俺は、肩幅に足を開き、両腕を重力に任せてぶらりと下げた姿勢を崩さない。
「来い。兄者」
「グオォオオオオオッ‼」
兄者は拳を握りしめ、真っ直ぐ突っ込んで来た。
俺はもう一度、身を捻る。
今度は腰ではなく、片足を、兄者の足の前へ大きく差し出す。
同時に、兄者の肩、腰に腕を回し、兄者の勢いも加え、回転運動へと誘う。
もはや考えるのではなく、感じるまま、本能の向くまま、俺は動いた。
「のぁッ⁉」
兄者の驚愕。
そうして俺は、兄者を投げ飛ばす。
「大外刈り……ッ⁉」
兄者が地面に倒れ伏し、ハルカがつぶやいた。
兄者は物言わず立ち上がると、辛うじてまだ立っている俺を見つめた。
「今の一撃、見事だった」
それは、兄者が初めて口にした、称賛の言葉だった。
「人間から教わった体術か?」
俺は頷いた。
偶然というべきか、俺の人間離れした運動センスというべきかわからんが、俺が最後に繰り出したのは、柔道の技の一種らしいしな。
「……そうか」
兄者はそれだけ言って、俺に背を向ける。
「兄者?」
「決闘は引き分けとする。だが、挑戦者は何度も地に伏したにも関わらず、勝負を続行した。これは重大な掟違反であり、処分に値する!」
そ、そんな! まさか!
俺も、ハルカとタクも、息を呑む。
「あ、兄者、待って――」
「処分はッ! 辺境の惑星に追放とする!」
兄者は俺たちに背を向けたまま、続ける。
「さらなる処分として、この地球という限られた環境下で、己を磨き続けることを課すものとする!」
ハルカとタクが顔を見合わせ、嬉しそうに抱き合う。
「兄者……」
俺は、言葉が出てこない。
兄者は、俺の意志を、認めてくれたのだ。
「クロウッ!」
兄者は大声で、俺の名を呼ぶ。
俺が黙して先を待つと、兄者は両の拳を握りしめ、
「――さらばだ!」
ズシリ、ズシリと。いつもと違わぬ堂々とした足取りで、歩き去っていく。
「兄者ッ!」
俺は震える声で叫ぶ。
兄者は振り向かず、足だけを止めた。
「ありがとう」
「……」
俺の声を、その広く逞しい背で受け止め、兄者は森の中へと消えた。
去るときは潔く。
俺の兄者は最後まで、レプティリアンの戦士を貫いていた。
俺はハルカとタクに支えられて山を降りた。
そうして今居るのは、タクが通う小学校のグラウンド。
昨夜もここを通って住宅街へ向かったわけだが、人間社会の知識が増えた今、この学校という施設はハルカとタクのような子供にとっては欠かせないものだとわかる。
「――いろいろと、恐い思いをさせて、済まなかった。家も荒らしてしまったな」
安心した途端に急増した痛みに耐えながら、俺は二人に謝った。
思えば、ハルカたちに素顔を見せたのは、さっきが初めてだ。
二人は俺の本当の顔を見て、きっと恐かったに違いない。
「ううん、いいよ。クロウの素顔、カッコイイし!」
俺の予想とは裏腹に、タクは目を輝かせた。
「クロウの顔、雰囲気が人間と似てたよね」
と、ハルカも怯えた様子はまったく無い。
「二人とも、俺が恐くないのか?」
「「全然?」」
「そ、そうか」
それはそれで、勇ましい戦士を志してきた身としては、なんというか、複雑な気分だ。
「部屋だって、あとで片付ければいいし」
「ちゃんと話せば、お母さんも許してくれるよ」
人間は優しい。
「部屋の修理だが、ナーデルに頼めば、すぐに解決してくれるだろう」
「そういえば、ナーデル大丈夫かな? ぼくたちがクロウを追いかける時も、まだしばらく再生に時間が掛かるって言ってたけど」
「逢も、武器を新調してくるって言って飛び出したきりだわ……」
二人いわく、俺が兄者を追って出発してから、ナーデルは寝たきり、アイは一旦その場を離れていたようだ。
「アイなら、もうすぐ来るぞ?」
フェイスマスクを着け直した俺が、視覚カメラでアイの熱源反応を確認。
ちょうど、学校の正門に現れたアイがこちらに駆け出すところだ。
背中には、何やら大きな刃を背負っている。
ネットで見たが、あの刃は確か、三日月鎌とか言ったな。ナイフよりも巨大で殺傷能力も高そうだが、兄者に通用するとは到底思えん。
「アイツは⁉」
駆け付けるなり、アイは血走った目で俺に聞いた。恐い。
「兄者は去った。決闘は引き分けに終わり、俺は処分という名目で、この地に留まることを許された」
「――ちッ、殺しそびれたか」
「逢?」
俺もハルカも、アイが口走った物騒な台詞に青ざめる。
「逢お姉ちゃん、決闘見られなくて残念だね。クロウ、超がんばったんだよ?」
「お、お姉ちゃんだなんてそんな! ま、まるで私とはるちゃんの弟みたいだね?」
アイはいつもハルカのことばかりチラ見する。
「それはそうと、ヒドイ傷だね、クロウ」
と、アイは俺の身体を見て眉を寄せた。
「家にある医療キットを使えば、数日で回復する」
「レプティリアンって、ゴキブリより生命力高そう……」
「それは褒めているのか?」
ゴキブリは俺でも知っている。見た目が不快な虫だぞ。
そのように、俺がアイに指摘しようと時だった。
「ソイツはゴキブリ以下だァ!」
どこからともなく、男の声が響き渡った。
「ッ⁉」
視覚カメラがすぐさま声の主を検知。俺は上方――校舎の屋上を振り仰ぐ。
そこに、今日の昼間遭遇したスーツの男――リスク・ラブが立っていた!
「お前は! リスク・ラブ!」
「アイツがそうなの⁉ 組織には連絡してあったのに……」
アイが煩わしそうに男を見上げる。
「てめェら人間如きに捕まる俺じゃねェぜ!」
と、愚弄するかのように舌を出したリスク・ラブは、両手で耳を引っ張り、本来の顔を露わにした。
「うわ、肌の色汚な!」
アイが呻く。
「ンだとォ? 小娘ェ! そんなナメた口効きやがるならちょうどいい、てめェらまとめて消し飛ばしてやるゥ!」
リスク・ラブはそう言うと、両手を大きく広げ、空を見上げた。
「――ん⁉ あれはまさか!」
俺は、己の迂闊さを後悔する。
「え? 何なの?」
「奴のあの構えは、ダーク・グレイが持つ最大の攻撃技――流星弾の構えだ!」
ハルカの問いに答えながら、俺は肩部のプラズマキャノンを起動する。
「なにそれ⁉」
まだ状況があまりわかっていないのか、タクが俺を見る。