第四話 ⑤
「やだ! ぼくはクロウを応援しに来たんだ!」
「友だちを見捨てられるわけないでしょ!」
と、タクもハルカも首を横に振る。
「……立て、弟よ」
俺が動けずにいると、兄者の声が。
見れば、兄者はハルカたちの方を向いており、そこから俺に顔を向けたところだった。
「誰が、勝負は一度だけと言ったのだ?」
――兄者。俺に、チャンスをくれると言うのか?
「まだ戦えるだろう。立てぃ!」
「ぬ、おおおッ!」
俺は全身に力を込め、立ち上がる。
ハルカとタクのためにも、負けるわけにはいかない。
「兄者はやはり、誇り高き戦士。最大限の敬意を表する」
俺は覚悟を決め、フェイスマスクの固定具を取り外す。
プシュゥ! というガスが抜ける音がして、内部の気密性が解かれた。
そうしてから、俺は両手をマスクにかけ、ゆっくりと、前方へとずらし、取り外した。
この、マスクを外す行為は、レプティリアンの戦士が相手の強さを認め、敬意を表したときに行うもの。
同時にこの行為は、命を賭して戦う決意の表れでもある。
「おお……」
と、兄者は唸り、そのフェイスマスクに手をかける。
「弟よ、お前の覚悟、確かに見た! 成人の儀の執行人として認めよう。此度の決闘、命を懸けるものとする!」
兄者はそう言うと、自らもフェイスマスクを取り外し、レプティリアンの顔を露わにした。
俺と兄者の顔は瓜二つだとよく言われたものだった。
幅広の額に、窪んだ目、青く輝く瞳。灰色の肌に、人間と同じ大きさの口。その上下から生えて突き出た鋭い牙。
そして、オールバックに束ねたドレットヘア。
俺と兄者の太く束ねられた黒髪が、夜風に靡いた。
「お前が人間と共に歩みたいというなら、一人前であることを俺に証明してみせろ!」
兄者は言って、戦意の咆哮を放った。
「グォオオオオオオ!」
俺も負けじと咆哮を上げ、兄者と同時に地を蹴った。
今度は打ち合いでの消耗を避け、短期勝負で倒す!
兄者の頬目掛け、右の拳を打ち込む。
だが同時に、兄者の右拳が俺の頬を捉えた。
「ぐッ⁉」
「グォオッ!」
俺も兄者も呻きを漏らすが、しかし止まらない!
互いの身体を、アーマーで覆われていようがいなかろうが、関係なく打ちのめす。
「ぬォアッ⁉」
兄者の蹴りが俺の下腹部に食い込み、
「ぐぬッ!」
俺の蹴りが兄者の脇腹にめり込んだ。
互いに譲らぬ攻防が続き、飛び散った鮮血が辺りの草をライトブルーに彩る。
どうにかして見極めろ! 兄者にアレを仕掛けるタイミングを!
「グォオオオオオオオオッ!」
俺は一瞬距離を取ったのち、正面から突撃した。
「トゥア!」
兄者の大振りの一撃を屈んで躱し、そのまま懐へ潜り込む。
俺のタックルが兄者の胴部に決まり、兄者の巨体が後方へズルズルと移動する。
しかし、押し切れない!
「くッ!」
俺は突撃をキャンセル。真横に身を投げ出し、ごろりと転がって衝撃を逃がすと、すぐさま立ち上がり、兄者の肩に掴みかかる。
「また力比べか? もう思い知っただろう!」
兄者も俺の両肩をガシリと掴み、押し合う形となる。
やはり、強い!
だが、こちらにも奥の手はある!
それを見せるのが、今だ!
俺はハルカに掛けられた技――大腰を、記憶を頼りに繰り出した。
押しの動きをキャンセル。一瞬のうちに、引きの動きへ転じる。
「ッ⁉」
兄者の目が驚愕に見開かれる。
兄者の姿勢が前へ、――俺の方へと崩れる!
ここだ!
俺は身を捻り、兄者の勢いに乗じる。そして兄者の腕を取ると同時、腰を使って持ち上げる。
「ぬんッ!」
流れるような体捌きで、俺は兄者を投げ飛ばす――かに思えた。
だが!
「させるかァ!」
投げる寸前、兄者はフリーな片腕と両足で、俺に組み付いてきた!
「う、うぉおッ⁉」
俺は背から兄者に圧し掛かられる形となり、そのままバランスを崩し、二人同時に倒れてしまう。
くそ! 奥深い柔道の技、さすがの俺でもすぐには扱えないか!
俺は倒れた衝撃にも構わず、死に物狂いで立ち上がる。
しかし、兄者が僅かに早かった。
「グォオオオオオ!」
勇ましい咆哮が轟き、兄者の拳が、俺の顔面を的確に捉えた。
「がはッ!」
俺は視界がぐらつき、隙が生じる。
そこへ容赦なく叩き込まれる、壮絶な打撃の嵐!
「く、クロウ!」
タクの声が、聞こえた気がした。
天と地がひっくり返り、気付けば俺は、またも大地に横たわっていた。
「――ぐ、ガ」
意識が、揺らぐ。
「……やはり、人間はお前にとって害悪だったようだな」
俺を見下ろした兄者が、踵を返して、ハルカとタクへ向き直る。
「人間どもよ、我が弟を堕落させた罪、その命で償え」
いかん。兄者がリストブレードを展開した。
ハルカたちへ向け一歩を踏み出そうとした兄者の動きが、止まる。
「……なんのつもりだ?」
兄者がまた、俺を見下ろした。
自分でも気づかぬ内に、俺は片手で兄者の片足を、掴んでいた。
「まだ、だ」
「くどいッ!」
兄者の足が、俺の頭を打った。
「ぐぁッ!」
俺は一瞬頭を仰け反らせ、突っ伏す。
兄者の動きが、しかし、また止まる。
「……俺は、まだ、戦え、る!」
「トゥア!」
視界がブラックアウト。だが意識は幸い飛ばず、俺は突っ伏した顔を上げる。地面は、俺の口から吐き出された血で光っている。
「何なのだ……? いったい何が、お前をそこまで……」
「俺、は、人間から、――ハルカとタクから、大切なことを学んだ」
「放さんか!」
さすがに片手の握力では、兄者の脚力には敵わず、放してしまう。
「クロウ! 立って!」
「頑張れ! クロウ!」
ハルカとタクは、兄者に迫られても尚、俺を信じてくれている!
――俺は。
――――俺はッ!
ハルカとタクと、これからも共に居たい!
力と武器を用いるだけが、戦いではないと知れた!
ハルカとタクのおかげでだ!
「聞いてくれ、兄者。俺は、考え方を間違っていた。戦いの強さこそがすべてだと、本気で考えていたんだ。だが、人間に出会ってからの俺は、何度も驚かされた。そうして、戦いの強さだけがすべてではないことを、知ったのだ」
俺の精神を、名前のわからない感情が満たしていく。
ハルカとタクが笑っている。
お母さん殿も。
アイも。
ナーデルも。
皆の笑顔が浮かぶたび、俺の身体を温かさが包み込んでいく。
この感情が何なのかわからない。
わからないが、しかし、骨の髄から、全身から、精神の奥底から、力が漲ってくる。
拳を握る。しっかりと動く!
身体に力を込める。筋肉がうなり、膨張する。
俺は、レプティリアンの戦士ッ!
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼」
俺の雄叫びが、山を、空を、街を駆け巡る。
「なにッ⁉」
兄者が振り返ったとき、俺は立ち上がっていた。
ダメージは全身に残っている。
額が割れ、流れた血で片目は見えない。
足はガクガクと震え、右手の人差し指はおかしな方向へ曲がっている。
腹部のこの痛みと感触、あばら骨も折れているだろう。
止むことのない苦痛が襲い来る。
それでも俺はもう一度叫ぶ。腹の底から。すべてを消し飛ばす勢いで。
そうして苦痛を塗り替え、身体中を血のように暴れ回るのは、さきほどの感情。
この感情の名を、俺はまだ知らない。
だからここで、終わるわけにはいかない!
「く、クロウ、お前……」
あの兄者が、俺を見て狼狽えている。
「兄者。俺の意志は変わらん! 行くぞ!」
俺が一歩を踏み出すと、兄者は下がった。
「このまま続ければ、お前は本当に死ぬのだぞ!」
俺は首を横に振る。