第四話 ④
レプティリアンのフェイスマスクに内臓された視覚カメラは、夜の闇の世界でも、体温や足跡、呼気、音の残響など、さまざまな観点から対象を追跡できるよう、視覚補助プログラムが組み込まれている。
機械音痴の俺でも、操作法さえ覚えてしまえば難なく扱える優れものだ。
俺は視覚カメラの補助もあって、距離が開いた兄者に充分追随することができた。
宵闇の中、人間の体温は黄色く表示されるのに対し、兄者の体温は赤く表示されるため、よく目立つ。
「――ここか」
俺が辿り着いたのは、タクが通う小学校の裏山――その頂上広場。俺の地球ライフが始まった場所だ。
「お前が初めて地球に降り立った地であり、俺がお前を追って降り立った地でもある。双方が地形を把握している点で、決闘の場として対等だろう」
「ああ……」
それが兄者の言い分で、俺は首肯し、同意を示す。
相対する兄者との距離はおよそ二十メートル。
「弟よ、用意はできているか?」
「勿論だ、兄者」
一陣の風が吹き抜け、雲間から射しこむ月明かりが、頂上広場を照らした。
俺が背からスピアを抜き放つと、兄者も同様に身構えた。
「――行くぞ兄者!」
「来い!」
咆哮を轟かせ、俺は勢いよく駆け出した。
彼我の距離を一気に詰め、真正面から突進――スピアを突き出す。
兄者は俺の突きを横に躱し、カウンターの突きを放つ。
俺はそれを屈んでやり過ごし、身を回転させ、今度は横薙ぎの一撃。
兄者は縦に構えたスピアで俺の薙ぎを受け止めた。
「トゥアッ!」
兄者が気迫と共に俺のスピアを弾く。
俺は後方へバランスを崩しかけるが持ち直し、スピアを頭上から振り下ろす。
今度はスピアを横に構えて受ける兄者。
互いに弾き合い、一度距離を取る。
――互角!
俺の腕が決して落ちぶれていないことを証明できたはず!
「たった一日人間と過ごしただけで、俺が腐ると思っているのか? 兄者」
「肉体は腐らずとも、精神は容易に腐る。油断はしないことだ、弟よ」
兄者はそう言うと、スピアを脇に放り捨て、腰からダガーを抜き放った。
俺も同じように合わせ、ダガーを構える。
より距離を詰めた勝負!
俺と兄者は同時に動いた。
決闘では相手を殺さず、地面に倒すのが掟。故に狙うのは、相手の姿勢を崩すこと! 武器はそのための布石に過ぎない。
しかし、俺と兄者は示し合わせたわけでもなく、双方があえて武器と武器を交え、純粋な力比べを望んでいる。
同じ血が流れる者同士、考えることも同じ!
ダガーとダガーがぶつかり合い、火花が刹那に闇を払う。
きらめく剣線が弧を描き、金属音がこだます。
兄者の死角から攻めようと、俺はダガーを利き手の右から左へ持ち替えた。
「うッ!」
だが次の瞬間、兄者のダガーが俺の左腕――そのプロテクターの固定部を切り裂いた。
ハルカたちの家で受けたブーメランの傷が疼き、僅かに怯んだ隙を衝かれた!
俺が飛び退くと同時、左腕のプロテクターが剥がれ飛んだ。
「お前、左腕にブーメランを受けたのか?」
見抜かれたか。
「ああ」
「ならば、――むんッ!」
兄者は自分のダガーを、自らの左腕、――俺が傷を負ったのと同じ場所に突き刺した!
分厚い筋肉が膨れ上がった兄者の前腕に、ダガーが深々と食い込む。
「……兄者」
「これでこそ、真に対等と言えよう」
言って、兄者はダガーを放り捨てた。
俺もダガーを捨て、両の拳を正面に構える。
素手での勝負だ!
「行くぞ! 弟よ!」
「来い! 兄者!」
今度は兄者が地を蹴り、眼前に迫る。
俺が繰り出した右拳と兄者のそれが激突。腕から全身にかけて凄まじい衝撃が走り、大気は震え、地には亀裂が走る。
「むぅんッ!」
「うぉおッ!」
幾重にも重なる打撃と相殺のラッシュ。
兄者の両の拳が、左右から俺の頭部を目掛けて迫る。頭を挟み撃ちにし、脳震盪を狙う技だ!
胴部がガラ空きとなるリスクのある技だが、決まればその威力は絶大! 俺は大ダメージを受ける。
仮に俺がここで兄者の胴部を打っても、腹部を覆うアーマーは貫けない。
一瞬の思考のせめぎ合いが過ぎり、俺は防御を選択。左右の手でそれぞれ、兄者の拳を掴み取る!
結果、双方が腕と腕で押し合う状態となった。
「ぐッ!」
つ、強い! なんという力だ! お、押されるッ!
兄者のあまりの腕力に、俺の腕全体がギリギリと軋み、足が地面に食い込み、そこから後方へとずり下がる。
左腕の傷口からライトブルーの血が、絞り出されるようにして飛び散る。だが、それは兄者も同じ――いや、むしろ兄者の方が出血が多い! 傷が深いのだ。
しかし兄者は苦痛の素振りなど微塵も見せず、力で俺を圧倒。確実に追い詰めている!
「どうした弟よ、その程度か!」
「うぐッ! グォォ!」
腹の底から唸り、気迫で以って押し返そうとするが、ビクともしない!
次の瞬間、兄者は俺の頭部に頭突きを放った。
――しまった! 押し込まれたことで、頭突きの間合いに入られた!
フェイスマスク越しに、重い衝撃が伝わる。
モニターが乱れ、一瞬の間ブラックアウトする。
それが致命的だった。
僅かな間視界を失った俺は、大きな隙が生じ、懐に兄者が潜り込むことを許した。
「トゥアァアアアアアアッ!」
生身の人間であれば、一撃で胴部に穴が開いたであろう、兄者のとてつもない突きの連打が、俺のボディーアーマーを立て続けに捉える!
そのあまりの威力に、ボディーアーマーの各所が陥没。モニターが復旧した時には、【アーマー過負荷】のエラーが表示されていた。
「――グォオアアアッ‼」
俺は溜まらず雄叫びを上げ、後方へ吹き飛んだ。
俺の背が、地面に打ち付けられる。
く、くそ! なんてことだ!
俺の脳内に、兄者の言葉が響く。
『お前が負けたときは、その手で、ここにいる人間どもを皆殺しにしろ』
できない! 断じてできない!
脳裏に過るのは、ハルカとタクの笑顔。
たったの一日だが、これまでにないほど濃密な体験だった。
ハルカもタクも、辛い思いを乗り越え、寛大な精神で以って強く生きている。
宇宙で無類の強さを自負していた俺が、どれだけのことを二人から学んだか。
俺は、どうあっても、兄者の要求は実行できない。したくないッ!
決闘に破れたうえ、約束まで破れば、俺にレプティリアンの戦士を名乗る資格はない。
兄者も、そんな俺に失望し、容赦なく始末するだろう。
「……くッ」
食い縛った口から、悔しさが漏れた。
どちらにせよ、俺はもうあの家に、ハルカたちの世界には戻れない。
そうして、俺の中に絶望が広がったときだった。
「――クロウ!」
俺を呼ぶ声がした。
この声は――。
「クロウ、負けるな!」
「た、タク⁉」
声の方を見ると、そこにタクが立っていた。隣にはハルカもいる。
二人はちょうど、登山道を登り切ったところから、俺を見ていた。
「なに倒されてるのよ! 柔道を忘れたの?」
ハルカの声。
忘れてなどいない。ただ、兄者の力に圧倒され、仕掛けるタイミングを見出せなかったのだ。
「ハルカ! タク! 俺に構わず逃げろ!」
こんなに格好のつかない姿を、二人には見せたくなかった。