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第三話 ⑦

「今日のところは、いつも以上に安静にしておいたほうがいい」

 俺は動揺を悟られたくない心理から、マスクで覆われているにも関わらず、顔を背ける。

「それじゃ、みんなでご飯にして、お風呂に入って、早めに寝ましょ!」

 両手をパンと叩いて、お母さん殿はハルカを見た。

「遥ちゃん、お夕飯の支度はどう?」

「おかずはもう作ってラップしてある。あとはご飯よそって食べるだけ」

「ちょうどいいわね。お母さん助かるわ」

 俺はここで、決して忘れてはならないことをタクに提案する。

「遅くなってしまったが、タクよ。お前が聞きたいことはなんだ? なんでも答えるぞ」

「おお! 待ってましたぁ!」

 タクが両手を上げて喜びを露わにし、俺はタクの質問に答えながらの食事となった。

 ハルカが作った【肉じゃが】【春雨サラダ】を味わいながらの時間は、レプティリアンの母星では体験したことのないもので、俺は楽しいという言葉がこういうときにふさわしいものなのだと学んだ。

 タクからは宇宙に関する様々な質問が続き、俺は母星の環境やレプティリアンについて、船の構造や宇宙の他の種族について、【宇宙史】と呼ばれる、種族間での共通の歴史など、語れることをありったけ話して聞かせた。

 そのときのタクの表情もとても楽し気で、目は好奇心に光り輝いていた。

「クロウちゃんの家族は、母星にいるの?」

 と、今度はお母さん殿が聞いてきた。

「俺にとって家族と呼べる存在は、同じ卵巣から作られた兄者一人だ。兄者は今、成人の儀と呼ばれる、レプティリアンの伝統行事を取り仕切っていて、遥か彼方の惑星にいる」

「成人の儀って、お酒飲んだりするやつ?」

 タクにそう聞かれ、俺は首を横に振る。

「酒は飲まない。宇宙でも指折りの危険な怪物と戦い、それを倒すことで、レプティリアンは初めて成人と認められる。成人したレプティリアンにはそれぞれ専用の船が与えられ、宇宙を旅し、より強い敵と戦うことが許される」

 俺の脳裏を、兄者の姿が過る。

 兄者は、若き戦士たちを導き、成人の儀を遂行できただろうか?

 そんな心配も浮かぶが、すぐに取り消す。

 兄者は俺よりも少し背が高く、ガタイも一回り大きい。力強く、何者にも動じない無類の実力を誇る戦士だ。

 真正面からぶつかっての力比べでは、兄者に勝るレプティリアンはいなかった。

 その兄者が失敗するはずがない。きっと若き同胞たちを監督し、儀式を最後までやり遂げるだろう。

「戦うことが生きがいみたいなこと言ってたのも、そういう背景があるからなんだね?」

 食後の飲み物を啜って、ハルカが言った。

「そうだ。レプティリアンは倒した敵の数が多いほど評価され、位も上がり、その名が宇宙に知れ渡っていく」

 俺が唯一心残りなのは、成人の儀に参加できなかったこと。

 兄者は俺が潔い死を選び、恐怖に屈することなく散ったと思っているだろう。俺もそのつもりだった。

 だが数奇な運命というものが俺を導き、今はこうして人間と打ち解け、新たなことを学びながら、同胞たちとは違う道で、己を高めようとしている。

「…………」

 兄者が今の俺を見たら、どう思うだろうか? この俺のことも、成人として認めてくれるだろうか?

「クロウ? どうしたの?」

 沈黙が長かったか、タクが隣から俺の顔を見上げていた。

「いや。兄者のことを思い出していたんだ」

「……クロウちゃんは今、寂しい?」

 お母さん殿に聞かれ、俺は振り向く。

「母星に、帰りたい気持ちはある?」

 お母さん殿の問いへの答えはノーだ。

 レプティリアンは崇高な信念を持ち、それを守り貫くためなら命も捨てる。

 船のトラブルで船団に着いていけず、離脱して潔い死を選んだのは俺だ。人間の言葉で言うなら、【男に二言は無い】が適当だろう。

 つまり、『やっぱりやり直したい』と、のこのこ後から母星に戻るのは、自ら己の信念を捻じ曲げるようなもの。これを同胞たちは良しとしない。

 無論、俺もその気は毛頭ない。

「いや、帰る気はない。この地球で柔道を学び、己を高めることが、今の俺の目的だ」

「そうなのね。だったら、拓ちゃんも安心よね?」

「うん! ぼくもっとクロウと遊びたいし!」

 タクがにこりとして、白く薄い煙を上げる飲み物を飲む。

 ずずず、という音がして、俺は目の前に置かれた飲み物に興味を覚えた。

 タクに(なら)って、この湯飲みという器を掴み、中身を口へ運ぶ。

 ずずず。

 次の瞬間、唇が焼けるように痺れ、その痺れが舌、口内へと広がった。

「グォオオオオ⁉」

 俺が堪らず雄叫びを上げたので、全員が飛び上がった。

「え、なに⁉ どうしたの⁉」

 と、ハルカ。

「す、すまん。この、【お茶】という飲み物、なんて熱量なんだ……人間はこれを平気で口に入れるのか?」

「クロウ、意外と猫舌なんだね」

 ハルカがくすりと笑った。

「ネコジタ、とはなんだ?」

「熱いものに敏感で、冷まさないと食べられない人のことを言う言葉よ?」

 お母さん殿も、ハルカと一緒になって笑っている。

「そ、そんな言葉まであるのか、……しかし、悔しいな。俺がネコジタとは、まるでお茶に負けたみたいだ」

 再び笑いが起きた。

「――レプティリアンて、なんでも勝ち負けで捉えるの?」

 笑いが収まって、ハルカが言った。

「ああ。そういう道理だろう?」

 俺が当然のように言うと、ハルカは顎に手を当てて唸る。

「柔道やってたわたしが言うのもアレだけど、許すって考え方もあるよ?」

「許す?」

「そう。まず相手を許して、対立しないの。そうすれば勝ち負けなんて生まれないでしょ? なんていうか、心の広さを持つみたいな感じかな? わかる?」

 初めから競い合わず、相手を尊重する。ということだろうか?

「許すとは、言い換えれば、受け入れる、許容する、といったような意味だよな?」

「うん、そんな感じの捉え方でいいよ。あんまり勝ち負けにこだわりすぎると、疲れちゃったりするからさ」

「なるほど……」

 俺はそこで、ふと抱いた疑問を口にした。

「勝ち負けと言えば、ハルカ。お前は以前、柔道の大会で優勝したと聞いたが、今は柔道をやっていないのか?」

 するとハルカは、飲もうとしていたお茶をテーブルに戻し、ゆっくりと頷いた。

「うん。ちょっといろいろあって、中三の夏、大会の前に片足を怪我しちゃってさ。今はもう治ってるんだけど、当時は全治三ヶ月って言われて、最後の大会に間に合わなかったの」

 なぜか、タクもお母さん殿も沈黙し、ハルカを見つめている。

「怪我が原因で、大会に出場できず、結果を残せなかったのか?」

「そう。進学のための勉強とかバイトも忙しかったし、それで、もういいかなって」

「姉ちゃん、超がんばっててさ、めっちゃ強かったんだ。けど、それを妬んだやつがいて、姉ちゃんにわざと怪我させたんだ」

 タクが付け加えた事実に、俺は衝撃を受けた。

 掛ける言葉が見つからないのと同時に、腹の底から煮えくり返る感情が湧き上がってくる。

「なんと、……許せん。レプティリアンの(おきて)で言えば、そんなことをする奴には、問答無用で死が待っている!」

 俺が怒りの声を漏らすと、ハルカが片手で制した。

「違う。許すの。わたしは怪我させてきた子を許した。ちゃんと謝ったから」

「なぜだ⁉ そんな卑怯者、許す必要などないだろう? 代償に、そいつから何を取ったら許せるというんだ?」

「取ってないよ、なにも」

「な、なんだと⁉」

 相手になんの報復もせず、ただ許したと、ハルカは言った。

「なぜ、お前はそんなに冷静なのだ? 思い出しただけでも、怒りが込み上げたりするものだろう?」

「それはまぁ、あんまりいい気はしないし、当時は怒ったよ? 練習が報われなくて悔しかったし。でも相手が泣きながら本気で謝ってきて、それでわたし、最初は許さないって言ったの。それから続けて、取り返しのつかない罪だ、って相手に言おうとして気付いたの。過ぎたことはもうどうしようもない、それは相手もわたしも同じなんだって」

「いいや、そこでハルカが相手に報いを受けさせれば、形としては取り返しがつくじゃないか!」

「けじめって言いたいの?」

 俺のフェイスマスクはより多くの日本語を取り込んであるため翻訳機能が向上しており、『けじめ』の意味もすぐに表示された。

「そうだ。けじめがつくだろう?」

「それで過去が戻ってくるなら、そうしたかもね。でも、過去は過去。戻らない。だからわたしは現状を受け入れるついでに、相手も許すことにしたの。人間の社会で暮らしてるとさ、そういう理不尽な事とかいっぱいあって、毎回勝ち負けにこだわってたんじゃ、続かないんだよ」

 俺は、もはや、返す言葉がない。

 卑怯なことで傷つけられ、さらには挑戦の機会も、努力の成果さえも奪われた。そんな状況でもハルカは自分を見つめ直し、理性で以って、相手を許したのだ。

 ハルカという人間の凄まじい精神力に、俺は圧倒された。

 ハルカの話を聞いてすぐに憤りを感じた己の精神が、器が、とてもちっぽけなものに思えてならない。

 認めて、許す。

 人間の社会で今後もやっていくには、ハルカを見習って、己の精神をさらに磨かなくてはならないのだとわかった。

「――深く、学ばせてもらった」

 まずは、ハルカの考えを受け入れ、許すところからだ。

 これを、【ハルカに負けた】と捉えるのではなく。

「礼を言うぞ、ハルカ」

 俺はあぐらをかいた膝の上に両手を置き、頭を下げた。ネットで覚えたばかりの人間の所作を真似ているのだが、伝わっているだろうか?

「小さなことからでいいから、受け入れる練習、していけばいいよ」

 と、ハルカは微笑んで、またお茶を啜った。


 食事が済んで、入浴や歯磨きといった人間の習慣的行動が行われ、眠る時間が来た。

 ちなみに俺も湯舟というものを勧められたが、体格が大きすぎて入らないので、シャワーだけを頂いた。

「オォア、オオオオオ……ムゥウググググ……」

 細かな穴の開いた棒を掴む俺は、その穴から出てくる温水を浴びて、思わず声を漏らす。

 この暖かさ、柔らかな刺激。なんと心地の良い感触だろうか。

 レプティリアンにとっての【風呂】は、単に除菌ミストを全身に浴びて肌によくない菌を殺すだけなのだが、人間の風呂は、リラックス効果も考えられたものになっており、斬新な体験となった。

 そうしてまた居間に布団を並べ、今度は四人で眠る。

「ねぇクロウ。ぼくの病気、明日には治ってるかな?」

 布団に入ったタクが、天井を見上げて言った。

「きっと大丈夫だ。もしダメでも、別の方法がある」

 薬が効けば、タクの身体は健全なものとなり、怠さや疲れさすさといった症状は治まるはずだ。それは明日、タク自身が身体を動かせばわかる。

「そうだよね。うまくいくことをお祈りしながら寝るよ」

「ああ」

「お休み、クロウ」

「お休み、タク」

 俺は窓際の布団にくるまって、しばらくタクの寝顔を見ていたが、時計の針が十二時を回ったところで起き上がった。

 やはり、レプティリアンとしての習慣が抜けない。レプティリアンは二日動いて半日眠るのが常。今はまだ休むときではないのだ。

「眠れないの? クロウちゃん」

「お母さん殿。起こしてしまったか?」

「ううん、拓ちゃんの病気が治ることを、神様にお祈りしてたのよ」

「カミサマ、という概念は理解できる。信仰を持った種族は宇宙にもいるからな。日本のカミサマとは、何者なんだ?」

「うーん、あんまりこれといって名前を意識はしてないわね。八百万(やおろず)の神とかっていうし、とにかくたくさんいるから、まとめて神様って言ってるわ」

 は、はっぴゃくまん⁉

 モニターに表示された翻訳済みの数字に、言葉が出ない。

 多すぎではないのか⁉ 一人のカミサマにつき一回祈るとしても、八百万回の祈りは時間が掛かりすぎる! だからまとめて神様と言ったのか。

「な、なるほど。それだけのカミサマがいるなら、きっとタクも治るだろう」

「そうね」

「その、お母さん殿。もしよければなのだが――」

「そういうことなら、いいわよ。台所の椅子とテーブル使っていいから」

 俺はお母さん殿に、パソコンを使って情報を集める許可をもらった!

 これでカミサマのことや、もっと様々なことをインプットできるぞ。

 朝までにはそれなりの学習ができるだろう。そうすれば、俺はまた一歩、この地球でやっていくための知識が増す。

 そうして闇の中、調べものをする俺。

 途中でふと、『ありがとね』とタクに礼を言われたときに抱いたあの感情を思い出し、調べてみた。

 しかし改めて思ったが、人間の言語――特に日本語は表現の幅が広く、奥深い。

 言葉を知れば知るほど、解像度が上がるというか、自分の感情や心の状態が鮮明に、繊細になっていくような気がする。

 初めはどう検索したものかわからず苦労したが、様々な意味の単語を辿っていくうち、それらしいものに巡り合った。

「うれしい、か……」

 それは、良い響きの言葉だった。


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