第三話 ②
Y町タワーは、Y町駅から伸びる専用の橋を渡ることで入場できた。橋に屋根がついているのはなぜかとハルカに聞いたら、雨避けとのことだった。
人間は雨を恐れるのかと思ったが、どうやら服が濡れたり、風邪をひいたりするのを嫌うかららしい。
やはり人間は繊細な生き物だ。レプティリアンは雨で服が濡れてもいずれ乾くから気にせんし、体調を壊したりもしないからな。
入場の対価となる金銭はアイが大量に所持しており、俺の分も支払ってくれた。
ハルカは光学迷彩を作動させて透明になっているから、入場手続きをする必要もない。
「すみません。失礼します」
ハルカが入場口を見張る人間にそう囁くものだから、内心ヒヤっとしたが、見張りは首を傾げただけにとどまった。
「不必要に声を出すな」
「ごめん。なんかタダで入場しちゃったのが申し訳なくて、つい」
俺がボソリと言うと、すぐ後ろでハルカが謝った。
入場に成功した俺たちは、エレベーターと呼ばれる箱型の昇降装置で展望室へとやってきた。
「今思ったけど、この高さからナーデルを探すのって難しくない? 人間と同じサイズなんでしょ?」
場所を提案した張本人のアイが言った。
Y町タワーの高さは目測で百メートルほどあるため、この展望室と地上との距離はその分離れている。
「フェイスマスクの視覚カメラには望遠機能もついているから、それらしいものが見えたら拡大できる。しかも、一度視認できれば、カメラにその姿を記憶させることも可能だ」
「カメラに記憶? ってことは、ナーデルが視界に入ったときに、自動的にそれを判別して、教えてくれたりするの?」
アイは組織に属していて多少の知識があるのか、鋭い部分に着目する。
「ああ。一度捕まえた獲物が逃げても、次に視界に入ればすぐ知らせてくれる」
「お願いだから見つかって……」
窓際に歩み寄って、ハルカは捜索を開始する。
ゆっくりと顔を左右に動かして、注意深く周辺を観察している。
それをアイが心配そうに見つめる間、俺はハルカの身体で周りを警戒する。
今日は『平日』なる日らしく、数は少ないということだが、それでも十人ほどの人間がいて、窓の外を眺めている。
今のところ、特に気になる点はない。
「ハルカ、どう?」
「うーん、まだよくわかんない」
「普通は頭の部分が光り輝いて見えるが、ナーデルの場合は全身が光って見えるはずだ。人の形をした光を探せ」
唸るハルカに、俺は助言する。
「こっち側にはいないかも」
ハルカは言って、展望室の反対側の窓へと向かう。
「……」
そして同じように観察するが、五分ほど経って、
「――ダメ。こっちにも見つからない」
と、首を横に振る。
馬鹿な、この方法で見つからないだと⁉
奴の目的は、入れ替わった俺たちを観察し、何が起こるかを知ることだ。
だが、どこにもいないとはどういうことだ? それでは観察ができない。
何か、俺の知り得ない超越的な技術で以って、こちらに感知されないところから観察しているのか?
「諦めるなハルカ。もっとよく探せ」
俺はそう指示するものの、内心では焦りが強まる。
アップグレードしたばかりのフェイスマスクでも見つけられないなら、正直、他に打つ手がない。
「アイ。お前の組織は、ドットマンという種族について何か知っていたりするか?」
「ドットマンのことは、異性種対策局もあまり情報を持ってないの」
アイもお手上げか。
「ドットマンの姿を直に見たことがある人も、ほとんどいない感じ。私は噂で聞いたんだけど、身体が点で出来てるのってホントなの?」
「うん。薄暗くてはっきりとは見えなかったんだけど、黒っぽい点がたくさん集まって、人の形を作ってる感じだった。でも点同士はくっついてるわけじゃなくて、均等に隙間があいてて、分離もできるんだと思う」
俺は二人の会話を聞いて、昨夜のナーデルの姿を思い起こす。
奴は木陰から俺たちを見ていた。距離にして十数メートル離れた場所からだ。
奴の観察手段が『視覚』を用いるものと仮定するなら、奴はこの展望室のどこかに潜んでいてもおかしくはない。
「分離?」
「わたしとクロウが入れ替わったとき、ドットマンの手先の点が一つずつ分離して、わたし達の方に飛んできたから……」
「え、それってつまり、ナーデルは自分の身体をバラバラにできちゃうってことじゃないの? 見つからないようにバラバラになって、街に分散してたら、見つけられなくない?」
アイの分散という言葉を聞いて、俺はナーデルが言っていたことを思い出した。
『ここなら、二人にギリギリ届く距離だね』
確か奴は、『ギリギリ届く距離』と言いつつ、球体を手先から分離させて飛ばしてきた。
ということは、分離させた身体を飛ばせる距離に限界があるのだろう。
「アイの言う通り、ナーデルは身体を分散させて隠れている可能性はある。だが、その距離は限定的なはずだ。俺が思うに、せいぜい十メートルから二十メートルの間……」
「ならもう、クロウの仮説を信じて周りを探してみるしかないね」
ハルカが俺たちにだけ聞こえる声量で言った。
「分散しているとしたら、点の一つ一つは輝きが小さく、今ハルカが使用しているアストラルスキャンでも見えにくいだろう。全員の目で探すべきだ」
三人で手分けして、足元や周囲の人間、展望室全体を見回してみる。
「その点て、一つの大きさはどのくらいなの?」
「分離したナーデルの点を見たとき、スーパーボールみたいって、拓が言ってた」
「小さッ!」
アイが顔を顰めた。
バラバラになったとしても、身体が分散できるのは十から二十メートルの範囲。その範囲内に無数の玉があれば、嫌でも目につきそうなものだが――。
と、俺が展望室の内部を再度見渡したときだった。
「ひぃい!」
何やら上ずった声がして、そちらを振り向いた。
数メートル先にある、食べ物や装飾品を販売していると思しき小屋の脇で、白髪頭の年老いた人間が突然バランスを崩すところだった。
「――大丈夫か?」
俺は咄嗟に駆け付け、年老いた人間を支える。元の巨体であれば力を込める必要すら無いが、ハルカの細い身体で支えるにはそれなりの力が要った。
「ありがとうねぇ。足が滑っちゃって……」
年老いた人間は問題なさそうだが、俺は自分が無意識に取った行動に驚いていた。
今までの俺は、自分の身に起きた不備は己の弱さが原因だと考え、すべて己自身で責任を負うのが筋だと思っていた。
つまり、今この老人が倒れそうになったのも、本来の俺の考えでは、足元の注意が疎かになった老人自身の責任だとして、助ける必要性を感じなかっただろう。
だが俺は今、そんな考えなど微塵もなく、無条件に身体を動かし、この人間を支えていた。
「ああ、これに足を取られたんだねぇ。でもなんでこんなものが……?」
俺が自分の行動と考え方の変化に戸惑っていると、バランスを取り戻した老人は、自分から少し離れた場所に落ちているものを指差した。
「ッ⁉」
老人が示したものを見て、俺は目を見開いた。
鈍い光沢を帯びた、黒い球体だ!
「ここから離れろ」
俺は老人にそう言って、球体に近付く。
すると、球体はひとりでに床を転がり始め、小屋の裏手へ回り込んでいく!
まるで意思を持つかのように移動する球体を見て、俺は確信した。
間違いなくナーデルだ!
「ハルカ、アイ、見つけたぞ!」
俺は二人に呼び掛け、球体を追って小屋の裏へ。
「そこにいたか! ナーデル!」
小屋の裏に回ったところで、俺は無数の球体が集まっているのを発見!
「うおお!」
俺が無数に集まる球体に飛び掛かったとたん、球体たちは一斉に転がり始め、エレベーターの方へと移動していく。
「――くっ!」
俺は球体を取り逃がし、床に倒れ込んだ。
こんな単純な方法で、まんまと観察されていたとは!