第二話 ⑦
「やっぱり、今日のはるちゃんなら、イケる気がしたんだよねぇ。さすが私のはるちゃん!」
身体を左右へふりふり、喜びを表現している様子のアイ。
「じつはこうなったときに、はるちゃんに見せたいものがあったんだ?」
チラリと、アイは俺に視線を向ける。
これは、最後のチャンスかもしれん!
ここでアイが見せたがっているものに興味を示し、それを用意させる隙に脱出するんだ!
「何を見せたいんだ?」
「ええええ⁉ 見てくれるのぉ⁉」
「ああ」
「す、すごく! 嬉しい! 今用意するね!」
アイは満面の笑みを浮かべて、部屋を出て、――行かないだと⁉
「はるちゃんと知り合ったのは中学一年のとき。そのときから私、ずぅぅぅぅぅぅぅぅぅっと、はるちゃんのこと大好きでね?」
くそ! 部屋を出て、別の場所に何かを取りに行くという予測が外れた!
アイは、俺が寝ている部屋の照明のスイッチ――そのパネルをパカリと開けた。すると、壁に埋め込まれる形で一つのレバーが格納されているのが見え、アイはそのレバーを引いた。
ガコン! という重い響きが伝わり、部屋の壁の一部が横にスライドし始めた。
な、なにが起ころうとしているのかわからんが、今はとにかく、アイがこちらを見ていない隙に、俺は布団の中のスマホを確認。
『ちょっと待ってマジで意味わかんない』
『わたしを好きって、ラブのほうなの⁉』
『クロウ! 変なこと言わないでよ⁉』
ハルカの言っている意味は判然としないが、アイからの『好き』に対して、まだ返答を悩んでいるということだろう。
無論、俺は何も言わん。
これはハルカとアイの関係だ。俺が割って入るものではないからな。
それよりも、俺は今、この部屋からどうやって脱出するかを考えなくてはならない!
俺は布団の中から顔を上げ、たった今スライドを完了した壁に目を向ける。
壁の裏側にもう一枚の壁が隠されていたらしく、その隠されし壁が露わになったところだ。
「……?」
一体、どういうことだ?
壁一面に、ハルカの写真が貼り付けられているぞ? 所狭しと。
中には不自然に切り抜かれたものや、心臓を意味する標=ハート型をしたものもある。
「ホントはね? これを直にはるちゃんに見てもらうの、ちょっと抵抗あったんだ。引かれたらイヤだなって思ってたから……」
困ったような笑顔で、アイは俺を振り返る。
詳しい理由はわからないが、俺はまたしても、背筋に怖気が走るような感覚に見舞われた。
「でも、今のはるちゃんはきっと、私のぜんぶをわかってくれると感じたの。だからこれまでの私の頑張りも見てほしくて……」
アイは壁一面の写真の内、左端に位置するものに人差し指を当てた。
「このはるちゃん、いつの写真だかわかる?」
アイが指し示す写真は、両側が歪に切断されており、学生服姿のハルカ以外には誰も映っていない。
当のハルカが見てもわかるか定かではないほどに、時期や場所を示すヒントがその写真には無かった。
「中学二年のときのだよ? はるちゃんが柔道の大会で優勝した次の日、クラスの仲良しメンバーで打ち上げしたときに撮ったやつ」
俺が答えられないでいると、アイは笑いながら答えを言った。
「その写真、不自然に切り取られているのはなぜだ?」
「これ、隣に男が映ってたんだけどね? 打ち上げの終わりくらいに、その男がはるちゃんに告ったの。はるちゃんとっても困ってたし、私もイライラしちゃって……だからこうして、はるちゃんだけを残して、あのときのイライラを思い出さなくてもいいようにしたの」
え? ハルカが困ってた?
「コクったというのは、好きだと相手に伝える行為のことか?」
「そうに決まってるじゃん」
笑顔のまま、アイは頷く。細められた目が、赤い瞳が、俺をじっと見つめている。
「あ! もちろん、はるちゃんを困らせた男は私がちゃんとお仕置きして、転校させたから平気だよ?」
男に好きだと言われ、それに困るハルカ。ということは、ハルカはその男を好きではなかったということだ。
アイはその男――ハルカを困らせた男を、お仕置きして、転校させた?
アイは、何を、言っているんだ?
空気さえも凍えてしまうかの如く、刺すような沈黙が流れる。
「こんな風にいろいろ切り取ってある写真はぜんぶ、はるちゃんから不純物を取り除いたものなんだ。道でナンパしてきた男とかもいて、ソイツらも転校させるの、けっこう大変だったけど、私ずっと頑張ってたんだよ? ぜんぶ一人で……」
アイは言いながら、ゆっくりとした足取りで俺に近づいてきた。
ベッドにアイの影が差す。
今のアイの話は、何か含みがありそうな言い方だ。表面的な部分しか理解できていないが。
いや、むしろ表面的な部分以外は理解しないで良いと、本能が告げている!
あの壁一面に巡らされた写真の数々は、深堀りしてはいけない情報な気がする!
ハルカ自身もこの会話を聞いて絶句しているのか、スマホからはなんの反応も無い。
「そ、それは、大きな試練だったな」
無言でいるのも気まずいので、そう言っておく。
「はるちゃんのためだもん。小顔だし肌きれいでニキビもないし髪はサラサラだしスレンダーだしイイ匂いだし勇敢でしっかりもので優しくて弟思いのはるちゃんのためなら、このくらいやるよ」
早すぎて何を言ってるのか全然わからん。
「ねぇ、はるちゃん」
アイはベッドのすぐ脇に立ったまま、静かに言う。
「な、なんだ?」
くそ、そんな近くにじっと立たれては、どうあっても脱出できない!
しかもあろうことか、俺が先を促すと、アイは片方の膝をベッドに乗せ上げてきた!
「私を褒めて?」
アイはさらにもう片方の足もベッドに乗せ、四つん這いの体勢で、俺に覆い被さる!
「俺、――わたしのために、頑張ったようだな? 努力は価値があるものだ」
「そうじゃなくてぇ」
そうじゃないなら、何だと言うんだ⁉
アイの尻が、俺の腰の上辺りに着陸! どうしたらいいのかわからず、アイにマウントを取られてしまった!
「もっと、ぎゅってしてほしいの」
「なんだそれは? どうやればいい?」
「皆まで言わすのぉ? はるちゃん、そんなイジワルだったっけ?」
アイの、なんとも言えない弾力のある身体が、俺の上に乗っている。
脱出のため、アイをどうにかしてここから退かさなければ!
そんな俺の思考など知らずに、アイはもう一度四つん這いの姿勢になる。そうして俺の両手を掴んで押さえつけ、上半身を、俺の身体に重ねるようにして寝そべってきた。
「私は、イジワルするのも、されるのも大好きだよ?」
俺の胸とアイの胸がむにゅりと重なり合う!
「んんっ!」
などと、俺はハルカの声で、柄にもなく呻いてしまう。
これまで体感したことの無い、言葉にできない刺激が、二つの胸の頂上から脳へと迸っているッ!
なんだこの感触は⁉ 挑戦的な刺激の連続に、なにか、新しい本能が目覚めそうだ!
「んっ! くぅ!」
お、俺は誇り高きレプティリアンの戦士! こんなところでこんな刺激に身を委ねたうえ、その感触に快感を覚えるなど、不本意の極みだ!
「ど、退いてくれ!」
俺は喘ぐ。
「――はるちゃん、シャンプー変えたんだ。どこのやつ?」
だがアイは、俺の言葉が聞こえないのか、なんらかの質問をしてきた。
「知らん! 地球のどこかだろう!」
すん、と、鼻を利かせる気配。顔と顔があまりにも近くにあるせいで、アイが放つ甘い香りが、俺の鼻腔を直撃しているのと同様、俺の放つ香りもまた、アイを直撃しているのだろう。
「ネイルも新しいのだね。どこのお店?」
両手の指に、アイのひんやりと細い指が絡められ、アイの吐息が耳に掛かる。
「ッ⁉」
耳に訪れたくすぐるような刺激が首筋から脳へと至り、俺は身体を委縮させる。
うおおおお! なんだこの身体の反応は⁉ まるでメスになった気分だ!
なにを錯乱している⁉ 今まさに自分は女の子の身体になっているではないか!
「は、放してくれ!」
俺は腕に力を込め、どうにか拘束から抜け出そうともがくが、アイの力は見た目以上に強く、びくともしない。
俺が元のレプティリアンの身体であったなら、こんな細腕、容易く押し返せるのだが!
「だーめ」
どこかサディズムを感じる声音で、アイが笑う。
「私をぎゅってしてくれるまで放さない」
うぁあああ!
耳元でしゃべるな!
力が抜けてしまう!
俺は目を閉じ、呼吸に意識を集中。心臓がバクバクと早まっているのがわかる。
逆に考えるんだ。この体勢から抜け出すのではなく、アイの要求を受け入れて満足させれば、解放されるかもしれない。
「わ、わかった! なんでもする」
「ん? いま、なんでもするって言ったよね?」
急に、耳元のアイの声が1オクターブ下がった。
「俺、わ、わたしもお前もメスだ。こ、交尾は無理だぞ? ……無理だよな⁉」
僅かな沈黙があって、それからアイが噴き出した。
「交尾って、――はるちゃんウケる」
「さっきお前が言った、『ぎゅ』ってするには、どうすればいいんだ?」
俺は『ぎゅ』の意味がイマイチわからず、そう聞いた。
「私を抱きしめればいいの」
なんとなく理解した俺は目を開けた。すぐそこにアイの顔があって、赤い瞳が貫くように俺の目を見下ろしていた。
アイの嬉々と狂気が混ざり合ったような瞳に、またもや俺はゾクリとしたが、たかが視線如きで、これ以上怯んでなどいられない。
「わ、わかった。いくぞ?」
「いくぞって……」
苦笑のような表情をするアイが俺の両手を解放したので、俺は自由になった腕を、アイの背中へと回し、そっと抱き寄せる。
アイの軽い身体が、俺にすべてを委ねた。
「これでいいか?」
「もっと強く」
俺は言われた通り、腕に力を込めてみる。
「ど、どうだ?」
「いい感じ。……ところでさぁ?」
ここでアイの声が、また1オクターブ下がった。
「な、なんだ?」
「拓くんが通ってる小学校あるでしょ?」
拓くん? タクのことか。
「ああ」
「昨日の夜、その小学校の裏山に、宇宙船が落ちたらしいんだけどぉ」
アイがその顔を、俺に向けた。ほんの数センチしか離れていない至近距離で、赤い視線を感じる。
学校へ向かう途中でもちらりと話題になったが、その続きと見える。
「はるちゃん、何か知らない?」
もう何度目かわかならい、背筋が凍るような感覚が、今度は全身を包むように思えた。