重力女4
「うーん」
いつもならアラームの音で目覚め、休んでいた脳を無理矢理起動させるような目覚め方だが、今日は久しぶりに自然と起きることができた。知らない天井だ。そうだ、昨日は金本さんのマンションに泊めてもらったんだった。
横を見ると奈央が気持ちよさそうに寝ていた。昨日は大変だったから、起こすのも悪いだろう。
千代吉は静かにベッドから出てリビングに向かった。携帯で時間を確認するともうお昼を過ぎている。9時ぐらいに起きるつもりだったがまあいい。タイマーもかけてなかったしじっくり眠れたおかげで、散々飲んで暴れた割には二日酔いもほとんどなかった。
部屋を出ると無駄に長い廊下に無駄に多い部屋に圧倒される。このマンションに来たのは当然昨日が初めてだったのでどこがどの部屋なのかも分からない。玄関の反対側がリビングなのだろうとあたりをつけてそちらに前進した。
「あのおっさん何者だよ」
そういえば職業を聞いてなかった。黒心館のパーティーにいたが門下生という雰囲気でもなかった。強そうにも見えない。予想だがテレビ関係かなと一応狙いは定めていた。あの胡散臭さが千代吉のイメージするテレビマンと合致する。
「まあ聞いてみたらいいか」
一番奥の部屋のドアを開けると金本が似合わないエプロンを身に着け料理をしていた。目玉焼きの匂いがする。
「おお起きたか。ちょうど飯ができたから起こそうと思ってたんだよ」
「ごめん。気遣いはありがたいけど料理するタイプには見えなかったわ」
「んだよ。せっかく作ってやったのに。奈央ちゃんも起こして来いよ」
「奈央はまだ寝かしときます。疲れてると思うんで。起きたら食べさせてやってください」
「そうだな。そうするよ」
2人で食卓を囲む。テレビからはお昼のニュースが流れていた。
「昨日未明テログループパスカルのメンバーと思われる集団が………、俳優の元木成之さんの不倫報道………」
無言で食べる。千代吉は昨晩、厳密には今日のことがニュースになっていないか気になっていた。車も壊して負傷者3人、ニュースになっていてもなんらおかしくはない。
「そんな気にしなくてもいいじゃねえか。やっちまったもんはしょうがねえよ」
「ニュースになってたらだるいじゃん。それに社会人になってから暴れたのは初めてなんで気にするんですよ」
「そうなの?えらく手際がいいからやり慣れてると思ってた」
無視してニュースを最後まで確認したがしばらくするとCMに入りバラエティーが始まった。とりあえずはホッとする。
「なんだよ。意外と小心者なんだな」
「うるせえよ。私じゃなくて奈央の為だよ。飯ごちそうさん。大変美味しゅうございました」
「そりゃあよかった。皿は流しに投げといてくれ」
「洗い物くらいはしますよ」
「気持ちだけ受け取っておく。俺、人に台所荒らされるの嫌なんだよ」
「そうですか。ならお言葉に甘えて」
千代吉は言われたとおりにした後、ソファに座って他のチャンネルに変えた。
他の局でもお昼のニュースに上がるほどの事件にはなっていないようだった。チャンネルをバラエティーに移す。最近忙しくてテレビをゆっくり見れなかったからかくだらないボケでも結構笑えた。
「で、これからどうするんだ?」
皿洗いを終わらせ、食後のコーヒーを飲みながら金本が尋ねてきた。
「昨日は黒心館潰すとか息巻いてたけどあれは気の迷いってことでいいんだよな?」
千代吉はテレビを見ながら答える。
「いや潰すよ。きっちりと」
「正気か、姉さん。仕事クビになったからってやけになるなよ」
「やけになんかなってないっすよ。嘘、なってないことはないですが。ムカつくし。でもそれとこれとは別です。けじめはつけさせます」
「やめとけって。勝てるわけないだろ。国内一の空手会館だぞ。本部の門下生は200人はくだらない。その内何人が能力者か分からない。それに館長の黒田君は知り合いだから言えるけどめちゃくちゃ強い。人外といってもいいレベルだ」
金本はコーヒーを飲み干し、千代吉の横に座った。
「正直あんたは強いよ。でも相手が悪い。確実に殺される。姉さん1人が馬鹿を見るだけならまだいい。奈央ちゃんや武本君、姉さんの親兄弟まで被害が広がるかもしれないぜ。奴らはそういうことができる連中だ」
当の千代吉はあまり話を聞いていないようだった。さっきまでは昨夜のことが気になってしょうがないといった感じだったのに今は金本が話している間もバラエティーを見て笑っている。
「もうこうなったら後には引けないよ。あの手の輩は絶対に引かないから。全部潰さないとそれこそ皆に被害が出る。つーか金本さんさあ」
千代吉は金本に目を合わせる。改めてきれいな顔だと金本は思った。特に目に引き込まれる。女優のような精巧な造りの顔に不釣り合いな野獣のような眼光。私にはできないことなんてないと目が訴えている。
そんな目だ。
この目とラジオDJのような小気味良い会話はどこか安心感を与え、扇動者じみた才能を感じさせる。
「あんた楽しんでるだろ?本気で私を止めようとしてないじゃん。試されてる感じがしてむかつくんすけど」
腹の底から金本は笑う。こんな才能に出会えるのは何十年に一度とない。
「千代吉」
初めて名前で呼ぶ。
「お前が今から黒心館に殴り込みをかければ勝とうが負けようが人生は一変する。負ければそれまでだし、勝ったって得られるものは何もない。なにもだ!それどころか全て失い、いずれは負けた時と同じような運命をたどるだろう。それは分かるよな?」
「そうなんじゃない?」
「分かっていてそれでもお前が行く理由はなんなんだ?俺はそれが知りたい」
うーんと千代吉は考える。確かに明確に言語化できるわけではない。ただなんとなく気に入らないからと言えるほどふわふわした動機でもなかった。
金本が問うたことは重要なことのように思えた。だから考えて考えて言葉を紡ぎだす。
「私は良いことだろうが悪いことだろうが頑張ってる人間が報われる世の中であるべきだと思うんですよ。奈央は報われる側の人間だ。ついでに武本も。それをしょうもない理由で邪魔するような人間がいるなら見てられないってだけです」
「自分の人生を賭けてもか?」
「暴れるの嫌いじゃないんで」
それに…と付け加える。
「負けるなんて毛ほども思ってないですよ」
1人仁王立ちで構える。場所は新宿一等地全国空手最大派閥黒心館の本部前である。7階建てのビルであり、とても空手道場とは思えない外装である。今からたった1人で本部に殴り込みをかけると思うとゾクゾクしてきた。
この感覚は働き出してからは感じていない。高校生以来だろうか。これが終わる頃には社会人として積み上げたものを全て失う。返り討ちにあって命を落とすことになるかもしれない。やめるなら今だ。チェルヴィニアとは今年度いっぱいで契約が切れるが、派遣会社をクビになった訳じゃない。また仕事を斡旋してくれるだろう。それでも千代吉は血みどろの世界に身を落とす覚悟を決めていた。
「やっぱ私は頑張ってる奴が馬鹿を見る世界が許せないんだよ」
自分に言い聞かせたのか千代吉はぼそりとつぶやき、獣の巣に足を踏み入れるのであった。
中に入ると若い連中が一心不乱に稽古していた。昨日ボコった奴らはさすがに見当たらない。皆稽古に夢中でこちらには気づく様子がなかった。
広いフロアに畳が広がった良い稽古場だと思った。30人はいるだろうか。少なくとも門下生全員ではないだろう。ごみはもっといるはずだ。
「おい!!!」
門下生が一斉にこちらを見る。
「令和のご時世に道場破りだ。お前らいきなりで疑問だらけだろうが全員今日は五体満足で帰れると思わないでくれ」
門下生の1人が千代吉に話しかける。
「なんじゃお前!ここどこか分かってんのかゴラ!廻されたくなかったらさっさと帰れバカ女!」
血の気の多い男だ。顔から知性が微塵も感じられない不細工な顔だった。
「うるせえブス!」
千代吉は不用意に間合いに入ったこの男を地平線の彼方までぶっ飛ばした。人がぶつかった衝撃で稽古場の壁が人型にへこんでいた。どこぞのギャグ漫画のようである。
道場内に緊張が走る。目の前の女がイカれたヤバい女でそれでいてとてつもなく強いということが全員の共通認識となった。
「やる気になったとこ悪いけど雑魚に用はねえんだよ」
ズン!!!
部屋全体に重力をかける。結果は火を見るより明らかとなった。1人残らず気絶していた。
しばらくすると下の騒ぎを聞きつけてか上からぞろぞろと門下生が降りてくる。上の階で稽古に励んでいたのだろう。ざっと100人はくだらない。
「なんじゃあワレええ!」
「死にたいんか!」
わーわーと叫んでいて聞き取れる言葉が皆無である。
「黒心館の黒田さんを呼んできてよ。そいつ以外に用はないから」
「誰に向かって物言うとんじゃ!おどれはどこの誰やねん!」
コホンと咳ばらいをして千代吉は自己紹介を始めた。
「えー性は海田、名は千代吉、しがないしがないホテルマンでございます。てめえらうんこを出すことしか脳のねえ奴らがうちの仲間にちょっかいを出しましてね。ムカついてムカついてどうも腹の虫が治まりそうにないんでこうしてきっちりけじめつけに参りました」
男は納得したように頷く。
「おうおう、話は分かったわ。あんた昨日のうちらのパーティーにいた人じゃろう?思い出したわ。けじめってのはどうやってつけるんじゃ?」
「それはもちろん」
千代吉は拳を握り目をカッとがん開いた。
「反社撲滅運動だよこの野郎」
この発言が決戦の合図となった。広い空間に集まった100人以上の空手家たちが次から次へと千代吉に襲い掛かる。
今度は重力を使わない。身体能力の向上のみでこの人数を圧倒する。そのハンディをつけてもなお千代吉の実力は圧倒的だった。ほとんどがエスパーであるにも関わらずだ。
重力を使わないのは感覚を取り戻すためだった。不良漫画に憧れた若かりし頃の高校生時代のように荒れ狂うパンチ、キック、掴み、頭突きの波を捌いては殴り捌いては殴りの繰り返しである。
戻ってきた。最初は雑魚狩りの快感が内側を包み込む。しかし続けているとだんだんと飽きてきて終いには虚無感に苛まれる。虚無感で満たされた時に初めて強者との戦いを渇望する己を自覚することができた。
1人また1人と殴り倒される中、最後の1人が倒れた時、千代吉の心は言いようのないむなしさでいっぱいになった。
この感覚が千代吉はそれほど嫌いではなかった。
「まあ好きでもないけど…」
全員を片付けしばらく黄昏ていると道場に誰か入ってきた。
「おいおいなんか騒がしいと思ったらどうなってんだよ」
初老の男がそこにいた。だが並の人間ではないことは一目で分かった。
まず筋肉量が尋常ではない。190センチはあろうか、プロレスラーかと見紛うぐらいの大きな体でありながらもしなやかさも兼ね備えていた。
少なくともじじいの体ではない。
何よりもほとばしるオーラというか覇気、威圧感のようなものが常人とは桁違いである。
初老の男がゆっくりとこちらを見る。ようやく認識されたらしい。
「それでこれをやったのは姉ちゃんかい?」
不思議だが怒りは感じられない。千代吉は素直に答える。
「ああ。私がやった。あんたは黒心館館長の黒田さんであってる?」
「いかにもわしが黒心館館長の黒田信勝であり最強の空手家兼エスパーじゃ!」
黒田ははっきりと宣言した。