重力女3
「よっしゃあ!成功成功。いつものとこでいいか?」
「痛ってええ!奥歯ぐらついてるわ。最悪!あの金髪のせいだ!どうしてくれんだよ!」
そう言いながら肩をおもいっきり殴ってきた。頭や腹よりはましだが、まし程度である。空手有段者の拳が鍛えていない女性に当たったのだ。痛くないわけがない。
矢野奈央は今にも恐怖で叫びだしそうになった。
これからこの男たちにどんな目に合わせられるかは火を見るより明らかだった。
バーで千代吉の帰りを武本と待っていたら3、4人ぐらいの男の襲撃にあい目にも留まらぬ速さで、気づいたらワンボックスの後部座席に放り込まれ車は走り出していた。
奈央は後悔する。自分に落ち度はないとはっきり断言できてもこんな目に合わなくてよいならいくらでも落ち度があってよかった。
「助けて」
思わずそうつぶやいてしまった。言葉に出したつもりはなかった。涙も少しこぼれる。そのささやきを不覚にも男の1人に聞かれてしまった。
「助けは来ねえよ。今からお前は俺らの八つ当たりに付き合うんだ。俺らが飽きたら帰してやるよ」
それはここで命がなくなる可能性もあるということなのだろうか?武本さんは頭を殴られている。死んではいないだろう。トイレに行った千代さんに連絡してくれれば警察に通報できる。
だがどれくらいで助けが来るのかは人生で初めて拉致された奈央には見当もつかない。ひょっとしたら警察がつく頃には自分は想像もできないような慰み者にあいこの世にいないかもしれない。
そう考えると心の底から怖くなる。心なしか肩の痛みも強くなった気がした。
奈央はもう一度言ってしまった。言うつもりはなかったのに。怖くて怖くてたまらない。なんとかあの人に届いてほしかった。
「助けて千代さん」
そんな奈央の声もむなしく車内には男たちのはしゃぎ声がこだました。
「よお」
運転手は心臓が飛び出そうになったに違いない。普通に運転していてフロントガラスに張り付いた人間と目があうことはない。というか走行中の車のフロントガラスに張り付く奴なんていない。
だが、今その現象が起きた。視界には夜の明かりに照らされた道路がただ映っていただけなのにどこから現れたのか突如女が車に飛び乗ってきた。
「わあああっ!」
咄嗟にハンドルをきってしまう。車は歩道に突っ込み停止する。歩道に人がいなくて幸いだった。日中なら何人か跳ねていただろう。
事故った車から運転手含めよろよろ3人出てきた。全員黒心館の人間だ。
事故る前にフロントガラスから飛び降りていた千代吉は車からある程度離れた位置から3人の男を観察した。
「急にハンドルきるんじゃねえよ。びびらした私も悪いけどさあ」
「お前どうやって来たんだよ。車だぞ」
「え?そんなもん普通に走ってきたよ。決まってんだろ」
「化け物かてめえは!この場所も何で分かったんだよ」
「別に大したことしてねえよ。お前らがボコした金髪の兄ちゃんいただろ?武本っていうんだけど。そいつに聞いた。あいつ逃げた車の方向だけは見てたから。特徴もしっかり覚えてたし。後はその方向に走って行って大体のあたりつけたら間抜けに騒ぎながら走ってたってだけ。早く見つけられたのはたまたまだ」
「お前も店にいたのかよ。それにしたって速すぎるだろ!5分くらいは経ってたはずだ」
「どうでもいいこと気にするんだな。私がここにいる時点でお前らに朝が来ないことは確定したのに。お前らにできるのはこの場をどうするかに全神経を集中させることなんじゃないか?」
千代吉から向けられた殺気に3人とも心臓の鼓動が速くなる。
「とまあ私も鬼じゃない。話をしようか。奈央を無傷で返してくれるんなら私はなんもしねえよ。みんな仲良く家に帰れるぞ。金髪しばいたぐらいなら私は我慢できるんだ。どうだ?」
男たちは苛立ちだす。当然だ。相手は女1人である。重さを操るのは結構な能力だが、こちらは3人。不意を突いたことでアドバンテージが自分にあると勘違いしているのか、こちらが有利なのは明白である。
「ああぁん?何言うとんじゃあボケカス!俺らがムカついてんのはお前なんだよ。後、金本な。あいつもこれが終わったら殺す。拉致なんざついでだ、ついで。かかってこいやごみ女が!」
「なんだよ。私に用があったのか。そうかそうか。なら話は終わりだ。3人まとめてかかってこい。安心しろ。初手は譲ってやる」
双方話はまとまった。互いの距離は20メートルほど、男たちは千代吉を囲むようにして配置につく。常人の喧嘩ならいささか間合いは遠い。いつの間には男の内の1人は短刀を右手に握りしめていた。
千代吉は構えない。リラックスした状態で敵の攻撃を待つ。少しかかとを浮かせ、つま先で軽く飛び跳ねながらタイミングを計る。
先に動いたのは左後方の男だった。一瞬の揺らぎを千代吉は視界の端でとらえていた。背中を狙った短刀を右に体をひねってよける。
よけた先で今度は2人が同時に迫ってきた。1人は左ボディをもう1人は右のハイキックで後頭部を狙ってくるが、千代吉はこれらの手首、足首をつかみ、軽々とあしらう。
(やっぱこいつらエスパーだな)
もしかしたらと思っていたが、3人とも動きが常人のそれとは一線も二線もかくしていた。
現在確認されている能力の中で最も数が多くオーソドックスとされている身体強化のエスパーだ。
日本最高峰の空手会館黒心館、その門下生ともなれば強さの欲求は人一倍であろう。強くなりたいという渇望がこいつらの能力を一段上へと引き上げる。
(まあ私の動きほどではないが)
千代吉も身体能力の向上は我流で会得している。それに加え、己の体重を軽くし、コントロールすることによって、このように多勢の動きに反応が遅れたとしてもわずかな動きでかわすことができる。
さらに攻撃面でもこのチンピラ3人を圧倒する。
「ほいっと」
「グエッ!」
相手の右ストレートに対して軽くカウンターを合わせる。傍目には軽く小突いただけに見えるだろうがとんでもない。千代吉は拳に約800キログラムの重さを掛け合わせていた。ヘビー級ボクサー並みのパンチ力である。
パンチやキックをする際の肩や腰の溜めといった予備動作がほぼ行われない拳を捌くことはほぼ不可能であり、最小の動きで敵に大ダメージを与える。
だが、男たちも負けていない。腐っても黒心館である。苦悶の表情を浮かべながらも攻撃の手は緩めない。
(思ったよりは粘るな)
ブンッ!
煩わしくなった千代吉は右の回し蹴りで3人を一斉に薙ぎ払った。もちろんこの蹴りにも重さをしっかり乗せている。サッカーボールにでもなったのかと思うぐらい吹っ飛んだ。
3人とも身体の被害は甚大である。能力で身体を強化しているとはいえ、骨折、損傷と動くのもやっとだ。
ここで初めて黒心館の3人は喧嘩を売った相手が自分たちの手に負えない相手だと気づく。
勝てるビジョンが見えなくなり、距離をとったまましばらく動けなくなった。
「おいおい私相手にその距離で間を置くなんて潰してくださいって言ってるようなもんだぞ?」
千代吉は右手を前にかざした。
「しまった!」
気づいた時にはもう遅かった。ホテルでの悪夢がよみがえる。己の体に岩でも乗っかったような負荷がかかった。立ち上がろうと全身に力を入れるが、指先をピクリとも動かせなかった。
(くそは!ホテルの時より重てえ!)
勝負は決した。最早彼らの命は文字通り千代吉の手のひらの上だった。
千代吉は車の方に歩いて向かう。中をのぞくと、奈央が後部座席の真ん中にちょこんと座っていた。
千代吉と目が合うとドアを開けて抱き着いてきた。
「千代さん~~。怖かったです」
「おうおうよしよし。怖かったなあ。もう大丈夫だぞ。悪い奴らはお姉さんがやっつけたからなあ」
安心したのか、奈央は千代吉の胸に顔をうずめ泣いた。
「おい!おい!頼むよ。能力を止めてくれ。死んじまう。俺たちが悪かった。もう絡まねえから」
重力で圧迫された肺でなんとか言葉を絞り出す。千代吉はしばらく無視して奈央を慰めていたが、しばらくして男たちに体を向けた。
「謝るぐらいなら最初からやるんじゃねえよ、カス。お前ら自力で家に帰れると思うなよ。私は見逃してやろうって言ったのに続けたのはお前らなんだからな」
「悪かったよ。もうマジでヤバいから」
3人のうちもう2人は意識がない。叫んでいる男もぎりぎりといった様子だ。
「もうおせえよ!」
千代吉はさらに重力をかけた。
「ぐわあああ!ちくしょう!頼む!やめて!いてええええええ!」
骨の折れる音が鳴り響いた。臓器も損傷したかもしれない。殺されると本気で思ったところで最後の男も意識が飛んだ。
千代吉は意識がなくなったのを確認して能力を解除した。
「この人たちどうするんですか?殺したんですか?」
奈央が恐る恐る尋ねる。千代吉は男の1人のポケットをまさぐりながらあっけらかんと答えた。
「殺すわけないじゃん。サイコキラーじゃないんだからっとあったあった」
そう言って男のポケットから携帯を取り出し救急車に連絡した。
「もしもし、なんかあ歩いてたら~男の人たちが倒れてて~電話した~みたいな。場所はーーー」
謎の猫なで声で伝えることを伝えて一方的に電話を切る。
「ほら帰るよ。さっさとしないと救急車が来る。警察とかも来るからめんどくさいでしょ。多分そろそろ迎えに来ると思うんだけど」
その時黒のセダンがこちらに向かって停車し中から金本が降りてきた。
「おっせえよ。金本さん。まあいいや。さっさと家まで送ってよ」
「悪い悪い。先に武本君を病院まで連れて行ってたんだよ。許してくれ」
金本は奈央を後ろに乗せて千代吉のやった惨状を見て感嘆の声を上げた。
「いやまさかこんなお手軽に片づけちまうとは。姉さんには恐れ入ったよ。普通に負けてる可能性も考えてたから」
「そう思ってるんだったらもう少し早く迎えに来てくださいよ」
「へえへえごめんなさい」
「なんすか。その適当な返事は」
エンジンがかかり車が走り出す。
「でこの後どこに向かえばいいの?」
「うーん私の家でもいいけど。あっそうだ!奈央あんた怪我とかしてない?病院とかは大丈夫?あいつら前から突っ込んでだからなあ」
そこに関しては千代吉のせいだと思って少し笑ってしまった。気を使ってボケてくれたのかもしれない。
「いえ特にひどいことをされる前に助けてもらったので怪我とかは特に。ぶつかったときもスピードは落ちていたので。でも今日はちょっと1人ではいたくないです」
正直な気持ちを伝えた。まだ手がかすかに震えている。少なくとも今夜は1人で過ごせそうになかった。
「わかった。じゃあ今日は一緒にいましょう。仕事も休んじゃいなさい。私もそうするから。金本さんの家に向かって」
「俺んちかよ」
「いいじゃない。何の仕事してるか知らないけど絶対家でかいっすよね!タワマンとか。しばらくはセキュリティがしっかりしてるとこに住みたい。せめて奈央だけでも」
「タワマンっちゃあタワマンだけど。うーん分かった。元をたどれば俺のせいだしな。しばらく泊めてやる」
「きゃっほほい!奈央。しばらくセレブな生活しようね」
金本はやれやれとうなだれた。
「で、黒心館とはどうするんだ?あんだけやられてりゃあ仕返しとか大丈夫だと思うが」
「何言ってんだよ。まだ終わりじゃないっすよ。あの手の輩は喉元過ぎれば熱さ忘れるんですから。徹底的にやらないと駄目なんですよ」
「はあ?つまり?」
金本が尋ねた。
「黒心館は私が潰します」
そう宣言した千代吉の眼光は美しく夜の闇に堕ちていきそうな暗闇を抱えていた。