闇男5
雲の流れをぼんやり眺めているといつの間にか雲は視界から消える。このいつの間にかというのが光夜には不気味でたまらなかった。あれだけ世界を照らしていた光がいつの間にか暗くなる、あれだけ活発に活動していた生き物がいつの間にか動かなくなる、本当は誰か人の意思が働いているんじゃないかとそう考える方がまだましだった。
光夜は警視庁の屋上で肌寒い風を浴びながら流れる雲を見てそんなことを考えていた。
聖子はすみれを連れて海田千代吉の聞き込みに出掛け、壮太は千代吉のダイナを調べるために鑑識に話を聞きに行っていた。
光夜も壮太とバディを組むように言われたが、話を聞くだけなら2人で行く必要はないと思いこっそり抜け出して来て今に至るのである。聖子という恐怖の目が届いていない環境だとやる気が起こるはずもない。
元来光夜は仕事が好きではない。その日暮らしの生活ができればそれで満足なのだ。ところが東京ではそうもいかないらしい。働くことは生きるためとは別に自分の場を確立するための意味もあるようだ。
少し眠くなってきた。一眠りして目が覚める頃には壮太の用事も終わっているだろう。
ごろんと寝転がり目を閉じようとした時、何かが視界の端で動いた気がした。視界の上の方である。ゴミでも舞っているのかと思った。
だがすぐに違うと気づく。大きさがあまりにも大きい気がした。というより人が空から降ってきたように見えた。
光夜は立ち上がり、そして振り返った。光夜の場所からさらに上の位置に女は静かに降り立った。美しく整えられたその顔は慈愛に満ちたほほえみを光夜に向けた。涼しげに靡く風を纏うかのような姿は天女のようであった。
上下パーカーにジーンズ、足元はスニーカーと動きやすい格好で固めているにも関わらず上からは桃色が目立つ花柄の着物を羽織っている。頭にはカチューシャをつけ、前髪を掻き揚げていた。本来似つかわしくない服の合わせ方だが目の前の女は華麗に着こなしていた。
「若い男が昼間っからこんなところでごろごろしてるんじゃないよ!」
神秘的な空気を身に纏った女の口から放たれた第一声は意外にも庶民じみたものであった。光夜の狂っていた感覚が正常に戻る。
この女は警視庁の屋上に侵入した頭のおかしい女だと認識を改めた。
「あんた何者だ?どういう手品使ってこの高さの建物に降りてきたのか知らないけど不法侵入で逮捕するぞ」
光夜の返答を聞いた女は腹を抱えて笑い出した。
「賢い言葉知ってるんだねえ、芝崎光夜くん。それともクロって呼んだ方がいいのかな?」
背筋が凍った。体がよく分からない汗が噴き出る。
「そんな怖い顔するなよ。どういう印象持ってるか知らないけど私は敵のことはしっかり調べるタイプだ。君が公安4課の芝崎光夜だってことも、あのドヤ街出身だってことも、よくここで油を売っていることだってちゃあんと調べてあるんだよ。君のような対エスパー、それも戦闘にのみ特化した人材はそんな警察官みたいなことじゃなくて兵器として私のような人間をぶっ殺す術でも考えた方がよっぽど給料に見合った仕事だと私なんかは思うわけよ」
光夜は目の前の女と最近見た資料の人間を一致させた。S級テロリストの名は伊達ではない。
「お前海田千代吉だな」
千代吉は公園ではしゃぐ子供のように笑った。
「私のこと知ってるんだあ。そうだよ、私が海田千代吉だ。玄関からお邪魔しなかったマナー違反は許してくれよ。ネットとかのイカれたイメージと違って根はビビりなんだ」
「ビビりな奴は敵の総本山に1人でカチコミかけねえよ。俺の地元でもあんたみたいなのはイカれって言うんだ。敵との戦力差も分からねえ馬鹿とも言うけどな」
千代吉はさらに笑った。千代吉の舐めた態度にさすがの光夜もイライラしてくる。
「で本当に何しに来たんだよ?まさか自首でもしに来たんじゃねえだろ?」
千代吉は笑うのをやめ光夜に視線を戻した。綺麗な顔だと改めて思う。
「自首なんかしに来るかよ。私は死ぬときはふかふかのベッドの上って決めてんだ。目的は……、そうだな。お前の言う戦力差の計算を間違ってるって伝えに来たってところかな」
千代吉の目に殺意が燈ったのが分かった。
「私1人に国家権力が壊滅したってなったらかわいいぼくちゃんはどうするんだろうなああ?」
その瞬間千代吉の姿が消え光夜の視界は何かに遮られた。重力が後方から伝わり後ろの壁に激突しそうになった。
光夜は反射的に黒いアポロを背中に出した。衝撃はしのいだ。何が起きたかの確認作業に徹した。
「反応いまいちだなあ。最初の一撃で死んでるぞ」
顔を掴まれソフトボールのように壁に投げ込まれたのだ。とても光夜の目で追えたものではない。千代吉の言うように初手で刺されていれば致命傷だった。
光夜はアポロを4本自分の周りに出した。
普段は防御に2本、攻撃に2本と使い分けるのだが4本すべてを防御に回した。警戒の度合いを最大値に引き上げた証拠である。
千代吉は終始笑っている。だがここに降り立った時のにこやかな笑顔とは全くの別物であった。不敵な笑みというのか、戦いを楽しんでいるようだ。
「楽しみだなあ。私の拳で貫ける程度なら雑魚認定させてもらうぞ」
再び千代吉が視界から消える。やはり目で追うのは無理だった。右のアポロに衝撃が伝わる。そちらに目を向ける頃にはもう左から衝撃が伝わっていた。
光夜の黒いアポロはオートで攻撃を防ぐようになっている。どういう仕組みでそうなっているのか分からないが物心ついた時からそれができていた。
その黒いアポロをもってしても千代吉の動きは速すぎた。光夜を囲む範囲がどんどん狭くなっていく。気づけば光夜を覆うように球体の形に変質していた。
「お前はヘタレか!引きこもってるだけじゃあ私に勝てねえぞ!」
「それはお前も同じだろ?俺のアポロは誰にも貫けない」
聖子のような圧倒的な火力があればアポロを通して光夜にもダメージが与えられるが、千代吉にそこまでの攻撃力はないはずだった。しかしそれが皮算用だとすぐに思い知らされる。
「上等だよ。死んでも文句言うなよ、くそニートがあ!!」
千代吉の声しか聞こえない。光夜のアポロは外の景色を見れないほどに光夜の近くで守ることに徹してしまっていた。右目だけが微かに見えるくらいに隙間を開け千代吉を探す。
千代吉は動いていなかった。光夜を囲む黒いアポロの前に立ち、空手の突きの構えをとっていた。
頭では理解できなかった。ただの突きでは自分のアポロを貫通することは不可能だろうと。だが本能は全く逆の警鐘を鳴らしていた。頭にガンガンと鳴り響くほどに。すでに光夜にできることは何もない。強いて言うなら祈ることと後悔することだけであった。何とか命は助かるようにと、なぜ仕事をサボってしまったのかと。
「大惑星拳!」
漫画の主人公の如く必殺技を叫びながら放たれた拳は黒いアポロを容易に貫き、光夜にダメージを与えた。受けた光夜は手足の1本も動かせず数十メートル吹っ飛びながら貯水タンクの壁にぶつかって止まった。
「私の全力パンチを食らって人の形を保ってるのは充分強いんだけど、そのヘタレを直さんと一生私には勝てんな」
千代吉はガハハと笑いながら屋上の扉を開けゆっくりと下に降りて行った。光夜の指が微かに動いたことには気づかなかった。
ウーウーウー!
警視庁内部に警報が鳴り響いた。火事でも起きたのだろうか?このくそ忙しいときに余計な仕事は増やさないでもらいたいと壮太は舌打ちを鳴らした。
「なんかあったんかね?誤作動だと思うけど……」
山根監視官が不安そうな顔をする。腕は確かだが神経質な男だと壮太は思っていた。最も鑑識は神経質すぎる方がいいんだろうがとも。
「まあ大丈夫でしょう。それじゃあ俺はこれで。またなんか分かったら連絡してください」
「あいよ。狭山くんも気をつけて」
頭を下げてから壮太は鑑識を後にした。海田千代吉による東京タワー倒壊の映像から能力分析をお願いしていたが新たに分かったことは特になかった。
重力を操っているようだがそれ以上のことは映像からは何も分からなかった。やはり直接戦闘してみないと分からないのだろう。
頭が痛い。勝てるヴィジョンが全く見えない相手と戦闘になるのかと思うと壮太は憂鬱になった。光夜を呼び出そうと電話を掛けるがつながらない。また屋上でサボっているんだろうがいい加減電話にすぐに出る癖をつけてもらいたい。
まだ警報が鳴っている。誤作動ではないのか?壮太は原因の解明に向かった。すると放送が流れた。
「至急至急!!警視庁内部に侵入者あり!繰り返す。警視庁内部に侵入者あり!細部は不明。屋上から侵入したものと思われる」
パニックとなる警視庁内部、壮太はその中をかき分け階段を駆け上がった。ただ事ではない。光夜はよく屋上でサボっていた。もし本当に屋上からの侵入を許したのだとしたら光夜は倒されている可能性が高かった。
途中で上から発砲音がした。かなりの数である。乱射と言っていい数だった。
(嘘だろ!勘弁してくれよ!)
音のする方へ足を進めた。壮太が走る進路には人が道しるべのように倒れていた。血と火薬の匂いがますます濃くなる。
廊下を曲がったところだった。そこは警視総監の部屋の前だった。
女が1人立っている。制服の人間しかいない中でその女だけが奇抜な服装に身を包んでいた。
女は倒れる屍を尻目に右手で警視総監の首を掴み上げていた。
「おい!やめろ!総監を下ろせ!」
壮太の不慣れな威嚇に女は反応した。警視総監を乱雑に投げ捨てゆっくりと壮太の方に近づいた。
「警察って思ったより大したことないんだな。侵入して王手まで10分そこらだ。こんなんだから私らテロリストにいい様にやられるんだよ」
壮太はダイナを解放した。全身を黄金で固める。こんな大胆なことをするテロリストを壮太は1人しか知らなかった。
「海田千代吉だな。国際指名手配犯、1億ドルの賞金首、S級エスパー、日本でも罪状を挙げたらきりがないが、とりあえず公務執行妨害で逮捕だ」
「全身黄金のダイナか。お前を生け捕りにしたら一生金には困らないだろうな」
先手必勝。壮太はギガントをフルにして千代吉に殴りかかる。しかし壮太の右ストレートは千代吉に難なく防がれた。
壮太はすぐに態勢を立て直し左のジャブを放つ。これも千代吉に鼻先でかわされるが拳の軌道を左フックに変更した。これには千代吉も右腕で顔を覆い防御に徹しざるを得なかった。
(喧嘩慣れした奴だが右腕を上げさせたぞ)
死角となった千代吉の右下、がら空きになった右のボディを壮太は左のミドルで潰しにかかった。
千代吉のあばらはへし折れるはずだった。千代吉は右足でしっかりとガードしていた。
さらにそのまま上げた右足で壮太の腹に前蹴りを浴びせたのだ。
壮太の体が後方に飛ぶ。黄金で全身をコーティングしていなければ胃が潰れていただろう。壮太は千代吉の防御力に驚きを隠せなかった。
(左ミドルを防がれたのはいいが、なぜ足に異常がない。鉄より硬い合金にギガントを乗せた打撃だぞ。骨折どころじゃすまないはずだ)
見たところ千代吉はぴんぴんしている。骨にも異常はなさそうだ。
「硬い!硬いわあ!足痛てえよ。私の動きもしっかり見えてるな。ギガントに関しては芝崎光夜くんよりも強いわ、狭山壮太くん」
光夜と比べたということはもうすでにやられているのだろう。屋上から侵入したと聞いて覚悟はしていたが光夜があっさり倒された事実に壮太は身震いを覚えた。
壮太は黄金を纏ったままギガントをフルパワーで発揮した。もう様子見はしない。相手は正真正銘の化け物だ。出し惜しみしてる勝てる相手ではない。
壮太は千代吉の背後に回った。首へめがけて手刀を思いっきり叩き込む。これも千代吉には見えていた。流れるようにかわしてそのまま攻撃に転じてくる。
ギガントの勝負は互角だった。むしろ硬度がある分当たった時はこちらが有利。このまま1発でも入れば形勢は傾く。
「ほいっと」
千代吉の間の抜けた掛け声とともに体が重くなった。重力をかけられた。
「ほれよ」
壮太の腹に千代吉のボディが突き刺さった。
「ヴぉっっっえええええ!!!!」
胃液がぶちまけられる。黄金で固めているはずなのに腹がよじれそうな威力だった。
「効くだろ?私の拳。殴るときに重力をのせるとそうなるんだよ。像の重さが拳の圧力で飛んでくるんだ。痛くないわけない」
そう言いながら千代吉は壮太は担いで鯖折りの体勢をとった。
「このまま骨ごとへし折ってやる。っつても聞こえてないか」
千代吉の腕に力が込められた。
「ぎゃあああああああ!!!!!!」
この世の者とは思えない絶叫が警視庁中に響き渡る。壮太の意識は遠のいていった。
「そこまでよ」
突然の稲光。千代吉はとっさに手を放した。雷光とともに現れたのは警視庁最強のエスパー。
「やっと来たな。芝崎!」
2刀のマチェットナイフを構え芝崎聖子は海田千代吉の前に降り立った。