重力女2
「だあかあらあ何で私がクビ切られねえといけねえんだよ!説明しろよ俊夫!私悪くねえらろうがよお」
「もう呂律回ってないですよ。千代さんは悪くないです。悪いのは世界です」
千代吉も酔っ払っているが、この男ももう頭が回っていない。現在時刻は0時を過ぎ、河岸も変わって2件目となる赤坂の行きつけのバーに千代吉、矢野奈央、武本俊夫の3人で来ていた。
バーの店内は広くコの字型の造りとなっており、ダーツやカラオケもあって静かな内装ではあるものの常ににぎわっていた。
今日も例に漏れず千代吉たちが来た時も客が5、6組くらいおりうるさくなっても誰も気に留めないので議論が熱くなりがちな千代吉はここが気にいっていた。
あの悪夢のような宴会は千代吉のおかげでその後お開きとなり、空気の重さは残しつつも無事解散することができた。
ホテルチェルヴィニアの品格を守り、従業員から1人の怪我人も出さなかったのは紛れもなく自身の手柄だと千代吉は自負していた。
それなのに宴会主任の森から就業終わりに呼び出され、退職勧告を言い渡された。
正社員の奈央と違って契約社員の千代吉は年ごとに契約を結んでいる。その契約を来期は結ばないとのことであった。
「前から考えていたんだと。私の退職を。私ってそんなにできないコンシェルジュかね。そりゃあああいう客が来たらさあ、多少荒事になっちゃう時だってあるよ。でもさあ誰かがやらなかったら警察沙汰じゃん。それはダメじゃん。考えてもみてよ。頻繁にエントランス付近でパトカーが止まるホテルなんて誰も行きたいと思わないでしょ?」
実際千代吉の接客は丁寧だ。非の打ちどころがないといっていいだろう。後輩の面倒見もよく、なおかつ容姿も端麗である。頼れる先輩だと奈央も武本も思っていた。
今回のような暴れた客が出たときは皆が委縮する中、仲間のために泥をかぶってくれるのが千代吉だ。
だが、彼女は上からの評判がすこぶるよくない。特に森主任とは絶望的に相性が悪く犬猿の仲といってもいい。
「別にいつ辞めてもいいと思って仕事してたんっすけどねえ。いざクビを言い渡されるとお前は社会に必要ないって明確に宣告された気がして思いのほかショックというか。次の仕事どうしようとかいろいろ考えちゃうわ」
「千代さんが辞めたら私も辞めますよ。今回の件だって私のせいですし。千代さんは私を助けてくれただけです」
「俺ももちろん千代さんについて行きますよ」
3人とも酒のせいもあるのか目が潤んでいた。
「奈央~~!あんたは良い娘だよお。私と結婚してくれえ~。でもあんたが気にすることは何もないよ。私がむかついたから暴れただけ」
そう言って奈央をギュッと抱きしめた。奈央の頭をポンポン叩きながら武本の方には厳しい視線を向ける。
「それに引き換えあんたの言葉にはソウルがないよ。ソウルが。絶対長いものに巻かれるタイプだね」
千代吉の言葉に武本は必死に反論する。
「そんなことは絶対にないです。俺はいつだって千代さんの味方ですよ」
「つかあんたあの時どこいたん?あんな騒ぎになってたのにあたしあんたのこと見てないんだけど。男手が欲しいっていう肝心な時にいないんだから。まさかお前隠れてたんじゃねえだろうなあ」
「そんなわけないじゃないですか!あの時は千代さんに言われて会場の外のトイレでお客さんの面倒見てたんですよ。まさか中がそんな風になってるなんて全然知らなくて。落ち着いて会場に戻ろうとしたら皆ぞろぞろ出てきてびっくりしたんですから」
「ふーん。そうだっけ?まあいいけど。とにかくあんたが肝心な時にいなかったのは事実なんだから、私の右腕としての働きがちと足りてないんじゃない?あんたがもっとしっかりしてくれたら私もあそこまでやらなくてすんだのに」
「なんか理不尽な気がしますが…。すいません」
武本は納得がいかないようである。
「そのことなんですけど…。ちょっといいですか?」
武本への殺意の視線をぶつ切り、奈央の方に目を向ける。
「千代さんってエスパーだったんですか?私あんな現象初めて見たんですけど」
千代吉は焼酎をちびりと口に含み、野菜スティックを丸々一本豪快に口に放り込む。
「まあ言ってないし、見せてないからねえ。別に隠してたわけじゃないよ。ただ使う機会もないし、わざわざ言うほどのことでもないし」
「私も今まで何人かエスパーの人を見てきましたけど千代さんみたいな能力は初めて見ました。私の見てきたエスパーの人達って車を持ち上げられますとか透視で更衣室のぞけますとか、それぐらいな認識だったんですけどあんな自然現象に影響するものなんてびっくりですよ。同じ人間かどうか疑っちゃいます」
「ひでえな。私だって奈央ちゃんと同じようにただの人間ですよ。あんなもん足が速いとか顔がいいとか酒が強いとかその程度のことよっと、ちょっとトイレ」
トイレに行こうと立ち上がろうとすると不覚にも少しよろけてしまった。武本はすかさず「大丈夫ですか?」と千代吉を支えようとするも、バチン!となぜかフルスイングでビンタをくらってしまった。
「触んじゃねえよタコ!ああ酔っ払った。ちょっとトイレ行ってくるわ。私がいない間に悪口とか言わないでよ」
「言いませんよ」
不当な暴行を受けた武本が小さく答えた。
千鳥足とはいかないまでも足が少しふらついている。体を支えるのが億劫になってくる感覚だ。もう何年も通い詰めた店なので、トイレの場所は分かっている。それにしても酒に弱い自分の体を恨めしく思う。いくら焼酎を飲んでも酔わない能力ならいいのに。二日酔いを気にせず一生飲める。だが人生はそううまくいかない。天が千代吉に与えた才能は普通に生活するうえでは特に使い道のない能力だった。
ああむしゃくしゃする。それもこれも黒心館のせいだ。路上で会ったら絶対にボコボコにすると千代吉は決めた。
「お姉さん。ふらついてるけど大丈夫かい?」
横から声をかけられた。
そんなに足取りが怪しかっただろうか。自分ではまだ意識をはっきりさせているつもりだが、はたから見れば危うく見えるのだろう。
「大丈夫です。気にしないでください」
できるだけ自然に冷たさを感じさせる。ナンパまがいな行動をされたらたまったもんじゃない。
千代吉はそのまま視線を向けることなくトイレに前進しようとした。
「あれ?お姉さん、チェルヴィニアで働いてたよね?ほら、黒心館の若い連中ともめてた」
「はあ…」
千代吉は声のする方に視線を向けた。トイレに一番近いカウンターの席、千代吉たちが飲んでいる場所からは死角になっているところである。男が1人座っていた。年は50前のナイスミドルな胡散臭さの残るおっさんである。
うん?この特徴どっかで見たような…。
「あ?ああ客の中にいた…。ええとちょっと待ってよ。確か阪神っぽい名前だった気が」
カウンターで飲んでいたこのおっさんは約4時間前に千代吉と黒心館の若手の争いを止めきれずさらには挑発食らって自分も喧嘩に参加した堪え性のないおっさんというのが千代吉の印象だった。
「阪神っぽい名前って、ああ金本のこと?なんだよその覚え方。金本であってるけど」
「そうだそうだ金本さんだ。今後ともうちのホテルをごひいきにお願いしますよ。いや本当に」
「絶対思ってないでしょ!迷惑かけといてなんだけど出禁レベルの客だったのに」
「いやいやもう次はもっと思う存分暴れちゃってくださいっすよ。ほんであんなホテルぶっ潰しちゃってください」
「とんでもないこというなあ。まさかさっきまで暴れてたホテルのコンシェルジュさんにこんなとこで会うだけでなくそんなことまで言われるなんて思ってもみなかったよ」
「私も仕事クビになった日の夜に職場で暴れてたおじさまからナンパされるなんて思ってなかったよ」
金本はわははと笑った。私が無職になる要因を作っておいてなに笑てんねん!と普段の千代吉ならなっていただろう。
だが、金本には不思議と不快な感情は抱かず、豪快な笑い方につられ思わず吹き出してしまった。
トイレを済ました後、奈央達のところには戻らず、金本の隣によいしょと座った。
「すっきりしたかい?」
「めちゃめちゃ出たね。バラスト水くらい出たね」
「船か。あんたは。出すぎだろ」
こんなデリカシーのない問いにも陽気に応じた。
金本は「何が飲みたい?」と聞いてきた。
「奢りですか?」と聞くと「1杯だけな」と言い遠慮なく1番高いカクテルを頼んだ。
乾杯を済ませる。
「改めて悪かったね。姉さん。勘弁してくれ」
「いやもう全然気にしないでください。大丈夫ですから。私思うんですよ。金本さん。金本さんでしたっけ。辛い仕事でも誰かが見てくれてるから腐らず頑張りなさいって。私の亡くなったお祖母ちゃんがよく言ってたんですよ。でもそれって良いとこを見てるとは限らないんですよ。分かります?見てるんは見てるんですよ。でも人間って奴は社会の歯車な奴は悪いとこを見る頻度の方が多いんですよ」
「いや俺の謝罪を秒でスルーして何の話してるの?」
「それでねそんな腐った世の中の被害にあったわけですよ。私は!半分くらいはあんたらのせいですが。いつか辞めようとは思っていたんですけどいざ仕事がなくなると不安になるよね」
話があっちゃこっちゃ飛んでいる。いよいよ酔っぱらいのたわごとじみてきた。そんな話でも金本は楽しそうに聞いていた。
「なに笑ってんだよ!金さんよお。さっきも言ったけどあんたのせいでもあるんだからなあ。責任とれよこの野郎!」
さっきまで名前もうろ覚えだったのにもう金さん呼びの図々しさである。さらには複数形だったのが金本1人のせいになっており、責任取れという始末だ。
「悪かった悪かった。俺が悪かったよ。俺も若い奴に反抗されてついカチンときちまった。でもその後の姉さんの手際は見事だったぜ。姉さんレベルのエスパーは初めてお目にかかったよ」
「別に大したことねえっすよ。普通に生活してたらマジで使う機会ないんっすから。これならもっと実用的なのがいいわ。鼻毛が出てこないとか二日酔いにならないとか」
「随分要望が小さいな。それにしても姉さんはどうやってその能力が発言したんだい?差し支えなかったらぜひ知りたいもんだ」
「差し支えなんか全然ないっすよ。元からうっすら使えてはいたんですよ。多分物心ついた時から。遊びでムカつく先生に重さかけたり、軽くして公園の遊具引っこ抜いたりして遊んでたんですよ」
「何が面白いんだよ。それ」
「でもちゃんと練習した時期が2回あったんっすよ。中2の時と高1の夏からなんですけど」
「へえ~。そりゃまたどうして」
「中2の時は一言で言うならダイエットです。私その時思春期の影響からか少々体重が増えすぎましてねえ。今でこそ55キロなんですけど、当時は80キロあったんですよ」
「なるほど自分の重さを軽くしたってことか」
「違います。身体測定の時にクラス全員の体重を重くしてやったんですよ。絶望させてやろうと思って」
「思ったよりカスな理由だった!ダイエットになってねえし。姉さんちょっと小物すぎない」
「うるさいなあ。いいんですよ。人間小物ぐらいが1番動きやすいんですから。出る杭は打たれる。打たれないための秘策だよ」
「ばれたら全員から打たれそうなムーヴかましてるけどね」
「まあ体重に関しては高校上がるころには気づいたら戻ってましたね」
「能力を悪用したわけだ。それで高1のときは?」
「それが私の人生の最も痛い時期であります」
「痛い?」
「中2病ですよ。そのころ私不良漫画に激ハマりしてましてねえ。全高制覇を夢見てたわけですよ」
「なに?全高制覇って」
「喧嘩して回るんですよ。平日はしっかり高校に通って終わった後とか土日は近場の高校の番長を狩って県内、県外、全国に広げて、みたいなそんなんにはまってたんですよ」
「ああそういうこと。その時に練習したと」
「練習というか実戦というか喧嘩に能力を合わせる感じですね」
ドガン
その時店内で何かをぶつけるような音がした。話していて気にしていなかったが、争うような声も聞こえる。店内で誰かが喧嘩している?
さっきからうるさかったのだろうか?今のはどう考えても尋常ではない。
千代吉は奈央と武本を置いてきていることにようやく気づいた。
「そろそろ戻るわ。なにかあったのかも」
「俺も行くよ。なんか喧嘩っぽい感じだろ?」
「いいですけどホテルの時みたいに暴れないでくださいよ」
「分かってるよ。おっさんをいじめるな」
元の席に戻る。なんとなくだが嫌な胸騒ぎがした。
席に戻るとグラスや椅子が散乱していた。それだけでなく血を流している人間が2人倒れている。1人は店員でもう1人は武本だ。
「金本さんは店員の方を頼むよ」
「了解だ」
武本にかけより声をかける。
「うぅぅ…。千代さん。どこにいたんですか?」
意識はある。血も出ているがでこを少し切っているくらいだ。武本に問題はないだろう。それよりも特に気になったことを確認した。
「奈央はどこ行った?」
この問いに武本は悔しそうに唇をかみ、うつむきながら言った。
「すいません。拉致られました。黒心館の奴らです」
千代吉は自分の頭の血管が切れる音をはっきりと聞いた。