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7話 逆転

 人気のない工場の奥深く、暗闇を切り裂くような金属音が響き渡る。

 それは、剣と爪が激しくぶつかり合う音、生死を賭けた狂乱の交響曲だった。


 工場の床には、二人の激しい戦いの跡が残る。

 深い傷跡と砕けたガラス片が散乱し、戦いの激しさを物語っていた。


「へぇ~。強いね」

「僕も、ビックリだよ」


 余裕を見せる愛菜。

 しかし、その目には余裕を感じられる。


 片や慧の心は、虚勢と恐怖の嵐に翻弄されていた。

 愛菜の影が再び近づき、工場に不気味な金属音が響き渡る。


 なぜ自分が戦い方を知っているのか、理由は分からない。

 しかし、今の自分自身を信じるしかない。


 再度、2人の影が近付く。

 剣戟が奏でる金属音は、工場に不気味な響きを放つ。


 慧はなぜ、戦い方が分かるのか。その理由は分からない。

 しかし、彼は今の自分自身を信じるしかない。


 再び振り下ろした剣は、愛菜の金属のような爪に弾かれ、火花を散らして鋭い音を立てた。

 愛菜は慧の動きを嘲笑いながら、さらに攻撃を仕掛ける。

 鋭い爪が慧の体を切り裂くように迫り来る。


 何とか剣で攻撃を防ぐが、圧倒的な力の差の前に、徐々に追い詰められていく。


 決め手がない。


 力量、経験、体力、すべてにおいて相手が遥かに上回っている。

 このままではジリ貧になるのは明らかだ。


 一瞬でいい、捨て身であれば愛菜を引き摺り下ろせる瞬間が欲しかった。


 再び振り下ろした剣は、やはり愛菜の金属のような爪に弾かれ、鋭い音を立てる。

 強烈な衝撃が腕を駆け巡り、全身が痺れるような感覚に襲われた。

 互いに一歩も譲らない攻防戦が続く。


 いや、愛菜は遊んでいるのが分かっている。

 彼女の気紛れで、この戦いは容易く決着がついてしまう程の実力差だ。

 慧は再び剣を振り上げ、反撃する。

 しかし、愛菜は軽快な動きでそれをかわし、鋭い爪で慧の胸元を捉える。

 だが、慧は大きく体を傾けて避ける。


 一瞬の油断も許されない、緊迫した攻防戦を強いられていた。


『ああ、そうか。戦う事で縁を結ぼうとしているんだ』


 剣と爪が激突し、飛び散る火花を見ながら慧は思う。

 愛菜は、縁を結んだ相手を喰う事で、自分の体を安定させると言っていた。

 遊んでいるのは、戦いを長引かせ、その縁を深めるためであると理解する。


 悔しい。


 完全に見下されている事が。

 だが、どうしようもない実力差があるのは確かだ。

 慧は必死に体を反らし、爪の攻撃を回避する。


 しかし、爪の余波で頬を掠め、血が滴る。

 痛みを堪えながら、慧は再び剣を振るう。


「頑張ってかわさないと、死んじゃうよー」


 愛菜の言葉が、慧の耳に嘲笑のように響き渡る。


 一瞬でいい。

 捨て身であれば届く場所まで、愛菜を引き摺り下ろせる瞬間が欲しかった。


 圧倒的な力を持つ愛菜は、猫じゃらしで遊ぶように、慧を翻弄しながら徐々に追い詰めていく。


 戦いが始まってから、慧の剣は一度たりとも愛菜に触れることができなかった。

 彼女の爪は軽快に慧の剣を弾き返し、鋭い刃は愛菜を覆う外骨格に傷一つ刻むことができない。


 仮に体に攻撃が届いたとしても、服の下まで外骨格が覆っていれば爪と同じように防がれてしまうだろう。


『どうすればいい……?』


 一つだけ、突破口はある。

 初めての殺し合いであるにもかかわらず、慧の心は恐ろしいほど冷静だった故に気付いた事実。


 これまでの戦いで、愛菜の癖を理解できた。

 それがブラフで無いのなら……。


 唾を飲み込み、慧は決断する。

 これは捨て身の一撃のために、自ら隙を作ってしまうという矛盾に満ちた行為だ。

 しかし、自分が圧倒的に劣っていることを彼は理解していた。

 贅沢は言えない。


 彼女の外骨格が服の下までどこまで広がっているのか?

 そんなことを考える余裕などない。今できるのは、運にすがることだけだ。


 剣と爪が激突し、火花を散らしながら甲高い音が響き渡る。


 何度も、何度も、何度も繰り返し。


 これまで以上に長い打ち合いが続く。

 慧は守りを捨て、相手の隙を誘い、早期決着を目指した。

 しかし、数回の攻防で、状況はさらに悪化してしまう。

 彼の左腕は愛菜の爪に切り裂かれ、血が噴き出す。


「そんなんじゃ、ヒーローになれないよぉ」


 奇妙な粘り気のある声が耳に残る。

 慧は、これがギャンブルに出るタイミングであると悟った。


「えっ?」


 一瞬の出来事だった。

 剣が微かに青い光を放つと共に、慧の体が消える。


 そして遅れて、愛菜の体に左肩から右脇腹にかけて、袈裟斬りのように真っ直ぐな傷跡が刻まれた。


 剣の持つ二つの特性を最大限に活用した一撃。

 まず回復の特性を使って生命力を増幅させ、次に浄化の特性を使い増幅させた生命力を安定させ扱いやすい状態にする。

 そして、僅かな瞬間だけ、桁外れの身体能力を発揮してみせた。


 長時間の観察を通して、彼は愛菜の最大の隙を見抜いていた。

 それは、相手を追い詰めた後、油断して大きな隙を見せる瞬間があるというもの。

 彼女は、大振りの攻撃で相手に恐怖を与えようとする癖があった。


「く、ぅっ……」


 渾身の一撃の代償は大きい。

 全身が鉛のように重く感じられる程に、生命力を消耗してしまった。


 それに、愛菜の体は想像以上に硬く、致命傷には至っていない。

 だが、これが最後のチャンスだ。

 今こそ畳みかけるしかない。


「あああぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」


 慧は全身の力を振り絞り、絶望の淵に咲く最後の希望を掴もうと、愛菜に渾身の剣撃を繰り出す。


 愛菜を追撃する慧の叫びは、野獣の咆哮のように響き渡り、戦場を狂気の旋律で満たしていく。


 本能が理解していた。

 叫びは、相手を恐怖に陥れ、自身の内に秘めた狂気を解き放つためのトリガーであることを。


 振り下ろす剣は、愛菜の鋭利な爪によって弾かれる。

 しかし、慧は追撃の手を緩めることなく、狂乱の戦士のように何度も剣を振り下ろす。


 体は悲鳴を上げ、限界を訴えている。

 しかし、慧は意に介さず、ただひたすら愛菜を倒すことに集中する。


 覚悟は決まっていた。

 たとえ命を落としても、愛菜を道連れにする。

 弱者の意地だ。


 何度も斬りかかるが、愛菜の爪はすべてを弾き返す。

 しかし、慧の攻撃は無駄ではない。


 徐々に、愛菜の服は赤く染まっていく。


 血だ。

 防ぐたびに剣の重量が体を貫き、衝撃が響き渡る。

 傷口は徐々に広がり、慧と愛菜、お互いの命を削っていく。


「なんで、私が……」


 愛菜の余裕は、ついに崩れ落ちる。

 殺意に満ちた大振りの爪は、慧の剣を弾き飛ばし、彼を後ろへと吹き飛ばす。


「あああぁあっ、許さない、許さない、許さない、許さない、なんで私が怪我をしているの! 人間ごときに、なん「黙れ」」


 地の底から響くような声が、愛菜の言葉を遮った。

 慧の双眸は、狂気に満ち溢れ、邪悪な笑みが浮かんでいる。

 愛菜は彼の中で、何かが目を覚ましつつあることを悟った。


「慧君……なんなの、アナタは。本当に……人間なの?」


 睨みつける目に、愛菜は本能的な恐怖で動けなくなる。


 幾人もの人を見てきた。

 獲物として、敵として。


 自分を倒そうとした者達は、魔術士を名乗っていた。

 戦いにはなったが、それでも対処できた。


 だが、目の前の存在は何だ。

 学校では気の弱い、自分が演じたのと同じ弱者の側のハズ。

 そう思っていた。


 しかし、化けの皮が剥がれつつある今なら分かる。

 これを人間だと認めてはならない。

 自分と同じ化け物の中でも、とりわけ危険な何か。


「ぅ、ああああぁぁぁぁぁぁぁあっ!」


 狩る側だった者は、狩られる側に堕ちた事実から逃れるために襲いかかる。

 これまでとは違う。遊びなどない本気の一撃は、限界を迎えている慧の体を吹き飛ばす。


「は、ははははは。そう、これが正しいの。アンタは私に……やめろ、やめろ、やめろっ、その目で見るなぁ!!」


 慧の狂気は、愛菜を恐怖で縛りつける。

 そして、戦いは新たな章へと突入していく。


 愛菜の鋭利な爪を剣で防ぎながらも、慧はまるで弄ばれるかのように攻撃に吹き飛ばされていく。

 しかし、彼の目は決して愛菜から逸れることはない。

 冷酷なまでの視線は、獲物を捕らえたハンターの如く、愛菜を捉え続けていた。


 そして、愛菜が爪を振り下ろそうとした瞬間、慧は静かに動き出す。


「……どうして」


 愛菜の隙を突いた慧は、彼女の腹部に横一線の傷跡を残す。

 それは浅い傷だったが、状況が大きく変わったことを示すには十分だった。


「お前の動きは理解した」


 慧は愛菜の背後に回り込み、自ら攻撃を仕掛ける。


「こんな傷でっ!」


 愛菜は慧を追撃しようとするが、彼は軽やかに体を翻し、彼女の攻撃をかわす。


 繰り返される攻撃。

 しかし、慧はすべてを紙一重で避け続けるだけでなく、愛菜の体に新たな傷を次々に刻んでいく。


「また……また、アンタはっ!」


 愛菜の腹部に、背中にも赤い線が走る。


 お前の動きは理解した。

 慧の言葉が、愛菜の脳裏をよぎる。彼は異常な速度で学習し、愛菜の動きを完璧に読んでいる。


 愛菜は恐怖を隠せない。

 目の前にいる少年は、剣を持った怪物以外の何者でもない。

 彼の力は、才能などという美しい言葉で片付けられるものではなく、もっと異質な何か、狂気に満ちた力が源泉となっているように感じられた。


 このままではまずい。

 この狩り場を維持することなど、どうでもいい。

 ましてや慧や心葉を喰らうことなど尚のことだ。


 闇雲に攻撃しても、慧を成長させるだけだ。

 もっと別の方法を見つけなければ……。


 しかし、慧が手を休めることはない。

 再び、彼は動き出す。


 力強さとは無縁な、力の抜けたような動きで剣を振るう。

 しかし、その動きには無駄な動きがなく、洗練された美しさすら感じられた。


 全身の筋肉を駆使し、移動の際に動く筋肉をそのまま利用して剣を振るう。

 体力満ちていたときよりも軽い一撃。

 だが、その鋭さは尋常ではない。


 これまで傷一つなかった愛菜の爪に、ついにわずかな切れ込みが入る。


 美しい舞いを連想させるような動きで、慧は攻撃を繰り返す。

 残り少ない体力を効率的に使うための、即興とは思えない動き。

 だが、確実に愛菜を追い詰めていく。


 距離を取らなければいけない。

 すでに剣が届く距離での戦いでは、愛菜に勝ち目はないことは明白だった。


 冷静さを保ちながら、愛菜は戦況を分析する。

 慧の剣技は恐ろしいほどに精密で、近距離戦ではカウンターを喰らうのは目に見えている。

 細かな動きで攻撃を仕掛けても、巧みにかわされるだけで、隙が生じることなど期待はできない。


 故に、愛菜は決死の賭けに出ざるを得なかった。


 あえて大振りの攻撃を仕掛けることで、慧にカウンターを誘い出す。

 そして彼の一撃を受け止めつつ、自ら大きく後方に跳んだ。


 窓ガラスが砕け散り、愛菜は工場の外へと飛び出す。

 愛菜の堅牢な外骨格は、工場の窓を突き破ろうとも傷一つ吐いていない。

 しかし、その衝撃で愛菜の体は大きく弾け飛ぶ。

 地面に激突する寸前、彼女は体を捻り、着地衝撃を巧みに吸収した。


 息を切らせながら、危なかったと胸を撫で下ろす。

 慧の技量は恐ろしい物があるが、体力が減少し過ぎているため一撃が軽い。

 その事に救われた。


 恐ろしい相手だ。

 これまで戦った誰よりも。

 だが、それでも賭けは自分の勝ちだ。

 その想いが、彼女に平静さを取り戻させる。


「残念。慧君がヒーローの物語は、バッドエンドが決定しました」


 工場の外に飛び出した愛菜は、勝利を確信した笑みを浮かべる。

 銀色に輝く月は、まるで何かを暗示するかのように、ゆっくりと二つに分かれ、青と赤の光を放ちながら離れていく。


 それは双子月。

 時の止まった、力ある者が支配する世界の証。


 愛菜の狂気に満ちた笑い声が、工場地帯に不気味に響き渡る。


「ふふふ、ふふ、あぁははははははははっ!」


 その笑い声は、まるで地獄の門が開いたかのような恐ろしさを感じさせるものだった。

 双子月が冷たく照らす中、愛菜の肉体は不自然に膨張し、人ならざる怪物へと変貌していく。


 鋭利な槍のような六本の節足と、闇夜に溶け込むような蜘蛛のような下半身は、圧倒的な存在感を放っている。

 全身を覆う黒い外骨格は、まるで戦場へと赴く巨獣の鎧のようだった。

 六つの瞳は暗闇に鋭く光り輝き、獲物を捕らえるかのように周囲を睥睨している。

 その視線は、魂を穿き、絶望を植え付けるかのようだ。


 愛菜は、全身を黒い外骨格で覆われたアラクネの変異種へと完全に変貌していた。


「ここは、私の作ったお月様の世界。私だけの為にお月様が輝く世界」


 圧倒的な威圧感と異常な存在感を放つ愛菜の前に、慧はただ立ち尽くすことしかできなかった。


「蜘蛛の巣に掛った間抜けな慧君。美味しく食べてあげるね」


 愛菜の言葉は、もはや単なる脅迫ではなく、死の宣告だった。

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