6話 犯人
孔を刺激する鉄錆の匂いが、慧を覚醒させる。
最初に気付いたのは、静寂を切り裂くような、薄暗い工場内を這い回る、金属の軋む音。
徐々に焦点が合ってくると、周囲の暗さの中に、壊れた機械が紛れている事に気付いた。
まるで壊れた機械の残骸が、闇の中で蠢いているようだった。
「おはよう、慧君」
突如、見知った少女・愛菜の声が響き渡る。
普段とは違う、弾むような声は、不気味さを増幅させた。
「なぜ……愛菜さんが」
朦朧とする意識の中、なんとか名前を口にする慧に対し、彼女は無邪気な笑みを見せる。
「ふふ、凄いね慧君。他の人は1日くらいは目を覚まさないのに、2時間で目を覚ましちゃった」
愛菜は、無邪気な笑みを浮かべながら、自分の爪を眺める。
その様子に慧は、腹部に感じた鋭い痛みを思い出し、愛菜の爪に毒があったことに気づく。
未だに毒の影響が残っているようだ。
体の力が入らず、冷たいコンクリートの床に這いつくばる姿を晒すことしか出来ない。
「愛菜さんが……愛菜さんが、行方不明事件の犯人だったの?」
未だに残る毒と、愛菜の言葉の衝撃で、慧は意識を失いそうになる。
しかし、ここで目を閉じてはいけない。
彼は、意地でも意識を繋ぎ止めるために力を振り絞る。
「そうだよ」
愛菜は、満面の笑顔で答える。
暗い工場内、薄暗い光が彼女を照らし出し、その笑顔には不気味な狂気が宿っている。
「なんで、こんなことを……」
慧は、震える声で問いかける。
「ちゃんと理由はあるんだよ。ほら」
華奢な愛菜は、片手で軽々とドラム缶を倒す。
その姿には、どこか異常な違和感があった。
だが、ドラム缶から転がり出た多数の白い物質が、違和感を恐怖で塗り潰す。
「骨……まさか……食べたのか」
頭によぎる、恐ろしい真実への予感。
認めたくないという想いを押し殺し、慧は恐怖を声にしてしまった。
「大正解。賢いねぇ慧君」
愛菜は、笑顔で拍手を贈る。
その笑顔は、まるで悪夢のような光景であり、慧はこの状況で笑みを浮かべる姿こそが、彼女の真の姿であると悟る。
「正解のご褒美に、さっきの質問の答えを教えてあげるね」
愛菜の瞳には、邪悪な光が宿る。
恐怖で目を背けたくなる衝動に駆られながらも、慧は愛菜の言葉に耳を傾けた。
「私ね、何もしないと消えちゃうの」
愛菜の言葉に、慧は混乱する。
まるで悪夢のような光景、そして常軌を逸した彼女の言動。
全て非常識すぎる。
だが、全て非常識だからこそ、情報が違和感なく結びついた。
「私はこの世界との繋がりが無いから、この世界との縁を作らなきゃいけなかったんだ」
まるで友人と世間話をするかのように、軽い口調で話す愛菜。
その軽い口調が、真実の恐ろしさを際立たせる。。
「だから他の人を食べて、その人が持っているこの世界との繋がりを取り込んで、安定させているの」
慧は、愛菜の言葉の意味を理解できない。
彼の常識と、愛菜の狂気がぶつかり合い、精神がおぞましい何かに蝕まれていく錯覚を感じさせられた。
本当に、目の前にいるのは人間なのだろうか?
まるで呪詛を吐く、別世界の何かではないかとすら感じさせるほど、その精神性が遠くの物のように感じられた。
「最初は、この子を食べたの」
彼女の顔が歪むと、全くの別人の顔に変わる。
陰鬱な雰囲気こそ見知った人物の物であったが その顔は全くの別人の物。
「次は、この子で……その次がこの子。そして慧君が知っている愛菜ちゃんを食べたの」
顔を次々に変えていく愛菜だった何か。
慧は、恐怖で息がつまり、呼吸が止まりそうになる。
「最初の子の性格は、すっごく便利だったよ。イジメられっ子のフリをしていると、勝手にイジメっ子が集まって来るんだぁ」
変えた顔は戻っている。
だから、先程までと同じ笑顔のハズ。
しかし、今は自分の知らないおぞましい容姿のように感じてしまう。
「食べて私を安定させられるのは、縁を結んだ人だけなの。だからイジメられて縁を作って、少しずつ食べたの」
愛菜の言葉は、まるで悪霊のささやきのように、慧の心を蝕んでいく。
「でも愛菜ちゃんは、他の人達と違ってお友達っていう特別な縁だから、きっと他の人と違う味なんだろうな~」
恍惚とした表情で語る愛菜に、言いようの無い不気味さを感じる。
だが今のセリフで、まだ愛菜が生きているのが分かったのは大きい。
その事が、慧の正気を若干ではあるが取り戻させた。
「僕は、前菜と言った感じかい?」
慧は、愛菜に喰われる恐怖に打ちひしがれながらも、精一杯の強がりをする。
内面では、愛菜に喰われる未来が確定してしまうという恐怖が渦巻いていた。
だが、一度でも弱気になれば、見えていない希望があっても消えてしまう気がするのだ。
それが何よりも恐ろしかった。
「そのつもりだったんだけど、お友達としての縁が切れちゃったから、味の種類が愛菜ちゃんと違うからコース料理にはならないかな?」
愛菜は、慧の恐怖を嘲笑するように、さらに笑顔を深める。
その笑顔には、邪悪さが満ち溢れていた。
「でも安心してね。ちゃんと残さず食べてあげるから、ね」
愛菜が、慈悲深く聞こえる言葉を口にすると、彼女の姿が変わっていく。
大半は元々の愛菜の姿のままであった。
しかし右半身全体が、黒い昆虫のような外骨格へと変貌した。
「大丈夫。痛いのはすぐに終わるから」
愛菜の言葉は、まるで子供を宥めるような優しい声で語られる。
しかし、その瞳には、狂気が宿っている。
愛菜の表情を見れば分かる。
彼女は、遊んでいるわけでも、慰めているわけでも、ましてや罪悪感を抱いているわけでもない。
まるで、どこにでもいる高校生が、日常の会話をするような気軽さなのだ。
慧は、愛菜の精神が根本的に自分とは違う生き物であることを理解した。
「動いちゃダメだよ」
愛菜は、慧を軽々と持ち上げる。
信じられない膂力だ。
「じゃあ、さようなら」
変貌した右手の鋭い爪が、慧の首元を切り裂く。
彼女すら、そう確信した時であった。
しかし次の瞬間、愛菜は慧を手放し後ろへ跳ぶ。
「危ないな~」
彼女の笑顔は変わらないが、僅かに警戒心が感じられる。
視線は、慧の手元に向けられていた。
「魔術士か何かだったの?」
愛菜は、慧の手元にある青い剣に目を向ける。
慧もまた、自分の手元に目を落とす。
視線の先、慧の手に握られた剣が青い光を放っていた。
剣を手にした瞬間、体内にあった毒が浄化され、疲れや怪我が癒されていっている。
明らかに普通の剣ではない。
「分からない。でも、これは僕が呼んだ物だっていうのは分かるよ」
慧は、青い剣を手にし、混乱を極める状況を理解しようとする。
しかし、手にした剣が自分の意志で呼び寄せたものだと、己の本質的な部分が訴えかけていた。
剣を握った瞬間、まるで長年訓練してきたかのように、その使い方が理解できる。
本能が研ぎ澄まされ、剣がまるで身体の一部となったような感覚だ。
『分かる。この剣の使い方が。それだけではない。体の中に流れる力の扱い方も』
さらに、剣を手にした慧は、体内に流れる生命力と呼べる力の使い方も理解し始める。
しかし、その感覚はパズルのピースが足りないような、どこか違和感がある。
それでも、今の状況で信じるものは他にない。
この剣と力こそが、化け物と戦う唯一の希望なのだから。
「ふ~ん。なんかヒーローみたいだね」
愛菜の皮肉めいた言葉に、虚勢を張って言葉を返す。
「|視聴率<数字>の取れない、情けないヒーローだろうね、きっと」
外したメガネを近くの機械の上に置きながら、弱い自分への自嘲を口にする。
事実、勝てる可能性は皆無に近いだろう。
しかし、それでも立ち向かうしかない。
「テレビみたいに、助かるといいねぇ」
慧は、愛菜の言葉に虚無感を覚えながらも、希望を捨てずに覚悟を決める。
たとえ視聴率の取れないヒーローであっても、自分の命を諦めることはできない。
テレビの中のヒーローのように、奇跡を起こすしかないのだ。
無邪気な笑顔と、その裏に潜む狂気と殺意。
もはや自分の知る人物だと考えてはいけない。
あれは怪物なのだと自分に言い聞かせ剣を構える。
愛菜は、恐ろしい速度で慧に迫り、鋭い爪を振りかぶる。
圧倒的な力と速度の前に、慧の体は恐怖で震え上がりそうになるも、なんとか喰らい付く。
剣を振り上げ、反撃を試みる。
だが、愛菜の動きは軽快で、彼の攻撃はことごとくかわされてしまう。
最初に感じた圧倒的な力の差が、彼の心をよぎった。
『いや、僕が格下なのは最初から分かっていたはずだ』
歯を食いしばり、慧は再度覚悟を決める。
虚勢を張ることで、彼は恐怖を押し込め、闘志を燃やす。