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抑えきれない肉欲

作者: 瀬嵐しるん

「肉欲が抑えきれない」


ふと呟かれた言葉に、俺は戦慄した。


時は夜。

場所は伯爵領にある騎士団独身寮。おまけに二人部屋。

俺たちは今年入団したばかりで、特に縛りが厳しい。

今から外出なんて絶対に許されない。


奴が肉欲を満たさんと行動に出れば、必然的にそういうことになってしまうではないか!


「……に、肉欲って、お前」


「ん?」


奴は無邪気な顔をこちらに向けた。


「わかるだろ? 俺たち、若いんだし」


まるでわからない、と言えば嘘になる。

そりゃ、俺だって、そういうことはある。

しかし、同室のこいつとは上でも下でも御免だ。


そんなことを考えていると、奴がベッド下に置かれた箱をごそごそとかき回している。

もしや、そこには、あんなものやそんなものが入れてあったりするのか!?

入室時に荷物検査もあったのに、どうやって持ち込んだ!?



「ほい、受け取れ!」


唐突に、奴は俺に何かを投げてきた。

思わず受け取り、恐る恐る手の中のものを見る。


「は?」


「あれ? 干し肉、嫌いだった?」


「え!?」


それはなんと、超高級ビーフジャーキーだった。

いつか、一本でもいいから買いたいと思っていた、憧れの!


「お、お前、金持ちのボンボンか?」


「いやー、そうでもないけど、叔父貴が商店経営してるから期限切れのをくれるんだ。

ほら、ちょっと古いだろ?」


確かに期限は過ぎていたが、色も匂いも問題ない。


「あ、ありがとう。こんな高級品を!」


「大げさだな。でも、そんなに喜んでくれるなら、また貰ってくるよ」


「お前は、親友だ!」


現金なもので、俺は奴が望むなら下でもいい、くらいの気持ちになっていた。

だが、幸いそんな展開にはならず。


「旨かった! なんかお礼しないとな」


「気を遣わんでくれ」


「いや、ひとつ大事なことを教えてやる」


「なんだ?」


「肉を食べたいという欲望は、肉欲とは言わない。

……食欲だ」


「あ? そうなのか?」


「肉欲と言うのは……性欲のことだ」


奴はひどく驚いていた。本当に知らなかったのか。


「それは、すまん。

肉欲が抑えきれないって、俺言ったな……

嫌な思いをさせてしまった」


「言い間違いなら、仕方ないさ」


「ありがとう、今後、気を付ける」


「頼む。それにしても、肉欲……フッ」


「に、肉欲……ハハッ!」


干し肉を食べて身体が温まったのか、気が緩んだ俺たちは大笑いした。

見回りに来た先輩騎士に怒られたが、まだ残っていた干し肉を差し出すと手加減してもらえた。



それから奴とは、ずっと親友同士で様々な任務をこなし、共に戦った。

三十半ばを過ぎ、後輩に後を託す頃、奴は俺に一緒に商売をしないかと誘ってきた。


例の叔父上には跡継ぎが無く、養子に入るのだそうだ。

なかなか大きな商会で、人を雇う余裕があるらしい。


「一緒に苦労してくれ」


と、まるでプロポーズみたいに口説かれたが、俺としては特に行く当てもなかったので有難い話だ。


騎士団の家族寮から、それぞれの妻と子を伴って迎えの馬車に乗り込む。

商会は儲かっているようで、大人数でもゆったり寛げる馬車だ。



妻同士も仲良くしていて、道中の話も盛り上がった。


「そういえば、二人はどうしてこんなに仲良くなったの?」


奴と俺は顔を見合わせた。


肉欲が抑えきれなかったから……とは、どういうふうに説明すればいいのだろう?

考えているうちに、また笑いが込み上げてきてしまった。


腹を抱えて大笑いする二人の男に、妻たちは呆れ顔。

子供たちは最初は驚いていたが、そのうち一緒に笑い出した。



慣れない仕事は、大変なことばかりだった。

奴の叔父上はまだ自分が元気でいるうちに、いろいろ教えたいと厳しく指導してくれる。

とはいえ、俺たちはどうにも脳筋だ。騎士としてはそれなりに使い物になっていた自負があるのだが……


すると、最初は下働きの仕事を手伝っていた妻たちが、だんだん仕事の要領を覚えて頭角を現し始めた。

商品は主に食材だし、毎日食事を作り、やりくりしてきた主婦のほうが理解が早い。


というわけで、商店本部での仕事を妻たちに任せ、俺たちは主に高価な品の運搬や、遠方まで行かねばならない取引を請け負った。

小さな商店ならば護衛を雇うところだが、そこは元騎士。

馬の扱いも、警備も慣れている。


商品管理のための店員を伴い、何度か出かけるうち、盗賊や野獣を撃退すること数回。

数字やら契約やらについての覚えが悪く、奴の叔父上のため息を誘いまくっていた俺たちは初めて褒められた。



どうしても残ってしまう期限切れの干し肉などは、その後も古巣の騎士団に差し入れた。


「若い奴の方が腹が減るから、なるべく多めに回してやってくれ」


肉欲が抑えきれなくならないように。

心中で付け加えた言葉に、自分で笑い出しそうになる。


そんな中、まだ騎士団に所属している後輩の相談を受けることもあった。

大方は再就職の件だった。

商会で雇い入れるにしても限りがあるので、即答は出来ない。


騎士団員で管理職や指導職に就かない者は、三十半ばで辞めるのが普通だ。

若く、機敏に動ける者を育てて確保しなければならないし、予算には限りがあるのだ。



「なあ、俺たち商会の方では役に立たないが、運搬はうまくやれているだろう」


奴が何か思いついたようだった。


「商会に、護衛付きの輸送を引き受ける部署を作ってはどうだろう?」


「なるほど、それなら騎士団の再就職先にもなるな」


「ああ」



持ち帰って奴の叔父上に相談すると、他の商会主にも話を持ち掛けてくれて、ある程度、需要が見込めそうだとなった。


この仕事に関しては元騎士団員という信用が大きくものを言う。

騎士団をまとめるのは伯爵様なので、その信用を借りるとなれば、当然、話を上げるべきということになった。


結局、伯爵様と主立った商会主たちの共同出資で、元騎士団員の派遣業組織が新たに作られた。

護衛だけでなく、力仕事の人足など、脳筋仕事なら何でも歓迎だ。



妻たちに似て、脳筋には育たなかった子供たちが商会の仕事を手伝い始めたこともあり、俺たちは新しい派遣業組織の方に移った。

単純な力仕事から、村の男に自衛用の武器の使い方を教えて欲しいなどというものまで、いろいろな仕事が舞い込む。

伯爵領の公共の組織として発足したので、料金もそこまで高くない。

普段、貨幣を使うことが少ない村の依頼には、特別に農産物や薪などでも支払いを受け付けた。


騎士団員だった頃にも、それなりに伯爵領内を回ったが、派遣業になってからは、より領内の様子がわかるようになった。

領民と気安く話すことで、様々な情報が入るのだ。


その情報が、時に伯爵様の役に立ち、商会の役にも立った。

妻たちとの雑談が、思わぬ商売のタネになることもある。


ほとんどのことが嘘みたいに上手く回っていき、俺の人生は思わぬほど充実したものになった。



歳を取って仕事を引退した後も、奴の一家とは隣同士の暮らしだ。

二つの家族は一つの家族のように仲が良く、うちの長女は奴の長男に嫁いでいる。


昼間から呑むと妻たちがうるさいので、奴と二人、木陰のテーブルで風味程度に酒を入れた茶を飲むのが最近の日課だ。


つまみはもちろん干し肉。

昔のように男らしく噛みちぎるのは無理なので、情けなくも小さく切ってクチャクチャしゃぶっている。


「すっかり肉欲も薄れたな」


俺がそう言うと、奴が噴き出す。

意味もなく大笑いする爺二人を、側で遊んでいた孫たちが不思議そうに見上げていた。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 肉欲と食欲、似てるようで全く異なる言葉ですね(笑) 力はあるけれど不器用な男二人の友情、爽やかな気持ちになれました。 肉をあまり食べられなくなっているラストも、時の流れを感じさせてくれまし…
[一言] これはよいブラザーフット!
[一言] 最初はBLかぁ…気が進まないなぁと思いながら、オムライスが面白かったので、こちらも読んでみようかと思いつつ、タイトルにビビり、二の足を踏みました。 踏みつつも気を取り直し、読んでみたら、あら…
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