一 春日山城へ
四話完結の物語です。
北原真琴23歳、大学を卒業して一年、中小企業の事務職をしていたが、平凡な毎日に嫌気がさして転職を決意した。
辞表を出したその足でカフェに入るかの如く立ち寄ったハローワークでは、大勢の人が順番待ちをしていた。ハローワークに来るのは初めてのことだったが、順番待ちをしながら人間観察も意外と面白かった。
そんな時、ふと気が付く。
何故かひとつだけ誰も呼ばれないカーテンの閉まったブースがあった。これだけ混み合っていて誰も呼ばれないなんて、何か特殊な人向けなのかな。ぼうっと考えていたがどうしても気になって何かに惹かれるように中を覗いてみた。仕切りカーテンの中は真っ白でまるで異空間のような雰囲気が漂う。
すると、正面の机に座る眼鏡をかけた男がじろっとこっちを見る。そしてPCをカタカタと鳴らし、タンっと弾いた。
「北原真琴23歳、事務職から転職希望。特技は空手、趣味は歴史小説、歴史に関する書物の収集、戦国ゲーム…」
え、何?私そんなことまで書いたっけ?
「貴女にぴったりの職を見つけました、ご提供いたします。こちらにサインを」
またたく間に機械的に書類を渡され、ペンを握らされる。
「ええと…」
戸惑う真琴に眼鏡の男は付け加えた。
「事務職に飽き飽きしていた貴女は刺激的な仕事、興味を持てる仕事を探していますよね?」
「まあ…そうですけど」
「ならば、最適の仕事です。貴女の趣味なら間違いなく毎日充実した刺激的な職場となるでしょう。ではサインを」
再び書類に向き合わされ、戸惑いながらも書類に目を落とす。
職種=小姓
仕事内容=武将の身の回りの世話
勤務先=越後の春日山(蜂ヶ峰)城
…って、え!どういうこと?
眼鏡の男をチラッと見る。彼の表情は変わらない。
「春日山城って…」
「そうです。貴女は1549年の春日山城にて働いてもらいます。仕えてもらう武将は長尾景虎、お分りですね」
「上杉謙信っ…」
「そうです。家督を相続したばかりの長尾景虎に仕えて頂きます」
「そんなことが出来るの?」
「出来ます」
「いや、でも小姓って女ではちょっと、しかも上杉謙信は女嫌いなんじゃないですか?」
「まあ、そう言われてはいますが、彼はまだ19です。女嫌いであるかどうかは分かりかねますね。幸い貴女は当時の女性としては背も高く、少年と言われればそう見えるでしょう。そうですね、胸も…」
「それ以上は言わないでくださいっ」
「髪はポニーテールにでもしておけば問題ないでしょう。持ち物や衣服は初回セットとしてお渡しいたします」
「頭が混乱しているんですけど、もし本当にその時代に行ったとしてこっちに戻ってくる事は出来るんでしょうか?」
「もちろん出来ます。向こうのとある場所にこのブースが設置されています。現地の人にはそれは見えませんがそこを通ってきた人には見えるようになっています。ただ一度行ったら契約を解除しない限り道は開きませんのでいつでも行き来できるというわけではありませんよ」
男の話は到底信じられるものでは無い。しかし、真琴にとってその話は間違いなく刺激的で興味深いものだ。その時代に行ってみたい、見てみたいと思う気持ちの方が強かった。
真琴はごくりと息を呑み、書類にペンを走らせた。
無表情だった眼鏡の男は急ににっこりと笑った。
「契約は成立いたしました。では、ご提供いたします。くれぐれもお気をつけて」
男は初回セットと言われる風呂敷包みを真琴に渡し、奥のドアに進むよう指示をする。
ここに入ったら戦国時代。
強烈な光が真琴を包みぎゅっと目を瞑った。
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1549年(天文十八年)一月 春日山
『最終確認です。ここは室町時代、貴女の仕える相手は後の上杉謙信である長尾景虎、男装して小姓として働いてもらいます。年齢はそうですね…貴女は童顔なので16くらいで問題ないでしょう。くれぐれも正体を暴かれないようご注意ください。相手は戦国武将です、他の者たちも皆刀を所持していますので何があるか分かりません。死んでしまっては現代、ここで言う未来の時代には戻れません』
未来へと繋がるブースは春日山城の裏手にある山奥の朽ち果てた神社の中にあった。ここに来た途端急に肌を刺すような寒さが襲う。そうだ、一月の新潟だ、寒いに決まっている。
真琴は初回セットに着替える。未来の持ち物はブースのロッカーに入れ、いざ外に出た。初回セットの中には城で働くための紹介状なるものもあった。
山には雪が積もっていた。中腹にある春日山城に着き門番に書状を見せると、話が通っていたのかすぐに部屋に案内された。
何をしたらいいのか分からずただ正座して待っていると、襖がスッと開いた。何気なく頭を下げる。すると入ってきた男は真琴の正面に座った。
「名は?」
「北原真琴です」
「真琴、顔をあげろ」
「はい」恐る恐る顔を上げる。
目の前には綺麗な顔立ちのまだ少年のようにも見える武士がいた。
長尾景虎は切長の鋭い視線を真っすぐ向ける。
「私は自分の身の回りのことは自分でできる。だが小姓をつけろと言われたので仕方なく紹介いただいた。余計な事はするな。用事があればこちらから指示する、いいな」
「はい、承知しました」
長尾景虎はすぐにその場を去った。
心臓が飛び出そうなほど緊張した。別の意味で刺激的である。あの上杉謙信が目の前にいるなんて夢のまた夢のようなものだ。あぁ言葉遣いとか間違ってなかっただろうか…
それにしても…、余計な事はするなと言われてしまった。では何をしたらいいんだろう。
結局、部屋を出ていいのかも分からず何も出来ずにそのまま座っていた。暫くすると城の女中さんがやってくる。おミツさんと言う年配の女性だ。景虎様の言いつけだそうで城内を一通り案内してもらい、最後にお茶の淹れ方を教わる。
そのお茶を持って景虎様の部屋に行くように言われ、緊張しながら襖の前で深呼吸していると、
「茶が冷める、早く入れ」
中から不機嫌そうな声が聞こえる。
「失礼しますっ」
部屋の中は火鉢のせいか暖かい。景虎は書物を読んでいるようでお茶を置いても目を向けない。冷めるって言ってたのに…と思いつつも指示を待っていると、読んでいる書物に目がいく。
「…源氏物語っ」
思わず口に出してしまい、景虎に睨まれる。
「…知っているのか?」
景虎の切長の目が真琴を捕らえた。
ふとテストで覚えた冒頭部分を思い出す。
「いづれの御時にか 女御 更衣あまた さぶらひたまひけるなかに いとやむごとなき 際にはあらぬが…、際にはあらぬが…」
途中まできたとこですっぽり記憶が抜けて言葉に詰まると思いもよらず景虎がその先を口にする。
「すぐれて時めき給ふありけり...だ」
景虎はフッと笑う。
「真琴と言ったな?」
「はいっ」
「歳は?」
「十…六です」
「そうか」
景虎は棚に綺麗に並べられた書物に目線を合わせる。
「読みたいものがあったら手に取って構わない、それから…部屋から文机を持ってくるといい。昼間はここで過ごすことを許そう。用があるたびに呼びに行くのも面倒なのでな」
「は、はい。ありがとうございます」
ここで…、上杉謙信の部屋でって事?そんなやばい仕事ある?
部屋に戻り、文机を運んでいるとミツさんに会う。事情を話すとすごく驚かれ、「へぇ、あんた余程気に入られたんだねぇ」と目を丸くした。
景虎が初対面の人に気を許すことが珍しいことだという。
文机を運び終え、思いがけず景虎と読書をするという一日からスタートした。しかも景虎は思っていたよりもよく喋る。読み進めてはここはどうだとかこうではないかと意見を聞いてくる。
気がつけば数時間は経っていたのだろう。部屋は灯りを付けなければならないほど暗くなっており、ミツさんが火を灯しながら夕ごはんはどうするかと聞いてくる。
すると、景虎は迷わず、
「二人分をここに」と言い、それに付け加えるように
「こちらから指示がなければ食事は常にそうしてよい」
と言った。
ミツさんは少し微笑みながら何故か真琴に目配せをして部屋を出て行った。
食べ終わると景虎は少し体を動かすと言い、真琴を連れて夜の庭に出た。上半身を脱ぎ、真剣で素振りを始める景虎を見て真琴は心臓が高鳴った。すごい…。空を切る音、軽い身のこなし、篝火に照らさされた肉体美、どれをとっても素晴らしい。
「真琴、剣術は?」
「あ、えっと…剣術はあまり得意でなくて、体術を習いました」
「体術?…試してみてもよいか?」
「え、あ。」
景虎は返事も待たずに刀で斬りかかってきた。
っ!思わず死を覚悟したが、体は意外にも刀を見切りひょいと避ける。手加減をしてくれているのだ。それならばと景虎の懐に素早く入り込み、刀を持つ腕を抑え込む。女の力では到底敵うはずもなくすぐに払われてしまうが、蹴り技などを入れてなんとか持ち堪えていた。しかし…
だめだ息が続かない。
「真琴、そんなんでは実戦でやられてしまう。もっと体力をつけるのだな」
「はいっ」
「だが、面白い。また相手をしてやる」
そういうと景虎は笑って真琴の頭をわしゃわしゃっと撫でた。真琴はドキリと心臓を鳴らして顔を染め、それを悟られないよう目を伏せた。
景虎はその真琴の様子を見て”愛らしい”という不思議な感覚を覚えた。今日初めて会ったばかりの…しかも歳だってそう変わらない男だ。景虎もまたその思いを悟られないよう目を伏せたのだった。
読んでいただきありがとうございます!
最後までお付き合い願えればと思います。