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百一回目の解体新書  作者: 駄犬
運び屋「センリ」の裏事情
8/15

黒川港

「まぁ、即日に会いに来るわけじゃないからさ」


 この店の利用者は悉く急を要する。しかし今回は、三日後と依頼者の余裕が感じられる。


「そうですか」


 伏し目がちな彼女の不安を取り除けたのかどうか、全くもって及びも付かないが、日頃より続く「悪癖」のようなものなので、思慮深くいる必要はない。


 あらゆる事柄を随意に克服できるとしたら、人は何を思い考え、どのような道程を辿るのか。一寸先にある幸や不幸、すべてが時計仕掛けの機構に過ぎないとするならば、悔恨を抱いて後ろ髪を引かれるのは馬鹿馬鹿しいが、運び屋はそう唾棄して務まる仕事ではない。先々のことを見通して初めて乗り越えられる見知らぬ障害がいくつも存在し、常に注意を払う必要がある。


 三日後の朝、これから始まるであろう万難に対して、俺は鬱々とした感情を持っていなかった。普段より背筋を正す恭しい某の気分に浸かっていた。


「おはよう」


 洗面所の鏡の前で歯ブラシを咥えたまま、朝一番の挨拶を眠たげに廊下を歩く彼女にひとりごちる訳だが、閉まるトイレのドアの音を返事とされた。


 起床から朝食、出勤までの導線に著しい変化を求めてはならない。何度も往復するであろう朝の行動を機械的にこなすことで、果たすべき命題と正視できる。


 通勤は徒歩だ。公共の乗り物を利用するほど勤続地は離れていないし、始業時間の午前八時は大体の目安に過ぎず、自営業ならではの緩さを開店から今日まで継続している。


「金庫の鍵、忘れてますよ」


 彼女のサポートは欠かせない。店を構える上でも、日常生活に於いても。狭い玄関で彼女に向き直り、鍵を受け取った。


事務所で初めにする事といったら、ブラインドカーテンを開けて、太陽の日差しに照らされた埃との挨拶をし、客人をもてなすために置いたコーヒーメーカーで舌を濡らす。一連の動作によって始業の準備は終わり、後は依頼者の来訪を待つだけである。


 彼女が壁に掛かる時計に目をやった。それは病院の待合室で途方にくれる眼差しに近い。俺はすかさず言う。


「もう、十五時だな」


「そうですね」


 気乗りしない様子だ。彼女に阿るつもりで開いた口が、来客をもてなすための挨拶へ変わる。店の出入り口のドアが開いたのだ。


 白いハンチング帽が衝立の上部で、白波さながらに上下する。二メートルあれば頭が覗くであろう衝立だ。あの低い声がどれだけの高さから発せられていたのかを衝立越しに知った。


「こんにちは」


 俺は立ち上がり、軽く会釈をして男を迎える。男は低血圧を帯びた低く、覇気のない声を発した。


「どうも」


 鼠色のコートにハンチング帽という、素性の知れない出で立ちは、ろくでもない仕事を献上するためのドレスコードのようなものだ。ソファーに案内すると、銀色のジュラルミンケースがテーブルの上に置かれ、さりげなく一瞥する。


「娘さんですか?」


 まさか、世間話と思しきやり取りをするとは思わず、俺は如何わしい声の濁り方をさせてしまう。


「え? まぁ、そうですね」


 事務所の隅で茶を汲む彼女の不機嫌な気配を感じ、まじまじと言葉を選ぶ。


「可愛い愛娘ですよ」


「そのようですね」


 ぶっきらぼうな風体の男だが、四方山話で口を慣らす気の回し方を持ち合わせる。なかなかに掴み所がなく、俺は一つ咳払いをした。男は甚だ察しが良かった。意図を汲んで本分となる依頼内容について話し出す。


「運んでもらいたい物なんですがね」


 男は先程、テーブルに置いたジュラルミンケースへ目を落とす。


「この荷物を持って黒川港まで行って欲しいのです」

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