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百一回目の解体新書  作者: 駄犬
百一回目の解体新書
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顧みる

 それにしても、俺は少し頭が足りないようだ。獲物をベッドに寝かせてしまったせいで、居住者であるはずの俺が居間のソファーに追いやられてしまった。快然たる眠りを享受してきたつもりはないが、ソファーに身体を預けて寝息を立てようとすると、いつもより時間が掛かった。


「おはよう」


 朝の挨拶は大事である。日差しの入らない部屋で過ごす獲物にとって、その挨拶だけが時間を知る唯一の手段になる。だが、俺の呼び掛けに妙な反応を見せる獲物がいた。身体を悶えさせて、ベッドの上を芋虫のように這っていたのだ。


「どうした?」


 獲物はしきりに自分の下腹部へ目を向けて、俺に訴える。それがもし、否応ない生理現象に悩まされた人間の所作ならば、対応しなければならない。俺は獲物をベッドから立ち上がらせて、背負うために中腰になった。その光景はあたかも、妹を介抱する兄のようであり、覆い被さった獲物の体重を愛おしむ。


 トイレでは、獲物の履いていたズボンを脱がせて下の世話を焼いた。年甲斐もない二人が排泄に齷齪する様子は、トイレという狭い空間もあって、気持ちの良い汗とはいえない雫が額から流れ落ちた。


「聴いてなかったな。名前」


 排泄音から気を紛らわすように俺は訊いて、続け様に開示する。


「浦壁千里ね。俺の名前は」


「……」


 流れも糞もない。そんなことは百も承知だ。しかし、他人の排泄音を聞くのはどうも受け付けない。


「俺、料理人なんだけど、家で包丁を握ることはない。その代わりに、本を読むんだ。とくに、夢野久作の幻想怪奇文学には目がない」


 返事の出来ない獲物を相手に俺はひたすら話を続けていると、トイレットペーパーがカラカラと回り出す。柄にもない気の遣い方は公衆便所を想起し、胸がムカムカとし出す。トイレから出て行ったとき、満員電車から逃れたかのような疲労感があった。


「やぁ、起きたね」


 既に決まり文句となりつつある二度目の挨拶は、獲物が抱く絶望を浮き彫りにする。


(お母さん、お父さん)


 そんな心の声が聞こえてきそうな虚な眼差しに俺は感動を覚えた。


「初めてだ、そんな顔」


 機微などといった、みみっちい微妙な感情を排する、心の内をあけすけにした表情であった。しがむほどに味気を失うと思われた三日間の褌を締め直しを図る。


 獲物を攫ってからの三日後を解体の合図にすれば、明くる日になると浴室に五体満足な獲物と再開する。俺は長年、鬱積していた欲求を貪った。だがしかし、百回目の解体を終えたころ、灰汁のような雑味を感じ始める。商品棚に並べるような解体の手捌きは、まるで工場での大量生産と相違ない雑然とした速さを帯び、切り分けた肉の断面から見てもそれは明らかだった。


 蛙や猫、小動物を無心になって追いかけ回す苦労の先にある「解体」にこそ、意味があったのだと改めて思い知らされた。手中に収め、あろうことか獲物と懇ろになろうとする邪な考えでは、唯一無二の体験は得られない。

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