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百一回目の解体新書  作者: 駄犬
運び屋「センリ」の裏事情
14/15

腹に一物

「当たり前じゃないですか」


「なら、良かった。迷わないで済む」


 法の編み目を掻い潜り、報酬を手にしてきたはずの運び屋が、及び腰とも取れる言葉を吐く。これは今回かぎりの特別な警戒心なのか、それとも毎回のように繰り返す慣習なのか。判断はつかない。俺は男の度量を試すために、用意してある金をテーブルの上に放ってみた。


「これはまた、用意がいいですね」


 目移りなどして、狼狽するような素振りはない。それどころか、僅かに広角が上がったようにも見えた。俺は立て続けに問うてみる。


「実はもう、タクシーを下に呼んであるんです」


「はい」


 妙に飲み込みが早く、どんな条件を出しても鯨飲する度量がこの男にはある。


「準備があるので、待っててもらえますか?」


 俺はジュラルミンケースを持って立ち上がり、事務所の前で待っていることを伝えた。


 ジュラルミンケースは俺にとって、命綱のようなものである。重くもあり、軽くもある。ちり紙を詰めたとて、差異は判らないだろう。だがしかし、我が子を抱くかのように大事に抱えた。そして、タクシーに乗り込むまでの間、男に仕える執事さながらのエスコートを演じた。


「足元に気を付けて」


 少しの段差にも気を払い、無事にタクシーへ乗り込ませると、運転手に次の目的地を伝える。


「黒川港まで」


 社長を敬う形式的なお辞儀に倣い、タクシーの発進を見送った。あとは駅構内のコインロッカーへ向かい、雲隠れをするだけで首尾よく終わる。


 落書きの有無は、その土地の治安を測るのに分かりやすく丁度いい。一つでも放っておけば、虫食いのように跋扈し、それは無自覚に人の心や町を荒ませる。清潔に保つことは、悪い虫が近寄らないようにする建設的な防衛策なのだが、しかしここ、駅の地下通路は屈服してしまった。大人から子どもまで、所狭しと壁を相手に筆を振るっている。だがこれらは一部に過ぎず、埋没した落書きが無数に存在する。半世紀にも渡って続けられた壁の塗り直しによる歪な凹凸が、手彫りめいて薄気味悪い。そんな壁を横目に、物置小屋のように奥まったところで、なるべく人の目に触れることを避ける古びたコインロッカーの前に来た。


 ロッカーの鍵を取り出そうとポケットに手を伸ばす。その間隙である。携帯電話が突飛に鳴り出して、俺は少し自失した。これを油断とするならば、確かにそうなる。俺は先の運び屋とのやり取りを終えて、すっかり注意が緩慢になっていた。鍵を取り出す代わりに携帯電話に手を伸ばし直す。


「届けましたよ」


 未だ鳴り止まぬ携帯電話の着信音を差し置いて、全身が硬直した。まるで背後から銃口を突き付けられたかのように、指一本も動かせない。


「というか、こんなんで撒けると思ったんか?」


「いやぁ甘いよねぇ」


 その複数の声は、男と合わせて三人。軽々に振り返れば、致命的な一撃によって真っ暗闇に落ちてしまいそうだ。


「な、なんで」


 歪な口の形から漏れ出る空気の震えは、意図せず湧いた恐怖に支配された人間の絞扼反射である。


「なんで? それは今この場に於いて何の意味がある」


 知らぬ間に引かれた立場の上下を背中越しで察した。直後、金属を叩け付けられたかのような衝撃が後頭部に走り、目蓋の痙攣と直立しているのもままならず、酒精まがいにコインロッカーへ突っ込んだ。


「ご苦労さん」


 相変わらず、皮肉を込めるのが上手い。ゆらゆらと弛んだ視界に、見慣れた物が滑り込んでくる。


「返しますね。そのケース」


 人を殺す事を躊躇わない連中を懐柔し、意趣返しじみた行為に出るとは思わなんだ。これほど短い時間に利害を一致させることは土台無理なはずだ。ならば、初めから繋がりがあったのか?


「ズボンの右ポケットに鍵が入っていますよ」


 運び屋は何故か、鍵の在り処を言い当てる。粗野にポケットを弄られ、頭から爪先まで勃然と染まった。俺は気色ばむ感情を噴きこぼす。


「てめェ」


 しかし、その威勢は空虚なもので、コインロッカーが開く音を聞いた。


「こんな所に隠してるとはなぁ」


 運び屋を囮に使う、雲隠れの手順の一つとした俺の目論見はみごとに瓦解した。


「こんな時間から呑みすぎだぞ」


 人に道を開けさせる口実に俺は不自由な身体を持ったようだ。気の置けない二人の肩を借りながら、駅構内から出て行き、煙草の匂いが染み付いた車の後部座席に放り込まれる。


「さっ、行こうか」

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