【番外編】休暇
「わぁ、海! 海が見えます、マックス!」
シルヴィア・クリフォード侯爵令嬢が子供のようにはしゃいだ声を上げる。
「身を乗り出すと危ないよ、シルヴィ」
マクシミリアン・アーチボルト公爵は背後から彼女を抱きしめ、耳元で囁いた。
「は、はいっ」
(声が……良すぎる!)
耳元に響いた低く甘い声に、シルヴィアは頬を真っ赤にして一歩後ろへ下がった。
その様子を見ていたセーラ・ボールドウィン辺境伯令嬢とハリー・ウィンチェスター騎士団長は、生暖かい微笑みを浮かべている。
「し、しつれいいたしました!」
恥ずかしさのあまり叫ぶと、三人が一斉に明るい笑い声を立てた。
今日は四人で休暇を取り、友人であるセーラの実家ボールドウィン辺境伯領へやってきたのだ。
辺境と呼ばれるだけあって、領地は豊かな大自然に囲まれている。山にも海にも近いため、食べ物もとても美味しいのだとセーラが嬉しそうに教えてくれた。
そして、海を見たいというシルヴィアの希望で訪れたのがブルーニー岬だった。高い崖が海へと突き出した領内でも有名な絶景スポットだ。
ただ、風がとにかく強い。強風に煽られて崖から転落する事故もたまに起こるらしい。先ほどのマクシミリアンの心配も、もっともだとシルヴィアは反省する。
「それにしても、すごい景色ですね……」
目の前にはどこまでも続く青い海が広がり、潮の香りを含んだ風が髪を揺らしていく。
「ほら。海のずーっと向こうに、陸地が見えるだろう?」
マクシミリアンが海の彼方を指差した。
「あれが魔族の大陸だよ」
目を凝らすと青々とした海の向こうに、かすかに何かが横たわっているように見える。
「あそこから魔王軍が飛来したんだ。奴らは飛べるからね」
「あれが……」
想像していたよりもずっと近い。
魔族の棲む大陸。
そう思っただけで、シルヴィアの背中をぞくりと寒気が走った。ここは、かつて魔王との戦いの中心となった場所でもある。
「ちょうどここで迎撃したんだ。懐かしいな」
「懐かしいだなんて不謹慎だわ」
セーラが呆れたようにハリーを見る。
「こちらだって、多くの犠牲を出したのよ」
「ごめんごめん。でも、戦う君の凛々しい姿を思い出すとね」
ハリーは苦笑しながらセーラを見つめた。
「当時は激戦すぎて、何も感じる余裕なんてなかったけど……多分、あの頃から君に惹かれていたんだと思う」
「も、もう……。そんなこと、ここで言わなくても」
セーラが恥ずかしそうに目を伏せた。
可愛い。
恋仲になった二人のやり取りを微笑ましく眺めていると、マクシミリアンも会話に加わってきた。
「辺境伯殿のおかげで勝てたと言っても過言ではないよ。特に兵站や後方支援では、本当に助けられた」
「そうだな」
「セーラ嬢もよく頑張ってくれた。君がいなければ、救えなかった命も多かっただろう」
マクシミリアンがここまで手放しで人を褒めるのは珍しい。セーラも嬉しそうに微笑んだ。
「そういえば、一度ハリーが戦いの中で行方知れずになって、心配したことがあったな」
「ああ。足を負傷したんだ」
「そうでしたわね。ブルーニー岬の崖下に洞穴があって、その中に隠れていらしたのよね」
「あの時は、正直死ぬかと思ったよ」
「俺が見つけた時は瀕死の重傷だったな。当代一の剣豪と謳われる男が」
「おい、瀕死なんかではなかったぞ」
「いえ、確実に瀕死でしたわ」
「そうだったか~?」
和やかな笑い声が響く。三人が楽しそうに思い出話をする姿を、シルヴィアは微笑みながら眺めていた。
過酷な戦いをともに生き抜いた彼らには共通する思い出があって当然だ。その思い出を楽しそうに語り合う姿は微笑ましい。彼らのおかげでこの国は救われたのだから。
そう考えた瞬間、胸の奥に『それに比べて私は……』という別の感情が小さく芽を出した。
(セーラ様は戦いに参加して、立派にご自分の役割を果たされた。素晴らしいわ。本当に尊敬します)
シルヴィアが憧れの眼差しを向けると、セーラがふとこちらに気づいた。そして、はっとしたように表情を変える。
「シルヴィア様……申し訳ありません。三人だけで盛り上がってしまって」
「ごめん、シルヴィ」
「いえ、とんでもないです!」
シルヴィアは慌てて首を横に振った。
「皆さんのお話を聞いていると、とても楽しいですわ」
それは本心だ。大切な恋人や友人たちのことはもっと知りたい。
「すまない。配慮に欠けていた」
ハリーにまで謝られてしまい、シルヴィアはかえっていたたまれない気持ちになる。
「全然、本当にどうか謝らないでください!」
慌てて両手を振った。
「皆さんのおかげで、この国は今日も平和に暮らせるのですから。私は心から感謝しています!」
「でも、君に疎外感を持ってほしくないからね」
マクシミリアンが優しく言う。
「ごめんね、シルヴィ」
「いえいえいえ!」
シルヴィアはますます慌てた。
「救国の英雄の皆様のお話を伺えるのは、本当に嬉しいことですわ」
それは嘘ではない。ただ『私にも何か特技があったら……』という気持ちを消すのは難しかった。
(セーラ様のように、戦えたらな)
ないものねだりなのは分かっている。自分に戦闘能力がないことも、マクシミリアンたちと同じようなことができないことも。
それでも、彼らと肩を並べるほどではなくても、もう少し誰かの役に立てる人間になりたかった。
「では、そろそろ私どもの屋敷に戻りましょう」
セーラが声をかけた。
「はい」
四人で馬車の停めてある場所へ向かって歩き始める。その途中で、ちょっとした事故が起こった。
「うわーーーん!」
ブルーニー岬に到着したばかりの観光客らしき家族の子供が、突然の強風に煽られて転んでしまったのだ。膝を擦りむいた少年が、大声で泣き始めた。
「大丈夫?」
シルヴィアはすぐさま駆け寄ると、肩にかけていた布製の鞄を開く。
『もう君にそんな大荷物は必要ないよ』
マクシミリアンに説得されキャリーケースから肩掛け鞄へと大幅縮小したが、応急処置に必要な道具は外せない。
シルヴィアは少年の目線までしゃがみ込んだ。
「大丈夫? 風が強くてびっくりしたわよね。お姉さんもさっき転びそうになったのよ」
突然、美しい女性に話しかけられた少年は、驚いたのか泣くのを忘れてしまった。
少年の周囲でおろおろしていた両親も、貴族令嬢らしき女性が地面に座り込んだことに目を丸くしている。
「あの、息子さんの応急手当てをさせていただいてもいいですか?」
「いいんですか? すみません、お願いします」
母親の許可を得ると、シルヴィアは手早く持っていた水で傷口を洗う。そして消毒液を取り出すと明るく声をかけた。
「これは、ちょっと沁みるの。でも、悪い菌をやっつけてくれるのよ。我慢できるかな?」
「できるよ! 僕は強いんだ!」
「そう。いい子ね」
シルヴィアが消毒液を吹きかけると、少年は一瞬痛そうな顔をしたが「すごいわ! 本当に強いのね」と褒められて、すぐに笑顔になった。
最後にガーゼを当てて包帯で巻くと、手を貸して男の子を立ち上がらせる。
「お姉さん、ありがとう!」
「「本当にありがとうございました」」
両親と少年は何度も頭を下げながら、その場を去っていった。
その間、数分。様子を見守っていたセーラが感心したように口を開いた。
「シルヴィア様は、本当にすごいですわ」
「え?」
「怪我をした子供を見て、あんなふうにすぐ駆け寄って手当てができるなんて。私はどうしたらいいのか分からなくて、見ていることしかできませんでしたもの」
「そんな。たまたま救急用品を持っていただけで」
「いや、セーラの言う通りだよ」
ハリーも頷く。
「咄嗟に行動できるのは普段からやり慣れていなければ難しい。手際も良かった」
「ありがとうございます」
二人から褒められると、『たいしたことをしていないのに』と恥ずかしくなってしまう。
その時、何も言わずに黙っていたマクシミリアンが、突然シルヴィアの肩に腕を回した。
「さすが僕のシルヴィだ」
「マックス……」
「でも、あそこまで優しくしなくても良かったんじゃないかな? 幼いとはいえ、性別はオスだ」
「マクシミリアン様、論点がずれています」
セーラは冷ややかに言った。
「皆さんをお待たせして申し訳ありませんでした。でも、少しは役に立つことができて良かったです。私は皆さんと違って何もできないから……」
「何をおっしゃっているのですか? 何もできない……って、シルヴィア様に助けられた者はたくさんいるのですよ!」
戸惑うシルヴィアの手をセーラが両手で握りしめる。
「初めて出会った時を覚えていらっしゃいますか? 私は身ぐるみはがされて、あのままだったら酷い恥をかいていたところです。それを助けてくださったのはシルヴィア様ではないですか?」
「だって、あれは偶然……」
「偶然、着替えのドレスを一式持ち歩いている方が通りかかるなんて奇跡ですわ。その奇跡はシルヴィア様のおかげなんですよ」
「そうだな。この変人公爵の重い愛を受け止めて婚約してくれる令嬢なんて他にいない。それに君のおかげでセーラの誤解を解くことができた。俺もセーラも感謝しているんだ」
「本当にそうですわね」
頬をピンク色に染めたセーラがハリーを見上げると、彼も愛おしそうに見つめ返す。二人の世界に突入したようだ。
「シルヴィ、それにね。君のおかげで封じ込めた魔法の人形が無事に見つけられたんだ。あのままだったら、魔王が復活していた可能性だってある。君だって立派に国や民に貢献しているんだよ」
蕩けそうに甘い瞳でマクシミリアンが囁いた。
「嬉しいです。ありがとうございます」
心の中では、自分がそんなにたいしたことをしたとは思っていない。でも、こんなふうに励ましてくれる友達や恋人がいる。シルヴィアの胸が、じんわりと温かくなった。
「皆さんのような素敵なお友達……」
「お友達?」
マクシミリアンの目が、すっと細くなった。……笑っているのに、なぜか怖い。
「……や、恋人がいてくださって、私はとても幸運です」
シルヴィアは慌てて付け足した。
「私も皆さんのお役に立てるように……」
「あのね、シルヴィア様」
セーラがシルヴィアの言葉を遮った。
「友達や恋人っていうのは、役に立つから一緒にいるわけではないのですよ」
「そうだよ」
マクシミリアンも穏やかに続ける。
「君が好きだから」
その言葉に、シルヴィアが顔を上げた。
「愛しているから。一緒にいたいから、一緒にいるんだ」
マクシミリアンは優しく微笑む。
「役に立つか、立たないかなんて、僕にはどうでもいい」
セーラとハリーも揃って頷いた。シルヴィアの胸の奥がぽっと熱くなって、目頭まで熱くなってきた。
「私も……」
シルヴィアは四人を見渡した。
「私も、皆さんと一緒にいたいです!」
「うん」
マクシミリアンが幸せそうに笑う。
「まずは一緒に休暇を楽しもう。僕の可愛いシルヴィ」
「はい!」
シルヴィアも満面の笑みを浮かべた。
楽しい休暇はまだ始まったばかりだ。




