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悪役令嬢シルヴィア


 あああああああ、どうしよう! もう帰りたい!!!!!



 シルヴィアは松葉杖に寄り掛かりながら、心の中で叫んだ。


 婚活パーティに松葉杖で出席するというこのそぐわなさ!


 周囲の冷たい、あるいは憐れむような視線をヒシヒシと感じながら、シルヴィアは溜息をついた。


(どうして私は分不相応にこんなところに来ちゃったんだろう……)


 シルヴィアは心の底からこんなパーティに参加したことを悔いていた。


 本日の婚活パーティは、この国の英雄である大魔術師マクシミリアン・アーチボルド公爵のこんな発言から端を発する。


『花嫁を選ぶなら、候補の令嬢たちと一斉にお会いしたいですね。そうだな。未婚で相手のいない十八歳以上の令嬢を全員集めてお見合いパーティを開きましょう。どうせなら結婚したい男も参加可能にして大規模な婚活パーティにすればいい!』


 救国の英雄の『ついでだからお見合いパーティにしよう!』という無責任な一言のために国を挙げての大規模婚活パーティが実現してしまったのである。


 マクシミリアン・アーチボルド公爵は国を救った褒美として『花嫁が欲しい』と宣ったが、そもそも彼が国を救ったのはもう三年も前の話である。


 当初『別に褒美なんていらない』と言い続けていた彼だったが、国王は『いや、そういう訳には…』と食い下がっていたらしい。


 しかし、今になって褒美に花嫁を望むと言われて周囲は戸惑った。


 英雄であるだけでなく、顔良し、頭良し、スタイル良し、家柄良し、と非の打ちどころのないマクシミリアンなら、簡単に彼と結婚したい令嬢の行列ができるだろう。


 しかし、マクシミリアンはこの国の貴族令嬢を全員見てから決断したい、一生を添い遂げる大切な女性だから、などと主張し、結果、このバカげた婚活パーティに行きついた。


 十八歳にもなれば普通は婚約者もしくは夫がいるのが貴族の常だが、マクシミリアン・アーチボルド公爵のあまりの魅力に惹きつけられてわざわざ婚約破棄してまで参加している令嬢もいるとの噂だ。


(ああ、やっぱり来なきゃ良かったわ)


 シルヴィアは再び深い溜息をついた。


      ***


 シルヴィアには生まれた時から婚約者がいた。


 この国の王太子であるクリストファーが婚約者だったのだが、つい先日魔法学院の卒業パーティで婚約破棄されたばかりだ。


 公の場で惨めに晒された令嬢が婚活パーティにいるだけでも目立つ。


 しかも、シルヴィアは左足に魔法でも治せない怪我を負い、この華やかな婚活パーティに松葉杖で参加している有様。


 この場にそぐわないこと、この上ない。


 周囲の令嬢たちは超絶に気合の入った高級ドレスに身を包み、これでもかという化粧や装飾を施している。


 そんな中、できるだけ目立ちたくないというシルヴィアの意を汲み母親がわざわざ地味で、かつ機能的なドレスを注文してくれた。


 赤や青に金銀の刺繍といった鮮やかな光沢のあるドレスが翻る煌びやかな場所で、シルヴィアの地味な薄紫のドレスは一段とみすぼらしく見える、と悲しい気持ちになる。


 実際はシルヴィアの真っ白な透明感のある肌や、紫水晶のような瞳、限りなく白に近いプラチナブロンドの髪にドレスがよく似合っていて、派手ではないが可憐な美しさを醸し出していることに本人は気づいていない。


 主催者からは松葉杖のシルヴィアのために特別にテーブルと椅子を用意すると言ってもらえたのだが、悪目立ちするのが嫌で断ってしまった。


 今も給仕が心配そうにチラチラとシルヴィアに視線を送っているが、わざわざ椅子を持ってきてもらうのは申し訳ないとシルヴィアはひっそりと部屋の隅に立ちすくんでいる。


 そんな中、周囲の令嬢たちは小馬鹿にするような眼差しをシルヴィアに注ぐ。


「……あら、シルヴィア様がいらっしゃっているわ」

「すごい度胸ね。私ならあんな風に王太子殿下に婚約破棄されて人前になんて出られないわ」

「修道院に行くって話じゃなかった?」

「プリムローズ・クーパー子爵令嬢を階段から突き落としたんでしょ?」

「まぁ、怖い。牢獄に行くのではないの?」


 ヒソヒソ声の癖に全ての会話がハッキリと聞こえてしまう自分の聴力の高さにウンザリした。


 そう。


 シルヴィアは婚約者の王太子に卒業パーティで断罪、婚約破棄される運命の悪役令嬢なのである。既にされてしまったが。


 いかにもお約束の話だが、彼女は前世日本人で若死にした結果乙女ゲームの世界に転生した。


 ゲームをやり込んでいた訳ではないが、友人たちとの付き合いもあるから話を合わせる程度に一通りプレイしたゲームのまさか悪役令嬢に転生するとは想像もしていなかった。


 実はシルヴィアには生まれた時から前世の記憶があったが、何せ赤ん坊だ。


 悪役令嬢は卒業パーティで婚約破棄され、断罪されることがお約束である。


 将来自分を断罪するであろう王太子との婚約なんて嫌だと泣き喚いても誰も分かってくれない。


 貴族の結婚なんて家格のバランスで決められるのは分かっているが、侯爵令嬢であったシルヴィアは生まれてすぐに王太子クリストファーとの婚約を決められてしまった。


 絶望したシルヴィアだったが、せめて嫌な人間にならないよう努力した。


 周囲に庇ってくれる人がいたら断罪を免れるかもしれないというセコイ考えである。


 また、クリストファーとも仲良くなれるよう頑張った。


 残念ながらクリストファーは生まれながらのロクデナシで、彼女が下手したでに出れば出るほど調子に乗り、最終的にシルヴィアは王太子のパシリとなった。


「……私はいつでも喜んで婚約破棄するからね」


と伝えると


「お前は便利だから婚約破棄はしねーよ」


という返事が来る。


 できたら卒業パーティより前に、というより、むしろ魔法学院入学前に婚約を解消したいと念願していたが、その願いは叶わないまま魔法学院に入学した。


      ***


 そして、入学と同時にシルヴィアの不運人生が幕を開けるのである。


 それまではクズ王太子の婚約者というだけでも相当な不運だと思っていた。


 沢山の理不尽があったから。


 例えば、家庭教師からの宿題は「俺の分もやっておけよ。あと、お前のより出来がいいようにしておけ」という自分勝手な要求に応えた。


 何か食べたいと言われたら前世の知識も総動員して、クズが好きそうな料理を頑張って作った。


 それで「ありがとう」という言葉一つもらえたことがなかったが、少なくともそれ以上の不幸はなかったのである。


 それなのに学院に入学すると同時に信じられないほどの不運が始まった。


 何もないところで転ぶ、犬の糞を踏む、鳥に糞を落とされる。


 これは毎日最低でも三回以上発生する事象である。


 終わったばかりの宿題を提出するために学院内の中庭を歩いていたらトンビに盗まれた。


 独りでのんびりとお昼を食べようと弁当箱を開けた瞬間に誰かが投げたボールが当たり、中身を全てぶちまけてしまった。


 行事の機材係になった当日、機材が全て壊れた。


 試験で何故か毎回解答欄を間違え、一つずつズレた答えを記入してしまう。


「ズレていなかったら満点だったんだけどね~」


 頭を掻く担任教師に笑われながら、学年最下位をキープする日々。


 どんなに注意しても解答欄を間違えるのが不思議でならなかった。呪われているんじゃないかとすら思った。


 美術の時間に使う絵具は何故かシルヴィアのだけカビだらけになり、魔法を使って薬草を育てる実習では彼女の植物だけが決して芽を出そうとしなかった。


 それぞれは小さなことかもしれない。


 しかし、それが毎日続き、積み重なっていくのだ。


 シルヴィアは日々人生の不運に涙した。


 更に王太子のクズっぷりは学院入学以来、激しく増長されていく。


 こんなクズでも


 顔がイイ


 家柄がイイ


 金を持っている


 という三拍子揃っているだけで異常にモテまくるのだ。


 シルヴィアは人生の理不尽に再び涙した。


      ***


 そんな中でも極めつけの不運が襲ってきたのは二年生の冬だった。


 シルヴィアはクリストファーと従者達と一緒に森に遠乗りに出かけた。


 雪が降っていて森が白い毛布に覆われるかのような幻想的な光景にシルヴィアは目を輝かせる。


 しかし、クリストファーに景色を愛でるような素敵な感性はない。


 彼は周囲を見回すと叫んだ。


「おい!!!あそこに鹿が居るぞ!白い鹿だ!銃を渡せ!」


 シルヴィアが目を向けると確かにそこには雄々しい純白の鹿が立っていた。


 この神々しさ、美しさは尋常ではない。


 酔狂で傷つけていいはずがない。


『守らないと!』と咄嗟に判断したシルヴィアは、銃を構えるクリストファーの前に身を投げ出して、鹿を庇った。


「殿下!なりません!白い鹿は神の御使いとも言われています。無用な殺生はお止めください!それに今日は狩りにきた訳ではありませんでしょう?」


 凛とした声でシルヴィアが言うと王太子は興醒めしたように吐き捨てる。


「分かってる。父上からも注意を受けた。森でむやみに動物を殺してはいけないと言われている。お前は冗談も分からないのか。つまんない女だ」


 シルヴィアはホッと安堵の息を吐いた。


 しかしその時クリストファーの手元が狂ったのか、銃がその手から滑り落ちた。


 滑り落ちて地面に当たった衝撃で引き金が弾かれてしまったのだろう。突然銃が暴発し、銃弾の一つがシルヴィアの左足に当たってしまったのだ。


 従者たちが慌てて馬を降り、治癒魔法を掛けだした。


 クリストファーは自分の婚約者が痛みに呻いていても眉一つ動かさない。


 シルヴィアは情けなさに涙が出た。決して痛みからではない。


 そんな事故があってもシルヴィアの傍を離れなかった鹿が心配そうにシルヴィアの頬を舐め、流れる涙を拭った。


「……ありがとう。あなたは優しいのね。私は大丈夫よ」


 安心させるようにシルヴィアは鹿に話しかけた。鹿の瞳が心配そうに瞬いていると感じたから。


(気のせいだと思うけど)


 それでも、シルヴィアの微笑みを見て鹿は身を翻し、森の奥に消えて行った。


     ***


 その後、シルヴィアが侯爵家に運びこまれると両親と兄弟が悲鳴をあげた。


 悪役令嬢でもここに生まれて良かったと思えるのは良い家族に恵まれたことだ。


 両親はすぐに医師を呼び、屋敷中が大騒ぎになった。


 使用人たちにも慕われているシルヴィアなので、侍女たちも皆泣きそうな顔でシルヴィアを心配している。


 クリストファーは自分のせいで事故が起こったのにも関わらず、シルヴィアを家に送るのも従者に任せっぱなしで家にも来なかった。


 代わりに付き添っていた従者たちが家族に平伏した。


「私どもが付いていながら事故を防げず誠に申し訳ありませんでした」


 土下座する従者たちをシルヴィアは責める気にはなれなかった。


     ***


 その後、国王陛下から王族専属の典医と正式な謝罪状が送られてきた。


 更にお忍びで国王と王妃が詫びと見舞いに訪れた。クリストファーも一緒だ。


 無理矢理連れて来られたであろうクリストファーは一応土下座して謝罪したが、事故直後の彼の無慈悲な態度を知っているシルヴィアは『国王夫妻の前だからってイイ子ぶりやがって』という感想しか持てなかった。


 国王夫妻がそれだけ謝罪したのは訳がある。


 撃たれてすぐに治癒魔法を使ったのに、何故かシルヴィアの足は完全には治らなかったのだ。


 何らかの理由で神経が傷つき左足を動かすことが出来ない。


 シルヴィアは一生車椅子か松葉杖の生活を余儀なくされると宣告され、家族は悲嘆にくれた。


 国王夫妻からシルヴィアのために何でもすると謝罪された時、彼女は喜々として婚約破棄を願い出た。


 しかし、それは国王夫妻と両親の勘違いを誘ってしまう。


(なんてこと! シルヴィアは歩けなくなった自分がクリストファーのお荷物になると自らを犠牲にして身を引こうとしているんだわ)


 そのせいで絶対に婚約破棄なんてさせないから安心して欲しいという全く逆方向の約束をされてしまった。


 シルヴィアが王太子のパシリとして宿題や面倒くさい事柄を全て代行してきたせいでクリストファーの愚かさはまだ世間に知れ渡ってはいない。


 しかも、外面そとづらの良いクリストファーは詐欺師並みに国王夫妻のことも騙していたのだ。


(歩けなくなるわ、婚約破棄できないわ……)


 泣きっ面に蜂ってこういうことを言うんだろうな、と絶望の淵で涙ぐむシルヴィア。


 それでも生きていればいつか良いこともあるさ、とシルヴィアは不運にめげずに学院生活を頑張っていた。


 しかし、王太子の態度は悪化するばかり。


 プリムローズという子爵令嬢と親しくなり、彼女との仲がただのクラスメートではないと周囲にも伝わるくらいベタベタベタベタし続けている。


 クリストファーのことは大嫌いだが、王族として相応しくない振る舞いは注意するのが婚約者の役割であろう。


 そう思って一年生の頃は注意したこともあったが、三年生になったシルヴィアはもう諦めている。


 ただ、もうパシリに使われるのはごめんだと、宿題代行などは断っているが、クリストファーは別にパシリを見つけたらしく特にシルヴィアに執着しなかった。


 それよりもプリムローズとのイチャイチャに夢中なのだろう。


 クリストファーと関わらずにすんでシルヴィアは心の安寧を得ていた。


(よし、このまま無事に卒業だ!)


 プリムローズと結ばれたいから婚約破棄してくれっていずれ言われるだろう。その時に「喜んでっ!」って返事をすれば大丈夫だと微かな希望を胸に抱いていた。


 しかし、不運は彼女を忘れなかった。


 卒業間近の頃。偶然プリムローズと階段のところですれ違ったシルヴィアは松葉杖だったこともあり、思いっきり階段の上から転がり落ちてしまったのだ。


 後ろから押された感覚もあったが、よく覚えていないし気のせいだろう。


 しかし、頭を打ったシルヴィアはまたしばらく自宅療養の身となった。


 彼女がいない間に学院でどんな噂になっているか知りもせずにのんびりと『やっぱり家はいいわねぇ』などとくつろいでいたのである。


 彼女が学校に戻ると周囲の雰囲気がガラリと変わっていた。


 仲の良い友人たちは青褪めた顔で近づいてくると耳元で囁いた。


「シルヴィア、何故かあなたがプリムローズを階段から突き落とそうとして誤って自分が階段を落ちたっていう噂になっているわ!」


 当然だが何の心当たりもない!


 しかし、仲の良い友人たちを除いて、他の同級生たちはシルヴィアを疑惑の目で見るようになった。


 そして最終的に卒業パーティで思いっきり断罪されたのである。


「プリムローズを階段から突き落とそうとした罪を償え!」


 クリストファーは勝ち誇った顔で宣言した。


「婚約を破棄する!」


 松葉杖のシルヴィアに向かって。


     ***


 幸い、国王夫妻はシルヴィアがプリムローズを突き落とす意思がなかったということを信じてくれて、王太子を叱って婚約破棄を撤回させようと言ってくれた。


 シルヴィアは丁重にそれを辞退して、我が侯爵家に何もお咎めがないのならこのままで問題ないと主張した。


 おかげでゲームの中で起こったような実家の没落などはなく、逆に国王から個人的に慰謝料を払ってもらったくらいだった。


 しかし、侯爵令嬢なのに嫉妬に狂って恋敵を階段から突き落とそうとした悪女。こんな彼女と結婚したいという勇気のある男性がいるはずもない。


 加えて足が不自由で移動は車いすか松葉杖、というシルヴィアは今世で誰かと結婚しようとか見合いしようとか考えたこともなかった。なかったが、それで幸せな日々を送っていた。


 家族や使用人はシルヴィアを十二分に愛してくれる。


 クズの王太子から解放された。


 毎日好きな本を読み、音楽を嗜み、美味しい料理を楽しむことができる。


 なんて幸せなんだろう、と感動していた矢先に……。


 この国の十八歳以上の未婚で特定の相手がいない貴族令嬢は全員マクシミリアン・アーチボルド公爵主催の婚活パーティに出席しなくてはいけない、という通達が出されたのだ。


 シルヴィアはなんとか欠席させてもらえないかと周囲に訴えた。


 重病のフリをすることまで考えた。


 しかし、欠席する場合は後に自邸までマクシミリアン・アーチボルド公爵が面会に行く、それは正式な見合いだと聞かされて、だったらその他大勢の中の一人ということでパーティに出席し、目立たぬように過ごしひっそりと帰ってくればいいやと考えた自分が甘かった。


 周囲の視線は憐憫というか、同情というか、侮蔑というか……、どんな言葉にしてもあまり面白くない感情が込められていてシルヴィアはむかっ腹が立ってきた。


 勝手に人の幸せを測らないでちょうだい!と叫びたくなる。


 自分は今の生活が快適で幸せなのよ。上からマウントするような目線にはとにかく腹が立った。


 しかも、松葉杖だ。


 ちょっとだけ楽しみにしていた美味しそうな料理が並んでいるのに食べることもできない。


 シルヴィアはハァっと小さく溜息をついた。



 そこに大きな歓声が起こった。黄色い声をあげる令嬢方が取巻いているのはこのパーティの主役、マクシミリアン・アーチボルド公爵である。


     ***


 ちょうど三年前、この国は亡国の危機に晒されていた。


 最狂最悪な魔王が復活を遂げ、この国に襲いかかろうとしていた。


 その時に近衛騎士団と共に立ち上がり、見事に魔王を封じ込めたのが当代一の魔術師と謳われるマクシミリアン・アーチボルド公爵なのである。


 騎士団長が「アーチボルド公爵がいなかったら、我々は全滅していました」と言うほどの激戦を制し、マクシミリアンは魔王の封じ込めに成功した。


 一躍、時の人、英雄、ヒーローである。


 しかも、完璧に整った顔貌を兼ね備えた美丈夫に国中の女たちが群がったと言っても過言ではない。


 国王が救国の英雄にどんな褒美でも取らすと言った時に、王女たちは密かに自分を望んでくれないかしら?と思い、ちょっとでも容姿に自信のある女性たちは彼に熱烈なアプローチをかけた。


 しかし、彼は女性には興味がないとあらゆる誘いを袖にして、金銭的な褒章も名誉も一切受け取ろうとはしなかった。


「褒美は……。ちょっと考えさせて下さい」


 そう言ったきり行方をくらましていた大魔術師が、つい最近になって国王に面会に現れた。


「以前お約束して下さった褒美ですが、花嫁を探すためのパーティを開いて欲しいのです」


 突然のことで狼狽える国王に向かって驚くような要求したのだ。


 しかも、現在十八歳以上で未婚かつ相手のいない貴族令嬢は全員出席すること、という条件を付けて。


 高嶺の花で誰とも結婚しないだろうと思われていたマクシミリアン・アーチボルド公爵が結婚相手を探していると聞いて令嬢たちは色めきだった。


 十八歳以上で相手のいない令嬢がこんなに多いはずがない。


 いざとなったら婚約破棄でもして……なんて思ってるんじゃないかな、と考えながら、マクシミリアンを取り囲む令嬢方を冷静に観察するシルヴィア。


(ああ、これ、何かに似てると思っていたら、前世のタイムセールっぽいんだわ)


 お目当ての商品に群がり、競争相手の中にグッと肩を入れるような猛者たちの姿を思い出す。


 その時、マクシミリアン・アーチボルド公爵とバッチリと目があった。


 背が高いマクシミリアンは群がる令嬢たちよりも頭一つ抜き出ている。


 そんな彼の視線が自分に固定されたような気がして、シルヴィアは思わず周囲を見回した。


(彼が見ているのは……誰? 私……? まさかね)


 鼻で笑った瞬間に、マクシミリアン・アーチボルド公爵が自分の目の前に立っていることに気がついた。


 瞬間移動かと思うくらい早かった。


 改めて近くでマクシミリアンを見ると、その類まれな美しさにシルヴィアは内心溜息をついた。


 こんな整った顔立ちの男性は今まで見たことがない。


 腰近くまである金髪を後ろで一つにまとめているが、頬にかかる少し長めに伸びた前髪の隙間から覗く青い瞳はまさに宝石のように煌めいている。形の良い高い鼻梁にちょっと薄い唇。精悍な顎と喉仏のラインから男の色気が漂ってくる。


 その薄い唇が開いた。


「シルヴィア嬢ですね? お会いしたかった」

「へ……!?」


 思わず脇の下にある松葉杖を取り落とすところだった。


 体のバランスを崩したところをすかさずマクシミリアンが肩を抱くようにして支えると、周囲の令嬢たちのキャーーっという悲鳴が耳に刺さる。


(マズイ……非常にマズイ……)


 令嬢たちの視線は、猛獣の牙のようにグサグサとシルヴィアに突き刺さる。


 言わずとも分かる。


 なんでこんな子が?

 マクシミリアン様も酔狂な。

 彼女は最近みっともなく婚約破棄されたばかりなんですのよ。

 恋敵を階段から突き落とすような性悪で、暴力的な子なんですよ!


 などという罵詈雑言が令嬢たちの頭の中を巡っているに違いない。


 それを口に出さないのはマクシミリアンにはしたないと思われたくないからだ。


「シルヴィア嬢。松葉杖をお預かりしましょう」


 優しく告げるマクシミリアンが目で合図をすると側に控えていた侍従が松葉杖を受け取った。


「あ! 待ってください。私それがないと立っていられない! きゃっ」


 焦るシルヴィアをマクシミリアンは軽々とお姫様抱っこする。


「あの! 申し訳ありません。でも、降ろして頂けませんか?このままだと……困ります」

「困る? どうして? ほら、しっかり僕の首の後ろに手を回して。危ないから」


 甘く蕩けそうな笑顔のマクシミリアンにシルヴィアは戸惑うばかりだ。


 あまりに親しげな様子に『会ったことあったっけ?』と記憶の糸を辿っても全く何も思い出せない。



 その時、背後から大きな笑い声が聞こえた。


 その人も有名人なので分かる。近衛騎士団の団長だ。マクシミリアン・アーチボルド公爵と並んで魔王討伐に功のあるヒーローだ。同様に超絶美形の独身貴族である。


「初対面でいきなり令嬢を抱き上げるもんじゃない。シルヴィア嬢が困っているじゃないか?」

「ハリー。余計なお世話だ。……シルヴィア嬢、困るか?」

「は、はい。正直申しまして……。このままだと何もできませんし」

「なにもできない? このパーティで何をしたかったんだ?」

「い、いえ……。なにも。その……目立たず過ごして、ちょっと美味しいものを食べられたらいいな、くらいの感覚で来ました。すみません」


 オドオドと言うシルヴィアにマクシミリアンの顔が輝いた。


「なんだ! それくらい! おい! 椅子を用意してくれ!」


 そう言ってズンズン歩き出す先には、座り心地の良さそうな大きな椅子が素早く準備され、後ろにはうやうやしく松葉杖を掲げる侍従が続く。


 シルヴィアたちの行進を呆気に取られた表情でただ見つめる参加者たち。


 彼女は恥ずかしさで死にそうだった。


 しかし、マクシミリアンは一切気にする様子がない。


 堂々と椅子に座り、蕩けるような甘い表情でシルヴィアを膝の上に載せる。


「なにが食べたいんだ?」


 優しい口調で尋ねられ、シルヴィアは動揺して瞳を瞬かせた。


 間近で見ると肌がツルツルスベスベで、どんなスキンケアをしてるんだろうと気になってしまうほどだ。シミ一つない肌は女性なら誰もが憧れるだろう。


「な、なにも要りません。ただ、降ろして頂けませんか?」

「降ろしたら歩けないだろう?」

「だ、だから、松葉杖を返して頂けたら……」

「嫌だ」


 マクシミリアンはきっぱりと言い切った。


 周囲の令嬢たちは、視線に溢れんばかりの殺意を込めてシルヴィアを睨みつけている。



(ああ、私は明日から今まで以上の嫌われ者だ)



 悲しい気持ちになるとマクシミリアンが心配そうに彼女を見つめた。


「どうした? 何があった? 問題があるなら僕が全部片づけてあげるよ」


 まったく無責任なことを言う。


 シルヴィアは腹が立ってきた。理不尽にもほどがある。


「あの! アーチボルド公爵閣下がどのような意図でいらっしゃるのか分かりませんが、私の評判はますます下がってしまうでしょう。ですから、どうか離して下さい」

「評判が下がる?何故?」

「私は既に最悪の性悪女だという評判です。公衆の面前で婚約破棄され大恥をかいたばかり。それなのにこのようなパーティに参加するだけでも恥ずかしいのに、こんな風に初対面の男性に抱き上げられて……。悪女が弄ばれていいザマだ、くらいのことを言われかねません」

「君は悪女でも性悪女でもないし、僕は弄ぶつもりはない。君と結婚したいんだ。シルヴィア嬢もパーティに来てくれたということは僕と結婚してもいいと思ってくれているんだよね?」

「は!? ……結婚!?」


 シルヴィアは開いた口が塞がらない。


 確かに貴族社会では家格で結婚が決まることが多い。侯爵令嬢は一応高位貴族だ。でも、なんでわざわざ悪評ばかりの悪役令嬢と結婚したいなんて思うんだ!?


 この人ならどんな女性だって選り取り見取りだろうに。


「僕は本気だ。そうだ! 今から君のご両親にご挨拶に行こう!」


 シルヴィアを抱きかかえたまま勢いよく立ち上がったマクシミリアンは、周囲を見回すと笑顔で叫んだ。


「皆さん、今日は来てくれてありがとうございます。僕の花嫁はシルヴィア嬢に決まりました! ですから僕たちはこれで失礼します! では!ご機嫌ようっ!」


 呆気に取られる参加者の残してそのまま会場から走り去った。


 忠実な侍従は相変わらずうやうやしく松葉杖を掲げながら、ものすごいスピードで二人の後を歩いて追ってくる。決して走りはしないところが凄い。


 そのまま豪奢な馬車に飛び乗ったマクシミリアンは本当にシルヴィアの屋敷まで向かい、何がなんだか分からない両親を説得し、その顔の良さで使用人たちを誑かし、いつ準備したのか既に万全に用意されている結婚のための書類一式を満面の笑顔で取り出した。


     ***


「シルヴィア。心から愛しているんだ。僕と結婚して欲しい」


 馬車の中で二人きりになった時にマクシミリアンはシルヴィアに改めてプロポーズした。


「ど……どうして私と? 私のこと、何も知らないでしょ?」

「いや、もしかしたら僕は君以上に君のことを知っているかもしれない。そして、君の不運の元を退治できると思うよ」


 彼は意味深な笑みを浮かべる。


「え!? 私の不運の原因を知ってるんですか?」


 シルヴィアは衝撃を隠せない。今まで誰一人理解してくれる人はいなかった。


 運不運なんて誰でも一緒よ、なんて言われるだろうと、誰かに相談したことはない。


 でも、何故自分だけがこんなに不運なんだろうと、情けなく、やるせなく、悲しく思うことは何度もあった。


 思わず瞳から涙が溢れ出す。


 そんなシルヴィアの頭をマクシミリアンは優しく撫でた。


「これからは僕が君を守る。守らせてくれないか? 二度と君が理不尽な不運に見舞われないようにする。僕を信じて欲しい」


 マクシミリアンの蒼い瞳は誠実さに溢れていたが、同時に懇願するような切ない光も帯びている。


 シルヴィアが答えに窮していると分かってマクシミリアンは言葉を重ねた。


「君が不運に陥れられているのに気がついたのは君たちの卒業パーティの時だ。君の婚約者が君を一方的に断罪し、婚約破棄を宣言していた」

「え!? あの時、いらしていたんですか?」

「ああ。あの時に君がずっと不運を背負ってきたことに気がついた。もっと早く気づいてあげられなくてごめん。君は不運な目に遭ってきたのに、人を恨んだり、妬んだりすることがなかった。世界を恨んでも無理ないような状況だったのに君は常に人に優しかった。立場の弱い人間にかさに懸かるようなこともなく、真面目に誠実に生きようとする健気けなげな姿に僕は恋したんだよ」

「どうして……その……不運の元ってなんなんですか?」


 マクシミリアンが真面目に告白してくれるんだと実感したシルヴィアは顔を赤らめて彼に尋ねた。


 彼は躊躇していたが、そっと自分の人差し指をシルヴィアの唇に寄せた。


「今はまだ話せない。全部片付いたら、ちゃんと説明するから。待っていてくれる?」


 耳元で低いセクシーな声で囁く。


 澄んだ青灰色の瞳に吸い込まれそうだと思いながらシルヴィアは頷いた。


「……まずは僕と婚約してくれる? そして、それを大々的に発表しよう。もし、君がどうしても僕と結婚したくないと思ったら、後で僕の瑕疵ということで婚約破棄してくれて構わない。出来たらなし崩しに結婚できたら嬉しいけど、君の気持ちを尊重したいから」

「今すぐ婚約しないとダメですか?しばらくお付き合いしてからでは……?」

「うーん、そうすると不運の元の特定がちょっと難しくなるんだよね」

「つまり婚約すれば不運の原因がはっきりと分かるようになるということですか?」

「うん。まあ、そういうことだね」


 頷くマクシミリアンの端整な顔立ちを見ながら、シルヴィアは決心した。


 この人を信じてみよう。どうせこれ以上失うことなんて何もない。


 そして、マクシミリアン・アーチボルド公爵と悪役令嬢シルヴィアの婚約が大々的に発表されたのだった。


     ***


 その後、具体的に何があったのかは分からない。


 しかし、色々なことが起こった。


 まず、シルヴィアが階段から落ちた時の目撃者が現れた。


 目撃者は、その直後に領地に居る両親が事故に遭い危篤であるという連絡を受けたそうだ。慌てて領地に戻り、今までずっと両親の看病をしていたのだという。


 ようやく両親が回復したので、王都のタウンハウスに戻るとシルヴィアが嫉妬に駆られてプリムローズを突き飛ばそうとしたという悪評が広まっていて驚いた。


 彼女は偶然にもその時のことを魔道具で録画していた。


 録画された動画によると、松葉杖をつきながら階段を降りようとするシルヴィアの背中を思いっ切り押して突き飛ばすプリムローズの姿がくっきりと映っていた。


 その結果、プリムローズは逮捕された。


 王太子は、彼女は無実だ陰謀だと騒ぎ立てたが、実は王太子は真実を知っていて敢えてシルヴィアを悪役に仕立てたのだと証言する者が現れた。


 更に、プリムローズが魔王を封印している人形ひとがたを隠し持っていたことが判明した。


 王宮で厳重に管理されるべきはずの人形を盗み出した罪は大きい。下手すると再度魔王が復活してしまう可能性だってあった。国を滅ぼす危険性だってあるのだ。


 王太子自身が盗み出す手助けをした証拠も見つかり、国家反逆罪にも匹敵すると国王は激怒した。


 プリムローズは貴族の身分を剥奪され、終身禁固刑を宣告された。


 そして、王太子は廃嫡され、王族の身分を剥奪された。元王太子は受刑者として労働に従事するために辺境にある鉱山に送られることになったのだ。


     ***


 一方、シルヴィアには幸運が訪れた。


 犬の糞を踏まなくなったし、鳥や虫から排泄物をかけられることも無くなった。


 何もないところで不必要に転ぶ事象も起こらない。


 魔法学院の卒業試験では王太子から頼まれて意図的に点数を低くされていたことが事務員の告発で明らかになった。


 採点をやり直した結果、シルヴィアが学年で一番の成績で卒業したことが認められ、特別に表彰された。


 またマクシミリアンが治癒魔法を使い辛抱強く治療を行ったところ、全く動かなかった左足の感覚が徐々に戻ってきた。


 しばらくすると少しずつ足を動かせるようになり、リハビリを続けた結果、普通の人と変わらない程度に歩くことが出来るようになった。



 そして、マクシミリアンは相変わらず優しい。


 シルヴィアを甘やかしたくて仕方がないという彼の態度にシルヴィアは生まれて初めて、溺愛される喜びを感じていた。


 甘やかされ過ぎて我儘になったらどうしようと心配になるくらいの溺愛だが、常にシルヴィアの味方である侍女たちは一様に口を揃える。


「それでイイんですよ! お嬢さまはちょっとくらい我儘になって丁度いいんです!」


 こんなんでイイのかな、と独り言ちるとそれを聞き咎めたマクシミリアンは甘く微笑みかけた。


「君はそのままでいいんだ。ずっと変わらないで」


 そして、そっと彼女の額に唇を寄せる。


(幸せだな……)


 温かな感情がシルヴィアの胸一杯に広がった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] シルヴィアが来るのを期待していて、しかも彼女が足が悪いのも承知していながら、 フォローが指示されていたようでもなく、何か立たせておく理由や裏があるようでもなく ご登場まで立ちっぱなしに…
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