其之壹 廃城に住まう悲しき姫の情念 之巻
俺の名前は武蔵。日本一の剣豪とは俺様のことだ。だが今はそんなことはどうでもいい。俺は今重大な任務を請け負っている。抜け脚差し脚忍び足、俺が狙う、いや、俺に拐かされるのを待っている愛しの姫君はすぐ目の前だ。優雅に脚を運び、頭を低くして、恭しくその御前に――。
「ぬおおおおああああーーーーーっ!」
「お前の考えてることなんざお見通しだー!」
あと一歩の所で、足元を掬われ、宙づりになった。そこに日向が物凄い形相で、ゆらりと現れた。あの、その、その顔、大分ヤバいんだけど。日向さん? その、あの、えっと。
「武蔵……ィ? こん一週間、おらだち、何食ってたか言ってごらん……?」
「あ、いや、その、これには訳が……」
「言わんかオラ」
「…………木の根と葉っぱと木の実です」
「おめえが最後に蕎麦掻き食ったのは?」
「一週間前……」
「その時、何人分食った?」
「五人前デス」
どかばきごすどこがんがんがんばしっ!
日向に顔中殴られた。くノ一だけあって、こいつの掌拳は効く。ヤベェ、頭に血昇ってボコボコにされてくらくらしてきた。おまけに鼻血も出てる。……飲めねえかな。
「種子島、このダラちっとも学びゃせん。今日一日、逆さづりにしとけ」
「はーい。……武蔵、窒息しないようにね」
「そう思うなら解けよ種子島……」
「ジゴージトクだーい。んべーっだ!」
畜生、腹が減る事の何がいけないんだ……。
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実を言うと、俺は蕎麦掻き五人前で、漸く腹五分目位なんだ。いつ頃からかは分かんねえけど、とにかく毎日腹が減って腹が減って仕方がない。でも俺達の財布事情上、椀子蕎麦なんか食えねえし、とにかくタダで手に入る木の実だのじゃ、腹の足しになるどころか腹が減る一方だ。食っても食っても、ごちそうさん、なんて言えたことねえ。庄屋だの肝煎だのの家に転がり込めても、結局膳が無くなるまで食っても、やっぱり腹は膨れない。ああ、こうやって逆さ吊りになって鼻血が出てるんだから、それだけでも舐め取りてえなあとは思うんだけど、これまた、俺の口とは反対方向に行っちまうんだから……はぁ。
あー、くらくらする。こりゃもう駄目だな。俺は目玉の力を抜いて、転寝を始めた。暫くして、ふと、闇の中から出雲が笑みを浮かべて近づいてきた。……何だよ、悪いかよ。
「仕事来ねえかなあ、そうしないと俺、いつまでも宙づり――へぶ!」
「起っきろい食い意地達磨ー! 武蔵にピッタリの仕事、見つけて来たよ!」
吊った縄を斬り落とし、俺の右足に絡みついた縄を解きながら、仕事の説明をした。
何でも今回の仕事は、廃城に棲んでる妖異の討伐らしい。俺は正直気が乗らねえ。っていうのも、城を壊したいって言ってるのは、大肝煎の豚野郎だ。城ってのはな、高貴な御方と、その御方を御守りする武士の魂が宿ってんだ。自分の権力や財力を自慢する為に、簡単に取り潰して良いもんじゃねえんだよ。
ま、今年分の米俵は全部食っちまったから、それで良しとしてやるか。文字通り背に腹は代えられねえし、あの豚も当分米は食えそうにねえからな。……領民のことなんざ知らね。
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「おい日向ぁ、本当にこっちなのかぁ?」
「地図だとここら辺りにある筈なんだべか」
「城どころか堀も見えて来ねえぞ!」
「おらだって、がさつに地図押し付けられてなんも知らねえんだよ!」
「ああっ? そりゃいくらなんでも無責任だろうよ! 仕事持って来たの誰だよ!」
「まあ二人とも落ち着いて……。少し霊獣を飛ばしてみよう……。何だか様子がおかしい……」
俺が日向から地図をひったくると、この上もなくしっかり書かれた地図だ。なんでこいつはこんな簡単なものも分かんねえんだ? 不思議に思いながらも、俺は先頭に立って進んだ。だんだん霧が出てくる。
「おい種子島、妖異の気配、するか?」
返事がない。まさかこいつ、へばってちゃっかり日向の――。
「あ、あれ? おい! 日向! 出雲! 種子島! どこ行きやがった!」
すぐそこに居た筈の三人がいなくなっていた。突然現れたこの霧の所為か? 俺は他の三人みてえに妖異の気配は分からねえ。キナ臭ぇ所を片っ端からぶった斬るまでよ。でもこの霧じゃ、誰か三人のうちの一人をぶった斬る可能性もあるよな……。仕方ねえ。あいつらはあいつらで大丈夫だろう。飯の分は働かねえとな。俺だけでも進もう。畜生、鳥は勿論虫の鳴き声すら聞こえねえ。戦場跡だって、もう少し賑やかだってのによう。
===
「…………あん?」
雷光丸の鞘を杖にしようかと思っていた時、どこからか水の音がした。小川の音でも湧き水の音でもない……。これは水滴が落ちる音だ。と言うことは、堀か池か? 城が近い。
「――………」
「ん? 日向? 日向かー?」
誰か女の声が俺を呼んでいる。声の高さで女ってのは分かるんだが、日向かどうかまでは分からない。とにかく呼んでるのは確かだ。それも、水の音がする方から。やっぱ、こっちで合ってるんだな。足元に気を付けながら走って行くと、霧の奥に、見覚えのある城が聳え立つ。但し、その城の姿はまやかしだ。俺はその城が落ちたのを見たことがある。
「は、はは……。上等じゃねえか、人の記憶を読む妖異か? 悪趣味な奴だぜ!」
声はこの中から聞こえてくる。明らかに罠だ。この声は助けを求める声じゃねえ。罠以外の何者でもない、うん。じゃあどうするかって? こうするんだよ!
バキン!
「ふう、貧乏大名め、正門が木製なのは不味いだろう。まあ助かったけどな」
こんな門一つくらい、刀なんざ使わなくても蹴破れる。俺は種子島や日向みたく塀を登ったり何だり出来ねえ。強行突破に限るんだ。
「武蔵」
城の中から、はっきりと聞こえる、日向じゃねえ女の声。そんなにぶった斬って欲しけりゃ、剣豪自ら出向いてやるってもんだ。勝手知ったる虎口を進み、愈々城の中に入る。
城の中は、正直な話悪趣味だった。綺麗な城の外見とは裏腹に、落城の爪跡が生々しく残ってる。ご丁寧に血の臭いまで誂えてあるってもんだ。死んでいる小姓や下女の中には、やたらと日向や種子島、出雲に似た奴も何人かいる。ケッ、この程度で動揺する武蔵様じゃねえぜ! 三人が死ぬなんてありえねえんだよ。なんでかって? そんなのは簡単だ。
「そこか!」
ざっくりと割られた襖に、雷光丸の刃が突き立てられる。手応え有り、だが恐らく、本体じゃあねえ。刃先を持ち上げると、五つ衣の一番外側の衣が引っかかっていた。やっぱりここの妖異は女か。女と城で思いつく妖異は玉藻前くらいだが……。なんか違う気がする。声は尚も、上の方から聞こえてくる。こりゃ、行くっきゃねえな。埒が明かねえ。
壊れた部屋もあれば、今にも侍女共の声が聞こえてきそうな場所もある。城の構造が単純だったのは最初の、五つ衣の部屋までだ。階段を上がって蔵に辿りつき、その屋根裏部屋まで昇ったら中庭に、その襖を開けたらいきなり天主閣で、落ちそうになった。
その時に見た。いっそ美しいまでに朱殷に染まる、溝川となった城下町。間違いない、ここには戦があった。それも、武士や密偵の類が内側から崩壊させていったとか、そういうことじゃない。徒党を組んだ真黒な津波が、帷子をびびらせ押し寄せたんだ。飛沫のように光る刃に抗う者が一人でもいたのなら、そいつがどんなヘッポコでもこんな惨状にはならなかったろう。この城には、その時護る者がいなかったんだ。恐らく、女の薙刀が、十か二十――それに対して押し寄せた津波は、恐らく一万はあるだろう。武士の風上にも置けねえ恥知らずなやり方、しかし見事な采配。
月白の城壁と相まって、何て目の眩む色合いだ。十五夜の月を待ち焦がれる旅人のように、この城も、主と、この城を守るべき武士を待っていたに違いねえんだ。
「…………チッ」
柄にもねえ事考えちまったぜ。どんなに頑張ったって、俺は俺以外の何者でもねえんだ。
俺はよろず屋衆の妖刀使い、日本一の剣豪武蔵。それでいいじゃねえか。この城の妖異を倒すのだって、そいつなんだからよ。他の誰でもねえ、この武蔵様がぶちのめしてやる。
「武蔵」
「はいはい、今行きますよ、お姫様っとぉ」
俺は踵を返して、声のする方へ行った。まだまだ道のりは長そうだ、あー、だりぃ。
「××××」
「…………!」
突然、『武蔵』ではない別の呼び方で俺を呼んだ声があった。後ろからだ。天守閣の下。
何で。何でそんな名前知ってんだよ。俺はその名前、もうどこででも名乗ってないぜ。薄気味悪ぃ、こいつも妖異の仕業か? そんなに俺と切り結びたいってか。上等上等、行ってやらあ! 俺は尚も呼びかけてくる二つの声の、武蔵と呼ぶ方に走った。
===
もう大分階段を昇ったんじゃねえかな。いい加減息が上がってきたころだった。部屋の奥から明らかに気配がする。どうやら漸く終着点らしい。雷光丸の居合切りで襖を斬り破ると、中には一人の姫がいた。五つ衣をきっちりと着こなし、和琴を弾いている。俺はその姫と衣の色合いを知っていた。そうか、この方が俺を呼んでいたんだな…………。通りで。
「何をなさっているのですか。このような寂しい場所で琴を奏でているとは……」
「貴方を待っていたのよ。おかえりなさい、さあ、どうぞお掛けなさい」
そう言って、姫は俺に上等な座布団に座る様に促し、何事も無かったかのように琴を爪弾いた。だがこの音色は偽物だ。つまり――この姫の姿をした奴が、妖異ってことだ!
「この女狐、俺にゃそんな誤魔化しは効かねえぜ。――姫はもうとっくの昔に殺されてるんだよ! この俺の手でな! 主君を殺した武士が、主君を忘れる訳がねえ!」
雷光丸で座布団を弾き飛ばすと、身の危険が分かっていながら、姫は尚もその姿を変えず、しくしくと泣き出した。これも嘘だ。姫は俺の前は勿論、あの方の前ですら、涙一つ溢さない、気丈で気高い姫だった。
「どうしてわたくしを忘れてしまったの……? あの朝も帰ったら一番に、あの方と共に琴を聞かせて欲しいと、貴方が言ったのに……」
「お前は誰だ……。俺の知ってる主君の姫は、そんな女じゃねえ! 正体を現せ!」
だが姫は裾で涙を拭うだけで、一向に襲い掛かって来ようともしない。どころか、俺の気が治まるのを待っているようにすら見える。
…………。あーもう、鬱陶しいな! こいつぁ、どうやら妖異の類じゃなくて、化生だ。化生ってなぁ、死んで成仏できない人間の魂のことだ。俺は種子島や出雲みたく段階は踏めねえ。俺だって斬らずに済むならその方がいいんだ。俺はどっかり座り、溜息を吐いた。
「姫さんよ、分かった、分かったから、泣くのは止めてくれ。話くれえなら聞いてやる」
「ずっと待っていたのよ、貴方があの戦場に――あの方の代わりとして先んじて行ったあの時の約束を、きっと守ってくれると思って」
「ほーかいほーかい、んで? その武士はどうなったんでい?」
「帰ってこないのです。ずっとずっと、待っているのに……。このままではいけないのに」
「どーいけねえんだい?」
「それは――」
その時、突然凄まじい地鳴りがして、天井からパラパラと木片が降って来た。ここにいてはヤバい。狼狽える姫の手を強引に取り、とにかく上に走る。下に降りたら、城諸共潰れちまう。少しでも高い所に行って、外敵を知ることが先決だ。
「駄目…………そちらは駄目…………。こっち」
俺より勝手知ってるだろう姫が、俺の手を引っ張り、瓦屋根を伝うように促す。ちょいと見たけど、そう高くはない位置に、急流に靡く小舟が見えた。これを使って逃げようって腹か。まあ、妥当な選択肢だな。姫を両腕に抱いて、あーらようっとぉ!
「早く漕いで……。六番目童子がすぐそこに……貴方を悪鬼にしようと追いかけて来るの……」
「六番目童子?」
「早く!」
色々聞きたいことはあったが、城はもうぐらぐらで崩壊まで秒読みだ。繋がれた綱を断ち切って、船を漕ぎだす。物凄い急流で、姫が落ちないように櫓を操るのは尋常じゃない力がいる。急流を塞ぐ岩がないのが幸いして、船はどんどん、寂れた城から遠ざかった。
「嗚呼、なんてこと……。天遣城が…………私達の天遣城が…………」
どこか寂しそうな姫に、俺は何も言えなかった。恐らく姫は、あの城がどんな運命を辿ったのか知らねえんだ。
「悲しむことはありませんよ、姫様。全て元の形に戻るだけですから」
「元の……?」
「…………。天遣城は、既に落城しております故。姫様のいらっしゃったあの城は幻です」
「幻ではないわ」
「幻です。本物ではないのですから、幻」
「あれをご覧になって」
姫が水面を指差すと、その水面には、俺と姫の他に、子供がもう一人、映っていた。
「…………! この方は……!」
「あの方はこの水の下の世界で、私達を待っているの。私達はこの水の下に逃げたの。さあ、行きましょう。六番目童子が気付かぬうちに、この水の下に――」
あの方が生きている? そんな馬鹿な、でも、水面には確かに――。
姫は小舟からひらりと降りて、くいくいと袖を引っ張ってくる。思ったより川は浅いらしい。俺が水面に片手を浸すと、水の中のあの方が手をそっと握って来た。その手を握り返そうとしたとき、物凄い勢いで水面が凍り付いた。思わず手を引っ込め、氷漬けの川に埋まった姫を引き上げる。氷は執念深く姫に纏わりつき、川の中へ引きずり込もうとしていた。雷光丸を抜き、氷に触れると、雷の熱に氷が怯む。その隙に姫を一気に引き上げた。
「六番目童子だわ!」
「桐姫様は岸へ! ここはこのヤミノカゲタカにお任せを!」
巨大な火の玉、否、熱の渦が桐姫の後を追いかける。飛び跳ね、その炎の渦を真正面から切り裂いた。俺の気持ちに呼応した雷が、炎の渦をバラバラに切り刻む。だが炎は鳳仙花のようになって、桐姫を追いかけた。仕方なく桐姫を追いかけ、背中に迫りくる炎を薙倒す。って、こりゃ何処に逃げりゃいいんだ!
「カゲタカ!」
「桐姫様、前を向いて! 走ってください!」
「わたくしはヒカリ家の姫、ヒカリは日出ずる国の軍を統べる家。他家の姫とは違います!」
「き、桐姫さ――!」
雄々しくも桐姫は俺の前に飛び出し、真赤な炎に真青な炎の壁で対抗した。狐火。姫の五つ衣の下から、九本の狐の尾が噴き出す。赤と青の炎の向こうに、真赤な迦陵頻伽の頭に、小さな子供が――違う、真黒な身体に、焼鏝のように赤く光る眼を持った鬼がいる。
あれが――六番目童子!
「桐姫様、火を焚いてください。私があの鬼を斬ります! どうぞお下がりください!」
桐姫は炎の壁の一部を掴みとり、俺に手渡した。瞬間、氷のように冷たい炎が俺を包む。これなら灼熱の炎も地獄の釜茹でも怖くねえ! 俺は思い切り炎の渦に突き進み、迦陵頻伽の尻尾に飛びついて、頭を目指そうとした。だがこいつ、尻尾でがっちり俺を巻き込んでやがる。斬っても斬っても次から次へと絡みついて、動けねえ。
「カゲタカ!」
俺を呼ぶ声が、凛と響く。炎の壁が、今にも突破されそうだった。桐姫が、最後の力で俺に呼びかけてんだ。助けに行かなきゃなんねえのに尻尾が邪魔、どころか斬れねえ!
「離せ! 今度こそ俺は護らなくちゃならねえんだよ! ……逃げてください! 桐姫様!」
「さようならカゲタカ……。やはり、わたくしは間違っていたのです。貴方が恋しかった……」
「桐姫様! 桐姫さ――!」
「月白の城 十万億土の 先なれど 草は草のみ 花は花のみ」
桐姫はそう、辞世の句を詠み、巨大な九尾の狐に化けると、六番目童子ごと迦陵頻伽の頭を喰った。でも、すぐに穴と言う穴から炎が噴き出し、火山のように爆発して散って逝った。その衝撃なのか、景色がバラバラに砕け、真っ白な光に包まれる。否、迫りくる。俺は千切れ拭き取んだ九尾の死体に手を伸ばし、もう死んでいると分かっているのに、名を呼び続けた。
===
「桐姫様! 桐姫様ァ――ー!」
「×××!」
俺を呼ぶ声がした。伸ばした手を誰かが掴んでる。眩しさにゆっくりと瞳を開くと、桐姫じゃない女が俺の右手を握っていた。誰だっけ、この女。左手は子供が握ってる。それにここは……廃城か? あの時駆け上がった……。
「武蔵、おらが分かるか?」
「…………。ああ、日向か……」
「起きた? ね、出雲に途中会わなかった?」
「種子島……。いや、出雲には会ってねえ……。俺、どうしちまったんだ? 全然記憶が……」
日向が半分泣きながら説明してくれた。
曰く、俺は霧の中で突然倒れたらしい。どうやら霧そのものが妖異だったらしく、俺は不覚にもそいつに捕われちまったって訳だ。んで、引き返して俺から妖異を祓おうにも、霧が深すぎて戻れない。取りあえず堀の水の音を頼りにどうにか廃城まで来て、漸く霧とおさらばしたってのに、俺は起きない。業を煮やした出雲が、俺の魂の世界に入り込んで、直接引っ張ってくるって言って、俺の左手を握り、一緒に眠り込んだらしい。時間にして半刻くらいだとか。だけど、俺が戻って来たのに、出雲は戻ってこない。
「どぉしよ……。このまま出雲が起きなかったら……ひっく、うえええん…………」
「大丈夫だべさ種子島。出雲はこのくらいじゃノびねっちゃ」
そう言う日向の手は震えている。俺がタマナシだったばっかりに…………畜生め。
「大丈夫だ。俺を助けに行って、俺が助かったんだから、絶対戻ってくる」
俺がいつものようにあっけらかんと言うと、日向は突然俺の身体を抱きしめた。温かい。
「もう……もう二度とあんげな思いはさせんで頂戴。待っちょる身にもなって」
「……ああ、わかっ――」
優しく抱きしめ返そうとした時、はた、と、気づいた。俺の左手が自由になってる。顔を横に動かすと、物陰から興味津々の種子島の頭を、出雲が丁度隠す所だった。
「なにさらすんじゃボケェ!」
「あいだっ!」
「出雲! 種子島! なんでもねえから!」
「いや、おいら出雲とみたらし食べてくる」
そう言って、出雲と種子島は小さな穴からするりと抜け出して行った。
「な! なんなんなん! 余計な銭使うでねえ! みたらしなんて食ってる暇ないっちゃが! ……おめーの所為だぞこのダラ武蔵!」
「いだだだだだだだ! わかった、わかったから! とにかく二人を追えば良いんだろ!」
さっきのあんなしおらしい日向、なんだったんだ? と、俺は日向に首根っこ掴まれながら考えた。その時、カサリと俺の袂で音が。何か入ってるみたいだ。日向は耳を真っ赤にしながら外へ追いかけて行ってる。袂に手を忍ばせると、手紙が入っていた。開くと、中には見覚えのある字で、三句書いてある。辞世の句だ。読んだことが無い句…………。
でも、見覚えならあるんだ。なんでかな。
===
夜になっても、その手紙を捨てられないでいた。俺も戦場には何度も行ってる。死を覚悟した武者たちが、家族に届けて欲しいと、ある者は達筆な字で、ある者は言伝で預かった物だった。でもこの句は、そのどれでもない、ということだけは分かる。
「んー? 武蔵、まだ起きてたの? ……何それ? 手紙?」
「おう種子島、ションベンか?」
「そんなとこ……。ねえ、それなんて書いてあるの?」
「…………」
このまま読んでも良かったんだけど、それじゃあ多分種子島は分からないだろう。
「『草分けとして生まれ、草分けとして死んでいく。それが天に与えられた私の使命です』。『草分けとして生まれた以上、私に一切の傷を負わせることは許さない。散る定めなら散って来い』。『この世の光になるのならば、貴方の命など安い物です』。……そう、書いてある」
「何それ。歌って、そんなものじゃないでしょ? なんで自分のことしか言ってないの?」
「…………そうだな。でも、全部本心からの詩じゃない……なんだかそんな感じがするんだ」
「なんで?」
「…………」
もう喉まで出かかってたんだけど、その気持ちだとか感情とか、そういうのを表現できる言葉が見つからなかった。何となく、と、言って、手紙をしまおうとすると、ひょい、と、出雲がその手紙を取り上げた。そしてさっと中身に目を通すと、それを破いちまった。
「あ、おい!」
「武蔵、種子島、これは紙舞の仕業だよ………人に贈る歌が、こんな物騒な訳、ないじゃないか………そんなことより種子島、厠には行ったの……?」
「うわ! 行ってない! おしっこおしっこ!」
漏らすなよー、と、野次を飛ばしてみたが、種子島のバタバタとした子供らしい足音だけが返って来た。種子島は何も考えなくて平和だよなぁ……。
「武蔵、気にしない事だよ……」
「ん? その歌の事か?」
「今の君には関係ない……。『武蔵』にはね……」
「…………」
なんか噛んで含んだような良い方だけど、マジで分かんねえし、もういいや。俺は寝る。
あーあ、今晩は腹いっぱいになる夢、見れねえかなぁ……。




