其之肆 地図に載らない幻の島? 種子島様禁術解放! 之巻
ざぶーん……。ざぶぶーん…………。
「おえええ…………。出雲、見える?」
「まだ……」
おえっぷ……。や、やあ、おいらの名前は種子島。訳あって、今房州の海の上にいる。おいら、山育ちだから海は…………うえっぷ!
「ああもう、何度目だよ……。だから僕に任せてくれればよかったのに……。水が勿体無い」
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ことの始まりは三日前だ。武蔵が珍しく一番のりで仕事を見つけてきた。おいら達の知らない間にそば屋に行って、そばがきを食べてる時に聞いたらしい。……もちろん勝手に財布をくすねたから、日向にぶん殴られてたけど。
で、最近この房州の海には、幻の島が現れるらしいんだ。その島はほんのり赤い土に覆われていて、色々な海草や貝殻が落ちていて、しかも遠くには立派なお城があったんだって。島としては小さくて、三里くらい。でも、城があるのに、城下町がなかったって話なんだ。大きな泉もあったらしいんだけど、腐った魚の死体とかで汚れて、とても飲めたものじゃない。漁師たちが食べ物ないかと探すと、そこは何とも言えない気味の悪い場所で、それはその島にあるお宝が呪われてるからだとか、あの城には妖異が憑いてるからだとか、色々うわさ話があったんだ。
で、問題はここから。
その幻の島を漁師が見てから、房州のあちこちを、大きな津波がおそうようになったんだって。ゴォォォッて水が引いたかと思うと、ドッパーンッ! て、すっごい津波が来るんだ。それは一里先の村からでも、大きな水の壁みたいに見えたらしい。おかげで漁が出来なくて、房州全体が今農業をしているらしいんだけど、元々房州は土が痩せていて、ずっと漁を中心に食べてたから、みんな困ってた。藩主さんもそれはそれは頭を痛めてるらしい。これは金になる、と、武蔵はそのそば屋で、俺達が解決する! と、啖呵を切っちまったんだ。んで、すぐさまそれが藩主さんに伝わって、おいら達が正式に依頼を受けた。こんな大仕事は数年に一回あればいい方、そんな大金だったけど、困ったことが起こった。
まず、幻の島に行くには当然船に乗らなきゃならないんだけど、船霊が出るから女の日向は行けない。ぶっ飛ばすから大丈夫、と、日向は言ったけど、これ以上船をこわしたくないからと地元の漁師たち泣きつかれて、しぶしぶ行くのを止めた。船を買えるほどお銭ないし。で、武蔵も行けなかった。理由は、答えは武蔵らしいというか、食べるのをガマンできないからだ。
「仕事なんだよ? なんでガマンできないの?」
「何言われても仕方ねえ。俺は一日二回、そば五人前は食わねえと力が出ねえ。斬り合いで死ぬならともかく、ふらふらになって海に落ちるとか、一方的に妖異に喰われるなんてゴメンだ。それならこの雷光丸で、津波を真っ二つに切ってやった方がずっといい」
「バカ! お銭とご飯どっちが大事なのさ!」
「もういいよ種子島、僕達だけで……」
……と、言う訳で、おいらと出雲だけで、この幻の島に挑むことになっちゃったんだ。
で、それが三日前。もらった兵糧は、酔ったおいらが全部吐きもどしちゃうから、水でガマンするしかない。出雲が食が細くて良かった。
「あ……種子島、もう大丈夫だよ……。ほらご覧……」
出雲が水平線の彼方を指さした。そこには、うっすらと赤い地平線が見える。点のような建物も見えた。間違いない、漁師たちの言っていた幻の島だ。やったぁ!
「ふふふ……。もう少しだよ、頑張って……」
「うん! よーし、漕いじゃうぞー!」
おいらは船酔いなんか吹っ飛んで、一生懸命櫓を動かした。見る見るうちに、島が近づいてくるのが分かる。すっごい嬉しい! でも同時に、大きな妖異の存在も感じとれる。漁師たちの噂は本当だったってことだ。気を引き締めながらも、ぐらぐらの船の上から落ち着いた地面に降りられたことは嬉しい。そうしたら、急に腹が減って来た。ずっと水ばかりだったから、兵糧でおなかいっぱいにして、幻の島を調べる。と言っても、妖異の気配を辿るだけなんだけど。
いつも探索するのは、出雲の力で白虎を呼び出して島全体を見渡すか、青龍を飛ばして探索してもらうかのどちらかなんだけど、何故か出雲は五獣を呼び出せなかった。おいら、陰陽道の詳しいことは分からないけど、簡単に言うと、出雲は土の五行を主に使うらしい。だから、五獣を呼び出す時、地面に印を結んで叩きつけるんだって。でもこの島の地面には、土の五行がないらしくて、どの五獣も呼び出せないんだって。
そうなったらもう、歩くしかないよね。まあ、おいらはさっき、酔って吐いたぶん、合わせて武蔵の半分くらいの量を食べたから平気だけど、出雲は五獣が呼び出せないからなのか、なんだか顔色が悪い。よぉっし! いつも大人びてる出雲に、イイトコ見せちゃおう! それで日向に報告してほめてもらお!
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一通り歩いたけど、行くとこ行くとこ、漁師の腐ったのとか、海の水が湧き出る泉とか、どろどろに腐った海草とか、碌なものがない。取りあえず何かに使えそうなので、マシな形を保ってる網を縄に繕い直して持ってくことにした。で、とうとうお城まで来た。それは良いんだけど、なんだが壁がぬめぬめしてる。忍対策なのかな? それにしても臭い。
「種子島、中、見て来よう……」
「どうやって? あんな大きなかんぬき、おいらと出雲じゃ無理だよ」
「君は田力だろう……? 僕くらいの子供を放り上げるくらい出来るだろう……。日向なら出来るね、確実に……。勿論、武蔵も……」
んぎぎぎ、武蔵にだけは負けたくない! 大体日向はおいらが嫁っこに貰うんだい
嫁っこより非力なんて、田力の名折れだ。おいらはしゃがんで、出雲を肩に立たせ、城壁を登ってもらった。それにしても、出雲軽いなあ……。おいらより二つも上なのに。
「種子島、敵はいないみたいだよ……。ほら……」
出雲はしっかりと縄を腰に巻きつけ、おいらも腰にしっかり縄を巻きつける。せーの、で出雲が飛び降りると、おいらの身体は少しだけ浮かび上がった――けど、落ちた。代わりに出雲がまた塀の上に引き上げられる。
「出雲軽いよ! 落っこっちゃう! もういい、おいら登るから、しっかりふんばって!」
おいらよりやせてるとか、そう言うのじゃないのに、どうして出雲はこんなに軽いんだろ。今にも落ちちゃいそうでこわかったけど、どうにか登りきった。城の中庭に出たらしい。サンゴやクラゲや魚の死体がごろごろ転がってるけど、ここには人の死体はない。でも、生臭い魚や海の煮詰まった中に、確かに人間の死臭がする。おいらは気配を追いかけるより、目や耳や鼻を使った方が向いてるんだ。
「どこかで人が死んでるよ、出雲。それも沢山……。皆腐っちゃったみたいだけど」
出雲が答えようとしたとき、突然、ごごごごご、と、すごい地鳴りがした。塀から離れて、周囲を見渡す。地震雲は出ていない。むしろ雲の一つも浮かんでない。その時、おいらの目に、何かスッゴク大きな細い物が、こっちを向いている事に気付いた。この島は大分朽ち果ててるのに、その細い針みたいなものは、水をしたたらせ、うるおっていた。おいらがあまりに大きな妖異に立ち尽くしていると、出雲がおいらを引っぱった。振り向くと、城だと思っていたモノが、ぶるぶるふるえだして、見る見るうちに気味の悪いヒビを作ってく。そしてそのヒビは、バラバラに刻まれた人間の死体の山になったんだ! それだけじゃない。亡者が何人か逃げ出したけど、城の合った場所の大地がズァァッと裂けてって、その死体を飲みこんだ。違う、食べたんだ。おいら達は今、三里もある巨大な妖異の上にいるんだ!
「アカエイノウオ……! 種子島、この地面は土じゃない……。魚の鱗だ……!」
アカエイノウオが暴れ出して、地面、いや、魚面? ああもうどっちでもいいや、とにかく地面が大きくはずみ、おいらと出雲はいり豆か何かのようにころがって、時々吹っ飛ぶ。
「ど、どーすんの出雲! こんな大きな妖異と戦うなんて、おいらわかんないよ!」
「種子島、君が軍を指揮するんだ……。僕が君にしか従わない兵士を呼び寄せる……」
「な、なんでそーなんの! 無理だよお! 端っこ見えないくらいでっかいのに!」
やだやだ、と、おいらがジタバタしていると、ぼよんぼよんと動く地面をものともせず、出雲がおいらを抱き起こして、しっかりと両手を握り、目を見つめてきた。
「落ち着いて……。『彼等』を良く視るんだ……。君にしか出来ないことだ……。日向にも武蔵にも、勿論僕にも……。大丈夫だから、しっかりと気を持つんだよ……。種子島なら出来る……。『とちゃ様』と『あちゃ様』の子なんだから……。だけど、木呪――五行を少し貸して……」
「う……。……あーもう! わかったよどうせこのままじゃ死んじゃう! これ使って、千人でも万人でも呼んじゃえー!」
こうなりゃやけくそだ。おいらは出雲に背負っていた木呪を押しつけた。とちゃ様とあちゃ様がどう関係あるか分かんないけど、もうこうなったら出雲にまかせるしかない。出雲が木呪をにぎると、木呪は槍から大輪の花を咲かせ、その花びらで出雲をおおった。ど、どうしよう!
「土龍の中で呼び出す舞を踊るだけだよ……」
花びらは金剛で出来てて、ビクともしない。多分、揺れから身をまもって集中する為なんだろう。でも外にいるおいらには、次から次へと、食べられなかった刻まれた亡者がやってきている。武器も取られちゃった今、おいらは自分の体術で戦うしかない。亡者だからって油断はできないけど、おいらみたいなチビっちゃいのは、相手のふところに入らないと攻撃できない。大きく錆びた刀を振り上げた亡者の足元に手をついて、思いっきり逆立ちをする。おいらのかかとが、亡者の頭をぐちゃりとつぶした。おげええ! きもちわるいっ! 一体だけでもこんなにきもちわるいなんて! は、早くおいらの軍団とかいうの、来ないかなあ……。そう思っている内に、亡者たちに囲まれる。ほとんどがボロボロの武器を持った亡者だ。丸腰でこいつらの相手なんて、こわくてできない。
おいらがチビりそうになっていると、空から青い炎が、雹みたいに降って来た。そしてその炎は地面に落ちると、色々な動物の頭を持った人間に姿を変えたんだ。あ、もしかしてこれが、おいらが指揮する軍団なのかな?
「み、みんな、おいらのお願い、聞いてくれる?」
「無論」
馬の頭を持った、妖異でも化生でもないものが答えた。まるで一人が一つの言葉を言っているみたいに、軍が言葉をつないでいく。
「童子に選ばれし者よ」
「そなたの願いは童子の願い」
「叶えせしめるは我等との契約」
「この窮地を脱し、我等は契約を果たす」
「願いを」
「我等に求めることを」
「我等が為すべきことを」
なんか不気味だなあ……。で、でもおいらにしか使えない兵士なんでしょ? 出雲、出来ないんでしょ? しかも出雲、まだ土龍の中に籠ってるんでしょ? そしたら答えは一つしかないでしょ! おいらは両手を広げた。
「全軍命令! アカエイノウオを討伐しろ!」
不気味な兵士たちは、声を上げておいらに答え、自分の持っている武器を使って、地面を只管掘り起こしだした。でも、テキトーに掘り起こしている訳じゃないらしく、地面がものすごくはげしく揺れる。多分、痛いんだろう。おいらは囲炉裏の中の栗みたいに、ぴょんぴょん飛ばされる。それくらい激しい。がんばってしがみつこうにも、地面がどんどんぬめぬめしてきて、立ってる事も出来ない。半べそかきながら吹き飛ばされていると、頭が馬の兵士に抱っこされた。ひょい、と抱き上げられたその真下を、アカエイノウオの槍のような針が吹っ飛んでいく。もしあれに当たったら、串刺し通りこして真っ二つだ! ぞっとして馬にしがみ付く。でも、その槍は出雲の籠ってる土龍の花に激突した。その瞬間、鉄壁の筈の土龍が崩れた。中で出雲が倒れてる。まもりが貫通したんじゃない。術者の意識が無くなったから発動できなくなっちゃったんだ。 しかも、槍が同じ方向をまた狙っている。思わず馬から飛び降りて、出雲を抱え上げた。やっぱり軽い。でも今はそれで良かった。
その間にも、槍の猛攻は続く。どうにかあの兵士たちが穴掘りを続けているから、よわってるはずなんだけど、おかげで足元がぬるぬるしたりねばねばしたりして全然動けない。でもさっきの馬、どっか行っちゃっ――。ん?
突然、おいらの視界が空を仰いだ。胸に冷や汗をかいて、うっすらと意識を取り戻したらしい出雲が被さっている。あれ? おいら、どうしちゃったの? なんか息苦しくて、ふわふわしてるんだけど。
と、思っていたら、おいらの魂、ふわあって浮かび上がっちゃった。
うわ! 自分の死体見える! 思いっきり左肩から左わき腹までえぐれてる! こりゃもう、お陀仏しかないかなぁ……。おいら、日向を嫁っこにもらいたかったのになぁ……。
「種子島……。大丈夫だよ、この五行を返すから、使ってご覧……。言ったよね、君は『とちゃ様』と『あちゃ様』の子供……。出来るから、ほんの少し、僕の力を分けてあげる……」
そう言って、出雲は死体になったおいらの口にくちびるを合わせて、ふううっと何か吹き込んだ。とたん、おいらの魂の糸が身体とつながる。それで、地面からぼこぼこ人の肉があふれてきて、おいらの身体のえぐれた場所を埋めていったんだ。あっという間においらの身体は元通りになった。糸は細いしすごく頼りないから、おいらは大急ぎで身体に戻る。
「死んだ! 出雲、おいら今死んだよね? どうしたの、マジ何したの。おいら確かに……」
「そんなことは後で説明するよ……。さ、アカエイノウオを倒すんだ……。良く思い出して……」
出雲が五行をおいらに返すと、五行は木呪に姿を変えた。おいらが槍を見て思い出す人――とちゃ様が呼んでいた、あの人だ。
「……うん! おいら、やるよ!」
出雲は笑ってくれた。本当はふらふらのはずなのに、おいらをそっと抱きめて、力を分けてくれる。とちゃ様と同じように、おいらが指を組むと、出雲はもっと力をこめて、ありったけの力を分けてくれた。おいら、見習いだけど、これなら出来る! 兵士たちが槍からまもってくれている今しかない。おいらは禅を組んで、門外不出の言霊を全て声に出し、とちゃ様の声を必死に思い出した。木呪を梓に変えて一心不乱にかきならす。
「我はその威を借る者、我はその威に化ける者。現世 に幾度現れその威は仮初なりても御魂は万軍に値すとてその名を呼ぶ。我が神口に応え、その威を示すのならば、我が身我が力を贄となさん。来たれ! 寶藏院胤栄!」
すぽーん、と、おいらの魂が吹き飛ばされる。梓は木呪に姿を変え、その槍先は十字になっている。やった! 成功したんだ!
「おい童子、こりゃ一体どういう状況だ? 急所はどこだ、拙僧でも手の出しようがない」
「僕も、こんなに大きな妖異は初めてで……」
おいらの身体には、確かに槍の名手、寶藏院胤栄が宿っている。おいらの魂の糸と胤栄さんの魂の糸を繋いで、ふわふわしながら叫んだ。
「とにかくあの尻尾をどうにかしたいんだ! あの尻尾を切り落として!」
「へっ、任せておきな!」
そう言って、おいらの身体の数倍はある十字木呪をかまえ、突進してくる尻尾を十字槍で受け止めると、そのまま飛んで先端をぐしゃりと折り曲げた。ビクビクしている尻尾を、十字槍の根元で引っかけ、思い切り薙ぐと、しっぽの三分の一くらいが千切れた。しっぽからは、真っ赤な藻みたいなものがどろどろ出て来て、しかもそれは死体の匂いがする。……まあ、死人を降霊させているおいらが言うことでもないんだけど、多分あれ、食べられた死体だ。
断面が広くなった尻尾に、十字槍を深く突き差し、引っこぬくと、ずるずるとどろどろになった死体が引きずり出されてきた。アカエイノウオは、多分この島に上陸した漁師たちの死体で出来てるんだ。十字槍をぐるぐると振り回しながら、尻尾を駆け下りていくと、後ろの尻尾がどんどん輪切りにされていく。そのまま海の中に落ちて、アカエイノウオの下の部分を見渡す。……おいら、幽体になってるから関係ないけど、これ、後で瞳、洗わなくちゃ。海水、めっちゃ汚い。砂が沢山舞ってる。さすが荒波で知られる房州の海だ。
あ、なんか見っけたらしい。一度息継ぎの為に海の上へ戻る。海はすごく荒れていて、出雲がねばねばにしがみついていた。っていうか、包まってた。おいらだけが操れるという兵士達も、もういない。
「童子! もう少し踏ん張れよ!」
そう言って、おいらともう一度海の中に潜る。すいすい泳いでいくと、なんかぼっこりとした桜色の綺麗な岩がはりついていた。アカエイノウオは三里くらいある大きな妖異なのに、その岩はおいら達が乗って来た小舟を二つ、縦に並べたような大きさだった。胤栄さんは岩とアカエイノウオの間に槍を差し込み、思いっきりこじあけようと身体を反らした。ふんぎぎぎぎーっと、おいらも一緒になってひっぱる。…まあ触れないんだけど。
でもおいらの攻撃も効いたらしく、とたんにアカエイノウオが暴れ出し、すさまじい渦潮と津波が起こる。どうやらここが急所らしい。でも十字槍のおかげで、おいら達は上手い事引っかかって剥がれない。寧ろアカエイノウオが勝手に暴れてくれているおかげで、しがみついてさえいれば、どんどん岩は剥がれていく。中から出てくるのは、綺麗な色とは正反対の、おびただしい量の髪の毛。多分、喰われた漁師たちの髪の毛だ。短い髪の毛が絡まって、海草みたいになってる。
「ぬおおおおおおおおおーーーっ!」
アカエイノウオが一際大きく暴れ、おいら達は空中にほっぽり出される。でも槍は抜けない。寧ろそのはげしい動きで、最後の最後が剥がれ、岩が落ちた。おいらの降霊も解除され、おいらは慌てて糸を引きよせて身体の中に戻る。帰る時くらい一言いえばいいのに……なんて、自分の未熟にぶつくさ言っているヒマはない。とたんに、髪の毛とアカエイノウオの激流に揉まれる。渦潮はおいらと出雲を巻きこんで、深く深く海の底へ引っぱって行く。目が痛くて開けられないし、降霊を解除したから息も苦しい。ちくしょ、せっかく出雲が分けてくれた力、ムダにしちゃうのかよぉ…………。
ズドォォォォンッ!
でもまたしてもすごい音がして、おいらは砂浜に打ち上げられた。いや違う、落っこちたんだ。あれ? おいら、沈んでなかったっけ? あれ? ここ、海の底だよね? あれ? 何で息出来てるのおいら。あれ? 岩が落ちてる。なんで? なんで浮いてないで落ちて――。
「酉戌亥酉申・開け西門・召喚白虎」
「え? え? …………えええええええええ!」
出雲が呼び出した白虎が岩をくわえ、出雲がおいらを後ろに乗せる。白虎が空に跳び上がって、おいらが見たのは、すごい光景だった。
おいら達がいた場所よりはるかまで、海が真っ二つ。そりゃもう、竹を割ったように真っ二つ。高い高い海の壁の表面には、細かい雷が伝っていて、海の壁はまるでモチが焼ける時みたいに、ぷくぷくしてる。白虎が飛んでいくと、その足元から海は元に戻っていった。この海が遠浅だったからよかったけど、深い所に水が戻って行く様は、ものすごくものすごかったもんだから、おいら、ゾッとしちゃった。おいら達、あんな所にいたんだ……。
「ほら種子島……。見てご覧……」
するすると白虎の後ろ脚に移動して、浜を見ると、手を振る姿が沢山見えた。その中には、良く知った着物の色もある。
「日向ー! 武蔵ー! ただいまー!」
たまらず白虎から日向の胸に落ちていくと、日向はおいらを力いっぱい抱きしめてくれた。
「よくやっださぁ、よくやっださぁ種子島! おらぁ見てたど! 立派じゃったぞ!」
「えへへ、出雲にいっぱい助けてもらったけど、ちゃんと帰って来たよ! 妖異もちゃんと退治したよ! えっへん!」
よくやったよくやった、と、日向はギュッと抱きしめてくれた。海水でぬれててもへっちゃらさ。こんなにあったかいんだもん!
「武蔵……。随分雷光丸を酷使したね……」
「おう出雲、ちゃんと戻ったな。一丁前に女泣かせて仕事に行くたぁ、男を上げたな」
「武蔵こそ、無茶したね……。金侮火――金雷で海を叩き割るなんて……。僕達に直撃しないように調整するの、大変だったろうに……」
「何言ってんだよ、馬鹿」
おいらが日向の胸にすりすりしている間に、武蔵は出雲の頭をぐしゃりとなでた。
「武士の刀ってのはな、自分の大事なものを護るために在るんだよ」
「…………」
なぜか出雲は、その時悲しげな顔をした。
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藩主さん達にあの岩のかたまりを見せたら、それは、たくさんのへその緒だってことが分かった。どこの州でも、漁師の母親は、海で死んだ息子の御魂を鎮め、迎え火として、へその緒を海に流すんだね。アカエイノウオがどうして、へその緒で急所を押えていたのかは、誰も分からなかったけど、おいら、少し分かる気がする。
きっとアカエイノウオも、昔はあちゃ様だったんだよ。海から帰ってこない子供を探して、何日も船を漕いで、そうして船霊になってもまだまだずっと探してたんだ。そんなあちゃ様が沢山いて、そうしてあちゃ様たちの無念が一つになったのが、アカエイノウオ。あのへその緒の岩は、もしかしたら息子の髪が自分たちの身体の中に在るのかもしれないって、願っていたんじゃないかな。おいらの故郷のお里では、死んだ人は土に埋めてたんだけど、骨って、いつまでも残ってるわけじゃないんだ。髪の毛とかは残ってるんだけど、骨って、何れボロボロになっちゃって、最終的に残るのは髪の毛とかの、毛だけなんだ。
だから、おいら達は戦場に駆り出される時、お里に残す家族に、自分の髪の毛と爪を形見になるように、のこして行ったんだ。
「ねえ、日向」
藩主さんの用意してくれた、とびきりの部屋の寝室で、おいらはころころ転がって、日向の布団の中に入り、小さな巾着をわたした。
「なんだべこれ?」
「おいらの髪の毛。おいら、実は今回の仕事で、二回くらい死にかけたんだ。でもね、髪の毛は骨なんかよりずっと渡しやすいし、何より朽ちたりしない。おいらは出雲に助けてもらったけど、今度はおいらが日向を助ける。だから持ってて。絶対日向をまもってくれる」
日向は暗闇の中でぱちくりとまばたきをしたけど、ぎゅっとおいらを抱き締めて言った。
「そかそか。大変だったなぁ種子島。そんじゃ、この巾着はおらの宝モンにするべさ。ご褒美に、今晩はこのまま寝ちゃる」
日向はそのまま、子守唄を歌ってくれた。
日向……。おいら今はまだ見習いだけど、絶対絶対大きくなって、日向をまもるからね。