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よろず屋  作者: 菊華 紫苑
巻ノ壱 種子島品
3/20

其之參 ぐるぐる回るは滝の水? ぐるぐる回れジョーアイの糸! 之巻

 そろ~り……そろ~り……。


「たあああっ!」


 かごをぼすっと雪から顔を出した草原に叩きつけると、すごい勢いで、中身がうごめく。へへへ、これは今日のおいら達の夕飯だい。冬になると、仕事はめっぽうきつくなる。一日二食なんてゼータク出来ないよ。だから今夜は日向(ひゅうが)が、このイナゴで、つくだ煮を作ってくれるんだ! ……え? おさとうとおしょうゆはどうしたのかって? …………えへへ、おいら達は何でもこなすよろず屋だし、お(あし)はそちらの人情分ってことになってるけど、人情がなかったらおいら達だって何も守るものはないんだ。見習いだってね、田力なんだから、ちょいと人数分失敬することは出来るんだ。武蔵(むさし)のバカと違って、この種子島(たねがしま)さまはこーっそり、四人分のお使いをこなしたもんね! エッヘン!<br >

 ここいらの村の人間は、ずいぶんとけちんぼだ。仕事もきついのをよこすのに、一文もらえれば良いほう。そんなんじゃ何も買えないし、宿にだって泊まれないし、それなのに煮売屋の一人もいない。ここは、寒くて冷たい村だ。でも、出雲(いづも)が言うには、ここは本来あったかくて、冬でも丹州辺り並に暖かかったらしい。村はまずしかったけど、よそものをこんなに冷たくあしらう事なんてなかったんだって。

 ……あれ? 出雲(いづも)って、おいらの二つしか上じゃないんだよね? そんな小さいころのこと、なんで具体的に覚えてるんだろ? ……まあいいか。出雲(いづも)が前に、ここに来たことがあるということだけを、おいら達は知っていればいいんだ。

そんな訳で、おいら達は、今極寒の山の中だ。雪に埋もれた、ホコリだらけのあばら屋は、幸運なことに囲炉裏が使えたから、今日のお宿なんだ。


日向(ひゅうが)ー! イナゴ、とれたよ! 武蔵(むさし)には五匹だからね。おいらが頑張ってとったんだから、おいらがいっぱい食べるからね!」


 その時、出雲(いづも)が帰って来た。白虎(びゃっこ)で近くを見て回ってくるって言ってた。でも表情からすると、だめだったみたいだ。


「駄目だね、日向(ひゅうが)種子島(たねがしま)……。この寒気は自然の物じゃない……。多分、妖異の所為だ……」

「つったって、ここ駿州だよ。氷柱女や雪女が出るにはちょっと南過ぎるよ。熊風かな」


 続いて武蔵(むさし)が戻ってきた。背中には沢山の柴を背負っている。曲がりなりにも侍なのに、と、ぶちぶち文句を言っているわりには、似合っている。お爺さんは山に柴刈りに~ってね。


「山ン中一日歩いて柴刈りしてたけど、熊は愚か、野兎一匹いやしねえ。鳥もだ」


 武蔵(むさし)はハラが減りすぎてイライラすることもなかった。草鞋から、真っ赤にこごえた指がのぞいてる。日向(ひゅうが)が自分の冷え切った指で、武蔵(むさし)の足の指をさすった。


「……ああ、あったけぇ……日向(ひゅうが)の指、あったけえよ………しみるわぁ……ふぅ」

「ん、よかったべ。水仕事しててん、ちと冷たかろうけど、我慢し」


 出雲(いづも)がひそひそとおいらに耳うちした。こそこそと小さな壁の穴から外へ連れられ、雪の中にうずくまる。何かうまいもんでも見つけたのかな? ふきのとうはまだのはずだけど。そう思っていると、ため息を吐かれた。


「いいかい……? 今後、武蔵(むさし)日向(ひゅうが)がああして、触れ合ってる時は、外に出なきゃ駄目だよ……。二人とも種子島(たねがしま)の親じゃないから……」


 思わずギクッとした。おいら、とちゃ様とあちゃ様の事は、あまり思い出したくない。


「う、うん……。わかった。武蔵(むさし)日向(ひゅうが)は、将来とちゃ様とあちゃ様になるの?」

「…………。武蔵(むさし)は十八、日向(ひゅうが)は十六……。独りでいるにはあまりにも年を取ってるから……。夫婦になるのも不自然じゃ、ないよ……」


 その時、出雲(いづも)の心がはげしく動いたのを感じた。動揺とか焦りじゃない。これは……?


出雲(いづも)、妬いてるの?」


 べしんっ!

 その日は口を聞いてくれなかった。いてて。


===



 翌日も、おいらが出雲(いづも)のとろうとしたイナゴを横取りした時も、何も言わないくらい、いじけ虫になっていた。武蔵(むさし)がおいらを叱ったけど、気にしてないから、と、出雲(いづも)は雪解け水と木の根の吸い物をすすっていた。二人とも、すぐにおいら達がケンカしてるって気付いたみたいだ。でも別においら、ケンカなんかしてないもん。出雲(いづも)が勝手に怒ってるんだもん。だからあやまんないもん。

 今日は武蔵(むさし)が釣りに行くと言うので、おいらはついて行くことにした。もともと出雲(いづも)日向(ひゅうが)のくっつき虫だ。出雲(いづも)からはなれたいなら、武蔵(むさし)といればいい。武蔵(むさし)はコイを釣るって言ったけど、そんな気配がない。おいらが脚をぶらぶらさせていると、武蔵(むさし)が言った。


「おう種子島(たねがしま)。俺は釣りをやってっからよ、おめぇ、滝の裏辺りに山菜かなんかないか見てみてくれや。もしかしたら、山葵かなんかあるかもしれねえからよ」

「おいら、ワサビきらい」

「ばっかやろう、魚に山葵は付き物だぜ、腹が痛くならねえんだ。それに水辺で育った山葵は、擦らないで丸かじりすると、甘くて美味いんだぜ。騙されたと思って探して来い」


 釣りをするのもあきたし、ずっと岩に座っててこごえちまいそうだったから、仕方なく滝のうらまで行ってみることにした。それにしても、見事な滝だなあ。細いけど、迫力がある。

 あ、あった! 綺麗な菜っぱだけど、スースーした匂い。滝のワサビはこんなんなのか。葉っぱも食べられそう――。


「もし」

「うひゃ!」


 ふと後ろから声をかけられて、おどろいて振り向いた。おいら、一応田力だから、いつでも周りに注意を払っているつもりだったんだけど。でも、妖異の類じゃないからわかんなかったんだよ、と、自分に言い訳をした。声をかけてきたのは、それはそれは綺麗な女の人。


「ここに、どなたかいませんでしたか?」

「おいらと、おいらの仲間が魚釣りしてるけど……。誰か探してるの?」

「誰よりも大切な方を探しているのです……。その方は女ながらに、斧と鉈を持って、この山を駆け巡る風のような御方……」

「おねーさん、もしおいら達がその人を探し出して、おねーさんに会わせてあげられたら、お(あし)くれる? おいら達、宿は勿論、食べ物もないんだ。寒くてひもじくて死にそう」

「お礼は差し上げます。私の名前は、おたき。私が探しているのは、おれん様と申します」


===


 おいらは大急ぎで居眠りをしながら釣りをしている武蔵(むさし)をけっとばした。


「むむむ、武蔵(むさし)! 大変なことになったよ!」

「何すんだよ! ……なんじゃこりゃあああ!」

「これ、日向(ひゅうが)に見せたら絶対喜ぶよ!」


 おいらがおたきさんからもらったもの。それは絹よりも肌ざわりのいい、上質な反物だった。おたきさんはおいらに、この一反の布を包んだふろしきを渡してきた。そのふろしきも、ふしぎなふろしきで、滝の裏でびしょぬれになってるはずなのに、染み一つ付かなかったんだ。でも妖異の気配は感じなかったから、多分これは仏様やカミさまの加護を受けたものに違いない。日向(ひゅうが)は女だけあって、布の目利きは良い。この前金を、きっとすっごいお(あし)に変えてくれるに違いないんだ! おいら達は大急ぎであばら屋に戻った。


日向(ひゅうが)ー! 仕事見つけて来たよ! 前金までくれた! ねえねえ、これいくらくらい?」


 日向(ひゅうが)は木の根を揉んで、夕餉の支度をしていた。雪水で洗って、指先は真っ赤だ。出雲(いづも)はとなりで瞑想してる。多分、飛ばした霊獣と意思を交わしてるんだろうから、ほっとこう。そんなことより反物だ。わくわくしながら日向(ひゅうが)に布を見せると、日向(ひゅうが)も目を丸くした。


「ふわぁ、すっげえ反物だ。こりゃ絹か? でもこんな肌触りは出ねえな。種子島(たねがしま)、おめぇ、鶴の化身にでもあったんじゃねえか?」

「ちゃんと、おたきさんって名前聞いた」


 おいらは、おたきさんの仕事の話をした。日向(ひゅうが)はだまって聞いていて、その仕事を受けるとすぐにうなずいたけど、出雲(いづも)はチラリとその反物を見て、首をふった。


「僕は手を貸さないよ……」

「えっ、何で?」


 出雲(いづも)は答えず、そっぽを向いた。こうなったら、日向(ひゅうが)以外には何が何でも話さない。でも、そうなると少し厄介なことになる。武蔵(むさし)がいち早くそれについて話した。


「でもよぉ、この辺りの村、マジで余所モンに冷てぇぞ。女の樵なんて確かに珍しいがな、あの滝の近くに人が住んでるなんて思えねえ。俺がどれだけ柴刈りしたと思ってる」

「んだな。庄屋にでも転がり込めれば、噂なんざ下女どもがしてっちゃが」


 名前も、おれんさんとしか分からない。どんな顔してるとか、どの辺に住んでるかも聞いてない。おいら、あの反物みて仰天して、すぐに武蔵(むさし)の所にとんでっちゃったんだよね。


「でもまあ、そのおたきって女は、毎日あの滝の所に居るんだろ?」

「うん、日が沈んでも待ってるんだって。…………あ、言っとくけどね、おたきさんは妖異の類じゃないよ。それは保証する。おいら、ちゃんとよく視たもん」

種子島(たねがしま)がねぇ……」

「何だよ! 仕事しない奴はだまっててよ!」


 ムッとして言い返すと、武蔵(むさし)になだめられた。それがよけいに腹だつ。武蔵(むさし)のくせに!

「だども出雲(いづも)、この反物は確かに妖異の力はなかろ? 取りあえずこれさ売っで、それでもう一度村さ行って話聞いてくんべや」

「……」


 あれ? 日向(ひゅうが)の言葉にもだんまりだ。出雲(いづも)は余程何か言いたくないことがあるのかな?


===


 結論から言うと、あの反物を庄屋に持ってったら、今までの態度は一体何だったのか、盛大にもてなされた。それで、おたきさんに会ったおいらは質問ぜめにされた。

 曰く、おたきさんはこの庄屋さんの一人娘らしい。おたきさんは機織りの名人で、この村の民芸品として高く高く売れたとか。ところがある時から、機織りをやめて毎日山に登るようになった。村はどんどん寂れていき、今では行者に渡す粟や稗もないありさま。それだけ重要な、おたきさんの機織りを再開させようとして、一時は部屋に閉じこめたこともあったんだけど、地下牢に等しい場所なのに、ある夜なぜかふっといなくなり、それからずっとおたきさんは村に戻ってこない。近くのお里や村にも聞いて回ったらしいんだけど、おたきさんを見かけた人はいなかったという。それで、おいらがたしかに、『おたきという人間に貰った』と言ったものだから、みんなは妖異や化生の類になっていないとホッとした、と、まあ、そういうわけだ。そうなると、この庄屋さんも言ってくるわけだね。『おたきを連れて帰ってきてくれたら(あし)をやる』ってさ。でも、出雲(いづも)が協力してくれないと、人探しってけっこう大変。とりあえず、前向きに検討するからとなだめて、寝室に連れてってもらった。



出雲(いづも)、あんな雪の中一人で大丈夫かな?」

「あん子には五獣も付いてるし、昔っから一人で各地うろうろしとったけん、雪ン中での身の振り方くらい知ってねば、生きとらん」


 そういえば、日向(ひゅうが)出雲(いづも)は一番付き合いが長いんだよな。そんで、おいらと武蔵(むさし)が一緒に旅してた時に、一緒になったんだ。どれくらい昔だったかなあ? けっこう前な気がするんだけど、あんまり覚えてない。


「まあ、一つの仕事でお(あし)が二つ、文字通りの一石二鳥だぁな。俺はおれんさんもおたきさんも両方探せばいいと思う」

「ばってん武蔵(むさし)、おらの勘じゃけど、おれんもおたきも、そうそう出てきりゃせんど」

「何でだ。おめぇの勘は確かにいつも冴えてるけど、根拠も無く雪ン中歩くのはヤだぜ」

「ほら、言うとったじゃろ。出雲(いづも)がこの寒さは妖異の所為じゃて。おらは、その妖異が今回の二人に関係してるように思えるんじゃ」

「女二人が妖異に苦しめられてるってなら、見過ごせねえな。坂東武者の名が廃らあ」

「んだば、おらはもう少し村の人たちの話ば聞いてくるわい、二人は山ン中見でぎで、ついでに出雲(いづも)にも会ってみてくれや。一応心配してるんじゃか」

「はーい。んじゃ、お休みなさぁい」


 おいら、いっぱい質問されて、いっぱい話したから疲れちゃった。おやすみ…………むにゃ。


===


 翌朝、武蔵(むさし)と山小屋に戻ると、なんとおたきさんと出雲(いづも)が話しこんでいた。思わず飛び出そうとしたけど、何だかようすがおかしい。多分出雲(いづも)は気づいているだろうけど、おたきさんは気づいてないみたいだ。こっそり隠れて、中の会話を盗み聞きする。


「では、どうしてもおれん様と一緒には暮らせないのですか? どうしてもですか?」

「出来ない。たき、そなたとれんは、最早住む世界が違ってしまっているのだ」


 なんだか出雲(いづも)じゃないみたいだ。誰か降霊してるのかな? なんというか、すごくエラそうだ。それに、声もはっきりしてて、良く通る。まるで山伏みたいだ。


「妙な事を考えるでないぞ、たき。そなたを必要とし、そなたがやるべきことを成し遂げる事、それこそがそなたの愛するれんが望んでいる事であり、そなたの幸せだ」

「でも、わたしにはおれん様しか……」


 その時、ふとおいらの顔に何かペタペタしたものがはりついた。ビックリして声を上げると、驚いたおたきさんは小屋を飛び出してしまった。クモだ。クモの糸がおいらの顔にはりついたんだ。こんな雪の中で? なんでだろ。クモが空を飛ぶのは雪の降る前なのに。


種子島(たねがしま)、おたきさんを追うぞ」


 おいらはうなずいて、するすると雪まみれの木を登り、おたきさんを探した。あの滝の方に向かっている。武蔵(むさし)に合図して、おいらは一足先に滝に行くことにした。先に辿りついていれば、おたきさんは、おれんさんのこととか、家のこととか、きっと話してくれると思ったんだ。おたきさんはちゃんとおいらの後ろを、おいらの進む方向に走っている。それを確認しながら、おいらは一足先に滝に辿りついた。

 するとそこには、先客がいた。ワサビを引っこ抜いている女の人。……もしかして。

 近づこうと身を乗り出したその瞬間、女の人が突然シロビレを(たた) いて来た。びっくりして雪と一緒に落っこちる。あいててて、これじゃ田力失格だい。……でもいきなり(たた)く?


「……妖異の類かと思った、すまん。この辺りは昔から、天狗や絡新婦(じょろうぐも)が出るんだ」


 女の人はそう言うと、またワサビ採りを始めた。おいらはぶつけたほっぺたをさすりながら聞いた。……ん? 何だろ、この女の人、どこかで会った気がする。それに凄く、影が薄い……。化生や妖異じゃないんだけど……言ってしまえば薄命? この世の人なんだけど、この世の人じゃないみたい。片足つっこんでる、っていうのかな。こんなにたくましくて元気そうなのに何でだろ? うーん、最近すごく良く似た人に会った気がするんだけど……。


「ねえ、もしかして、おれんさん……?」

「如何にも、わたしの名前はれんだが」


 やったー! おいら、自分の力で見つけたぞ! さっそくおいらは、おたきさんの話をした。


「たきが……? 馬鹿な、彼女はあの夜から、家に閉じ込められて今も……」

「ううん、今家にはいないよ。だから庄屋のお家では、おたきさんを連れ戻してくれって、おいら達にお仕事くれたんだよ。それに、おたきさんは毎日一日中、ここで待ってるよ」


 すると、おれんさんはじっとだまりこんでしまった。おいらなんか変なこと言ったかな? おれんさんは、うんと考えてから答えた。


「小僧、たきに、わたしは日の巫女になったと伝えてくれ。だからたきには会えない」

「それじゃ仕事にならないよ! 会ってー!」


 おいらが裾をつかむと、おれんさんがおいらを殴った。……日向(ひゅうが)のが痛い。


「何と言おうと会わない。わたしはこの森で生きる。この山の異変も解決もせねば……」


 あれ? カンの良い日向(ひゅうが)の予想が外れたのかな? この雪に、おれんさんは関係ない?

 これ以上は何も話してくれそうになかったので、おいらはため息を吐いて、ほんの一瞬、本当に一瞬目を離した。その隙に、おれんさんはいなくなってしまった。代わりに、凄く大きなクモが、そこからカサカサと陽向に走って行った。…………あ、武蔵(むさし)


「悪ぃ、おたきさんは見失っちまった」

「い、今すっごい大きなクモが……」

「はぁん? そんなもん見なかったぜ?」


 もしかしてこの山を雪山にした妖異ってのは、クモの妖異なのかな。とにかく今は、日向(ひゅうが)の所に戻ろうか、そう話していた時、忽然と見失ったはずのおたきさんが後ろから、現れた。全身にぺったりと白いクモの糸を、いや、クモの巣を、幾重にもはりつけて、今にもでっかいクモに引っぱられて喰われそう。


「おれん様に会ったのでしょう? どうしてわたしに教えて下さらないの?」


 嘘だ。おいらがおれんさんに会ったのは今さっき。それに、武蔵(むさし)が見失ったんだ。それを、おいらの背後から来るなんてありえない。でも、やっぱりおたきさんに妖異の気配がしない。でも明らかに、武蔵(むさし)もおいらも、ありえない程たくさん巻きついたクモの糸を見てる。


「おたきさんよ……その前に聞きてぇんだが……。アンタ、何者だ? 唯の人間じゃねえな」


 おたきさんはしばらく黙っていたけど、武蔵(むさし)雷光丸(らいこうまる)をにぎりしめたのを見て、観念したようだった。しゅるしゅるとおたきさんの背中から、沢山のクモが広がって巣を作って行く。


「いいえ、わたしは人間です。ただ、おれん様にお会いしたいその一心で、あの夜、地獄のような地下牢に忍び込んできた蜘蛛の神に縋ったのです。それなのにおれん様は、こんな季節外れの雪山に籠って会って下さらない。わたしにはおれん様しかいないのに…………」


 化けの皮が剥がれるってこういうことを言うんだと思う。きれいで、きよらかで、京の雰囲気がしたおたきさんは、どんどんみにくくなって、本物のクモみたいに牙が生えて、体つきも変わる。


「成程な。アンタは妖異になったわけでも、憑りつかれたわけでもない。ただアンタは呼び寄せられるだけ。だから誰も分からなかったんだ。――アンタがもう唯の人間じゃない、 審神者(さにわ)の成りそこないだってな」


 すると、みにくかったおたきさんの顔つきが、さらにあくどい顔になった。あまりに怖くて、武蔵(むさし)の後ろに隠れる。武蔵(むさし)雷光丸(らいこうまる)を抜き、今にも斬りつけそうだった。


「こうなったら、おれんさんとアンタはもう一緒に生きていけないぜ。一時の気の迷いで付け込まれたことは不憫に思うがな、その妖異は斬る。それが俺達よろず屋の本業だ」

武蔵(むさし)! おたきさんを殺しちゃダメだよ! せめておれんさんに会わせてあげなきゃ!」


 おれん様、おれん様、と、くりかえして、おたきさんはクモの糸の涙を流す。みるみる内におたきさんの身体は真っ白になって行く。雪のように真っ白に。とてもきれいな、白い身体だった。つぶれた訳でもないのに、視界がそれだけでいっぱいになる。

 武蔵(むさし)のおどろいた声でハッと我に返った。武蔵(むさし)の全身を雪が、いや、クモの糸が巻きついてるんだ。おどろいておいらが取り払おうとすると、おいらの手がべったりとくっついた。


「お、おたきさん! おれんさんにちゃんと会わせてあげるよ! だからはなして、ね? ね? こんな奴でも、いないと見つけられないんだ!」

 するとおたきさんは、武蔵(むさし)をすっぽりコケシみたいに包んで、おいらだけ自由にしてくれた。武蔵(むさし)は……人質だ。でもま、いいでしょ。武蔵(むさし)だし。


「おれん様……おれん様さえいればいいの……わたしにはあの方だけ居れば……」


 おいらの声は聞こえていないみたいだったけど、おたきさんは理解していたみたいだ。


===


 糸の海になった雪の世界を、おいらは必死に駆けぬける。おれんさんはまだ近くにいる。おいらには何となく分かるんだ。あの大きなクモの、糸が光って見える。――いた!


「おれんさん! おれんさん大変だよ! 今すぐおいらと一緒に来て!」


 おれんさんは、この糸の雪の中、平然と彫り物をしていた。おいらの言葉に顔を上げると、その顔は全て分かってる、と、言ったような、いつもの出雲(いづも)みたいな表情だった。


「小僧、言伝はどうした」

「そんな暇なかった! おたきさんはおれんさんに会えればそれでいいって……!」

「…………分かった。これを持って案内しろ」


 おれんさんはそう言って、おいらに彫り物を投げ渡した。木彫りだ。女の人? 観音様かな?

 ぐずぐずするな、とか、早く走れ、とか、おれんさんはおいらにたくさん注文をつけるんだけど、一応田力見習いのおいらの脚について来てる。やっぱり樵って足腰丈夫なのかな?


「あ、あれ? 武蔵(むさし)ー! おたきさーん!」


 おいらが元の場所に戻った時、そこはもう雪景色じゃなかった。クモのべたべたの糸が、間欠泉みたく吹き上がっていて、その中心に、武蔵(むさし)らしき糸の塊があった。おたきさんの姿は見えない。おいらが武蔵(むさし)に駆けよろうとすると、おれんさんが止めた。

 鶴の一声とはまさにこの事、おれんさんが叫ぶと、糸は一瞬でおさまり、女の人が、ぽつんと立ち尽くしていた。おたきさんだ。おたきさんはおれんさんを見て、近づいてきた。


「おれんさま……、ああ、おれん様! どれほどお会いしたかった事でしょう!」

「近寄ってはならない!」


 おれんさんがきっぱりと拒否すると、おたきさんはピタリと立ちどまった。


「たき、わたしはお前を嫌っていたのではない。寧ろお前の為、憑代を作っていた」


 渡せ、というので、おいらはおたきさんに、さっきもらった木彫りの像をあげた。おたきさんは不思議そうにそれを見ている。おいらも不思議で見る。


「わたしはお前の元には行けない。わたしは朝の神に召し出された。だからわたしは山に籠った。だがたき、お前は夜の神に惑わされ、わたし達は既にお互いの神と契りを交わしてしまった。もう、わたしはお前の所へは行けない。行けば、天を照らすあの日輪が、お前を焼きつくしてしまう。だから――」

「構いません、おれん様。お傍にいさせてください、日の光で燃え落ちるその一瞬だけでも!」

「………………。わたしを探す為に全ての森の命を吸いつくし、山を眠らせ炙り出そうとするほどにお前は、わたしを求めてくれた。ならわたしも、お前のその情愛に応えねばならぬな」


 その時、仏頂面のおれんさんが、ほんの少し、笑ったような気がした。でもおれんさんが、おたきさんに近づけば近づくほど、どんどん影が薄くなっていく。いや、薄くなっていくんじゃない。自分で薄くしているんだ。彫り物をするかのように、自分の命を削ってる。

 おいらとおたきさんのところに来た時、おれんさんはもう、半分消えかかっていた。


「小僧、庄屋の家に、その木彫りを持って行け。それでお前たちの仕事は終わる。……世話をかけたな。妹を諭そうとし、陰で働いてくれていた出雲(いづも)と言うあの童子に、わたし達姉妹からの感謝と恩恵を贈ろう」


 え、出雲(いづも)、ちゃんと仕事してたの? っていうか、二人って友達とかじゃなくて姉妹だったの? あれ? でもおたきさんは庄屋さんの一人娘じゃなかったっけ?

 おいらが考えていると、おれんさんはおたきさんを優しく抱きしめた。すぅ、と、おたきさんの身体が、薄いまゆだまみたいになる。


「たきが夜の神に仕えるのであれば、わたしも共に行くと、童子に伝えてくれ」


 そう言うと、しっかりと抱き合った二人は、冷たい滝壺へ飛んでいくように沈んでいった。すると、辺りをおおっていた白い雪、もとい糸は、一緒に滝壺に沈み、気が付くと辺りは物哀しいホオノキに包まれていた。


===


 庄屋の家に木彫りを持って行ったけど、門前払いされて、お(あし)を投げつけられた。なんだかあんまり話したくないけど仕方ないから端金はやる、そんな感じ。それを山小屋に報告に行くと、出雲(いづも)がやっと口を開いた。


「蜘蛛には二つの姿がある……。朝に現れる蜘蛛は神の使い……、夜に現れる蜘蛛は地獄の使い、つまり獄卒の化身……。たきという娘は、獄卒の糸であの反物を織った……」

「それが、どうしておれんさんが庄屋さんの娘じゃないことになるの?」

「あの二人は畜生腹……つまり双子だったんだよ……。気付かなかったの?」


 そうか、だからおれんさんを見た時、どこかで見たと思ったんだ。おたきさんだ。うり二つってほどじゃないけど、確かに言われてみれば似てた。


「山へ捨てられたれんは樵として暮らし、庄屋の家業を継ぐたきは村で暮らした……。本来ならば再会しない筈だった……。だが二人は再会してしまった……。だからこそたきは、れんと一緒にいたいと願った……。それこそ、生業を捨ててしまう程に、血を分けた姉妹に焦がれて、そこを夜蜘蛛に付け込まれたんだ……。だかられんは、滝壺に沈んだ……。朝蜘蛛の庇護の届かない所へ、朝日が差さない所へ、より獄卒に近い闇の中に……」

「夕方や夜明けに会うんじゃ駄目だったの?」

「駄目だよ……。そもそも、棲む世界が違う神に召し出されたんだから……。二人の運命は、畜生腹と呼ばれて忌まれた時に、もう決まってしまっていたんだよ………もし、産まれる日が一年でも違えば、二人は……」


 おいらの手の中にあるのは、二束三文のあの木彫りの代金。でもおいらには、それがすごくすごく重たく感じた。


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