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よろず屋  作者: 菊華 紫苑
巻之肆 出雲品
19/20

其之死 枳殻燧雉丸坊 之巻

 これは二頭城に纏わる、寂しい寂しい、恐ろしいお話。まだその城が都に近く、また天子さんや、天子さんに所縁ある皆々様に、毎度毎度、とても良い能を奉納していた時代。ある小さな子供の、寂しい寂しい、恐ろしい雪の夜のお話。

 その山城と呼んでも差し支えない程の大きなお屋敷には、ある一族が住んでいたそうな。

 今は昔、能というものは、田楽と猿楽というものに分けられまして、それは今も続いているのでありますけれども、その頃丁度、その二つが分かれたばかりだったそうでして、枳殻家では、田楽の座元、猿楽の座元を、それぞれの才の秀でた方が担うという、少し奇天烈なお家だったそうで、どうもそれが、二人の頭を戴く城、として、後々に二頭城と呼ばれるようになったそうなのですが、その当時このお屋敷は、全く別に、燧城(ひきりのき)と呼ばれていたのです。といいますのは、このお屋敷には、『ひきりさま』という、不思議な御方の存在が伝わっておりましたからなのです。

 不思議な、というのは、時折このお屋敷には、とても強い強い式神様がやって来るからで。その式神様が現れると、周囲の村々は吉事に恵まれたそうで、やれ有難し有難し。

 さてその時の枳殻家には、十人の田楽師と猿楽師がおりまして、どのお人も取りこぼすことの無いような、非の打ちどころのない芸を持った方々だったそうなのですが、どういう訳か、お名前が伝わっているのは、二人だけ。

 当時の長であり、一族史上随一の天才楽師、前線を退いて尚一族を束ねる裁量ある枳殻(からたちの)漢桜(かんおう)殿と、その末のお子様の枳殻(からたちの)雉丸(きじまる)坊。雉丸(きじまる)坊には、どうやら八人はお兄様方がいたようで、一番上の兄達が、田楽と猿楽の座元を漢桜(かんおう)殿から継承し、自らの嫡孫となるお子様に恵まれたころ、雉丸(きじまる)坊は、数えで十だったそうで、しかも驚いたことに、漢桜(かんおう)殿の三人目の若奥様はお子様を身籠っていたとか。ですので、漢桜(かんおう)殿は、生涯現役の、まるで数代前の天子さんのような方と皆噂を致しまして、これはまた、お家繁盛の為には良き哉、良き哉。

 しかしまあ、それだけ多くの子女に恵まれていると、自然と順序がついてしまうと言うもの。雉丸(きじまる)坊は、どんなに練習しても、田楽も猿楽も身につけることが出来なかったのでございます。舞を躍らせても、楽を奏でさせても、太鼓一つ叩けない、そんな雉丸(きじまる)坊を、沢山の兄姉様や甥姪達は蔑んでおりました。お可哀想に、由緒あるお家にお生まれになったのに、雉丸(きじまる)坊は唯一、表だって朝廷に出入りすることは出来なかったのであります。

 しかし捨てる神あれば拾う神ありと申しまして、天は決して雉丸(きじまる)坊を見捨ててはおりませんでした。雉丸(きじまる)坊は、『ひきりさま』の加護を、特別強く受けていたので、裏では一族の誰よりも、天子さんのお近くにいることが出来たのであります。

 『ひきりさま』の由来は、今も尚良く分かっておりませんが、どうやら『忌火切様』が縮まり『ひきりさま』と呼ばれるようになった、というのが、当時から信じられていたようでございます。ひきりさまの使いとして、雉丸(きじまる)坊は密かに朝廷に出入りしておりました。

 ひきりさまは、普通の陰陽師とは違います。陰陽師は吉凶を占うだけですが、ひきりさまは、災厄の火を切る、つまり、吉象だけを残し、理に直接関わる事が出来るのです。ですので、枳殻(からたち)家当主と天子さんしか、その存在は知らされていませんでしたし、雉丸(きじまる)坊も、自分がひきりさまであることを口外できないよう、自分は唯の陰陽師の見習いだとしか教わっておりませんでした。このように、時々枳殻(からたち)家には、『ひきりさま』が現れるので、ひきりさまの正しい扱い方は、枳殻(からたち)家そのものの嫡子、当代の天子さんしかご存知なかったのだそうで、それが後々の恐ろしい事案の遠因になったのだと言われております。おお、恐ろしや恐ろしや。真、無知とは暗愚にして罪深きもの也や。その地位を不動のものにしようと、枳殻(からたち)家は過去より、ひきりさまのお力をより強める為の憑代を受け継いできておりました。唯でさえひきりさまのお力は強大なのに、天子さん方も、代々の枳殻(からたち)家の当主たちも、それが分からず、いつ力の弱いひきりさまが顕現なさるかと、とても心配していた為です。真、愚かしき人の罪であります。

 その憑代は、通称『六番目』と呼ばれる、特別な金物で出来た能面でございました。この面を着け、通常五番目までしかない能の、どれにも当てはまらない『六番目』を演じると、益々巨大な力が得られる、と、言い伝えられておりました。

 何でも、遥か南の地でしか採れない特殊な鉄を打って作った能面で、それは厳重な部屋に厳重に保管されておりましたが、この面の存在は、枳殻(からたち)家の者は誰でも知っていました。それは、決して『六番目』に近づかない為でありました。勿論、ひきりさまとして特別能力のある雉丸(きじまる)坊も知っておりました。しかし、何分枳殻(からたち)家の知識は歪でございました故に、あのような間違いが起こったのでしょう。その時のことは、このように伝わっております。

 それは鶡鳥鳴かず久しい大雪の頃。雪の都は満月すらも吸い込んで、まるで朔の如き夜。

 その夜、ひきりさまこと雉丸(きじまる)坊は、どういう訳か夜の屋敷を歩いていたのでございます。

 ひきりさまの御業は、ひきりさまが直接カミの声をお聞きになり、全て行われるのだそうです。そういうものですから、ひきりさまである雉丸(きじまる)坊は、自分が何故座元である大兄、中大兄、そして当主の漢桜(かんおう)殿ですらなっていない殿上人として、天子さんの傍に行けるのか、不思議と言えば不思議に思っていたようですが、唯それだけで、理由は分からないのでありました。ですものですから、そうでない一族たちは挙って、雉丸(きじまる)坊を虐げていました。だからなのでしょうか。雉丸(きじまる)坊はいつも自分に自信がなく、俯いて、言葉少なでした。

 そうなものですから、天子さんに近づく時以外、雉丸(きじまる)坊はお部屋を出ることは余りなく、出ていたとしても山の中で動物や植物、水や風、星や太陽を見て、陰陽の修業をしていたのだそうです。そんな雉丸(きじまる)坊が、真夜中に屋敷を歩いているのを見て、そう、それはこのようなやり取りだったと伝えられております。

<br > 『雉丸(きじまる)(なれ)一体何ぞしている、かかる夜半に。ひとえに死体より毛を抜く鬘造りに非ずや。嗚呼、なれども汝は鬘は勿論、土蜘蛛ですら碌に創れなんだ。』『否也、眠れざりしかば、星を見んと。』『誠よき御身分よ毎日毎日、行いも何もせざりて、それによしながらこそこそ朝廷に上がりて、いくら枳殻(からたち)の名が貴人の間に轟かんとも、内親王を迎えらるる程、(なれ)、せられし人間に非ず。して星を見んて何ぞ分かったか。』『何も分からざりき。』『其もそうならん、汝の如き何もせられざる、殿上人のお稚児趣味に朝廷に入りためる人間に、何がせらるる訳も無し。』

 本当はもっと会話があったのかもしれませんが、とにかく、このような会話があったのは確かなのだそうです。と言いますのは、「祟られてしまうから絶対に名前を出さないように」との曰くつきで、この会話をした人物が生き残り、そしてこのお話が伝わり始めたと言うことなのでそうで、おお、怖や怖や。

 雉丸(きじまる)坊は酷く怒りました。それは、自分が何も出来ないからではありませぬ。自分を子供ながらに殿上人として認めて貰え、天子さんの前で神聖な儀式を行っている。雉丸(きじまる)坊は、そんなお優しい、いえ、『ひきりさま』を畏れられている貴族の方々全てを侮辱されたと思い、その場から足音も大きく立ち去ったのだとか。しかし、その方向は雉丸(きじまる)坊の部屋のある方ではありませんでした。その楽士は、いじけるだろう雉丸(きじまる)坊を見て、明日から皆でからかってやろうと、意地悪く後を付けて行ったのでございます。

 するとどうした事でしょう、雉丸(きじまる)坊は迷いなく『六番目』のある部屋に入ったのです。禁域でしたが、それでも楽士は何も言いませんでした。何故なら、雉丸(きじまる)坊は能を演じる事は出来ないからです。立派な面を着け、無様に失敗する様を目に焼き付けてやろう、と、楽士は何も言いませんでした。案の定、雉丸(きじまる)坊は暗闇の中箱を開け、『六番目』を身に着けました。さてはて、一体どのような演目を演じる心算なのか、と、楽士が見ていますと、突然雉丸(きじまる)坊は聞いたことのない唄を吟じながら、演ずる、舞う、とも、言えぬ、奇怪な動きをしたのだと言われております。この時、何を吟じたかは、詳細に伝わっております。何故かと言うと、この意地の悪い楽士様が、雉丸(きじまる)坊が近くに居ることを皆が知るよう、その唄を伝えたのでございます。

 その唄とは、このようなものです。

 『我、枳殻(からたちの)漢桜(かんおう)が子、雉丸(きじまる)。我が身流るる血より出ずる力により、古より治めたる力よ、この呼びかけに応えよ。丑寅辰未戌、北門よ開き給わりて山怒らし岩降らしたる虚星とみてぼしを呼べ。卯辰巳亥子、東門よ開き給わりて星降らしたる亢星あみほしを呼べ。辰巳午未申、南門よ開き給わりて裁きたる張宿ちりこぼしを呼べ。酉戌亥酉申、西門よ開き給わりて不死不老たる觜星とりこぼしを呼べ。陰陽終始、北東南西開き、中門よ開き給わりて、十二天将たる終始の太一たいいつよ、我が名と血を憑世に、我に力を授けよ、我が名は枳殻(からたち)雉丸(きじまる)也。』

 その途端、屋敷が凄まじい鯰に襲われまして、次々に家の柱が折れ、天井が落ちて来たのでございます。楽士が、すわ何が起こったのかと中を覗くと、一体どうした事でしょう! 雉丸(きじまる)坊の子供らしい福良雀のような外見は消え失せ、龍の如き眼を光らせ、全身は禍々しき黒い渦に呑み込まれ、しかして人の姿は失わず、しかして人の姿では既に非ず。

 後に楽師は調べたようなのですが、あの唄は、非常に陰陽に置いて不吉な順序、呼び名だったようで、自分を虐げ、蔑む家族を皆滅ぼさんと、もしかすると雉丸(きじまる)坊は全ての危険を承知で、『ひきりさま』として六番目物に手を出したのかもしれませぬ。

 雉丸(きじまる)坊、否、六番目童子は、楽士をまず鳥の尾のような物で縛り上げ、脅しました。

 『あな憎きや兄君、今よりこの家を、この屋敷の者を皆殺す。皆惨憺に殺す。餓鬼のように嬲り、獄卒の如き所業で殺す。汝、我が変わる所を見き。この憎悪を、怨嗟を、汝は伝え、我が呪いを伝えなくてはならず。』

 楽士に拒否すると言うことは出来ませんでした。とにかく、楽士の前で、六番目童子は殺しました。これについては、具体的には伝わっておりません。しかし、目の前で、侍女下男、子女、座元、それどころか御母堂様、御岳父漢桜(かんおう)殿まで無残に殺され、その苦しみたるや、如何なるばかりであったでございましょう。しかしながら、流石は当主様と言うべきでしょうか、漢桜(かんおう)殿は、死の間際、六番目童子という鬼子と化した雉丸(きじまる)坊に、たった一つ、父として、当主として、呪いと言う名の慈愛を示したのであります。

 『閉じよ北門、北倶廬洲(ほっくるしゅう)より来たれ多聞天。閉じよ西門、西牛貨洲(さいごけしゅう)より来たれ広目天。南瞻部洲(なんせんぶしゅう)より来たれ増長天。東勝神洲(とうしょうしんしゅう)より来たれ持国天。四方守りし護法善神、是即ち清浄天より来せばしめる仏門の守護也。悪鬼をここに浄化せしめんと我が身命を捧げん。』

 六番目童子は、陰陽の陰を全て開いてしまっていたのでありますので、漢桜(かんおう)殿は、その救いを四天王の方々に寄り頼んだのであります。しかしその言葉は口にはしたものの、最早憎悪の化身と成り果て人の心を喰われた目の前の鬼には通じませんでした。最早この世に『枳殻燧雉丸からたちのひきりのきじまる坊』は居らず、『六番目童子』という忌子、祟子しか居りませんで、従って既に存在しない存在に加護や慈悲を下さる様御仏に御祈願致しましても、過去に止まり、未来の無い六番目童子にはその庇護は届かないのであります。漢桜(かんおう)殿が雉丸(きじまる)坊をどのように扱っていたのか、お大切に思っていたのか、それは伝わっては居りませぬが、もしも親御というものが、如何なる子女であっても大切に思うのであれば、漢桜(かんおう)殿の最期は筆舌尽くしがたい、文字通りの断腸の思いでしょう。しかしながら、もはや雉丸(きじまる)坊は居ません故に、親心子不知という言葉もございません。

 そうして、燧城は朝には、煌々と輝く朝日に、凍り付いた土が光り輝く程に、大量の血と骸を晒し、以後、この土地から『ひきりさま』は去って行かれました。

 どうしてそれが分かったのかと申しますと、実は、二つの言い伝えがございます故に。

 それは、その後、その地に二頭城が建てられてからの事。その土地は陰陽的にも大変宜しい土地でしたので、多くの人々がその土地を欲しがり、城を建立しました。ところが、とんと式神様は現れません。ある時、業を煮やしたお館様が、陰陽師を呼んで調べさせたのだそうです。するとどうした事でしょうか、陰陽師は皆一様に、小水を振りまきながら泡を吹き、気が触れてしまったのです。恐ろしくなったお館様が、今度は徳の高い僧侶を呼びますと、僧侶達は、異形の鬼に嬲り殺された枳殻(からたち)家の、二頭城の人々の無念を鎮めるようにとだけ仰いまして、特別な有難い経典を書いて下さったとの事で、これが今日、二頭城に伝わる『たいせつ経』だと言われております。この『たいせつ経』には、二つ、意味がございまして、一つは六番目童子が現れた『大雪』の日を思い起こし、年に一度はこれを弔う事。一つは、嘗て確かに天子さんや御岳父に尽くしたであろう雉丸(きじまる)坊を憎むのではなく、寧ろその愛し子の『お大切』を伝える様に、との意味がございました。

 もう一つの言い伝えは、この頃から、この国の各地で『呪い』が盛んになり、しかもその『呪い』がどうも、ひきりさまを思わせるような惨憺たる呪いだということなのです。

 ある時は海を隔てた島から現れ、被差別集落の人々に、極めて強力な呪具の作り方を教えました。またある時は、子供を憑代にした生贄の作り方を教えました。そしてまたある時には、素晴らしい奇跡を起こし、飢饉を救いました。その功績を見た多くの人は、ひきりさまの存在を知りませんでしたので、『旅の僧侶ではないか』と噂し、その噂は現代でも残っております。ひきりさまは、六番目童子によって枳殻(からたち)家が滅んでから、嘗て雉丸(きじまる)坊と呼ばれた少年のみ。ひきりさまを排出する枳殻(からたち)の血を引き継ぐ少年は、小さな背中に大きな宿命を背負い、そして小さな矜持を打ち砕かれ大きな力に惑わされた、あの憐れな少年のみ。ですので、この国のどこに現れようと、条件が合えば、それはこのひきりさまを指しているのでございます。

 ですので、旅の僧侶や呪術師、芸人がもし、奇特な術を使い、その地を滅ぼすか、救うかしたのであれば、気を付けなくてはなりません。その人物が、六番目童子ではないという保証はどこにもございません。もしその人物が六番目童子だったとしたならば、漢桜(かんおう)殿が助けを求めた、多聞天さま、広目天さま、増長天さま、持国天さまのどなたかをお呼びし、力を封じ込めなければなりません。

 六番目童子をのさばらせてはなりませぬ!

 あの鬼子をこの国に放ってはなりませぬ!

 悍ましき呪いを吐く声に、奇しき豊穣の足音に耳を貸してはなりませぬ!

 最早枳殻燧雉丸からたちのひきりのきじまる坊はどこにもおりませぬ!

 枳殻(からたち)家が仇敵、陰陽の禁域を犯した忌子、朝敵たる六番目童子には、この国の安泰の為に三劫に渡る仏罰を下さねばなりませぬ!

 しかしながら、普通の人間が六番目童子に挑もうなどとしてはなりませぬ。

 何しろ六番目童子は、枳殻(からたち)家史上最高の楽士漢桜(かんおう)殿の息子、そして、強力な『ひきりさま』であった、枳殻(からたち)雉丸(きじまる)坊を喰らい、成ったモノ。並の人間の霊力、神通力では、睨む事すら出来ますまい。故に、我々には、六番目童子がこの地に来ないように、又、再びこの地に来る事がないように、祈る事しか出来ないのでございます。或いは、六番目童子に匹敵するような御力をお持ちあそばしました、徳の高い僧侶か、洗練された陰陽師、そう、それこそ三劫の時の間修行を続け、それを成し遂げたかのように偉大なる御方が現れるのを願うしかないのでございます。

 おお恐ろしや恐ろしや、斯様な鬼子など!

 おお悲しや悲し、斯様な寂しい鬼子など!

 お労しや六番目童子に成り果て給う燧様、何も事の大きさ全てを理解していた訳ではございますまいに。ただ少しばかり、少しばかり自分を必要としてくれた方々への汚辱を雪がんとしただけでしょうに。本人は自分が唯の陰陽師としか知らなかった故に、六番目物に手を出しただけでしょうに。

 おお、おお、八百万の神々よ、三千世界の御仏よ、何故にお教えされなんだ。何故に。

 ただ彼の若子に、一言仰って下されば良かったのでありましょう、『汝は燧也や』と。然らば燧様は如何なる嘲笑も中傷も気にせなん。意向図る事、それ即ち慢心の至りと雖も、訴えられないでおられようか、嘆かないでおられようか、齢僅かな少年の、三劫の旅路を。

 不思議な事もある物で、実は、このように六番目童子に狂おしい慈悲を向けた歌が残ってございます。一体誰が作ったのか、何時作られたのか、とんとわかりませぬ。このお話が伝わっているのと同時に、残っておりますので、もしかすると生き残った楽士の奥方殿か娘御か、将又女御か侍女かが、残したのでしょうか。ここまで恐れられた六番目童子が、この話をどこかで聞いているのかも分かりませぬ故、最後にその祝詞を唱え終わりにするのが、この昔話の常にございます。

 その祝詞とはこのように伝わっております。

 

 おお、愛おしき童や、我の胸に帰りておいに。おお、愛おしき童や、我の胸に帰りておいに。おお、愛おしき我が同胞よ、帰りておいに、我等の愛し子よ。

 汝無く奉りて救われなんだ心が幾つ在らん。汝無く奉りて救われなんだ命が幾つ在らん。

 理に関わり、神すらも説き伏せし雄弁なる我等の神子や、帰りておいに、帰りておいに。

 償いの五劫の岩は砕け砂となりて久しく、救われし者の御魂は過恒紗(かごうしゃ)を既に越え、何故未だ戻らざるか、何故未だ戻らずや。汝が罪は最早無く、汝が徳は最早究竟覚(くきょうかく)につきづきしく、汝が善行正しく阿僧祇劫(あそうぎこう)也や。何故未だ戻らざるか、何故未だ戻らずや。訶梨(あり)や十一面、毘沙門天らは待ちたり。畢竟(ひっきょう)我等は汝を待ち続け、如来地に立たずと決め、それが我等を楽求に染せしと、我等汝を待ち続けず。

 我は母也、我は父也、我は汝也。

 不可忘、是即ち非一非異にして極微足る愛語にして、故是即ち虚妄に非ず。


 嗚呼、愛しい子よ、友よ、私の下に帰っておいで。お前がいなくて救われなかった命や心がいくつあると思うの。燧様として、理に関わり、神すら説き伏せた頭の良い子、帰っておいで。もう償う罪もないし、徳も十分積んだのよ。どうして戻って来てくれないの。

 もう何の罪もなければ、これ以上積む徳すらないというのに。訶梨や十一面、毘沙門天らは待っていますのに。ですので、私達は徹底して解脱を拒み、その結果我欲に塗れても構いませんので、お前を待ち続けます。

 私はお前の母で、父で、私自身。

 決して忘れないで。一つではありませんが別の物ではないと言う事を。私達は分けられないということを。そしてこれは、愛する貴方への嘘ではないと言う事を。


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