其之貮 女の操と主従の契り! 之巻
「待たんかこらああああああああ!」
思い切り腕に力を籠め、水面を叩く。わいの指の間に水かきがんからと言って、水が掴めんなんてこつはん。水は以外と硬い。そら、ほんの一瞬のこつだけれどげんかも、確かに『掴める』のだ。それを掴み、引き、放り投げ、ぐんぐんと前へ進む。目指すはあんエモノ、唯一つ! こんわいから逃げごつなんざ、例え神さま仏さま閻魔さまが許じゃあとも、こんよろず屋の日向はんが許しはしん。
「な、なんだあいつ……!」
「返さんかおらああああああああ!」
「嘘おおぉええええええええええ!」
水をたっぷり吸って膨らんだ帯締めを放り投げ、曲者の足首を一瞬で纏める。転がり落ちてきたところを、これまたたっぷり水を吸った帯で締め上げ、対岸の仲間に放り投ぐる。
「よっしゃああああ! 捕まえた!」
「この野郎! おいら達作州に来てから何も食べてないんだぞ!」
「だからって子鼠一匹逃すようなヘマはしねえけどな!」
「二人とも、踏みつけるのはそれくらいにして……。早く取り戻すもの取戻しちゃいなよ……」
こん三日、水と木の根うーびんたり、それもここまで来なるち関所に危うく引っかかりかけたりしてかいよ、碌な休息もなんもなかった。そりゃもう、苛々して仕方なかったやろうね。特に武蔵は、『武士が女子供先に寝かせて転寝できるか』なんて変な意地張っちゃって碌に寝てんみたいじゃったし。小袖を絞りながら川から上がると、もうアオジンタンが出来ちょるさっきの子鼠。良く見ると女ん子ね。こりゃ、と、武蔵の尻を蹴飛ばす。
「こんダラ! 盗られたもんとってとっとと離さんかい、女子供殴って蹴ってええんは閻魔さまくらいだえ!」
「いてっ! なんだよ! 元はと言えばおめえがなあ日向――」
「わしゃ女じゃねえ! 男じゃ!」
わいと武蔵が言い合いを始めごつとすると、突然子鼠が牙を剥いた。でん、わいは猫じゃねえから、文字通り噛みつこげんとする女ん子の頭を掴み、ぐっと顔を近づけた。
…………うん、特に日常的な暴行や、女衒の類に扱われた様子も、んーな。寒村でんなく大きな町でんなく、ごく普通の百姓の子どんみたいね。となると、単純に女子でいるとぐつが悪いと言う事かしら。誰かどこかの落とし胤じゃったりして。
「ほん? おみゃーおもすれぇ事言いよるんなァ。なしてそぉまで言うて女じゃないけん男じゃ男じゃと盗人の真似したんか、教えてくれたらな、姉さん、こんダラふんじばって、おみゃーを本来いるべきところに連れてってもええにゃけど、どないすん?」
「…………ッ! わしゃらァ、おめえらみてぇな鬼畜に縋る程落ちぶれちゃおらん!」
「威勢のいい坊ちゃんじゃな。どうやら訳ありと見た」
こりゃいい商売の種だ。すると、種子島が意を汲んで、子鼠の顔の前にしゃがみ込む。
「おいら達の商売は、稲刈りから首狩りまで、何でも請け負うよろず屋だい。お銭はそちらの人情分。もし、おいら達を雇ってくれたら、今日盗んだお銭の数倍の価値を返すよ。どぉ?」
すると、意外や子鼠は押し黙った。ほいで、ギッと睨みつけると、種子島に凄んだ。
「本当か? どんな仕事でもするんやな?」
「その小僧の言うことは嘘じゃねえぜ。何より男に二言はねえ」
「それじゃあ……。あの腐れ神を退治してくれっか? 倒さなきゃ、勿論鐚一文払わんがな!」
と、謂う訳で、わい達の仕事が決まった。
===
まあ、そげんにむっけぇ仕事こつせん。女子好きの、文字通り盛りの付いた馬鹿猿けんどん、こん近辺は勿論、作州中から、醜女から美女まで、部落民じゃろと御新造さんじゃろと、手当たり次第手を出してかいよ、村中は女子日照りやじ。子どんも少ねっていうち、こげんな危機だっていうち、人間の男も女子日照りで村中がしっちゃかてげかやっつよと。のさんねのさんね! こげんな時でん男は、さすこつしか考えられんンなんてさ! さすんじゃったら、別の所に別の物ってもんがあんやろうに、ほんじゃまこち男っていうもんは……。
あげん、じゃあ、でかいよ仕事の内容やっつよけどげんか、まあ、女子好きヤジの妖異っていうもんは、得てして壮絶な男すかんじゃったりするのこっせん。まあ、わいが行くっきゃんわな。話にじーれば、こん猿――猿神、たまらんちゃがな量の式神を飼っちょるげなから、男衆にはそっちをやってもらって、後はこん日向さまがぽっきり、とね。わいだけが働くなんて、そげんこつするわけんこつせんの。しっかり働いてもらわんとね。
<br /> で、作戦は明日。武蔵が欲求不満の男共を伸したつ実力で、村一番の地主の屋敷に泊まり込めた。武器の確認をしながら、あん子鼠を捕えた時に大分傷んだ帯締めに手を伸ばした。
「おい」
「ん、気付いてたか」
気づくもなんも、真上でミシミシ音立ちょるそげんな馬鹿でかい鼬がどげんかこにいるっていうのじー。わいが呼ぶと、武蔵は屋根を外してかいよ、ひょいと降りてきた。
「おめぇも帯で簀巻きにしたろか?」
くるくると帯締めを振り回すと、武蔵は両手をひらひらさせて笑った。
「いやいや、そんなんじゃねえさ。ちょいと渡すもんがあってよ」
ほれ、と、わいの目の前に、上等な帯締めが一本垂れ下がる。…………まさか!
「こんダラ! この屋敷の娘っ子は皆嫁入り前ッちゅーくらい見抜けんのかこのアホンダラこげな上等な帯締め何番目の娘のもん盗んで来よったとかー!」
「だぁー違う違う違う! 良く見ろ! 良く見ろってばテメェくノ一だろが目利きしろ!」
一体誰とまぐわったのかと馬乗りになって着物を剥がし、拳骨と爪を振り下ろしちょると、目を腫らしながら上モンな帯締めを差し出した。ひったくり、苦無の光で見定める。
てげぇ上モン……と、まじゃあ、いかんけれど、てげてげいい絹で仕立てられた、桃色の帯締め。端に、親指の爪程の木製の帯留が付いちょる。それに彫ってあんもんは、良く分からんけれどげんか、どっかの家の家紋のごつじゃった。これは四つ巴紋? ――わいの記憶が正しければ、確か巴紋は北国の方の神職家系に多く見られるもんじゃけんど、四つは珍しいもんやじ。
「なぁこえ? どこのお宮の紋じゃ?」
「知らね。単に俺の気に入ってる紋だよ。まあ、よろず屋の看板とでも思ってくれや。ほれ、少し前に上州に行っただろ。その時に良い絹糸と首を代えてくれたんだが……。まあ、帯締めの織り方なんて分かんねえから、仕立て屋に頼んだら、思ったより取られてよ……。まあ、お互い妥協しなかったからなんだけど、まあ、それでも安く仕上げて、銭は節約したんだぜ。……お前の小袖、帯も帯締めも大分ボロボロだろ。小袖も帯も仕立ててやることは俺には出来ねえけど、まあ、あの時手伝ってくれたのもあるし………いらねえならそれこそ質屋に入れても――ゴハァッ!」
思わず前歯を圧し折る勢いで頭突きしてちょっしもた。ほいでそのまま首に顔を埋める。
…………なんておかし人なの。上州に行ったのなんて、一体いつの話じー。今の今まで、ずっとわいに渡さんで、しどげんかろ、もどげんかろと機会を窺っちょったと? 男らしこっせんわね。
でん、こん人げなわやじ。
「わいの為に、仕立ててくれたんじー?」
「お、おう、一応、その………あの、日向? 出来ればな、その、素肌に直接抱きつかれるとだな、俺、その、都合がちょっと……」
「わやにやるもんがあん。ちっと氷点丸貸して」
「あん? 氷点丸は妖刀だぞ、危ねえだろ」
「いいから貸しなさい、やるもんがあんだ」
渋々と言うじーり、少し心配じゃあに武蔵はわいに氷点丸をそっと渡す。鞘で受け取っても、触れた柄から流れ込んで来なる冷気が、腕の筋を通って心の臓に達し、ピキンと音を立てた。思わず顔色が変わったのを見て、武蔵がやっぱり、と、取り上げごつとしたつけんどん、それじゃあ意味がん。取りあえず目当ての物を荷物から目当ての物を取り出し、先ずは一文字、次いで平巻、それから留め……と、念を込めてきっちりと巻きつける。
「こん柄巻、しもぐりの模様みたいなもんだけじゃったやろう。わいも上州で余分な端切れを手に入れたからね。何れ、わやにちゃんとしたつもん誂えてやんんと、寿命が縮まると思ってたのこっせん」
「……なんだ、そんな事気にしてたのかよ。妖刀使いが刀に中てられる訳ねえだろ。……でも、ま、確かに氷に直接喰われる時は冷たいんだけどな。どれ、ちょっと抜かせろ」
ほい、と、返す。武蔵は両手で、鞘をくるくると見定め、氷点丸を抜く。一見、真ん中からぽっきり折れた、突き刺す事も碌に出来じゃあにん、刃毀れだらけのボロボロの刀だ。
「凍刃」
武蔵が呼び出すと、刀がぶるっと震え、次の瞬間、今まで見た事も無い速さで、それも見事なまでの刀身が伸びて行った。今までのごつに歪に生えていくのではなく、すらりと美しく、名刀のごつ、景色に馴染む刀身が、一瞬で。
「……すげぇ。お前、何したんだよ」
「…………」
「あ? 聞こえねえ、なんか言った?」
「…………っ、わやが死なんごつに念を込めたって言ったんちゃが分かったかこんボケ!」
「耳元で怒鳴んじゃねえよ色気ねえな!」
「やかましかこんボケナス! わやにくれてやる房中術なんかあんか、げどがぅな!」
ぼかん、と、頭を引っ叩いて、でかいよも掌に収まった絹糸の心地じーさと言っよーねぇ、例えごつもん。絶対に言ってやらんけどげんか。取りあえず手入れをした小袖と帯の上に、その帯締めをそっと置いた。古い方は……ん、鉤爪か何かに作りなおじゃあ。
===
翌日、作戦通りに、わいは猿神が根城にしちょると噂されちょる山奥の廃村に向かった。
その村は、数十年前まじゃあ、何だかの末裔が暮らしちょると言う噂があっよーねぇしいけどげんか、あん時を境に、ぱったりと行商も手紙もなんもなくなり、商人が様子を見に行くと、まるで何十年も前から滅んでいたかのごつな凄惨な有様の中、獣どもんが鋭い牙を剥き出しにしてかいよ、その商人を追い返したつのだと言うんやじ。それから暫くして飢饉が訪れ、狩人どんがその獣を狩って潰じゃあとしたつけんどん、その時は不気味なほどげんかなんも出なかったと言うんやじ。更に時は流れ、こん廃村の周りから、どげんかんどげんかん女子がいなくなって行き、とーとー女子の赤子までんがいなくなると、その妖異は赤子の父の前に漸く姿を現し、『もうわやの村にはおなごはいんからここには来ん』と告げ、紙吹雪のごつに消えた。それ以来、それが猿神。今回わいが倒す妖異だ。要するに、嫁じょか何かを探しちょると言うこつげな。
お、見えて来よった。あれだ。
「んじゃ、ちょっくら行ってくるでんな。バカ猿シバいて来るまで、きっちり式神退治頼むけんの」
「気を付けろよ」
「あーん? おめー誰に向かって言うとる。日本一の大剣豪武蔵を片腕で沈めるおらが、敗ける訳ねね」
「否定できないよ。武蔵が強ければ尚の事」
「なんでえ種子島まで! 俺ァ単純に心配しただけだっつうのによ! ケッ! 精々バカ猿に一芝居打ってやるんだな!」
じゃっとよ、いつもん通りじゃわ。安心してわいは一人、村に降りて行った。静かな村だ。廃村という感じはしん。もう妖異に化かされちょるのかもしれん。
「あら、お帰りなさい」
驚いて振り向く。人の気配はなかった。否、今も人の気配はしん。こんげどが、化生だ!
「どげんかこに行ってげな? わやも身重やっつよから、あんまり無理しちゃダメじー。お腹の子に良こっせんって、こん前お義母さんに怒られたやろ」
「…………!」
ハッとして自分の身体を見下ろすと、確かに腹が膨れていて、それを見た途端、身体が重くなる。妊婦の身体の重さだ。帯締めを解いて、小袖を少し寛げると、その下には確かに、ふとく突き出た腹に、紅白の帯が巻かれ、大切に大切に守られちょった。
気が付くと、辺りは、否、こん村には妊婦しかいなかった。一様に、臨月の女子どんうーびんたり。皆幸せじゃあに腹撫でて、微笑んどる。父親は――夫どんはいんのじゃろか?
「なあ、なあおめさんじー」
「ん?」
「おめさん、あと幾日くれえで生まれるん?」
「もう生まれるわ。初産だから緊張する」
「ほかほか、そら目出てぇなァ。ほいだら、もう産婆も旦那も緊張しとりゃせんか?」
「あん人は今、太閤殿と一緒に戦に行っちょる。元気な子を産んで、帰りを待つ心算じー」
ビシッと、石礫が投げられたごつな頭痛がしたつ。
戦? 太閤? 何の話をしちょると? 今、太閤なんて大猿はいん。いるのは――。
いるの、は――?
「××!」
後ろから呼びかけられ、身体が凍り付く。ちょっしもた、金縛法――? 動けん!
「××? 帰って来たじー、待たせたね。お腹の子もおいを待っていてくれたのかんしれんねー?」
じゃもんか、じゃもんか、じゃもんか。そげんな男、わいは知らん。誰かを待っちょったりなんてしちょらん。
わやは誰だ。わいはわやなんか知らん。わやなんか知らん!
縄目はどげんかこだ? 金縛法なら不動明王の羂索の縄がどっかにあん筈。それを断ち切るこつが出来れば戦える! 後ろに立った男に、すっと身体を預ける。それくらいなら出来た。男は絹を梳くごつにわいを抱き締め、ただいま、と、囁いた。わいはそのまま、どげんか脚を曲げ、ずるりと抜け出す。身体はこんめえ麻で締め上げられ、べろすら動かん。でかいよも、こん妖異の術に負けるわけにはいかん。何故かって? そらわいけんどん、行化忍術の使い手だからやじ!
「わいはわやなんか知らん……。知らん、知らん、わいは仕事に来た! 猿神、覚悟!」
苦無一つじゃあ恐らく足りん。右に苦無、左の手首から手掌を引きおろし、胸元から忍び鎌を取ろうとして――先程の男に掏り取られちょったこつに気付いた。嘘、わいが気付かんなんて! さっき、胸元に触れられた時に掏られた……?
無いなら仕方ん。忍、それもくノ一の戦い方なんて言うもんは元々裸一貫で行うもんだ。
とにかく、こん妊婦うーびんたりの村に溶け込むこん男が猿神に違いん。左掌で思い切り胸の中枢を突くと、男は猿神としての本性を現したつ。ざわざわと体毛は茶色く太くなり、顔は火傷を負ったかのごつに赤く、歯は欠けたかのごつに鋭く、その姿は正しく、戦場を幾度も幾度も潜り抜け、永劫その中で生きる阿修羅か何かのごつじゃった。今まで仕損じて来た猟師どんの物じゃろか、矢や鉄砲の傷が僅かに開き、とろりと血が膨らんどる。
「チ………ヨ…………。…………チ、ヨ、……チヨ、チヨ、チヨ……」
猿神は自分の身体の傷に悶えながらも、『チヨ』を探して腕を伸ばす。こん猿神、傷は、んけどげんか、目が――。
「ぐ……っ、あ、ああが……っ!」
いざと構えた時、ギリギリと腹を括っちょった縄が一気に縮み、立っていられず倒れた。座れん。動こげんとすると、頭が白く弾けてなんも考えられなくなる。毒? 何か盛られやろ? 訳が分からんけれどげんかも、こん痛みは本物だ。閉じた足、否、腰その物が鋸か何かで斬られちょるごつな痛み。それも一息じゃあなく、じわりじわり――。
「いっちゃが――? 今、――さん――呼んで――」
言葉が聞き取れん。身体の中をのた打ち回る悲鳴の激流に、気を違えてしまいじゃっどった。なんね? 何を言っちょると? わいは一体どげんしたと? 暴れるわいの両腕を、何処かに居た妊婦が押さえつけ、少し理性がもどる。じゃっど、わいは猿神退治に来たんだ。こげんな妖術に負けちょるごつじゃ、よろず屋の沽券にも関わる。意思を持って暴れ出したつこつに気付いた猿神どん、両膝を何かで縛り、広げると、ずる、と、のさんな音がしたつ。わいの躰から、何か出ちょる、こつせん、出て来ちょる!
「もう産まれそうやっちゃ。おいが――がっ!」
「おい」
猿神が吹っ飛ばされた。ほいでどっからか声がしたつ。低くて逞しくて、ほいでわいの為に怒っちょる声だと分かった。まるでその声に応えるごつに、腹の底から声が出た。これが『いきむ』ってこつなのかもしれん、どっかでボンヤリ考えながら、何かを叫んだ。
「他人の女に手ェ出してんじゃねえこのクソ猿がァッ!」
その言葉と同時に、一気に身体の渦が霧散したつ。解放された、と、言った方がてげ正確。でん全身、というか、バラバラに千切れたごつなままの下半身は痛いままで、しんきなーけれどげんか臨戦態勢に入れなかった。
「そんなに人間様の観音様が拝みたきゃぁなァ……!」
怒っちょる怒っちょる。誰やろ、猿神の首を、着物じゃあなく首を握りしめ、がつん、ごきん、と殴っちょる。その腰には、一つの鞘が下げられちょるごつに見えた。
「この武蔵様が無縁仏の墓ン中物理で封じ込めてやる覚悟しろこの助平畜生が俺の日向に触りやがって武士の刀で死ねると思うなよこの外道がァー!」
霞んでいた視界がくっきりしてきて、まるで千手観音が殴っちょるかのごつな勢いの武蔵がはっきりと見えた。全身に猿神の血が迸って、まるで刀で刻まれちょるかのごつに見えた。わいにはそれけんどん、何故だか酷く恐ろしく感じた。
「む、むさ……むさし……! 武蔵!」
「あああン……?」
悪鬼羅刹の如、とは正にこん事じゃった。武蔵はもう生きちょるのか生きちょらんのか分からん猿神を襤褸布のごつに遠くへ抛り捨て、ゆらりとこちらを向いた。全身が鋭い刀傷に覆われちょるみたいだ。
「お前……ひゅうが、日向だな……?」
「おら以外に……っ、だ、誰に見え……っ、げほっ」
いつの間にか、酷い声になっちょった。着物がぐずぐずになって動けんわいを抱き締め、血水に塗れた身体を押し付けた。あちー。
「よかった……。よかった、ちゃんと来れて……」
「来れたってなんじゃ。おらは妖異の結界ば閉じ込められるようなドジは踏まんちゃよ」
「あー……ってことは、日向、気付かなかったんだな。うん、それがいい、それがいい」
「???……。まあ、ええっちゃ。種子島と出雲はどしたんよ」
「あー、端的に言うと、俺らの方が結界の中に放り込まれたらしくてな……。取りあえずお前の悲鳴が聞こえた所に俺が突っ込んでいったら、ここに来た」
「はー? おみゃさんら、おらがいねど何もでけんと、あんな大口叩いたんか? ダラ」
「別に呼んでも良いんだけど……。その、お前、大丈夫?」
「おらはいつでも大丈夫じゃ」
そう、と、言って、武蔵はいきなりわいの裾を広げた。思わず顔を蹴りあげる。
「花も恥らう乙女の脚を何だと思っとるんじゃ説明したっからちんちんかけやオラァ!」
「あいってえええ! 違わい、俺はそっから出て来たんだから、そっからしか二人とも戻れねーだろ! ほれ、俺の頭にもきっちりお前の毛がこの通――」
ドゴッ。
「おみゃ女子が子供産むことの重要性と危険性がわぁちょらん! このエノキ!」
「お、あ、おま、おまえ、こそ、おとこ、の、なん、と……」
その後、結局、どんげかこげんにかしてかいよ、無事四人集まる事は出来た。方法? 言わん。というじり、言えん。のさん、言いたこっせん。…………あげんもうしゃあしぃ、知らなくていいと!
そげんな事じーり、問題は結界の中に居た妊婦どんのこつ。
まこつは言いたくなくて堪らなかったんじゃろけどげんか、あん依頼人の子供の家族に、やっぱりあん猿神に攫われた娘がおったらしい。連れて帰れなかったのだから、理由がなければならん。結論から言うと、彼女は死んでいた。そこまでならまだ、というか、まだマシな方。問題は、その末路。
結界の中に放り込まれた女どんは、破瓜を迎えちょらん童女から、月の物が無くなった老女まで、一様に臨月を迎えたまま――死んでいた。恐らく、わいもあん『出産』に失敗しちょったら、或いは孕んだ子がカミの子じゃったとしたつら、その結界の中に放り込まれちょったんじゃろ。女どんは出産の苦痛に顔を歪め、白目を剥き、べろを突き出し、手足の指を引き攣らせ、文字通り『産み捨て』させられちょった。輪にかけて残酷じゃったこつは、そのおなごどんの腹は鳩尾から臍の下の下まで、びりびり破り開かれ、臓物を一つ残らず取り除かれちょったのだと言う。あまりの光景に、種子島には降霊させて目を封じ、血腥い事に慣れちょる筈の武蔵でさえもその場で吐き戻したつと言う。わいにその残酷な様を教えてくれたんも、その霊じゃった。
「吾が思うに――あれは、猿神というよりも、最早落魄の類と思うぞ」
「らくはく?」
「うむ。魄、つまり死体に、魂が残っていると、最早命もないのに、五官が働き、動くのだ。それが強ければ強いほど、それはより、人らしく、或いは妖異らしくなると言う。……この域は、最早妖異でも化生でもない。『鬼』よ。隠モノと言っても良かろう。余程その『猿神』とやらは、『女の中身』に執着しておったのだ」
「なんじゃおめはん、さっきから、むつかしい言葉ばっかで、おら、なんも分からん」
「要するに、今のように様々な思想や信仰が重なる前の、原初の悪、諸悪の根源よ」
「そうそう、そーゆーふーに言ってくりゃんと分からんごっせん。……でも、これ、どうやって報告すんねや? おらはこんな言い方したかん。あまりに不憫やにき……」
思わず腹に手を当ちょる。死んだ女どんの無念を孕んでいるごつ。そこに武蔵が言った。
「別に本当のことを言うだけが仕事じゃねーだろ。猿神は退治したけど、猿神は女共を食っちまってたから、生きてる奴はいなかった、で、いいじゃねえか。嘘でも本当でもない」
結局武蔵の案を採用するこつにしたつ。当たり前じゃけんども、辺りからの視線は冷たく、お銭は貰えなかった。てにゃわんので、ここでの稼ぎは諦めて、別の地へ向かうこつにしたつ。
その時、ふと思い出してかいよ、武蔵に聞いた。
「そう言えば武蔵、あの時、おらのこと『他人の女』やゆーたが、ありゃどういう意味ゃ? おらは誰かの女になったこたね」
「え、あ、その、前に酔った日向の――」
「酔わせた女に弱音を吐かせた、と……」
「ち、違、てめぇ出雲何妙な妄想を――!」
「何さらしとんじゃこのダラぁぁ!」