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よろず屋  作者: 菊華 紫苑
巻之弐 武蔵品
10/20

其之伍 極悪餓鬼道の宴を斬れ 之巻

 俺の名前は武蔵(むさし)。一寸前に、地獄と極楽の間から帰ってきた武士だ。多分強い。

 俺達は丹州は老枝山(おうえやま)まで来て、野宿をしている。というのも、前回の仕事で、丹州七家族のお家騒動に巻き込まれ、お銭も禄にもらえないまま、これ以上はつきあってらんねえということで、逃げ出してきたからだ。丹州に入る前、散々『老枝山には入るな』と聞かされてたのに、急ぎすぎててうっかり入っちまったらしくて、何日も山の中を彷徨っている。蕎麦掻きの匂いも歯触りも、忘れてきちまったよ。


出雲(いづも)、今日も駄目そうか?」


 ぐったり倒木に腰掛けながら、禊を終えた出雲(いづも)に話を振る。出雲(いづも)は溜息をついて、首を振った。いつも大人しい奴だが、明らかに元気がない。


「ダメだ、武蔵(むさし)……。多分…、山の結界に入ってる……。五獣への祈りが届かない……」

「このままだとおいら達、ひもじくて死んじゃうよう。獣も死体ばっかりだもん」

「それはないと思うけど……」


 出雲(いづも)が無神経にそんなことを言うので、思わず睨み付けた。この場に日向(ひゅうが)がいなかったら、蹴っ飛ばしてたかもしれない。それくらいには、頭が動かないし、凄く苛々するし、何でも暴力で解決したい。


「今日のおまんまは、この山葡萄(えびかずら)だけじゃにゃあ……。まあ、こんだけあれば大丈夫じゃろ。種子島(たねがしま)、水くんで来たか?」

「お酢がないから、そろそろお腹壊しそう」

「よかよか。ないよりゃよかよ」


 種子島(たねがしま)はしょんぼりとして、竹水筒に汲んだらしい河の水を差しだした。日向(ひゅうが)は拾ってきた山葡萄(えびかずら)を大きなヤツデの葉の上に乗せて、手を合わす。考えても仕方ねえ。腹が減っては戦は出来ぬってこった。俺も座って、山葡萄(えびかずら)を口に入れた。酸っぺえ。でも喰わないよりかマシだ。


「うえ、虫食いだ」

「虫ごと喰っちまえ」

「焼いちゃだめ?」

「俺は手伝わねえぞ。だからこっち喰え」


 どうせ俺は、蕎麦切り五人前でも物足りない大食漢よ。木の実の一つや二つくれてやっても、腹ぺこには変わりない。種子島(たねがしま)が嫌がった実を勝手に一つ千切って口に入れ、自分の房から実を二つ千切って種子島(たねがしま)の口に突っ込んだ。……凄く酸っぱそうな顔をしている。


「んまあああ……。人から貰ったら百倍うまーい!」

「これ種子島(たねがしま)、食事中じゃ、落ち着いて食え」


 とは言うものの、日向(ひゅうが)もどことなく嬉しそうな感じがする。こういうときにぎゃあぎゃあ泣くのも、ころっとして笑うのも、子供の特権だよな。くさくさした気分が少し良くなるけど、腹は鳴ったままだし、外に出られる保証もない。状況は全く変わってないし、楽観的に考えるなんてことは出来ないが、まあ、飯時くらい良いだろ。


「まだまだあるでんよ。食えるときに食っとけ」


 誰も答えなかったが、山葡萄(えびかずら)を取ろうと手を伸ばすのは止まらなかった。

 現実とは非常なもので、食えば減る。とうとう食い尽くしたが、案の定俺は腹ぺこのままだった。ただ、一番幼い種子島(たねがしま)や、一日中五獣に呼びかけていた出雲(いづも)は満足したらしく、すぐにうとうとと船を漕ぎ出した。二人を両膝に枕させ、日向(ひゅうが)も冷えた水を飲んで、一息つく。


「しかしあんなに沢山、この山って実り豊かだったのか?」

「うんにゃあ、恐らくどっかの荘園が、山葡萄(えびかずら)さこさえてたんだろ」

山葡萄(えびかずら)だけ? 米も果物も育ててねえのか?」

「うん。麦畑ならあったぞ」

「粟や稗じゃなくて、麦?」

「おん。なんでじゃろうなあ。人間嫌いの仙人気取りでもおるがかねえ」

「明日、調べてみたら、外に出られるかな」

「抑も人がおるんかのう」

「え、家なかったのか?」

「なかったとゆうよか……。腐った血で鳥居描いてある洞窟ならいくつかあったじ」

「それは………………」

「だべ?」


 俺はがっくりと項垂れた。血で絵を描くなんて、どんな鬼人がいるかわかったもんじゃねえ。

 明日こそ山を降りねえとな、と、もう何度目になるか分からない決意をして、俺は先に寝た。一刻ずつ日向(ひゅうが)と交代して寝たけど、久しぶりに食った山葡萄(えびかずら)の酸っぱい果汁が、ずっと胃をしくしくさせてきていた。

===

 翌日になって、俺達は日向(ひゅうが)に連れられて、山葡萄(えびかずら)園にまでやってきた。丸に十字の家紋がいたる所に彫られていて、気の違えた当主の庭のようになっている。丸に十字の家紋は、もっと南の方にあった気がするんだけどなぁ……。落人でもいんのかな? こんな都に近いとこに??


武蔵(むさし)、人じゃ! 人さおる」


 ここじゃここじゃ、と、日向(ひゅうが)が手招きする。俺は目の前にある、何も彫られていない墓石のようなモノに後ろ髪を引かれながらも、日向(ひゅうが)の所に集まった。

 垣根の向こうから、老若男女の声明のような歌が聞こえる。経典ではなさそうだが、長唄でもない。……というか、これ、意味のある歌なのか?


「これは私の血、私の肉―――」


 ぎょっとして、四人で思わず身を乗り出す。手拭いを首から提げた男が、紅い液体を杯に注いで飲み干した。種子島(たねがしま)が怯えて、俺の着物の裾を掴む。あと、なんか肌色のものを丸呑みした。あれってもしかして、人の干肉じゃねえのか? 手拭い男が別の干肉を左右に引っ張ると、古い紙のようにぼろりと崩れた。片膝立ちのような奇妙な姿勢の人間達が、がっぱと口を開け、手づからそれを受け取って食べている。そいつらは列を作っていて、食べた人間は座布団に戻り、悶えるように小さくなった。


「人の肉食ってンのか? ここは地獄の入り口かよ」

武蔵(むさし)が見た地獄って、こんな感じだったの?」

種子島(たねがしま)武蔵(むさし)が行ったのは極楽の入り口だよ……」

「いずれにしろ、あんな鬼ァいなかったぜ」

「見てみ、今度は血ィ飲んどるがや」


 日向(ひゅうが)に言われて、もう一度覗き込む。なみなみと注がれた赤黒い液体の杯を、今度は座布団の上に座ったまま、回し飲みしている。それが終わると、手拭い男が受け取って、残りを全部飲み干してしまった。

 また声明のような歌が聞こえてくる。種子島(たねがしま)はもう見ていられなくて、蹲って耳を塞ぎ、ぎゅっと目を閉じてしまった。


「おい、鬼の集落だぞ、ここ。どうする? 斬った方がいいか?」

「お銭がないよ……。ただ働きは、御免だ……」

出雲(いづも)、お前なァ!」


 思わず声を荒げて、ハッと口を押さえた。が、気付かれてしまった。落ち武者から剥ぎ取ったらしいボロボロの刃物や、鉈を持った男達が出てくる。


「まずい、逃げるべ!」


 四人揃って、踵を返して走り出した。鬼共は何か人の言葉を喋っていたような気がするけど、そんなの聞いてられない。とにかく走って走って、駆け抜けた。だけども儀式を見られた鬼共は、しつこく追いかけてくる。忍二人はどんどん差を付けたが、俺と出雲(いづも)はどうしても遅れてしまう。同じ方向に走っていたら、あの二人が巻き添えだ。隣で走る出雲(いづも)の首根っこを掴み、咄嗟に井戸の中に飛び込んだ。


「~~~~ッ!」


 想像以上に怖い。悲鳴が木霊しないように、出雲(いづも)の口を塞ぎ、俺も唇を噛んだ。

 べちょっ。

 深いのか浅いのか分からないが、井戸の底に落ちた。上を見ると、俺の指で作った輪っかくらいにまで、井戸の縁が小さくなっていた。


「…………。行ったみたいだな」

武蔵(むさし)、いきなり何するんだよ……」


 一応しっかり抱いて落ちたつもりだったんだが、出雲(いづも)はどこか傷めたらしい。


「うっせえな、追いつかれそうだったんだから仕方ねえだろ」

「でもこれだったら、登るよりも、横道を行った方が良さそうだね……」


 ほら、と、出雲(いづも)が井戸の壁を指さす。よく見ると、不自然に黒い。横道が本当にあるらしい。


「井戸の途中に横道なら分かるけど、井戸の底に横道?」

「…………。まあ、色々あるんだよ、きっと……」


 出雲(いづも)はなんか言葉を選んでいたみたいだったが、いずれにしろここの泥を啜って死んでいくのは御免だ。出雲(いづも)は灯火も焚かず、俺の手をしっかりと握って、すたすたと歩き始めた。


「おい、出雲(いづも)、見えてるのか?」

「………………」

出雲(いづも)?」


 出雲(いづも)は何かに集中しているのか、俺の問いかけには何も答えてくれなかった。ただ、淀みない歩みとは裏腹に、手を握る力が、強くなったり弱くなったりする。だから俺も、強くしたり弱くしたりして握り返した。

 湿ってて暗いだけなんだろうに、俺でも分かるような悍ましい気配がする。ここにもし、多少なりとも妖異の気配が分かる日向(ひゅうが)種子島(たねがしま)が来てたら、卒倒するんじゃないだろうか。それくらい陰湿な気配がしている。

 出雲(いづも)が、歩みを止めた。


「こんなところに……。そうか、あの人達は……」

「ん?」


 出雲(いづも)がしゃがみ込んで、何か見ているようだった。暗闇に慣れてきた目でもよく見えないけど、なんか四角いものが見える。出雲(いづも)はじっとそれを見た後、俺をじっと見て、また四角いものをじっと見た。


「……うん、武蔵(むさし)なら大丈夫」

「ほ?」

武蔵(むさし)、僕の合図で、『かしこみかしこみ、申す申す』と、唱えてくれ……」

「ん? 俺で良いのか?」

「君でないとダメだ……。いいかい、始めるよ……」


 よく分からないまま、出雲(いづも)が唱え始めた。あの鬼共の歌となんとなく似てる気がしないでもない。ただ、俺から見れば、どっちも聞き取れない古い言葉だ。


「かしこみかしこみ、申す申す」


 手を握られたので、出雲(いづも)の祝詞の隙間に唱える。出雲(いづも)はまた唱え始めた。


「かしこみかしこみ、申す申す」

「かしこみかしこみ、申す申す」

「かしこみかしこみ、申す申す」


 結構長い。四回目辺りから数えなくなった。なんだか頭がぼうっとする。空気が薄いのか?


「ちょっと動かないでね……」

「あ?」


 出雲(いづも)がごそごそ何かやっている。まあ、動くなって言うんだから、覗くなってことでもあるんだろ。口笛でも吹いて気を紛らわせたいのをぐっと堪えて、出雲(いづも)の作業が終わるのを待つ。


「過ちを犯しけむ種種くさぐさ罪事つみごとは 天つ罪 国つ罪 許許太久ここだくの罪出でむ。此く佐須良さすらひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと。祓へ給へ清め給ふ事を 天つ神 国つ神 八百萬神 枳殻燧(からたちのひきり)たち共に 聞こしせともうす」

「……! かしこみかしこみ、申す申す」


 慌てて最後の復唱を終えると、なんだか空気が軽くなった気がする。


「汝の業は九の呪いを持ちて、この呪を講じし者へと還る。汝が罪は此処に祓われ給いて、然るに十万億土の道のりを辿り、御仏の境地へ至らん。……ご苦労様、ありがとう……」


 なんかよくわかんねえけど、大層なものが此処にはあったらしい。出雲(いづも)はそれを拾ったようだった。


武蔵(むさし)、ここに雷光丸(らいこうまる)の雷で、風穴を開けてくれ……。それで、全ての呪いが解ける」

「へー」


 まあ、出雲(いづも)が訳分かんねえこと言ったりやったりするのは、何時ものことだし、こいつが意味分かんねえ助言をした時は、大体それに従えばどうにかなる。俺が雷光丸(らいこうまる)を抜くと、何も言わないうちに、刀が震えだした。足下から、何か力が渦巻いてきて、吹き飛びそうになる。それに乗っかって、刀が勝手に上に出て行きそうだった。―――これは、多分、雷を落とすんじゃなくて、出すんだ。


「穿て、雷光丸(らいこうまる)!」


 俺がそう命じると、悲鳴がつんざくような凄い音がして、天井が吹き飛んだ。崩れたんじゃない、吹き飛んだんだ。俺が雷雲になったかのように、雷を打ち上げて、そのまま瓦礫は外へ吹き飛んでった。


「これを登るよ……」

「はいはい、じゃあ、俺の背中に掴まってな」


 よいせ、と、抉れた岩に手をかけると、どこからか、柔らかい気持ちの声が聞こえたような気がした。

===

 井戸から出ると、近くの洞穴に隠れていたらしい日向(ひゅうが)種子島(たねがしま)とすぐに合流できた。よかったと泣きそうになっている二人を見て、とりあえず無事だってことに気が抜けた。


「喜んでるヒマはないよ……。今の落雷で、結界が壊れた……。役人達が来たら、あの人たちは皆殺しになる……。巻き込まれないうちに、ここから逃げよう……」

「そりゃないだろ、連中は鬼だぜ?」

「……そうだね、血のように紅い液体を飲んでいて、干肉のような蒸し餅を食べている、ごく普通の鬼だよ……。だから、すぐに行こう……。悲鳴が聞こえてきたら、手遅れだ……」

「???」


 俺だけじゃなく、日向(ひゅうが)種子島(たねがしま)も、不思議そうな顔をしたけど、出雲(いづも)は率先して山を下りるばかりで、結局次の町に着くまで、誰も何も話さなかった。宿に入っても、なんとなく口を開く気になれずにいると、出雲(いづも)が耳打ちした。


武蔵(むさし)、あの井戸の底であったことは、日向(ひゅうが)種子島(たねがしま)には内緒だよ……」

「安心しろい、話す気にもならねえよ」

「それは良かった……女子供に聞かせるような話じゃないからね……」


 おめぇも子供じゃねえか、とは言わないでおいた。

 翌日、瓦版が出回った。あの鬼の集落を、幕府の役人達が壊滅させたことが書かれていた。結局あの集落、なんだったんだんだ?

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