其之壹 貴方どちらさま? わたしオシラサマ! ノ巻
ぶちぶち。ぶちぶち。
やあ! おいらの名前は種子島。根無し草のよろず屋の一人だい。今おいらは、朝方見つけて来た草むしりの仕事をしてるんだ。もう田んぼじゃ稲があるっていうのに、お百姓さんはこれからも種を蒔いておまんまを作るんだって。エラいよなぁ、おいらはそんな生活はもうこりごりだ。ちょいと大変だけど、毎日仕事探して、色んな村を回ってる今が好き。
ん? 昔は何を作ってたのかって? んーと、ええと、うんとね。
「武蔵、何してるの? 隠れてないで出ておいでよ」
草むしりの手を止めず顔も向けないまま、声をかけると、武蔵が屋根の上から降って来た。受け身も取らないから、凄い音がする。びっくりして振り向くと、おいらは思わず叫んだ。
「あー! シブキの山! このバカっ! これおいらの修行用に使うんだぞー!」
シブキは生薬にしたり漢方にしたり、あとそのまんま使ったりする薬草だって、日向が教えてくれたんだ。ちょうどお屋敷の裏の草むしりだったから、シブキもいっぱい咲いてた。だから修行用にと思って、より分けておいたんだ。なのにこんなぐっちゃぐちゃじゃあ、どうやって作ればいいかわかんない! おいらが説教を始めようとすると、武蔵はいきなりシブキを口に突っ込んだ。
「わー! 何すんだよ! おいらの修行用だって言っただろー!」
「うるせえぞ種子島。俺は今最ッ高に腹が減ってるんだ。日向が財布持ってって、団子屋にも行けやしねえ。折角一仕事終わったってのに、そのお銭も蕎麦切り五人前でお終えだ。それなら同じ蕎麦でも、地獄蕎麦でも食ってる方がまだいい。と言う訳で貰ってる。……うん、ハラが減ってりゃ、何でも美味いもんだ」
「そ、そばきり……ごにんまえ…………」
目がぐるぐるした。おいらは朝から草むしりを続けて、食べられる草を食べて、みたらしをがまんしてお銭を節約してるっていうのに……。この、この……!
「この食い意地達磨ァッ! おいら達に奢るそばきり代稼いで来ーい!」
「あいよぅっとぉ」
おいらのコンシンの拳をひょいとかわして、武蔵はまた堂々と屋敷の方へ歩いて行った。すぐに使用人たちの大騒ぎする声が聞こえてくる。…………あのバカ、またやりやがったな。
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あいつは武蔵。剣の腕だけが取り柄の食い意地達磨だ。もし今が平和な世の中じゃなかったら、おいら達ももっと美味いもんが食えたんだろうけど、悲しいかな、今は人斬りが活躍するような時代じゃない。まあ、おいらみたいな力も無いちっこい見習いは、こういう時代の方がいいんだろうけどさ。でもだからって、毎日こうひもじかったら、いつまでも力が出なくて見習いのまんまだい! いつかでっかい仕事をして、日向を護るんだ! んで、そのまま嫁っこに貰うんだい。おいらのかっこいい仕事ぶりを見れば、日向だってきっと、おいらに首ったけになるもんね!
お天道さんが傾いてきたころになって、おいらはようやく草むしりを終えて、お銭を貰った。みたらし団子が四本買えるくらいしかないけど、おいらが出来る精いっぱいの仕事だから、誰も文句を言わないでくれている。
武蔵のせいで、余計に腹が減った。と言うのも、あの後武蔵は堂々と屋敷の中を物色してそれを売りさばいたから、同じ村に居られなくなったんだ。一山飛び越えて、ようやく大肝煎さんに宿を貰ったって訳。おいら、一日草しか食ってなかったから、出された膳を平らげて、お代わりしちまった。きれいな正座をして、つつましく汁を吸っている日向が、クスクス笑う。日向は怒ると阿修羅みたいけど、いつもはこんな感じなんだ。
「種子島、よっぽど腹ァ減ってただなァ。どっかのダラの所為で」
「そりゃ団子四本分じゃ――スミマセン」
ギロッと日向に睨まれ、武蔵が小さくなる。日向の隣で、おいらと同じくらいの子供も笑った。こいつは出雲。おいらより二つばっか年上で、いつも卜占で稼いでくる、一番の稼ぎ頭だ。この大肝煎さんに入れたのも、出雲が卜占でご機嫌をとったからだ。
「おいごら、武蔵、出雲に感謝すんべや。おめぇの所為で、おらだちの悪い噂があっちゅう間に広がるんだぞ。このダラ」
「まあまあ、人の噂も四十五――へぶっ!」
まるっきり反省せず、ケラケラ笑っている武蔵の両鼻に、用済みになった日向の箸が飛んで行った。鼻血を出しながら転がりまわる武蔵をムシして、出雲が口を開いた。
「武蔵、今の内に体調を整えておいてね…」
意味ありげな言葉を放ち、出雲は行儀よく箸を置いた。おいらが興味を持っていると、出雲は鬼のような薄ら笑みを浮かべて言った。
「ここの大肝煎の跡取り息子が、許嫁のいる肝煎の娘に惚れたらしくてね…。処女を奪って強引に妻にしたらしいんだ…。でも唯の一肝煎に、十数の村を治める大肝煎に逆らう権力も力も無い…。泣き寝入りしてたところを、僕が見つけて、依頼を受けて来たんだ…。『大肝煎の身分を笠に着て奪われた女房を返してほしい』と、肝煎の息子からね…」
「じゃ、ここの肝煎の屋敷に入ったの……」
「そうだよ種子島、唯の茶番さ…。でもお蔭でお腹はいっぱいになったし、肝煎の家からはそう少なくない妥当なお銭を貰ったよ…」
出雲の不思議な所はここだ。どこからどこまでがダサンなのか分からない。おいらとあまり年が変わらない筈なのに、妙にタッカンした所がある。だからおいら、出雲に敵わないんだ。
「んじゃ、決まりだな。寝静まった頃に、ちょいと腥い稲刈りと洒落込むか」
「それなんだけど…。この屋敷、唯の屋敷じゃないよ…。念の為、二人組で移動した方がいい…。……ここには、化生が巣食ってる…」
ピクッとおいら達の表情が引きつった。それでこそおいら達の本当の仕事だからだ。
化生っていうのは、人の気持ちや未練が形となって、生きてる人間に害を及ぼす存在の事だ。いわゆる生霊、怨霊、人魂みたいな奴。それからもう一つ、似たようなのに、妖異というのもある。いわゆる妖怪や物の怪の類だけど、見分けるのが難しい。だって、人の怨霊によって生まれた妖異とかもいるんだもん。でも、おいらにもそれらを見分ける能力があるって出雲はなぐさめてくれる。けど、おいらはちっともそんなの視えないし、分からない。
「多分、巣食ってるのは、養蚕一代で財産を築いた、あの成り上がり肝煎の息子の生霊…。でも、この悲劇は作り話かもしれないよ…」
「どーゆうこと?」
「単純な話だよ、種子島…。娘は自ら望んでこの大肝煎の家に嫁ぎ、肝煎の息子はそれが納得できなかった…。肝煎も村を治める身分だからね…。勘違いしたんじゃないかな…」
すました顔で、さらりと恐ろしい事を言う出雲。それが不気味で、おいら出雲は苦手だ。年だってそんなに変わらないのに、何で出雲はこんなおじいちゃんみたいにしてるんだ?
「いずれにしても、化生が出るにはまだ時間が早い…。ゆっくり英気を養おう…」
出雲はそう言って、さっさと膳を廊下に出して、布団に入ってしまった。
おいら達は草刈から首狩りまで、何でもやる旅商人だ。だからよろず屋。おいら達が人の血を流す時は、決まって夜。別に昼間やっても良いんだけど、おいら達が退治するのが、化生や妖異の類だから、普通の人に見られると厄介なことも多いんだ。だって、普通の人に化けるのが、妖異の得意技だからね。おいら達が唯の人殺しだと思われると、面倒なんだよね。……武蔵の所為で盗人扱いされるのも面倒だけどね。
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草木も寝しずまる深夜になって、ビリッとした匂いがしておいらは目覚めた。日向も武蔵も出雲も起きている。どうやら仕事の時間らしい。出雲は静かに息をととのえた。
「いくつ?」
声をひそめておいらが聞くと、闇の中で出雲は指を二本立てた。
「肝煎の息子以外にも霊がいる…。種子島、お前は武蔵と行け…。息子の方なら、お前でも分かる筈…。僕と日向はもう一つの方を探す…。収穫があったらこの部屋に戻ろう…。青龍を置いておくから、もしいなかったらこの子に話しかければ、すぐに戻るよ…」
そう言って、出雲は自分の手首を噛み、血を掌に馴染ませて印を結んだ
「卯辰巳亥子・開け東門・召喚青龍」
すると、出雲のてのひらから、にゅるにゅると緑色の蛇が現れた。おいらにはまだ良く見えないけど、何れきちんと、青龍が見えるようになるって、出雲が言ってた。
「これで大丈夫だよ…。青龍が離れていても呼んでくれる…。さ、行こう…」
「う、うん……。ほら、行くよ武蔵っ」
「くれぐれも静かに…。屋敷の人に見られてはいけないよ………」
そんなのおいらにとっては造作もないことだ。見習いだけど、おいらは田力だもん。……問題はこの食い意地達磨だけど、忍び足は得意らしい。すいすいおいらよりも早く歩く。
「おい種子島。肝煎のドラ息子とやら、場所は分かるか?」
「わかんないけど……。気持ち悪い場所ならある……。ちょっとしずかにして付いて来て」
目で見えない物を見るのには、心の目で見るのがいいって、出雲が言ってた。おいらが目を閉じれば、おいらの心の目は自然と開く。だから夜、寝ションベンする必要もないって言ってた。だって、おしっこしたくなったら、心の目がそれに気づいて、おいらの目を覚ますから。同じように、目をつぶって、しずかな水面を思い浮かべる。そうすると、波が広がるんだ。初めは大きな波。それがだんだん小さくなって、波は短く細かく見えてくる。
――見つけた!
おいらはその目的地を見失わないように、武蔵を踏みつけて屋根裏部屋にもぐり込んだ。こうすれば他の誰かに見つかる必要もないし、音がしても皆ヤモリか家鳴りの類だと思ってくれると、日向と出雲が教えてくれた。おいらはネズミのようになって、波の中心地へ行く。後ろからのそのそと武蔵が付いて来るけど、おいらは気配を見失わないように急いで向かった。木目の下から、行燈の光が僅かに見える。屋根裏を照らすには余りに小さな光。
この下だ。この下の部屋から、きな臭さがプンプンする。木目の隙間から見ると、この家に嫁いできたという娘さんが眠っていたけど、おかしいな? 夫婦なのに、夫の方がいない。変だと思ったけど、もしかしたらケンカでもしてるのかな。いずれにしても、この娘さんを起こさないように、部屋の中、調べなくちゃ。
そうっと天井板を外して、畳に衝撃が逃げるように静かに降りる。おいらはこれでも田力なんだい。こんなの屁でもないぞ。武蔵もそれくらい――。と、思っていたら、武蔵が派手な音を立てて飛び降りて来た。前言撤回。こいつはそう言う奴だ。
「武蔵っ。しずかにしろって言われて――」
おいらがお説教をしようとすると、シッと武蔵が指先を当てた。忍び足で娘さんに近づくと、いきなり野太刀を持って、娘さんの首を斬り落とした!
おいらは二重の意味でびっくりして、腰を抜かした。一つは武蔵が、何のためらいも無く眠ってる娘さんの首を落としたこと。そしてもう一つは、娘さんの首から血が出なかった事だった。その代わり、切り落とした場所から、何か白い物がふんわりと出てきた。おいしそうだ。おいらはそれをつかまえると、口に入れてみた。甘い。でもこれなんだろう?
「やっぱりな。種子島、この娘は、桑の樹を彫って作られたハリボテだぜ」
ごろ、と、安らかに眠った娘さんの頭を足で転がし、そのままひょいっと手に持つ。ハリボテと分かったら武蔵は容赦しない。布団を引き剥がしてじろじろと見る。娘さんは、顔以外は唯の大きな桑の枝だった。多分、人間位の大きな枝を切って、顔をほったんだ。
「じゃあ、本物の娘さんは?」
「その辺は出雲だろ。初めの部屋に戻ろう、あいつらも少しは手掛りを掴んでる筈だ」
そう言うと、武蔵はおいらに首を渡して、おいらを天井裏に戻した。
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部屋に戻ると、出雲が置いてったあの小さな青龍がうろうろしていた。と、言っても、おいらにはやっぱりそれが緑色の蛇みたいな霊にしか見えない。この四人の中で、聖獣がきちんと見えるのは、出雲だけだ。調子がいいと、日向も見えるらしいけど、おいらほどは見えなくて、気配だけが分かるんだって。
「んっ?」
出雲に戻る様伝えて、と、言った時、武蔵が何かを見つけた。紙……というより、姿絵だ。
正直、不気味な絵だった。人食い悪鬼の絵だ。子供を殺して、餓鬼がそれを食い千切って、自分の血肉にしてるんだ。水墨画だけど、おいらにはそれが黒く乾いた血に見えた。
「なんじゃこりゃあ? ここの大肝煎の趣味かね。げろげろげろげ~」
「うーん、これも出雲じゃない? 娘さんがハリボテだったんだから、この絵も何か関係があるよ。出雲ならすぐわかるよ!」
おいらが心の目を休める為に寝ころがっている間、武蔵はしばらく、その水墨画に憑りつかれたかのように見入っていた。野太刀を持つ手がふるえてる。大丈夫、と、声をかけようとした時、突然武蔵が野太刀を抜いてその紙を文字通り、一刀両断した。その時の武蔵の顔は、暗闇でも分かる位に怖かった。
「武蔵、物騒なものは納めなよ…」
出雲たちが帰って来た。出雲は少し疲れているようだ。おいらなんかよりもたくさん見える分、つかれるのかな? 野太刀を納めた武蔵は、しばらく震えていたけど、すぐにぷいっとそっぽを向いてしゃがみ込んだ。出雲が先に報告してほしいと言ったので、おいらは見たことを話した。出雲はまるで老人のように腕を組んで聞いていたけど、おいらが話し終わると同時に、ぽいっと何か転がした。これは……骨? でも人間の骨にしては大きい気がする。
「種子島が見たの『オクナイサマ』だね…」
「オクナイサマ? 奥方様じゃなくて?」
「ここいらに伝わるカミさんの一人だよ」
ここに来て、ようやく武蔵が口を開いた。苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。
「オクナイサマってな、夫婦のカミさんだ。ここいらの大きなお屋敷で祀られ、厳しい信心と掟を求められる、俺に言わせりゃ器のちっさい神さんよ。……で? 出雲。妻のオクナイサマが居るんだから、その夫のオシラサマもいるんだろ? そいつはどうした? 邪神にでもなってんのか?」
「大丈夫、ちゃんと見つけたよ…。来て…」
そう言って、出雲は闇の中に溶けるようにきびすを返した。おいらは出雲のこういう所が怖い。日向も武蔵も慣れっこみたいだけど、おいらはやっぱり駄目だ。置いてくぞ、というので、慌ててついていく。
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出雲はおいら達を、屋敷の中庭に連れてきた。大きな大きなクワの木があって、実がなったらどっさり採れそうな、そんなうまそうな樹だ。だけど、何だか気持ち悪い。
「哀れなご神木さまだべさ。ここの大肝煎が化生に気付かず、オクナイサマばかりに構ってたけんね、余計性質が悪くなってら。オシラサマにどっさりくっついてんべ」
「種子島、よく見てご覧…。目を開いていても、君なら分かる筈だよ…。心の目で…」
そんな事言われても、相手が動かないクワの木って言ったって、おいら見習いだし、そんな大層な事出来そうにないやい。でも日向も出雲も無言で期待して来るし、武蔵に至っては、早く大元を叩こうと今にも刀を抜きそうなありさまだ。これも修行だ、仕方ない。
じいいっとご神木を見る。下から上まで、じっくり、じっくり、じーっくりと。
おいらの身長と首じゃあ、上までしっかり見えない。でも、上に何かある事に気が付いた。出雲が大丈夫だと言うので、おいらは武蔵を連れて、すいすいと木に登った。なんだかふわふわしたものが、おいらを支えてくれているような温かさがある。これがご神木の力って奴――。
『それ』と眼が合った瞬間、おいらはあまりの姿におどろいて転がり落ちた。一本下の枝にしがみ付き、必死になって『それ』を指差す。
「武蔵! そこ! 今おいらが登ってた枝の上! そこに何かいる! 妖異だ!」
仮にもご神木なのに、武蔵はためらいもなく、そこに雷の力を借りた野太刀を食らわせた。武蔵には妖異と人間の区別がつかないけど、流石に『あれ』は妖異だと分かったみたいだ。武蔵の抜いた野太刀に斬られた『それ』は、雷で欠けた刃の欠片と共に真っ逆さまに落ちていく。正直近づきたくないけど、登ったら降りなきゃならない。それを察した日向が、下で腕を広げてくれたので、思い切ってその胸に飛び込んだ。出雲の足元には、馬の首の妖異が落ちている。出雲が素早く妖異の目玉を、おおいかくしてくれたけど、妖異はあばれにあばれて、おいらをにらんだ。ぞくり、と、二の腕が震えて、気持ち悪くなって立っていられない。ふらふらのおいらを、日向がぎゅっと抱きしめると、胸が軽くなった。
「『さがり』だね…。どうして陸州なんかに…? こいつは作州の妖異なのに…」
「さがりっていうと、あれか? 馬の怨念がどうのこうのっていう?」
武蔵は心当たりがあるみたいだ。出雲はうなずいて、まだあばれる『さがり』とかいう妖異を布でしばりあげ、武蔵に止めを刺すように目で言った。武蔵の野太刀がうなって、突き刺すと、『さがり』は馬のような人のような、やかましい声で悲鳴を上げて絶命した。引き抜いた刃の先が欠けている。武蔵の野太刀は、妖刀としてはハンパ物だから、その分反動が来るんだって。でも妖異相手に唯の野太刀じゃ太刀打ちできない。例え武蔵が妖刀使いじゃなくても、その力を使わなくちゃ。
その時、クワの木がざわざわと鳴った。
…………。え、あの、その、これって……。
「やっちまっただな、出雲」
「やっちゃったね…、日向」
「だなぁ。まあ、俺は全部叩っ斬る自信あるけど、どうする?」
「え、え、え? ウソでしょ?」
おいらの予想は的中してしまった。クワの木ががさがさ音を立て、ばらばらと馬の首が落ちてくる。それも、いっとう不気味な奴だ。頭から人間の手が生えていて、人間と馬とタコの目がぎょろぎょろとおいら達を見定めてくる。日向が苦無を取り出し、力強くにぎると、苦無が燃え始めた。出雲もカサブタを噛み千切って血を流し、今度は別の詠唱を始める。
「辰巳午未申・開け南門・召喚朱雀」
出雲の血の梵字から六芒星が広がり、美しく燃える鳥が召喚された。おいらがビクビクしながら日向にしがみ付いて怖がっていると、日向はぎゅっと抱きしめてくれた。
「なんも怖ぇ事なんてねえずら。今出雲と武蔵が退治するべ」
「何か……。気持ち悪いよう……」
「『さがり』を見たら、病気になるらしいっちゃ。後で出雲に祓って貰われま」
うん、と、応える前に、出雲が叫んだ。
「焼き尽くせ!」
朱雀が灼熱の炎を吐いた。馬の首が奇声をあげて燃えていく。一本の腕だけで逃げ出そうとするさがりは、武蔵が切り捨てた。燃え上がる火の中に飛び込む様に、次々とさがりが降ってくる。日向が苦無を持った腕を振ると、まるで何十本もの苦無が飛んでいくように炎の塊が飛んでいく。その炎のかたまりは、決して火の粉とかじゃなくて、正しく燃える苦無なんだ。日向はこおるようなおいらを抱きしめたまま、向かってくるさがりの目を潰す。
「おい出雲! 屋敷の連中、お前の五獣で眠らせることは出来るか? 埒が明かねえ、起きてこられたら面倒だ!」
「出来ない…。でも、すぐ逃げる事なら…」
「それでいく! こうなったら一網打尽だ!」
燃え盛る炎の中で、武蔵は野太刀を真っ直ぐに上にかかげた。精神を集中させ、服に火が燃え移っても動じない。青い光が、バチリバチリと刀に集まる。それはお互いにくっつき、いびつな線になり、そしてそれがどんどん増えていく。そしてその線は、武蔵の身体全体を包んで、火を蹴散らしていった。
「いっけえええええええ!」
武蔵が刀を振り下ろしたその瞬間、大きな雷がクワの木を直撃し、真っ二つに割れた。掴む枝が無くなったさがり達が、ぼとぼと落ちてきて、全部煙になっちまった。そして、真っ二つになったクワの木に煙が吸い込まれて行って、その煙は女の人になった。
「ああ……。私のあんた……」
女の人は、さがりとは似ても似つかない、きれいな馬の首を抱き締めて、涙をこぼした。
「勇士達よ、ありがとう。貴方のお蔭で、最愛の人と再会することが出来ました」
人って、馬じゃないか。しかも頭だけじゃないか。と、思ったんだけど、女の人はおいらのほっぺたにてのひらを当てて、すぅっとおいらの寒気を取ってくれた。多分、さがりの呪いを解いてくれたんだ。
「オシラサマ…。危険が伴ったとはいえ、ご神体を侮辱し遊ばしましたこと…。どうぞ御赦しください…」
出雲は神さんや妖異、化生なんかがはっきり見える。おいらには普通の女の人に見えるけど、もしかしたら出雲には、もっと神々しく見えているのかもしれない。オクナイサマが女の人だったから、オシラサマは男のカミさんだと思ってたんだけど、違うのかな?
「勇気ある修羅の子らよ、今の私に出来る礼は、これしかありません。これからも旅を続け、功徳を積み、業の道程を旅するのです」
なんかよく分かんない事言ってるけど、女の人――オシラサマは、さっきの一撃で今にも折れそうな武蔵の野太刀に触れ、バシッと小さな雷を落とした。途端、その刃はきれいな雷の姿を反射して、一切のくもりをうちはらった。
「雷光丸。……それがこの野太刀の名前です。貴方は雷を持ってして、私達夫婦に光を齎してくれた。これから先、貴方と貴方が護る人を、鳴神の名において庇護するでしょう。この妖刀に相応しい使い手となるのです」
「ふわぁ……すっげえ! 俺が野太刀使う度にボロボロになっちまってたのに! こりゃすげえや! ありがとさん、オシラサマ!」
「武蔵…いくら御姿が人に似ていても、オシラサマは神様なんだよ…?」
出雲が呆れたように言っていたけど、武蔵はただの刀にツバつけたような妖刀が、たしかに変化したのが分かるらしく、こどもみたいにはしゃいでいた。野太刀――雷光丸を鞘から抜き差しするだけで、小さな雷が出る。オシラサマはふと、じいっと品定めをするように出雲をみつめた。出雲は無言でその視線に答えている。
「童子よ。貴方の功徳の為に、加持祈祷を行う様、屋敷の者達に伝えましょう」
「ありがとうございます、オシラサマ…」
なんのことかな? 出雲の霊獣が大かつやくしたからかな?
「さあ、屋敷の者らの枕辺に立つ前に、貴方方を送って行きましょう」
そう言うと、オシラサマは四頭の馬を呼び、おいら達をずっと山を超えた古寺まで送ってくれた。古寺に着いて、おいらがお礼を言おうとしたとき、オシラサマはもういなかった。でも出雲は、喜んでいたよ、と、言った。
「あ、そうだ出雲。これ、お屋敷で見つけたんだけど、オシラサマに返し忘れちゃった」
「何それ…。……水墨画…?」
そうかも、と、おいらが真っ二つになった水墨画を出雲に渡すと、出雲はいつもよりも冷たい無表情になって、びりびりとその絵をやぶいてしまった。
「多分、紙舞の仕業だね」
「カミマイ?」
「神無月のころ…。風も何もないのに突然紙が舞わせて人を驚かす、妖異の一種だよ…。時期も外れてるけど…でも、多分そいつの仕業だと…、うん、思うよ…」
「何の絵が描いてあったの?」
「知る必要もない他愛のない落書きだよ…」
そう言って、出雲はさっさと寝てしまった。
まあ、オシラサマも助けられたみたいだし、もういっか。お休みなさーい!