七話 束の間の日常
氷倉先輩と別れ、夕食を食べて帰ろうかと考えていたところグループチャットアプリSENNの着信音が鳴った。
〔お裾分け行くよ! 今日は肉じゃがね!〕
確認してみると近所に住んでいるお姉さんからの連絡だった。
〔了解、帰ったら連絡する。〕
と返信して真っ直ぐ帰る事にした。
彼女の名は秋戸萌音。昔から近所に住んでいて、お互い家族ぐるみの付き合いがあったので幼い頃はよく遊んで貰っていた。
今でも実の姉弟の様な仲は変わらず、流石にその頃程交流がある訳ではないが付き合いは続いている。まあたまに遊びに来られるというだけだが。彼女曰く俺の家は人が少ないから落ち着くのだとか。
家に来るのは良いのだが、鍵があるからと言って俺がいない間に入ってガッツリ寛いでるのは止めてほしい。お陰で自分の縄張りに入られた獣の気持ちを何度も味わわされている。
ご注文はプライバシーですよ。
〔着いた。〕
〔すぐ行く!〕
家に着くと同時に連絡を送ると、素早いレスポンスが。
鍵は開いていなかったし、照明も点いていない。どうやら今日は侵入されていないらしい。すぐ行くと言っておいて家の奥から現れるなんてことはないだろう。
リビングに移動してソファーに腰かけると、どっと疲れが溢れてくる。
氷倉さんに襲われて能力の事を知った昨日に比べれば軽いが、今日も今日で知らない奴に襲われたし皆藤や氷倉さんの姉も能力持ちだと知ったし…普段の日常と比べ物にならない程濃い二日間だった。
少なくとも、氷倉姉や皆藤に協力している間はこんなことが続くのだろう…自分から突っ込んだ事とはいえ憂鬱だ。
けど、関わらなければ良かった、なんて後悔だけはしない。終わらせなければ氷倉さんは帰ってこないし、彼女達は戦い続けるのだから。
「お帰り確矢!」
返信から二分も経たずに彼女の肉声が聞こえた。
彼女の家から俺の家までの距離はたった数歩なので、僅かな時間で来ることが出来る。それも姉弟のような付き合いが出来ている要因の一つだろう。
「おねーさんに内緒でどこに行ってたんだい?」
「カラオケ、俺は歌わなかったけど。」
「あれ? 昔うちらとカラオケ行った時、歌ってなかった?」
「前は前、今は今だ。俺の歌なんて上手いかどうかも分からんし、人前で歌うなんて恥ずかしいんだよ。」
小学生の頃、家族で行った時はノリノリで歌えたのに今はちょっと…という感じになってしまったのは成長して巧拙を気にするようになってしまったからだろうか。それとも声変わりして声が歌に合わせられないからだろうか。
ノリと気分で知ってる曲を選んで、勢いで歌ってた時期が懐かしい。
「ふ~ん、もう歌わないんだ…なんだか寂しい。」
「…もしかして、昔の俺そんな歌上手かった?」
「そうじゃないけど、変わっちゃったなってさ。」
どうやら姉モドキさんは変化に寂しさを感じるお年頃のようだ。
「誰と行ってきたの?」
「友達。」
「ふ~ん…その分じゃ浮いた話じゃなさそうだね。」
「ねーよ。」
「あ、その言い方ちょっと寂しそう。どうした~? 例の彼女とはうまくいってないのか~?」
「……」
萌音姉は俺に好きな奴がいることを知っている。
それがどこの誰かまでは幸い知られていないが、姉のような存在からそう言う質問やからかいが飛んでくるのは辛い。身内によくそういった事を訊かれるお方ならこの気持ちを分かって頂けるだろう。
不満そうに一睨みし、それを返答とする。
馬鹿正直に言える訳も無いしな…色々な意味で。
「おー、恐い恐い。
揶揄ったのは悪かったけど、おねーさんいつでも相談に乗るからね?」
「はいはい、ありがとーございます。」
「へー、姉に対してそんな態度で良いの? え?」
「姉じゃないだろ。」
「そうだけどさー…私、たまに思うんだよね。確矢のお姉ちゃんだったらよかったのにって。」
「なんでさ。」
「だって、そうだったら冷蔵庫にある確矢のプリン食べ放題って事でしょ?」
「んなわけあるか! 今はともかく昔はプリン滅茶苦茶好きだったんだから止めてくれ!
あー、萌音姉が本当の姉じゃなくて良かった! もしそうだったらグレてたわー!」
「仕方ないでしょ!? 冷蔵庫に置いてある人のプリンって異常に輝いて見えるんだから!」
「そりゃ萌音姉だけだ!」
と騒いでいるとそれでエネルギーを消費してしまったのか空腹を思い出す。
食べ物の話もしてたのでそのせいでもあるだろう。
「ところで、今日持ってきてくれたのって何?」
「肉じゃが! 今日は上手く出来たよ!」
「へぇ。」
リアクションが薄めなのは心情に安心が混ざっているからだ。
萌音姉は時々妙な料理や作った事の無い料理に手を出し、失敗作を押し付けてくることがあるのだ。
そう言った場合は完食に苦痛が伴うので、辞退を試みるのだが何やかんや押し切られて食わされる。
まあ、そういう時は萌音姉の態度でなんとなくわかるんだけど。思いっきり言いづらそうな感じになるし。
申し訳ないと思うくらいなら押し付けなきゃいいのに。
「ありがとう、いただくよ。
それにしても最近お裾分け多いな。」
「近々ホームステイの人が来るからね、料理多めに作るの慣れておきたいんだって。
その準備で忙しいみたいだから今日は私が作ったけど。あ、私もここで食べるからね! 温めてる内にお皿出しておいて!」
「りょーかい。」
皿を出しつつ、レトルトの米を用意してレンジにかける。
米を炊いていなくてもさっと出せるので、レトルト米を常備するのも案外悪くない。冷やご飯と違ってかなり長持ちするし。
特に俺は秋戸家のお裾分けをよく貰うので、かなり重宝している。おかげで家の炊飯器の用途がほぼ時計になってるけど。それすら台所の壁に掛けてある時計にしばしば役目を奪われているので、もうただの置物である。昨今は家電もインテリアなんです。
…これ漫画とかだったら伏線になるかな。家に来た襲撃者に炊飯器を躊躇なくぶつけるみたいな。無い? そっか。
この後はわざわざ語るまでも無いような、いつも通りの時間が過ぎていった。
萌音姉と夕食を食べながらテレビを観て、彼女が帰ったら風呂入って、布団に入って…
そんな何でもない時間が心に沁みた。