十話 刃対糸
「お前が能力持ちか?」
知らない男の声だった。
あんな空気になって、それでもこうしてすぐに仲直りしかけていたことにホッとしていたから警戒を怠ってしまった。端末は反応していると言うのに、さっぱり気付かなかった。
「………」
「違うのか? ならそこの奴か…」
黙っていたら男の視線がバットを構える確矢に向いた。
まずい、これじゃ確矢が…
「違う、私が能力持ち。」
「なんだ、お前だったのか。なら」
「待って、場所を変えた方が良い。」
「……それもそうか。」
私は男を引き連れ、アラウンドワンの裏に行く。建物の中は騒々しいので特別大きな音でも出さなければ誰かに気付かれることは無いだろう。
「ここにしよう。」
「異論は無い。
俺は反上葉切って言うんだ。覚えておきな。」
「…私は、皆藤愛実。」
名乗られたのでほぼ反射的に名乗り返してしまった。名乗る必要も、名乗られる必要も無いはずなのに。
「そうか、覚えておく。俺が殺した能力持ちの一人ってことでな。」
能力持ちと戦うのはこれが初めてだ。
負ければ死ぬ―――緊張は最大に達し、少しでも気を緩めれば足が震えてしまいそうだった。
相手がどんな能力を持っているか、どんな対策をすればいいか。
それがさっぱり分からない以上下手に動くことは出来ない。
とはいえ微動だにしなければあっという間にやられてもおかしくはないので――
――先手必勝、持っている手札で戦うしかない。
「っ!」
不意打ち気味に私の手からピアノ線のような細い糸が伸びる。
私の能力は手から糸を創り出すというもの。
糸の種類は実在している物質ならなんの糸でも創れるらしく、伸ばした糸は自在に動かせる。
ただしその糸が途切れてしまった場合即座に消滅するため、切り離した糸を遠隔操作することは出来ない。
それを用いての戦闘は今に至るまで何度もシミュレーションしてきた。戦いがいつか来るものだと分かっているのならそれをしないのは愚行であり、死んでも文句が言えない怠慢だ。
「ウッ!?」
かくして、策は成された。
私と反上の距離はやや離れている。
これなら細く頑丈な糸は見えないはず。反上には突然首に何かが巻き付いたように感じられただろう。あと一歩で私は……
(……人にあんなこと言っておきながら、私もこんなことをするなんて。)
以前、氷倉零華の姉――氷倉雹華に言った言葉を思い出す。
何の躊躇いもなく人を殺せる貴女とは仲良く出来ません、だったか。
もうすぐ自分も人殺しの仲間入りを果たしてしまうと思うと―――心と体が硬直した。
「お前、能力持ちと戦うの初めてみてぇだな?」
「!?」
――それがいけなかった。
その隙に糸は切られ、彼は脱出していた。
手には明らかに銃刀法に引っかる長さのナイフが握られていた。どこかに隠し持っていたのだろうか。
「良くないぜ? そういうの。
いや、気持ちは分かるんだ、すげーわかる。俺だって最初はそんな感じだったさ。
けどな、そんな中途半端な情捨てちまわねーと――」
反上の手から灰色の靄が発生し、彼の指の間から一本のナイフが創造される。
創造と言う他無かった。明らかに手に隠し持てる大きさでもないし、一挙手一投足見ていたつもりだったがどこかから取り出した様子も無かった。そう言った能力を持っているのだろう。
「――サクッと死んじまうぜ?」
ナイフがこちらに投げられる。
私の能力にとっては天敵のようなものだ。糸を伸ばしてもすぐに切られてしまえば消滅するため、拘束するどころか攻撃を防ぐことも出来ない。
「くぅ…!」
ナイフから大きく間を取って避ける。
なんとか横に跳んで避けられたものの、ここはフェンスと建物に囲まれた場所。横幅が少ないのでかなり避け辛く、攻撃を横に拡散されたら避けられないだろう。
無駄に大きく避けてしまったのは恐怖心もあるがこうした命のやり取りをするような戦闘の経験が無いからだろう。漫画みたく最小限の動きで避ける、なんて芸当は恐怖を克服し、迫る攻撃を見切った上でどれほど動けば良いのかを計算しなければ出来ない。今の私には到底できないだろう。
「…お前、戦い慣れしてないみたいだな?」
「……」
そんな素人丸出しの動きをしていればそれくらい気付かれる。
いや、それ以前に糸で首を締めなかった時点で勘付かれていたのかもしれない。今のナイフはそれを探るための牽制だったということか。
「だとしても容赦する気はないけどな。運が悪かったと思って諦めな。」
「諦めるも何も、ここでやられる気は無いけど!?」
こちらから仕掛ける。
再度ピアノ線を首へ伸ばす。
「もうその手には乗らない!」
が、反上は糸が巻き付いた瞬間もう一本ナイフを創り出して糸を切る。
…やはり相性が悪すぎる。
「なら、数で!」
再び糸を伸ばす。
ただ、今は一本だけでなく何本も。
あらゆる箇所の拘束を試みながら時間を稼ぎ、考える。
例え糸が見えていなくても、彼の体に糸が触れた時点で糸の場所に気付かれてしまう。
そうなれば彼の能力で糸が切られ、切られた糸は再利用すら許さず再び消滅する。
一切の攻撃が出来ない、と言うことだ。切られない程頑丈な糸を創り出せればいいけど…
…そうだ、確か刃を通さない防刃ベストという物があったはずだ。使われているのは確かポリカーボネードだったか。
「チッ、クモの糸みてぇにまとわりつきやがって!うっとおしい!」
試してみたが結果はピアノ線と同じだった。
あのナイフは能力で創られた物。ならナイフ自体が特殊で本来切れないものでも切れる特性でもあるのかもしれない。そもそも普通のナイフがピアノ線を切断できるかどうかなんてわからないし。
…では、私の能力ではどうだろうか。
「一本でも駄目なら、これでも!?」
数本のピアノ線を綱のように編み込み、一本にして伸ばす。これも時間稼ぎ。
私の糸も、あのナイフと同じように決して切断されない性質を持った糸を創り出すことは――
「無駄だ!」
編み込んだ糸は少しだけ持つようだが、首を絞める時間としては全然足りない。
――だめだ。
私の能力では実在する糸しか創り出すことはできない。
どんな刃も通さない架空の糸なんてイメージもできないし、創り出せる気もしない。
どうすれば…
「今度はこっちからいくぞ!」
反上は駆け出した。
襲い掛かる糸を切り払い、迫ってくる。
妨害の甲斐もなくすぐさま私の前に辿り着かれ、凶刃が振るわれ続ける。
跳び、伏せ、逸らし、躱し続け、その間にも思考を続けた。
…糸、だけなのだろうか。
閃いたことがあった。確かに実在するものだし、出来なくはないかもしれないけど…
…試したことは無かったけど、やってみるしかないか。
刃を躱した勢いのまま彼の後ろに回り込み、距離を取る。
「ていっ!」
成功、試してみるものだ。
手から生成したのは金属製の鎖。それも装飾品のような細い物ではなく、拘束具に使われるような堅牢なもの。
鎖を糸と言い張るのは無理があるとは思うけど、私が認識している能力の性質と実際の能力の性質にズレがあると考えるのが妥当だろう。
そうして創り出した鎖で彼の足を絡めとり、思い切り引っ張った。
「うおぁ!?」
流石にこれには反上もなすすべなく転倒し、大きな隙を晒す。
鎖なら糸と違い頑丈だし、太さも全然違うのですぐに切られることは無いだろう。
すかさず新たに出した鎖で両手両足を縛り、動きを完全に封じる。
…命を奪う準備はできた。
殺人への躊躇、それはこの戦いにおいて枷でしかない。
分かっている。分かっているのに…それを捨ててはいけないと考えてしまう自分も居る。
「……」
自分を説得する時間は無い。ただ戦い、勝敗を決する以外出来ること…いや、しても良い事は無い。
再び私は反上の首に糸を伸ばす。
「皆藤―――――――――――――!!」
その時、確矢の声が聞こえた。




