魔術師としての歩み始め1-1
魔術師として生き始めたアレッタの一日は、大きく変わった。
午前中は朝早くから植物の世話で庭園を駆け巡り。午後は魔術講義で難語が頭を駆け巡る。
難しい言葉や理論は柊が噛み砕いて解説してくれるので、言葉の意味や用途を知識として吸収することに時間はかからなかった。とても充実した時間の中、意欲は際限なくアレッタの中で枝を伸ばして知識を実らせる。ただ実らせるだけでなく、知識を司る樹木の根もしっかりと地に張り巡らせていった。
「柊先生、魔法使いはどうして存在してはいけないのでしょうか?」
裏社会に生きる魔術師と敵対する危険因子についての講義。
世界真理を探究する――魔術師。
神の栄える時代に備える――信仰会。
戦場に血の臭いを求める――飢えた狼。
世界に歪みを産み出す――魔法使い。
その中でも魔法使いの存在は、全ての勢力が公に認めようとしない。
「僕等の扱う魔術、信仰会の扱う加護、飢えた狼の持つ身体能力。これらすべては目的の為に築いた人工神秘なんだよ。だけど、魔法だけは違う。どの神秘の追随も許さない自然神秘は、人の時代を――世界の在り方さえも歪めてしまう程に強力でね。何が目的で魔法は生み出されたのか。何を目的として歪みを産みだすのか。目的が不明瞭な脅威ほど怖い物はないんだ。だから、僕等は魔法使いの存在を容認してはいけないし、表社会に知られてもならない。この情報もまだ一部の者しかしらないんだ。余計な混乱を与えてしまうからね」
歪みは世界各国で発生し、その発生した地域では多くの人間が死に絶え、発生源から広範囲を異界と化す。この時代の情報網は発達しており、各国のメディアからその正体を覆い隠す為、魔術師や信仰者が協定の下に結託して真実隠蔽に奔走している。時には人道を外れた記憶改変の神秘を使う事もある。
柊も一度だけ魔法使いに出会った事があった。
宇宙理論を基盤とした超次元的神秘――それが魔法。
共だった魔術師の多くが魔法の前に屈し、柊自身も重傷を負って、魔法使い一人を殺害する事が出来た。魔法使いの死によって歪みは消失したが、同胞の損失も大きく、両手を上げて喜べる結果とは言えなかった。
魔術や加護で歪みを消失させることも出来るが、歪み自身に意思が在り成長もする。此方が危害を加える素振りを見せれば、歪みもまた防衛に猛威を振るう。
魔法使いは普段は人間社会に溶け込み、容易に姿を現すことはしない。魔力も一般人程度なので感知することも叶わない。だから魔術師たちに出来る事は、歪みの早期発見と早期消失。今現在も世界各国で派遣された魔術師や信仰者たちが、歪みの調査に汗水を流している。
「まぁ、つまらない裏社会の情勢についてはこの辺にして、魔術式についての知識を広げていこうか」
「柊先生、その前に一つだけ、いいですか?」
黒板に不出来なイラストを描いていた柊は手を止め振り返る。
「うん、なにかな」
「争いが無くなる日は、来るのでしょうか」
組織間の話を聞いていて疑問を抱いた。
所属する組織が違う。信じるべき対象や歩むべき道が違うだけで、人は争い、奪い、奪われる。己が道を一貫するには邪魔な因子を払わねばならない。払われたアレッタだからこそ、一般の者が抱く争いの終結とは異なる視点――格差社会の崩落――平和の空想像を無意識に描いた。
この問題については柊も答えを簡単には導き出せない。
「人類史を見ても、原始的な時代から近代的な時代に至るまで、歴史の変化の中で唯一変わらずに、生物と切り離せなかったものが争いでね。争う理由は様々だけど、己の道を貫くという面で見て、実力主義が一番単純で分かりやすい決め方だったんだよ。闘争は生物の本能なのかもしれないね。だから、争いが無くなった時には、生物は己の在り方を否定した時だと、僕は考えているんだ」
「それは、争いは無くなってはいけない、という事でしょうか?」
「う~ん、ごめん。僕の言い方が悪かったね。争いと言っても、物理的に傷つけるだけが手段じゃないと僕は思うよ。討論って言葉があるよね。論っていうのは、個人が考えて至った意見。討はそのままの意味で戦わせる。つまり意見と意見の対立だね。これも立派な闘争じゃないかな? 歴史の文明に見合った争いが起きていたんだから、いつしかそういった血を流さない争いの時代が到来するかもしれない。思考して感情を抑制でき、礼節を持つからこそ人なんだよ。つまり、討論こそが人をより崇高な……あ、あぁ!! アレッタ、だ、大丈夫!?」
言っている内容は理解できる。
本当にそんな時代が来るのだとすれば、自分の様に格差を理由に塞ぎ込む事もなくなる。
アレッタの思考を強制遮断させ、白い肌に鼻血を滑らせる理由は一つ――柊の言葉の使い方だった。
「あふぁ……口の中に逆流しました」
真上を向いて盛大に啜ってしまい、鼻血の嫌な臭いと味が口内に広がる。とても気持ち悪いドロリとした舌触りに総毛立ち、顔をしかめた。
柊が急いでチリ紙を捩じってアレッタの鼻に捻じ込もうとするが、アレッタの対人恐怖がこんな時にも発動してしまい、無意識に四歩分の距離まで後ずさる。
「あわわ、アレッタぁ~。綺麗な洋服に垂れてる、垂れてるよ。待って、よし、うん。机に置いたから自分で鼻に入れてくれるかな」
「ごめんな、さい……」
顔は天上を見上げているので、手探りで机の上のチリ紙を見つけて鼻の中に捻じ込む。止血には三十分程の時間を費やしてしまった。貴重な抗議の時間をこんな下らない失態で削いでしまったことに落胆した。
「柊先生、魔術の実技はいつ頃から、始めていただけますか」
「魔力や魔術理論についても教えた事だし、そろそろ始めてもいいかな。とはいっても、初めは閉じた魔力路に魔力を流して管を広げる作業からだね。その後に魔術理論と相性の良い魔術媒体を見つけなくちゃね。実技はその後からかな」
魔力という魔術の熱量は魂から分泌されるらしく、人それぞれに異なる色を持つという。その色こそが魔力の純度という、魔術師の質を測る指標にもなっている。
魔術を使うには、魔力を魔力路と呼ばれる体内に張り巡らされた管へ注がねばならない。血液が酸素を全身に運搬するように、魔力が魔術理論を全身へと運搬することで、術者と魔術理論を統一化させ、魔術理論に絶対的価値を与えることができる。魔術は信条や信念といった自分理論を形作ったものなので、理論基盤が強くなければ曖昧な現象として不発となってしまう。
そこで魔術と術者を統一させることで、基盤を固める作業が必要となる。
「アレッタの魔力の色は何色だろうね」
「柊先生の魔力は、何色ですか?」
「僕の色はね、乳白色だよ。この結晶と同じ、ね」
ポケットから取り出した小指程の大きさをした乳白色の物質。粗や傷が無いよく磨かれた結晶に思わず感嘆の声を出してしまった。
「すごく綺麗、ですね」
ありがとう、と照れくさそうに笑った柊は、窓から差し込む夕焼けの色に感謝をした。
こんばんは、上月です
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